閑話 王女様の贈り物 (弓一side)

 目が覚めた時、映った光景は知らない世界じゃない……その事実に一瞬泣きそうになる。

 屋外でも森の中でも、雨風をしのげれば良いという洞窟でも廃屋でも無い至って普通の見慣れた俺の部屋の天井。

 普通にベッドの上で目を開いた俺は蛍光灯のある天井に、見慣れているハズなのに何故だか“懐かしい”とすら思えてしまう。

 そんな……異常な感覚の違和感の原因に思い至って、俺は思わず頭を抱えた。


「…………ひっでぇ夢」


 スマフォを見てみると月曜日の6時…………らしくもなく早い時間に目が覚めた事が妙にムカつく。

 本当に俺は何時から寝ていたのか? 

 先週から学校をさぼっては辺りをふら付いて、暗くなったら帰って時間も分からずいつの間にか寝ているという生活をしていたせいなのか、時間の感覚が良く分からなくなっていた。

 そのせいなのか? あんな夢を見ていたのは……。


「……クソ、オタク共が好きそうな夢を俺が見ちまうとは」



 違う異世界に勇者として召喚される夢……。

 ただそれだけを聞けばものすげぇ幼稚臭い夢を見たと笑えるのに、俺が見た夢は正直……何一つ笑えなかった。

 この身一つで戦乱渦巻く人道何て欠片も無い世界に放り出されるって夢。

 剣と魔法の世界なのに剣も魔法も使えず、ただただ逃げ回るばかりの最低な夢。

 ただ……そんな最悪な夢だったのに……。


「…………学校……行くか」


 ボソリと自分でつぶやいた言葉は先週までなら絶対に口にしなかっただろう。

 先週、俺は学校での居場所を失った。

 自分がヒエラルキーのトップにいると思っていた居場所は、ある日を境に簡単に無くなってしまった。

 彼女に振られて、ダチと思っていた連中は俺とつるむ価値がなくなると途端に離れて、同時に何も関係ない連中ですら俺の事を蔑んだ目で見始める。

『調子に乗っていたヤツが落ちた』という目で……。

 俺はそんな風に自分を下げ出した奴らを憎み、自分から離れた奴らを恨み、何よりも自分をそんな状態に貶めた元凶に心から殺意を抱いていた。


 ……いたはずだったんだが……な。


「おはよう……」

「あ……うえ!?」


 部屋から出て顔を合わせたお袋にそう声を掛けたら物凄くびっくりされてしまった。

 何となくその反応にムッとするが、お袋から「アンタにおはよう何て言われるの、何年振りだろうかね」と言われて、自分がお袋どころか家族とまともに口を利くこと自体が久しぶりな事に思い至る。

 ……なんで口を利かなくなったんだろう?

 それがカッコイイとでも思っていたんだろうか?

 ……思っていたんだろうな。

 いつ何時会えなくなるかもわからないのに、そんなくだらない理由でバカみたいに反発して、今ある当たり前に何も感じる事も無く。


「なんだ、ようやく反抗期も終わったかい?」

「…………うるせーよ」


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               ・


 起きる時間も家を出る時間も早かったから、当然学校に着く時間も早くなっちまう。

 妙な感じだ……先週まで学校に来る事が心からウザかったのに、まるでようやく帰ってこれたくらいの感覚がある。

 チラホラと俺に気が付いた連中がヒソヒソと話していて、何となくその内容が俺にとって良くない事、先週の事を踏まえた陰口の類なのは予想が付くが……そんなのは一つも気にならない。

 それどころか人から向けられる悪意が“その程度”である事に感激さえしてしまう。


「平和だ……」

「……お? 弓一、弓一じゃん。何往来のど真ん中で黄昏てんだよ」

「……横峯」


 不意に声を掛けて来たのはこの前までしょっちゅうつるんでいた、今はすっかり違うダチとつるみ始めた横峯だった。

 裏切り者、先週はそんな事を思っていたのに……。

 そんなヤツがまるで何も無かったように、先週から何も変わってないかのように俺に声を掛けてくれた。


「お前先週から学校来てなかったろ? ラインも返して来ないし心配すんだろ?」

「心配……?」


 そう言う横峯の顔に嘘があるとは思えない。

 反射的にスマフォの先週から開かれていなかったラインをタップすると、そこには何十件も未読状態のラインが入っていた。

 てっきり違うダチとつるみ始めて裏切られたと思っていたのに……まだ俺の事をダチのように心配していた……してくれていたと言うのか。

 それは横峯だけじゃねぇ……俺からとっとと離れて行ったと思っていた連中全員から別々に未読ラインが溜まっていて……。


『学校来てないけど大丈夫か?』

『なにサボリー? なら一緒にどっか行こうよ』

『どした? 風邪ひいたん?』

『何か買い出しして来ようか? アイスとか~?』



「は、ははは…………」


 それは紛れも無い校舎裏で駄弁ってた女友達も含むダチらからのライン……勝手に裏切られて誰も見ていない、自分を気遣うヤツは誰もいないと思い込んでいた俺は……自然と笑い声を漏らしていた。

 溢れる涙をこぼさないように……。


「グループラインなんだから一言ぐらい返しとけよな……」

「……わりぃ、結構の間スマフォいじってなかったわ、そういや」

「そらまためずらし…………あ」

「ん?」


 言葉を続けようとした横峯の言葉が不意に途切れる。

 まるで何かマズいモノでも見つけたとでも言うかのように……。

 そして俺も反射的に横峯の視線の先を追って見ると……そこには校門から登校してくる神崎の姿があった。

 それは俺がこの前まで自分のモノにしようと色々と姑息な根回しをしていた相手ではあったのだが、そんな神崎はすげぇ良い笑顔で……俺が話しかけた時には絶対にしなかったはずの“女の顔”をして野郎の腕にしがみ付いていた。


 この前まで格下のオタクと見下していた天地夢次の腕に……。


 なるほど、横峯の反応の意味が分かった。

 ついこの前まで俺は自分で言っていたからな……アレは俺の女だ、あの野郎調子に乗りやがって……と。

 その時は本当にムカついていた。

 自分の気に入ったオモチャが手に入らないと知ったガキみてぇに……。

 なのに、この前よりも明らかに出来上がった二人の様子を見て俺が率直に思ったのは。


「ありゃ、もうヤッちゃったか?」

「……は?」

「もう隠そうともしてねぇ、完璧なバカップル状態だぜあれは……もうヤッちゃった後だろあれは……」

「え? そんな感じ?」


 俺の本質的に興味の無いゲス発言に横峯は目を丸くしていた。

 まあビックリするのは無理も無い、俺自身この前まではあんなに執着していたってのに今はアレにちょっかい掛ける気すら起きなかった。

 ……というか先週までの俺は何でアレにコナかける気になっていたんだろうか?

 いくら美人でスタイル良くても、絶対にオトせない女に何をしたって無駄……それどころか妙な恐怖心すら覚える。

 何故だ? あんなにバカップルオーラ全開のヤツら……恥ずかしがりつつ優越感に浸る天地とすっかり女の顔になっている神崎なのに……不思議と邪魔したら命が危ないとすら思えて来る。

 …………気のせいだよな?


「お前……何か変わったか? 妙に大人びてるって言うか、煤けてる感じがするって言うか……」

「別に……何でもねーよ。ただ……俺は人の女に興味はね~。それだけの事だ」


 それは俺の今の正直な心境。

 その言葉を言った時、不意に夢で見た耳の長いガキの顔がよぎったのは気のせいだと思う事にした。

 相手のいる女は、そいつに構って貰えばいい……それだけの事だ。


              ・

              ・

              ・


 それから……その日の学校生活は特に何事かある事も無く普通に終わった。

 まあ多少は俺の事をバカにするような視線が無いとは言わないが……それだけだ。

 別のダチに“乗り換えた”ワケじゃねぇ、単純に“ダチが増えた”だけの横峯とは普通に話すし、久しぶりに会った女友達とも何も変わりなくしゃべる。

 多分問題児として嫌われていると思っていた先生なんて明らかに俺がサボっていた事を分かっているだろうに一言「もう大丈夫か?」と言うだけで、それ以上何も言ってこなかった。

 ……妙な気分だった。

 自分がイキッて作り上げていた人間関係は、自分が転落した事で全て無くなったのだと思っていたのに……そんな事は無かった。

 そう思っていたのは自分だけだったみたいだ。


 俺の居場所はイキがって人を見下しお山の大将気取る……ソレしかないって思っていたのは俺だけだったって事。

 ……冷静になって考えると、これまでの自分がすごく幼稚で恥ずかしい事をしていたって事に気が付いて来る。

 見え方が変わっただけで、自分の姿がハッキリと鏡に映ったように。


「本当に……何であんなのが“俺カッコいい”と思ってたんだろ? どう考えてもイキリ散らしたナルシストじゃん……人を不快にさせて良い事なんて無いじゃねーか……」


 毛先程の不快感だけで人は死にかねない……そんな物騒ながらも真理でもある考え方に自分で頭を抱えながら、俺は夕日に染まるの歩道橋を歩いていた。

 そして、不意に眼下の歩道に目をやった時……荷物を抱えた婆さんが髪の色が奇抜な女二人のチャリンコに接触して倒れるのが目に入った。


「あ!? アイツら!!」


 ぶつかった奴らは婆さんを起そうともせずにムカ付く笑い声を上げたまま走り去り、俺は思わず歩道橋を駆け下って倒れ込んだ婆さんを助け起こした。


「大丈夫かバアさん!?」


 幸いなのか転んだバアさんに怪我は無いようで驚いた顔をするのみ……心配する俺に笑いかけて来た。


「あ、ああどうも親切に……転んだけど不思議と痛い事はないねぇ。地面が柔らかかったから……」

「地面が……柔らかい?」


 俺は自分が踏みしめる固いアスファルトの感触に何言ってんだ? とは思ったけど、立とうとするバアさんにそのまま手を貸してやる。

 そしてゆっくりと立ち上がるバアさんに、やっぱりどこか怪我したんじゃないかと心配になったが……。


「ははは、な~に年も年だからね~。昔に比べるとトンと足腰も悪くなっちまって……」

「足が……悪いのか?」

「病院にゃかかってるけど、これも持病だから……」


 足が悪い……何故だろう……その状況に無視できない何かを覚える。

 俺にとってそんな人を素通りする事は“したくない”という変な意地がこみあげて来る。

 らしくない……心の片隅で“先週までの自分”が言っているのは分かるけど……分かった上で俺は立ち上がったバアさんの持っていた重そうな荷物を自然と持ち上げていた。


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                 ・

                 ・


「ありがとねぇ……送って貰っちゃって」

「……降りる時に気を付けろよ?」


 バスで家まで帰るというバアさんの荷物を持ってバス停まで送った俺は……バアさんがバスに乗るのを見送った。

 報酬に飴玉を一個貰って……。

 走り去るバスを眺めつつ、俺は途端に自分の行動が恥ずかしくなって来て頭を掻く。


「……何やってんだろう俺……ガラでもねぇ……」

「本当ね……意外なモノを見たわ……」

「……え!?」


 その時背後から声が掛かった。

 その声は覚えがある……。

 この前まで彼女と言うよりはキープのつもりで置いてやっているつもりでいた女の……そのつもりだったのに突然髪を短く黒く染めて真面目ぶった格好にイメチェンして、俺の事を完膚なきまでに振ったヤツの声……。


「カ……カオリ?」


 見られた……しかもコイツに今のを……!?

 特に何か悪事を働いたワケじゃ無いけど、物凄く見られたくない事をよりによって一番見せたくない相手に見られた気分になる。

 何だこの、エロ本が母親に見つかるよりも恥ずかしい気分は!?

 カオリとはあの日、俺がフラれた日から一度も話して無かった……。

 俺の中でのカオリはあの日、俺に何も期待していない無表情で終わっていたのに……今のカオリは笑っていた。

 

「へぇ~知らなかったわ……アンタってそんな事するヤツだったんだ。どっちかと言えばああ言うお婆さんをバカにする人種だと思っていたのに」


 若干揶揄うような、意地の悪い笑顔で。

 その顔に俺は少しイラっとする……だけど見られた事実が変わる事はないから、咄嗟に言い訳を口から捻り出す。


「や……ち、ちげーよ! あんなババア、ただで助けるワケねーだろ!? あのババアの孫が結構いい女なんだよ。俺の目標はあくまで孫の方に決まってるじゃん!!」

「…………ふ~ん?」


 俺らしい、打算と下心を織り込んだ事なのだ……と。

 苦しい言い訳……とは自分でも思うけど、それでもカオリは俺の事を知っている女だ。

 女をアクセサリーとのようにとっかえひっかえ、姑息な手段も使って今までやらかしてきた色々を見ているんだから、そう言っておけば……。

 だけど……俺の言い訳を聞いたカオリは上目遣いで俺の顔をのぞき込んで来た。


「ねぇ、知ってる? あのお婆さんの名前……」

「あ? 知るワケ無いだろ……何だお前の知り合い……」

「新藤タエさんって言うんだけど……」


 シンドウ………………新藤!?

 その名前が意味する事に気が付いた俺は驚きまくり声を上げてしまった。

 俺のそんなリアクションに益々面白くなったのか、カオリは大声で笑い始める。

 今まで、俺の隣にいた時にはしなかったような、めっちゃ良い笑顔で……。


「あははははははははは!! へぇ~孫狙いだったんだ~。ふ~~~ん」

「え? は? いや……マジで??」

「プクク……言い訳にしてもこんな偶然ある? そっかぁ~自己紹介しておいた方が良い? 孫娘の香織と申しますが」

「あ……あが……」


 そんな魅力的な笑顔を前に……俺は羞恥で悶える事しか出来ない。

 恥ずかしすぎる! 知らずに今の言い訳が絶対に通用しない相手にやらかしてしまった事実に頭を勝ち割りたくなる!!


「あは、でも……夢の通りにここに来てみて良かったわ。本当に面白いモノが見れたもの」

「……夢?」

「うん……昨日見た夢。エルフって分かる? ファンタジーな映画に出て来る耳の長い綺麗な人」

「あ、ああ……」


 ドクン……と心臓が高鳴る。

 カオリが知っているハズは無いのに、それは今朝まで見ていた夢の内容……俺にとっては悪夢の中で唯一の救いでもあったガキの面がチラつく。

 まるで……あれは本当にあった事なんじゃないかと思うくらいに……。


「その女の子がさ、ここに来るように言ったんだ……時間指定込みでね。そしたらウチのお婆ちゃんと弓一がいるんだもん。何事かと思ったよ」

「そ……そうかよ……」


 もう何と言って良いのか分からない。

 夢で見た事が何だったのか……今は答えが出る気もしない。

 とはいえ……それでももう一度コイツと顔を合わせる事が出来たなら……したい事、しなきゃいけない事は沢山あった。

 それだけは疑いの無い事実……。


 これは……もしかしたら神様が、『あのガキ』がくれた最後のチャンスかもしれない。


 俺は先週から今までの短い期間なのに、何十何百と後悔した気がする自分の行いを正すため……。

 過去の傲慢でナルシストでどうしようもなかった自分ユメを終わらせる為に……カオリの目を真正面から見据える。

 何度も何度も、もう一度会えたら言おうと思っていた言葉を胸に……。


                 *


「チャンス……ではないです。それは貴方が受け取るべき“あの娘”からの報酬です」

「その報酬を生かすも殺すも自分次第っスよ」


 色々やらかした男が過去を後悔して全力で自分の罪と向き合い、そして元カノに謝罪する青春の一ページ。

 そんな様を水色と赤の『奇抜な髪色の学生服を着た二人の女性』が陸橋から見下ろしていた。

 報酬と言いつつ自分たちがやったのはターゲットのお婆さんを怪我させないように魔法を使って転ばせたのみ、弓一が目撃するタイミングで……それだけなのだが、この状況まで持って行ったのは間違いなく弓一本人である事を二人とも満足気に見ていた。

 人は成長出来る……その事実に喜びを噛み締めて。


「あの娘は……貴方の幸せを願っていますよ」

「がんばれ、偽悪の勇者」

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