第百五十八話 素敵な笑顔でこんにちわ……

 ただ一人ボロボロになりながらもエルフの少女の命を救う為に逃げ続け、最期にはトラップで両足を負傷し立ち上がる事も出来なくなった少年に、その剣は何の迷いもなく首筋目掛けて振り下ろされた。

 重量がそれなりにあり扱いに長けた王国の兵士は訓練同様の要領で、一撃で確実に斬首とならずとも頸動脈を確実に断ち絶命させるには十分な威力で……。

 

 ズブ……


 しかし誰もが大量の出血を予想していたのに、振り下ろされた剣は何か柔らかい物にでも突っ込んだような音がして止まった。

 いや……止められた。

 突如少年の背後から現れた、雪のように白く細い……少女の腕に阻まれて。


「う、うわ!?」


 剣を振り下ろした兵士は、その感触のあまりの気持ち悪さと目の前の不気味な光景に思わず剣から手を離して後ずさった。

 白い少女の腕に剣は半分ほど食い込んでいるようなのに、出血どころか悲鳴すら上げる誰かも存在しない……そんな理解できない光景に言葉を失うシャンガリア兵たちだったが、彼らは次の瞬間一様に聞いてしまう。

 聞くべきではない“ナニか”の、生きとし生けるものであれば関わってはいけない類の・……声ではない、音ではない“ナニか”の意思表示を。



 私メリー……今貴方の後にいるの……。

 ……けど、振り向かない方がいいの……。



 それが声なのか何なのかは理解できない。

 しかし何か途轍もなくヤバイ者の意志である事は理解できる。

 それはあくまで満身創痍で死を待つだけの少年のみを気遣った意志である事を……。

 その“ナニか”はそれ以外の存在に気を遣う気が無いという事を……。

 兵士たちはその事に気が付いた瞬間にゾワっと全身が逆立った。

 突如現れた“ナニか”の意志を自覚した瞬間、今まで経験した事も無いような闇の魔力……闇の気配に“包み込まれた”事に気が付いて……。


「な、何だ!? この邪悪な魔力……『不死病の森』のアンデッドなんて比べもんにもならない……」

「いや、これはあの森全土に漂っていた瘴気よりも遥かに……」


 ようやく目的の逃走者を仕留めたと気を抜いていたシャンガリア兵士たちは、慌てた様子で各々が武器を手に人知を超えた闇と瘴気の元凶へと構えた。

 満身創痍で座り込む少年……ではなく、背後からの少女の腕に対して。


「ひ!? 何なんだあれ!?」


 少女の腕に注目してしまった兵士は、その異様な存在に小さく悲鳴を上げる。

 腕が少年の背後から伸びているの言うのに……“伸ばしている何者か”が見当たらないのだ。

 少年の背後に隠れていると思いたいところだが、腕の感じからすべてを隠せるサイズにも思えない。

 まるで背後には何もいないように、兵士たちからは腕しか見る事が出来ない。


「き、貴様何者だ!? 我らはシャンガリア王国軍所属の兵士であるぞ!」

「そいつは国家反逆罪を犯した罪人、庇いだてするなら……」


 仕事への使命感からか警告を発する兵士たちであったが、その声には震えが混じり恐怖を誤魔化すための虚勢でしかない事はアリアリだ。

 そんな事は兵士たち自身が一番自覚していたのだが、少女の腕に食い込んでいたハズの剣が徐々に黒く変色して行き……最期にはチリとなって崩れ去って行く。

 剣は腕に食い込んでいたのではない……触れた個所から剣の方が消失していたのだ。


「な……なあ!?」

「けけけけ剣が……俺の剣が触れただけでチリに……」


 その異常な光景に兵士たちは振りかざした虚勢も保てなくなる。

 膨大な瘴気を持った人の武装が通じない人外の存在……そんなモノで思い当たる化け物は一つしか無かったから。

 溢れ出る瘴気で己が気に障ったモノ全てを触れるだけで呪い存在そのものを否定する人外の化け物……エルダーリッチに代表されるアンデッドの中での最上位の存在。

 死神、魔神、邪神……呼び方は色々あったが、少なくとも自分たちが対峙している存在は、そんな『物語』でしか聞いた事も無い“ナニか”であるのだと。


「ぜぜぜ全員最大限に警戒! 決して目標を見失わないよう速やかに撤退を……死霊レイス系のアンデッドに通常の武器も魔法も効果は無い!!」

「「「了解!!」」」


 突如現れた脅威に対して彼が下した命令は実に的確、対抗手段も無いのに徹底抗戦など愚の骨頂……隊の生存をまず優先する隊長の命令に、取り囲んでいた全ての兵士たちが警戒しつつジリジリと囲みを広げるように“少女の腕”から距離を取っていく。

 が……残念な事に既に何もかも遅かった。




 私は都市伝説……。

 数ある仲間たち、他の都市伝説も共通点は一つある……。

 それは遭遇する事じゃない……。

 最期の最期に“目撃する”事…………。




 何が言いたいのか分からない……いや、理解したくない“ナニか”のいしに隊長は自分の全身が凍り付いた。




 みんな…………もう見ちゃったね…………





 次の瞬間、視線を切ったつもりも無かったのに、少年の背後から伸びていた腕が消えていたのだ。

 瞬きをした……その一瞬で。

 そして…………今まさに自分の肩に感じる冷たい温度のちょっとした重量感は一体何なのか…………それはまるで……年端の行かない“少女の腕”くらいの重さで……。

 気配も存在も一切感じなかったと言うのに、油断など欠片もしていなかったと言うのに……背後にいる。

 理不尽にもその“ナニか”は当たり前のように、自分の役割のように……ただ背後にいる。


「ひ、ひいいいいいいいい!?」


 訓練を受け戦場を生業としていた隊長は、生れて初めて死の恐怖すら超える、魂すらも震え上がらせる恐怖に絶叫を上げるしか無かった。



 私メリー…………今……貴方の後にいるの…………。



 見てはいけない、振り向いてはいけない……頭では理解しているハズなのに溢れ出る恐怖に隊長は自分の体が振り向いてしまうのを自制できなかった。

 自制出来ず……彼はとうとう“ナニか”と目が合ってしまった。

 恐怖と絶望に悲鳴を上げるその姿が楽しくて仕方が無いと嗤う……闇そのモノの瞳を。


                *



「た、隊長!?」

「く……おのれ化け物め!!」


 人外の存在に恐怖の絶叫を上げた自分たちの隊長を救う為、義憤に駆られて勇猛にも恐怖に打ち勝ち立ち向かった二人の兵士。

 その二人の行く手にいつの間にか、手のひらほどの小さな木箱が置かれていた。


「……へ? 何だこの箱」


 それがいつからそこにあったのか判断が付かないが、見知らぬ木箱がある……その事実に一瞬だけ躊躇した二人は次の瞬間には動けなくなっていた。

 いつの間にか開いた箱から不気味に大量に発生した長い黒髪によって、手足どころか武器すらも絡め取られて……。


「「…………は?」」


 それも隊長に起こった事象と変わらない。

 油断する事も警戒を緩める事も無かったと言うのに気が付いたら“そう”なっていた。

 瞬き程の刹那の時、意識を外した瞬間に……。

 言い知れぬ恐怖は遅れて襲い掛かってくる……呆気に取られて状況を理解できていなかったが、徐々に“人外のナニか”に遭遇している中、攻撃どころか身動きすら封じられてしまったという純粋な身の危険が……。

 だが……その恐怖の認識すら遅かった。

 次の瞬間には二人の兵士の目の前に、得体のしれない一人の少女が立っていたから。


「「ひ!?」」


 現れた異国の衣装をまとった黒髪の幼女は全身を血塗れにし、空洞にしか思えない漆黒の闇を称えた瞳からは止めどもなくどす黒い血液を垂れ流し……自ら伸びた黒髪を自在に操って大の男二人を身動きできないように縛り上げていた。

 二人はそこまで見てようやく理解した……自分たちは箱から出て来た得体のしれない“ナニか”に捕らえられているのだという事を……。

 だが認識出来たところで打開策などない……身動きできない自分たちにヒタヒタと血塗られた足音をたてて近寄る幼女の異様な嗤い顔に声にならない悲鳴を上げるのみ。


「うひいいいいいいいい!?」

「く、来るな……来るなああああ化け物おおおおおおお!!」


 抵抗も出来ない絶望と恐怖の表情を浮かべる者たちに……血塗られた少女は実に楽しそうにニイッと口角を吊り上げた。



 物語で恐怖を与えるのが私たちの本道…………。

 でも……コレはコレで悪くはないですねぇ~。


              *


 さっきまでは一方的に自分たちが追い回す狩人だったはずなのに、突然現れた得体のしれない圧倒的な闇を抱えた“ナニか”が現れてから状況が一変した。

 自分たちが狩られる側になるという認めたくない状況に……。

 その状況を何とか変えようと現れた二つの“ナニか”に対して、元々は逃走する男を包囲するために配置していた弓兵や魔法兵たち遠距離攻撃部隊たちに副隊長格の兵士が震える声を押し殺して指示を飛ばした。


「弓兵、魔法兵、順次遠距離攻撃を発射! なるべく仲間に当たらないようよく狙って放て!!」

「「「「「了解!!」」」」」


 その声に反応した部下たちが一斉に弓に矢をつがえ、魔法の詠唱を始める……が……。




 ケケ……ケケケケ……ケケケケケケケケケケ…………!!




「う、うわ!?」

「何だ一体!?」


 攻撃態勢に入っていた兵士は10人ほどいたのだが、そのすべてが唐突に、一斉に転倒したのだ。

 全員が背の低い高速の“ナニか”にぶつかられたように……。

 いきなりの出来事に誰もが野生生物、イノシシの類を想像したのだが……一人の兵士は転んだ自分と同じ目線で嗤っている……ボサボサに乱れた髪の“上半身しか無い少女”のような何かを目撃してしまい……凍り付いた。


「う、うわああああ!? ファ、火炎弾ファイア・ブリッド!!」


 またもや現れた訳の分からない恐怖に、魔法兵の男は寝ころんだまま反射的に魔法攻撃を放つ。

 しかしその攻撃は、その“上半身だけのナニか”に当たるかと思われた辺りで“シュ……”と虚しい音を残して消え去った。

 まるで花火の燃えカスをバケツに突っ込んだように、呆気なく。


「は……?」

 ……ケケ。


 そして男は自分の咄嗟にとった浅はかな攻撃を心の底から後悔した。

 攻撃事態は何の効果も上げていないのに、攻撃した事で“上半身だけのナニか”の意識が完全にこっちに向いたのだから。


 ケケケ……

「い……いや……」


 完全に目が合う……。

 全身から汗が噴き出す、瞬時に喉がカラカラになる…………。

 何だか分からない“ナニか”が自分に笑顔を向けている事実は恐怖でしかない。


 ケケケケケ……

「いや……く、来るな……」


 そして恐怖の存在はゆっくりと男に向けて動き出す……。

 腰が抜けて動きの取れない男を嘲笑い、クモが獲物をゆっくりと弄ぶように捕食するかのように……。


 ケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ!!

「う、うわあああああああああああああああああ!! 来るな! 来ないでくれエエエエエエエ!!」


                *


「あ、危ない!! な、何だ貴様ら!? 明後日の方向に攻撃を……」


 副隊長は転んだまま一斉に何かに怯えて明後日の方向に矢や魔法を乱射する部下たちの異様な光景に言いようのない不気味さを感じた。


「隊長たちに引き続いてコイツらも……」


 最早まともに動かせそうなのは自分を含めた数名の兵士たちのみ。

 その残された者たちも、自分たちの目の前で突然起こった異常事態に青ざめていてこれ以上隊として行動するのは不可能である事は明らかだった。


「やもえない……全滅するワケにはいかん! 錯乱状態の兵士は放置、動ける者は速やかにこの場を…………」


 戦場においては必要である味方を見捨てる非情な判断だが、こんな自分たちに対処できない事態においては情報を持ち帰る事が何よりも優先される。

 副隊長の判断は実に的確で正論と言えた。

 彼が遠くの山に妙な“ナニか”を目にする前だったら……だが。


「……何だアレは?」


 今自分たちがいるのはシャンガリア王国から北上した辺りの森の中。

 そこからは遥か遠くに山々が見えるのだが……ここから徒歩で丸一日はかかるかと思われる山肌に、ココからでは砂粒にも思える“ナニか”に副隊長は気が付いた。

 それは徐々に徐々に下へと下っていた。

 人でも魔物でもあり得るはずの無い非常識な速度で……。

 それを認識した副隊長は恐怖心から、本能から命令とも思えない悲鳴にも似た声で叫んだ。


「貴様ら! 全員逃げるんだ!! 散り散りに今この場から全力で!! でないと……」



ひょひょひょひょ…………



 しかしその命令すら既に遅すぎた事を副隊長は、風に乗って聞こえて来た声で確信した。

 それは楽し気に笑う老婆の声に聞こえるのだが、耳にしただけで鳥肌が立つのは体調を含めた隊の者たちが遭遇した“ナニか”と同じ……自分達ではどうする事も出来ない恐怖の存在であるのは間違いなかった。

 近付いている、さっきまであんなに遠くを動いていた“ナニか”が声が聞える辺りまで。


 ひょひょひょひょひょひょひょ!!


「ひいい!? 何だあの老婆は!?」


 そしてそれは既に表情が見えるくらい近くに迫っていた。

 森林に響くほど大きな声で不気味に笑いながら、生物ではあり得ない速度で疾走しているのはやせ細った白髪の老婆だった。

 年齢的にあり得ないとか、人間としてあり得ないとか、そんな常識の通用しない異様な光景に湧き上がるのはただただ純粋なる恐怖……。


「「「「「「「「「うわああああああああああ!!」」」」」」」」」

「にげ、逃げろおおおおおおおお!! 何だあれはああああ!?」



 ひょひょひょひょひょひょひょひょ! 鬼ごっこかぇ? わしゃ~大得意だで、しっかり逃げるがいいでなぁ~ひょひょひょひょひょひょ!! 



 顔や声が認識できる距離になってようやく逃げだした副隊長を含めた残存兵たちだったが……通常バイクや車を追いかけ追い越す都市伝説である通称『ジェットババア』、もしくは『ターボババア』に対しての逃亡には判断が余りにも遅すぎたのだった。

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