閑話 シャンガリア崩壊
王たる者は間違えてはならない、何故ならそれは己一人の過ちで済まないから。
国を代表するという事、大勢の上に立つという事は自身の発言でその者たちの趨勢すらも決めてしまう事になるのだから。
王であり父である男が不意に言ったその言葉を……幼き日のカルロスは実に誤った認識で心に刻み付けていた。
『王は間違えない、つまり王が決めた事、言った事は全て正しく、大勢の人々は正しい者によって生かされている』のだと。
幼き日、カルロスがそのように認知した時、真っ先に修正すればここまでの事は起こらなかったかもしれない。
しかしそんな謝った認識を、当時教育係に携わった武断派の貴族は『将来的に自分たちの傀儡として使えるチャンス』と捉えて……その認識の修正をせず、むしろ増長させるように、自分達に都合の良い認識を持つように歪んだ種を慎重に、刈り取られないように大事に育てて行った。
かつては武装国家であったシャンガリアがここ最近は国王の“無難”な政策の為に穏やかに友好的に隣国と交流を深めている事が、武断派には弱腰に見えて不満だったのだ。
民衆は王に絶対服従、人間こそが神に選ばれた存在であり亜人種などと言う人型であっても人とは呼べない者どもは劣等種であり、人間に隷属するのが本来の姿など偏った教育を施されて行ったのだ。
武断派が用意周到に施した刷り込みは効果絶大であり、やがて自尊心と虚栄心ばかりを肥大させ、自分の気に入らない者は何者であろうと認めない、亜人種など魔獣の類と同列であると公言するような実に好戦的で偏見の強い王子が出来上がっていった。
想定よりも遥かに酷く、そうなるよう誘導していた武断派の連中の手に負えない程に。
悪い事に当時存命であった王妃も武断派の一派であり、その歪みが修正される事も無く……それは最悪の結末をひた走る事になるのだった。
前国王が言った通り、己のみ事では済まない最悪の事態を引き起こして……。
が……そんな取り返しのつかない状況になって尚、自らが国王であるという妄執に憑りつかれたカルロスは思っていた。
自分は正しいのだ……間違っていないはずなのだ…………。
目の前で起こっているこんな事は……何かの間違いなのだ……と。
「いやがった! コイツだろ、あのクソ野郎の腰巾着してた大臣って!!」
「こんな所にいたのか! お貴族様が下水に隠れるとは言いご身分だなぁ!!」
「は、放せ!! 貴様、ワシを誰だと思っておる!! 貴様らなんぞが気安く話しかけて良いとでも思っとるのか!?
「ああ知ってるよ。よ~~~くな……一応は俺たちの上司だったはずのクソ野郎だってな」
仕立ては良さそうな服だが、捕らえられても口汚く偉そうに唾を飛ばす男は下水に隠れていた事で全身汚物塗れになっていた。
その男は公爵位すら持つ大臣の一人で、確かに本来なら高い身分に守られているハズなのに……同じように貴族ではあるが爵位は数段劣る貴族の男が侮蔑の視線で見下していた。
「き、貴様、その紋章は子爵位であろう! 目上への礼儀作法すら忘れたか! このワシを誰だと……ブベ!?」
汚物塗れの大臣はそれ以上喋れなくなる……自分よりも下位の貴族の拳によって。
「知っていると言ったが? どうやら大臣殿は耳が遠いようだ……それに相当にお頭も弱いと見える。今更この国で爵位が尊重されるとでも思っているのだからな、御隠れになってるから理解していると思ったが……」
「ぶへ!? き、きしゃま……一体なに……」
鼻血を垂れ流し痛みよりも下位の貴族が平然と自分を殴った事実に顔を歪める。
そしてそれ以上に……冷淡な瞳で見下す男に同調したように、後から後から怒りの表情を浮かべた民衆が集まってくる。
老若男女問わず、平民、兵士、貴族、聖職者……あらゆる身分の、職種の人々が例外なく自分を貴族でも公爵でもない……敵として見ていた。
その光景に大臣は肥満体から冷や汗を垂れ流して小刻みに震えだす。
「大臣様? ここにいる皆があの日同じ目にあった。このシャンガリア王都が消滅しかけた日にあの攻撃を防ぐ防壁として魔力に変換するために、逃げる事もできない程生命力を奪われて……」
「今更……お前らだけが悪いとか言う気は無いがな」
「あの日、人に命を賭けさせておいて唯一賭けなかったクソ野郎には……落とし前が必要だろう?」
「ひ……ひひ……ひいいいいい!?」
シャンガリア王国王都に住まう者全てに恐怖を刻み込んだ『機神』の襲来から数日後……シャンガリア王国は事実上消滅した。
しかしその理由は以前から国内外で結成されていた反乱軍による戦争が起こったとか、そういう事では無い。
しいて言うな王国内で起こった内乱“のようなもの”が原因だった。
何故内乱とハッキリ言えないのかと言うと、一部の王国へ反乱を企てた一派が立ち上がったとかではなく……ごく少数の上層部以外全てのシャンガリア王国民が反旗を翻したからだ。
『機神』が襲来したあの日、限界近くまで生命力を魔力に変換され、逃げる事も出来ずに巨大な死の恐怖を自分たちが味わっている中、唯一自分達だけは他人事のように動きこの期に及んで悪だくみに精を出していた者たち……。
そいつらの所業は『夢葬の勇者』と『小夢魔』の企てにより、全て無修正でしっかりと顔つきの動画でシャンガリア王都の人々は知っていたのだ。
その者たちがした事は自分たちの命をベッドに危険な博打をし、そして最悪の場合は逃亡する事すら考えていたのは、あの状況で元気に動き回っていたという状況証拠だけで明らかだ。
無論すべてのシャンガリア王国民が同じ考えの下、行動しているワケでは無いが、行き付く結論だけは全員が一致していた。
善意の者は自国の犯した罪、そして自らの行動を恥じて贖罪の為に。
保身を考える者なら『機神』のような脅威を反乱軍が所持している危険すら考え、一刻も早く降伏の証である逆賊を差し出す為に。
打算や利益を考える者も、先日のカルロスの行動と最後までも作戦をしくじった手腕に『いざと言う時この国は守ってくれない』と見切りを付ける為に。
帰結する結論は『逆賊カルロス』の身柄を引き渡すというものだった。
当然身の危険を感じた十数名のカルロスの配下たちは、身を隠しつつ王都からの脱出を図るが……都市部の市民全てが敵、という状況に逃げ切れるはずもなく一人、また一人と順次捕縛されているのだった。
「わ、わしをどうするつもりだ!? ま、まさか処刑を……」
「おや? 大臣様は処刑お嫌ですか……それは運が良いですね~。我々も罪人の引き渡しを首のみで行うのは心苦しい事だと思っていたのですよ……なあみんな!」
貴族と平民のやり取りとは思えない程にフランクに会話する連中は口々に「そうだなぁ」「そんな野蛮な事は出来ねぇな~」などと同意する。
だが全員が一様に目が笑っていない……タダで済むワケがない、誰もが分かり切った結論に大臣だった者は青ざめた表情を更に悪くして行く。
「幸い、と言えばおかしいですがね……最近この国に新たな観光地、いや忌み地が出来上がりましてなぁ~」
そんな元大臣の反応に、まるでちょっとそこまで遊びに行こうくらいの軽い口調で子爵の男は言う。
「どっかの誰かが不用意に呼び出した異界の魔女を激怒させて燃え落ちた城の跡地何ですけどね……あそこの炎はその者が受けた憎悪を燃料にいつまでも燃え続け、恨みの念が消えない限り死ぬ事も無く焼けただれる苦痛と耐えがたい乾きを延々と与えて尚死ぬ事は出来ないという……まさに貴方のご期待通りの、優しく慈悲深い刑場でしてな……」
「ま、まさか……」
地獄の炎……『破滅の三魔女』を召喚した直後に『獄炎の魔王』の高熱の炎によって溶解、消滅してしまったシャンガリア王城の跡地に残った残り火。
恨みが多いものほどその炎は消える事無く、カルロスの手によって情報隠ぺいに周辺区域は立ち入り禁止になっていたが……当然カルロスの配下であった大臣は知っていた。
その炎によって今も焼かれ続ける者たちは……自分よりも遥かに恨みを“買っていない”であろう事を……。
これから自分が受ける刑罰は死ぬよりも過酷な、いつ終わるかも分からない地獄である事を……。
「い、いやだ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 地獄の炎は勘弁してくれ!! それなら一思いに断頭台を……」
「ははは………………ふざけるな……楽に死ねると思うなよ!」
泣き叫び命乞いすら始めた元大臣に取り囲む民衆を始め、全ての人々が見下し同じ目で語る……ふざけるな、と。
「我が家は王国の為と、正義の戦いであると仕えて来たというのに……先の戦いで大勢の部下を、そして跡取りであった兄すら失った……。だと言うのに、真実は我が国に正義は欠片も無く悪事に加担させられていたとは……」
子爵の言葉に大勢の民衆が同意する。
家族を、友人を、恋人を……各々大切な人たちを戦争で失った人は多かった。
それも正義の為、王国の為に名誉の死を遂げたのだと誇りにしていたと言うのに……その末期を汚したのが自分の国であると言う最低な真実は民衆の怒りを爆発させた。
「そそそそそんな!? それはワシが悪いワケでは……」
「ああそうだな……そんな事はここにいる全員が分かっている。これから我らは罪人としてシャンガリアが犯した罪に向き合わなきゃいけない……途方もなく長い年月をかけてな。騙されていたから罪が無いなど……都合の良い事は言えんよ。貴様と違って……」
元大臣だった男に掛けられた言葉……その言葉にショックを受ける男が一人だけいた。
平民と言うよりはスラムの住人に近いボロボロな出で立ちで、そしてボロキレのようなフード付きマントで顔を隠す男は“片足を引きずりつつ”杖を突いて立っていたが……泣き叫び命乞いをしながら民衆に引きずられて行く“配下”の姿が信じられなかった。
そしてしばらくすると、ここからは距離があるというのに聞こえてくる“地獄の業火で焼かれるような男の絶叫……。
『何だコレは……何なのだコレは? 悪い夢でも見ているのか?』
杖を持つ手が震える……。
下手に威厳を保とうとせずボロキレのような服に着替え、そして何の因果か足が不自由である事が隠れ蓑になり、その男カルロスは都市内の全てが敵と化したシャンガリにいても辛うじて捕らえられずに逃げ回っていた。
『何故だ、何故だ、何故だ!? 何故我らに憎しみを向けるのだヤツ等は!? 襲ってきたのは、シャンガリアを滅ぼしかけたのはあの愚弟マルロスだぞ!? 何故国王たる我に矛先を向けるのだ!?』
この期に及んでも『自分が正しい』と思い込むカルロスには民衆の感情が理解できず、さながら国民が全てアンデッド化して自分に襲い掛かってくるかの如き理不尽を感じるのみであった。
『我は何一つ間違えた事は無いはずなのに。父上は劣等種との交易など“間違えた”から死んだ。マルロスだって劣等種との婚姻から助けてやろうとしたのに拒否するなど“間違えた”からあのような目にあったと言うのに……何なのだコレは!?』
どれほど理解できずとも、自己解釈が都合が良くても……民衆の全てが自分を捕らえようとし、最早王の意向など聞く気も無い気構えでいる事だけはカルロスも分かっていた。
今はただ逃げるしかない、そう思いカルロスは王都の各所に存在する王家専用の隠し脱出ルートを目指していたのだが……。
「王家は非常時に逃走する為の経路を幾つか持っている! 元国王がシャンガリアから脱出するとなればそこを目指すハズだ!!」
「元近衛兵であった我らは護衛任務の為にその経路を知らされています! 皆さん下水道は潰しましたから次はスラム方面の屋敷です!」
そんな風に先頭に立って民衆を自分を捕らえる為に正確に先導しているのは、つい先日までは自分の配下であり守護する立場にあった近衛兵たち。
そして更に統括する老騎士たちの姿を見てカルロスは愕然とする。
それは皆、幼少期から自分を持ち上げ支え続けた、自分に亜人種は下劣で下等な劣等種であるという“真実”を教え込んで来た武断派の貴族たちだった。
カルロスが成長するに従い口出しが多くなり、疎ましく思い始めた頃“アスラル王国侵攻”を反対された事で降格、または廃嫡を命じた者たちだった。
『な、何故ヤツ等まで!? まさか逆恨みか? 散々貴様らが罵倒し罵り劣等種であると蔑んでいた国を滅ぼす提案を反対するなど“間違い”を言うから遠ざけたと言うに……』
自分が間違っているとは思わないカルロスは驚愕と共に配下であった武断派の連中を恨みに思う……しかし武断派の老騎士たちは一様に悲痛な表情を浮かべていた。
シャンガリア王国の誰もが怨敵として前国王カルロスを狩り出そうとする中、彼らだけは違う気持ちがあった。
それは圧倒的な後悔……この結果を生んでしまった、愚王カルロスという化け物を作り上げてしまった自分たちの愚かな過去を苦渋の想いで振り返り……。
「……前国王がシャンガリアの為に地道に築いていた政策を、浅慮な我らが過去の栄光にしがみ付いたばかりに台無しにしてしまったのだ。せめて王国の存命の為にもあの方には断罪を受けていただき……我らも黄泉路を共にせねば……」
「この国を守る為には……それしかありますまい。剣を置くべき時に置かず、取るべき時取らなかった我らの最後の務めでしょう……」
疲れ切った、後悔してもしきれない顔でそんな事を言う武断派の連中の会話には『王子を生贄に生き残ろう』というものはない。
彼らとてシャンガリア王国の為に武断派として行動していたのだ。今となっては方法が限りなく誤っていたのだが……
今シャンガリアが焦土と化す前に、王国を守る為に共に死ぬためにカルロスを探しているのだと……。
会話を隠れて聞いていたカルロスはまたもワケが分からなくなる。
『何を言っておるのだこいつ等? 自分たちが誤ったから? 最後に我の命を差し出し共に死ぬ?? 何をもってそんなおかしな結論に……』
自分が間違いないと信じていた、自分が築き上げて来たと信じていたモノが、自分の知らない考えで、自分とは違う行動をする
自分が尊重されない、自分が敬われないなど人生において一度も経験した事の無いカルロスはただただ恐怖するしかない。
ワケが分からなくても、捕まったら死ぬか死ぬより苦しい目に合う事だけは理解出来たから。
『王都に点在する王家用の脱出経路は全てダメであろう……おのれ! 国王たる我にここまでの辛酸を舐めさせるとは、時が来れば貴族も平民もまとめて処断して…………まてよ』
この期に及んでまだ自分がシャンガリア国王に返り咲く事を妄想するカルロスであったが、処断という言葉で一つ思い出した。
それは自らが陥れ暗殺を企てた弟マルロスの事……。
カルロスは襲撃の当日、安否確認の為にその日のマルロスの逃走経路や行動を報告されていたのだ。
『あの日、最終的に愚弟は王都から北方に向けて脱出したが、最初の襲撃直後に目指した場所は王家の脱出経路や門ではなかった…………もしかすれば』
2年半前の襲撃の日、マルロスが一番最初に向かおうとしたのは王都中央から外れた東区にある王家所有の庭園だった。
そこはマルロスがシャンガリアを訪れたアンジェリアと共にいつも遊んでいた思い出の場所であり、当時のカルロスは『この期に及んで劣等種との想い出にしがみ付くとは愚かな』と一笑に伏したが……考えてみれば逃走で向かうのは違和感があった。
『もしかすればあそこに……王家すらも知らなかったマルロスのみが知る逃走経路があるのかもしれん!!』
そう思い立ったカルロスは自分を捕らえる為に躍起になっている民衆から身を隠しつつ、東区へと足を向ける。
ボロボロのマントに足を引きずるその姿に“王の威厳”など欠片も見い出せない惨めな後ろ姿をさらしつつ……。
そこで最後の
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