第百四十二話 魔王を倒すのは愛の力とか何とか?

 やってしまった……俺はとうとう越えてはいけない一線を……。

 衝動的に起こしてしまった決定的な行動キス……俺は咄嗟に離れて何か言い作ろうと一瞬思うものの……。


「ん…………んん……」


 超至近距離で闇の中でもハッキリ見えた天音の瞳は驚愕に見開かれたものの、それから切なげに潤ませて……静かに、俺に委ねるかのように……閉じられた。


 もう…………ムリ…………我慢できるワケがない!!


 俺は更に長く、そして深く天音を“味わいつくす”為に欲情の赴くままに彼女の全てをきつく抱きしめる。

 左手は天音の頭を押さえつけてより深く彼女の唇を貪る為に、右手は全身で彼女の全てを感じ取り、決して逃がさないように……身勝手に自分だけのものにしようとする為に。

 全ては俺の身勝手な情動に任せた行い……だと言うのに天音もそれに応えてくれたように強く、離れないように抱きしめ返して来る……。


「ん……んはあ……んん…………」

「む……ん……んん……」


 暗闇の中、激しく叩きつける雨音以外聞こえてくるのはお互いの息遣いと淫靡な水音のみ…………俺としては初めてのはずなのに、まるで前からやり方知っているように……互いの唇を貪り合ってしまう。

 一体どれくらい続けているのかも分からなくなり、どちらも呼吸が怪しくなるほどだと言うのに……得も言われぬ感激と快感のせいか離したくない、止めたくない衝動で何度も何度も繰り返してしまう。

 最早俺にとって天音は生涯通して止める事の出来なくなる依存性の高い劇薬であった。


「ハア……ハア……ハア……もう……いきなり…………こんなに……」

「ゴ、ゴメン……初めてだったから……夢中で……」

「そう……なんだ。じゃああの時から二人とも二回目って事になるのかな?」

「!?」


 あの時……それだけで通じてしまう二人だけの想い出。

 嫌われたと思っていた彼女にとっては覚えていても黒歴史の類と思い込んでいた……俺にとっては最初にやらかした罪の記憶。

 それすらも俺から、しかも強引にだったと言うのに……。


「5歳の時だったね……“天音ちゃんをお嫁さんにする!”って私のファーストキスを奪ったのは……」

「……………………」


 今日この日が無ければその事は罪悪感として、過去の自分の過ちとしてのみ記憶に残っていたであろうに……俺は過去の自分に今なら言いたい。

“よくやった”と…………。


「天音……俺は……お前の全部が欲しい…………」


 この期に及んで意思の確認などは無粋にも思えるが、俺は天音の潤んだ瞳を正面から見据えて言う。


「いいよ……私の全部を…………貴方にあげる。その代わり…………」


 こんな状況でこんな格好でそんな事を言う卑怯者おれに天音は瞳を潤ませたまま俺の顔を両手で掴んで口を開く。


「貴方の全てを……私にちょうだい?」


 その瞳は美しくも独占欲と狂気に塗れた恐ろしくゾクリとする光を称えていた。

 それは自分だけに男を縛り付けようとする相当に重い呪いの言葉、こちらの自由を束縛したい女としての恐怖の言葉…………だと言うのに俺の心に宿るのは歓喜しか無かった。

 好きな女が自分だけを求めている。

 愛した女が自分だけのモノにしたいと我儘を言っている。

 私は貴方だけになるから、貴方も私だけに……なんて……なんて魅力的なお誘い《けいやく》なのだろうか……。

 俺だけの天音モノ、天音だけのモノ……重圧も束縛も、俺にとっては……いや“俺たちにとっては”ただの福音にしかならない。


 俺たちは更に正気を失った瞳でお互いを貪り合う為に、もう何度目かも分からなくなった口付けをかわし…………。







「はあ、はあ、はあ………………す、凄いです……ここまで激しく……」


 ……コラ…………ちょっと!? 

 今だと言うに…………何見入ってる…………。


「いや……そうは言いますけど師匠。初めての状況でここまでネッチョリしちゃうだなんて私の予想のはるか上ですよ!? 


 だからこそ今だと言うに! 逃亡のタイミング…………。





 …………ん? なんだ今何か雑音が聞えたような??

 ここは山中の物置の中のはず……聞こえるのは雨音のBGMの他は愛しい女の吐息や心拍、全てが俺に快楽を齎してくれる最高の音楽のはずなのに。

 お気に入りの音楽だからこそ、紛れ込む雑音が耳についてしまう。

 魔力を押さえる事で五感が鋭敏になっている俺としては仕方が無い弊害と言えなくもないが………………アレ?


 その瞬間、俺の思考に急速に途轍もない違和感が発生する。


 そもそも俺って今は高校生じゃ? まだ卒業もして無いから上京とか……まだあり得ないハズなんじゃ??

 それに今聞こえた雑音こえは“つい最近”聞いた事があるような???



 


 始まったらヤツら…………一晩帰ってこない……気が済むまで……今なら……。


「き、気が済むまで!? 一体どんな濃厚プレイしちゃうんですか!? あの二人は初めてなのに、○○漫画じゃあるまいし、そんな長丁場…………。うぬううう……何故私は半年前に暇つぶしにスマフォのゲームをやったんですか!? せめてこの瞬間、動画撮影できるバッテリーさえ残っていれば……」


 だから……逃亡を…………ああもう……鼻血が……。





 ポタポタと聞こえる水音は雨音ではない。

 いやそもそも雨音なんてしていない……。

 鉄さびめいた鮮血の臭いを五感の鋭い俺は感知してしまい……今までの自分の状況の違和感を確信させて行く。

 雨など降っていない……ここは秘密基地の物置ではない。

 俺の腕の中には未だに天音が……いや“アマネ”が微睡んだ瞳でいるのだけど、決してバスタオル一枚の姿では無い。

 魔導師の服は要所要所……無意識に俺が脱がせたのかエロくはだけていて、これから自分達が何をいたそうとしていたかを如実に自覚させられ……。


 あ~~~~~つまり今までの出来事は……。


 さすがに俺も恥ずかしくなってきた。

 いくら何でも人前でやらかそうとしていたとか…………。

 ハッキリ言えば惜しい……心の底から惜しい……けど……。

 おのれぇ……コレが緊急事態でなければ、日本で生身の体であったならと思うと断腸の思いだが……。

 俺は心の底から天音を欲する体に鞭を討って……実に不本意だが『夢の本』のあるページを開いて、そのままアマネの頭をポンと叩いた。

『幻夢起床』……幻覚、魅了の魔術を解除し目を覚まさせる実に……無粋な夢操作……。

 その瞬間、夢見心地に微睡んで俺しか見ていないアマネの瞳に理性の光がともり始める。

 そして……。


「は!?」

「お目覚めでしょうか奥様……」

「え? いや……ええ!?」


 正気に戻ったアマネは俺から慌てて離れると、きょろきょろと辺りを見回して……更に自分の乱れた服装を確認して押し黙った。


「……………………」


 そして顔を赤面を通り越したマグマの如く煮えたぎらせて、無言で乱れた服をいそいそと整え始める。

 まあ……無理もない。

 俺も同様だけど、アマネは幻覚にハマっていたとは言え自分が感情のままに“俺を求める”姿をモロに一番仲の良い親友の一人に見られてしまったワケで…………無言のまま伏せた顔からは蒸気が発生し始めて、アマネの今の感情を如実に表現している。


「ああ!? 何故そこで止めるのですか!? 今まさに初めての営みに雪崩れ込もうという展開でしたのに!!」

「………………カムちょん」


 ゆらりと立ち上がったアマネから発生するのは膨大な魔力の奔流。

 明らかにヤバ目の雰囲気であるのに、神威さん的には途中で止めた方が大事件だったらしく、実に空気の読めていない発言をかましてしまう。

 それが起爆スイッチとも知らずに……。


「折角貴女好みの“彼から強引に奪われる展開”の幻覚を用意したのですから、我々の事は気にせず存分にそのまま怒涛の展開に身を委ねてですね……」

「!?」


 ……あ、バカ…………それ、核心…………。


 その時聞こえたのは最早これ以上は諦めた『夢魔の女王』のか細い声。

 そしてその意見には俺も賛成……アマネは俺限定ではあるけどシチュエーションに非常に弱いところがある。 

 元より“現代日本の思い出”も“異世界の思い出”も自分の物としようとするくらいには強欲な女ではある。

 その辺を利用されて俺との濃厚ラブシーンを披露してしまった事には……さすがに一線を越えた行いなのだろう。

『無忘却の魔導師』と言われるアマネだが、決して身体強化魔法が出来ないワケでも格闘戦が苦手なワケでもない。


「出来るワケ……ないでしょ!!」

 バチン!!

「きゃうん!?」


 一割の怒りに9割方の照れの感情そのままに、アマネは一足で親友『神威愛梨』の眼前まで迫ると……“溜めた”右手の中指を弾いた。

 所謂デコピンだが、コレはアマネが敵を無傷で昏倒させるが“痛覚”だけはしっかりと喰らわせる魔術(?)だ。

 実戦で使う事は余りないけど、こういった“仲間内のケンカ”では重宝される珍技だが……軽く吹っ飛んだ自称『小夢魔』は一発で昏倒した。

 合掌……。


「本当に……本当に……ああもう! この娘はああああああ!!」


 恥ずかしさの余り頭をワシャワシャ搔き乱すアマネの他所に……昏倒した神威さんが首から下げていた緑の石、『夢魔の女王の欠片』が何か言いたげに……チカチカ光り出した。


 断っておく……今回……私は…………負けた気は無い……。


 そして聞こえて来たのはこの結果に納得が言っていないとの『夢魔の女王』のか細い声。

 まあ……確かにこの結果では納得いかないだろうな……。

 

「ああ、ま~な。相変わらず通常では魅了なんぞかかりもしない俺たちを魅了にハメる手腕は完璧だったよアンタ。もしも……神威さんが線引きを誤らずに逃亡を図っていたら…………俺たちは公衆の面前で醜態を晒していただろうし」


 それだけは認めざるを得ない。

 あの瞬間、神威さんの声が雑音として聞こえなかったら……彼女の鮮血の臭いがわずかにしなければ…………俺は幻覚を疑いもせずにアマネを“頂いて”いただろうから。

 くそ……ぶっちゃけやるなら温泉ホテルのスウィートでかましてくれれば……。


「しかし、アマネからは神威さんは一線を越えない達人のように聞いていたのに……こんな結果になるとは……」


 俺は結果的には自身のデバガメ根性で自滅してしまった神威さんを見つめて呟くと、意外な事にその答えは師匠たる『夢魔の女王』が答えてくれる。


 自分が楽しめるなら…………自身の事は二の次…………私らはそう言う人種。


「なるほどね。俺たちに一泡吹かせる為だけに肉体を捨てて世界を渡った本人が言うと説得力が違うな」


 俺は左手薬指に光る指輪を確認し、苦笑するしかなかった。



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