第百四十一話 結局異世界行こうが、行くまいが……

 たしかこの物置は実家の裏山にあったハズ、こんな場所にあるワケが無いのに……そう思いつつ『秘密基地のカギ』を差し込んでみて、アッサリ鍵が開いた事に俺はいよいよワケが分からななくなる。

 なんだろうか、この“余りに俺にとって都合のイイ状況”は……。

 しかし疑いに思考を傾けようとした瞬間に更に雨と風が強くなり、余計な事を考えている余裕も無く俺たちは開いた物置の中に転がり込んだ。

 中に入った途端に雨と風が無くなって、それだけで少しほっとしてしまう。


「助かった……って言えるのかな、コレ……」

「雨風が一時的にでも防げるなら十分よ……あ~も~下着までビチャビチャ……書類は無事だと良いけど」


 扉を閉めると物置の中はほぼ真っ暗、未だに外から豪雨が激しくスチール製の物置を叩きつける音は聞こえて来るものの、俺は間近で聞こえてくる水音を含んだ音に敏感になっていた。

 こんな状況で下着とかあまり言わないで欲しいんだけど……色々と……ヤバイ。

 無理やりにでも“そっちの思考”を振り切る為に俺はスマフォの明かりを頼りに物置の中を軽く見回すと……そこには見覚えのあるオモチャや絵本がチラホラとあり、この物置が俺たちの秘密基地である確信が持ててしまう。


「やっぱり……こいつは俺たちの遊んでいた秘密基地だよな」

「本当ね……裏山にあったヤツが偶然この山に不法投棄でもされたのかしら?」

「……ま、現実的に考えればそれが一番あり得る……か?」


 普通に可能性を考えればそれしか無いような気もするけど、それにしても……。


「あ、でももしも私たちの知っている秘密基地だったら、もしかして……」


 天音は何かを思い出したのか、歩くたびにビチャビチャと水音がするのも構わず物置の中を漁り始め……数分で目的の物を探し当てた。


「やっぱりあった! 子供の時の私偉い!!」

「……何があったんだ?」

「ほらコレよ、バスタオル。あの時には家出の潜伏先としてここに色々持ち込んでいたでしょ? お歳暮のバスタオルを箱ごと何個かくすねてたのよね」

「そりゃまた……用意の良い……」


 嬉々として天音は真新しいバスタオルを広げて見せる。

 最早何年前の物なのかは分からないが、それでもお歳暮の箱は褪せても中のバスタオルは結構綺麗な物だった。

 天音は広げたバスタオルを一枚俺に渡してくれた。


「お、サッキュー」

「早いところ濡れた服を脱がないと体が冷えちゃう。こんな季節に低体温で遭難とかシャレにならないから早く拭きましょ」

「お、おう……」


 またもやドキッとしてしまう……それは翻せばこれから貴女も脱ぐという事になりませんかね!?

 幼馴染とか以前に成人した男女がこんな密室で躊躇とか無いのか!?

 しかし俺の葛藤とは裏腹に、聞こえ始める水気を含んだ衣擦れ音……暗闇の中、天音が躊躇なく服を脱ぎ始めたのが分かり……俺は逆に天音に男として認識されていないという事を目の当たりにさせられた。

 ……気にしているのは俺だけか。

 若干悲しい気分になりつつ、俺も濡れた服を脱ぐことにした。


「うわ……やっぱりパンツまで行ってる……」

「…………そう」


 俺はもう色々と吹っ切って服を脱いでから全身を拭いて、風呂上りのようにバスタオルを腰に巻く。

 …………ダメだ、やっぱり意識してしまう。

 こんな格好でこんな場所で天音と二人きりだなんて…………。

 スマフォの明かりが無ければ真っ暗なんだけど、それでも俺は天音に背を向けて決して振り返らないように自制する。

 ……油断すると振り返りそうになる本能は気合で抑えようとするけど、久々の再会で以前よりも更に美人に、そしてエロくなっていた天音が背後で脱いでいると言う極上タイムが繰り広げられていると思うと…………。

 イカンイカンイカン! しっかりしろ自分! 別の事を考えるのだ自分!!

 既に色々と限界を迎えつつある精神力をフルに発揮し、濡れた服を物置の棚に引っかけて行く。

 気休めだろうが何もしないよりも良いだろう……そんな思いだったのだが、雑に服を干していると「夢次君、これもお願い」と言って天音が濡れた物を放り投げて来た。

 飛んで来たものを反射的に受け取った俺は……それがさっきまで天音が来ていた服である事にギョッとする。


 それに…………この小さくて白い、男性なら絶対に必要の無い形状を含んだものは……。


 物置の中は暗闇、喩え目を凝らしても距離を置くと全貌は見渡せない、見渡せないけど……渡された物のせいで、背後の女性はバスタオル以外何も身に着けていないという事実を如実に伝えて来る。


「あ、天音さん? ……あの……」

「ん? どうかしたの?」

「あ、いや……何でも……」


 俺は震える手で何とか今まで彼女の素肌を守っていた物を、自分の服よりも丁重な気分で干していく……ハッキリ言って俺の思考は今、犯罪を犯す一歩手前まで来ていると言っても過言ではない。 

 ……俺は自分自身になるべく刺激を与えないように……なるべく無心になるように段ボールを敷いて体育座りになる。

 何故体育座りなのかは……追求しないで貰えると助かる。

 だと言うのに……天音は尚も気にする様子も無く、警戒心の欠片もないようで……俺の隣に腰を下ろした。

 

「まさかこんな事になるなんてね……明日までには雨止むのかな?」

「そ…………それな……」


 俺は色々と限界で気の利いた返しも出来ない。

 この期に及んで……俺は未だに幼馴染が、天音の事が……いや天音の事のみを女性として認識している事を思い知ってしまう。

 地元を離れようと、仕事に打ち込もうとも忘れられず、それどころか益々恋焦がれていたという事が今回の再会で再認識してしまった。

 暗闇の中、顔も良く見えないのに天音の声が、天音の息遣いが、天音の体温が、天音の香りが……俺の中の何かを崩壊させようとしている。

 そんな俺を他所に、天音は小さく震えた。


「うう……でもさっきよりはマシだけど、やっぱり寒いね」

「それな……」

「私が持ち込んだ物ってバスタオルだけだったっけ? 他にも何か……この際段ボールでも新聞紙でも代用できるけど……」


 そう言いつつ彼女は自分のスマフォのライトを付けて、再度物置の中をゴソゴソと漁り始める。

 ……一瞬肌色大目な彼女がこっちに背を向けて腹ばいになる姿が眼に入って、形のイイ何かから俺は慌てて顔を背けた。

 警戒心! 最低限で良い、俺にも警戒心を持ってくれ!!

 しかし彼女の無防備行動は更に続く……。


「やった! 毛布があったよ……そういやコレも昔私が持ち込んだ気がする」

「幼い時の天音って……本気でこの物置を基地にするつもりだったのか?」

「ど~かな~? その時のノリってヤツだとは思うけど……ね」


 そんな事を言いつつ、彼女は広げた毛布に包まる…………俺と一緒に。


「………………へ?」

「わ~やっぱりこれ一枚あるだけで相当違うね。ちょいカビ臭いけど……」

「いや!? ちょ、待てって! それはちょっと、さすがに……」


 俺はいよいよもってパニックに陥りそうになる。

 バスタオル一枚同士の男女、半裸とも言えないこの状況で一緒の毛布に包まるとか、最早非常事態、事案発生の合図だろ!?

 こんな至近距離、何でも出来てしまうこの距離に幼馴染とは言え異性である俺と一緒にだなんて……。

 しかし彼女はむしろ体をピタリとくっつけて来る。


「毛布一人で使え、とか男らしい事言わないでよ? コレは私にとって非常事態なんだから……肌で温めあうのは定番…………でしょ?」

「う…………」


 触れた彼女の右腕は確かに冷えていて、小さく震えている。

 非常事態、そうこれは非常事態……低体温を避ける為にお互いの体温で温めあうのは仕方が無い事。

 どんなに俺にとって都合が良かろうと、コレは仕方が無い事なのだ。

 この豪雨に見舞われた状況だと言うのに、心の底から『ラッキー!!』という喝采が沸き上がり、全身の血液が沸騰しそうな程興奮しているのも、彼女が凍えない為に利用できるなら致し方が無い!!

 こうなれば俺はこのまま天音の暖房器具として生涯を終えたとしても悔いはなし!!

 俺の強固な精神よ……一晩、たった一晩で良いから耐えろ、耐え切るのだ。

 オレハダンボウ、オレハダンボウ。


               ・

               ・

               ・


 数分後……気が付くと俺は天音の肩を抱いていた……。

 ちょっと待て俺の精神力!? ダメだと言うのに何でさっきよりも密着している!?

 いや、それどころから天音も俺に寄りかかって、さっきからバスタオル越しに色々な未知との遭遇的な感触がするんですけど!?

 未だに雨は止まず、物置の壁をひたすら風雨が叩きつけれる音がすると言うのに、最早温かいどころか熱くなっていた。

 それは俺だけじゃなく、天音自身にも言える事で……。

 もう顔が近すぎて天音の吐息がかかる……暗闇過ぎて見えなかった彼女が羞恥に震えて真っ赤になっているのすら確認できてしまった。

 なのに何で肩を抱いている自分!?

 そしてなぜ拒否しない、天音!? そんなに真っ赤になって恥ずかしそうなのに……何で少し嬉しそうにする!?


「不思議よね……小っちゃい時にはあんなに仲良く遊んでいたのに、気が付くと離れ離れになっちゃって…………それなのにこんな格好でここに戻ってくるなんて」

「……そう、だな」


 ボソリと紡ぎ出す思い出話が一言一言一々艶めかしく聞こえてくる。

 小さい頃、確かにこの小屋で一緒に遊んでいた二人がこんな状況でここにいること自体何か策略めいた物を感じないでもない……が?


「ねえ……聞いても良い? 何で高卒で上京しちゃったの?」

「う、うえ!?」


 一瞬、何か大事な事に気が付きそうだったのだが……寸断するように天音は実に利かれたくない事を直球で聞いて来た。

 それはさすがに言えない……いうワケには行かない!

 高校時代に天音に彼氏が出来た噂が流れた時、攫ってしまいそうになった自分に恐怖したなどと、誰が言えるか……しかもこんな状況で!!


「何にも聞いてないのに急にいなくなってさ……凄く驚いたよ、私」

「あ……いや、そりゃ~田舎にいれば一度は上京してみたとか思うじゃん? やっぱオタクとしては電車ですぐに秋葉原とかあるのは魅力的だったし……」

「ふ~~~~ん」


 俺は咄嗟に本質でもないけどウソでもない事実を織り交ぜて理由をでっち上げた。

 しかし……何故か天音は上気した顔のまま、悪戯っぽく笑った。


「……移動手段を確保する為に18歳になったら運転免許を取得。中古でも良いから車を所有する為に早いうちにバイトを始める」

「…………ん?」

「潜伏先に賃貸のアパートを確保、隣県だと面が割れるかも……でも関東圏は家賃が高いから要検討……」

「……………………」


 突然天音が語り出したのは何かの計画……それは別の誰が聞いても何の感慨も湧かないだろう。

 しかし俺は……俺だけはその内容を如実に覚えている。

 全身が寒さとは違う意味で震えて来る……だってそれは……その計画は!?


「でもいろ~んな計画を練っているっポイのに、何でか本人の確保の計画だけは無かったみたいだけど……」

「…………天音さん……貴女一体……何処でそれを……」

「ダメだよ? 見られたくない思い出はしっかりと処分しておかないと……夢次君の上京後に家探しした夢香ちゃんがさりげな~く私に見せてくれたノートがね……」

「あ…………アイツわあああああああああ!!」


 俺は現在まだ実家にいる高校生の妹に怒りの咆哮を上げる。

 何故ワザワザコレを天音に見せる!? 百歩譲って恋心を暴露されるくらいならまだしも、何でこんな兄の犯罪計画を当人に見せやがった!?


 終わった……何もかも……どんな聖人であっても、こんな犯罪計画を立てるようなキモイヤツの存在を許すワケがない……。


 しかし天音は離れるでもなく、態度を変えるワケでも無く……何も変わらない様子で質問を続ける。

 恋情をバラされ、欲望を暴露され……キモくて危険でしかないはずの俺に……。


「……何で本人の確保だけは計画しなかったの?」

「…………う」

「ねえ……なんで?」


 それは有無を言わさない妙な迫力があり……俺はもう誤魔化す事は出来ないと悟る。

 罪人が観念するという心境はこういう事なのだろうか?


「そんな犯罪計画立てるくらいに正気を失っているクセして……攫う段階を考えただけで我に返るんだよ。その……天音の泣き顔を想像しただけで…………自分は一体何をしようとしているんだって……」

「…………ふ、ふ~ん」


 こんな気色の悪い事を悶々と考えているクセに、本人の同意も何もなく無理やり攫おうとする計画を考えただけで……恐ろしくなる。

 睡眠薬を使うとか、縛り上げるとか、暴力で天音を傷つけて無理やり言う事を聞かせるとか……そんな事を考えてしまう自分に恐怖する。

 幼い頃から大好きだった、愛おしくてたまらないはずの幼馴染を確実に傷つけ恐怖させ、絶望させてしまう事を考えている自分自身に……。

 このままでは俺は天音を傷つけてしまうかもしれない……。

 このまま地元にいたら……。


 俺は最早これまでとばかりに、長年溜め込んでいた天音への想いも含めて正直に話していく。

 それはもう懺悔……こんな告白を聞いておぞましいと思わないハズはない。

 幼馴染どころか同じ人間としてあり得ない……そう思われたハズだ。 

 思われたハズ…………なのに……。


「その計画……致命的な見落としがあったね」

「……え?」


 しかし天音の反応は想像と全く違った。

 拒絶でも無く、蔑みでもない……しいて言うなればまるで作戦を成功させる方法を知っているかのような?

 反応に困る俺の耳元に天音は口を寄せ……ゾクリとする吐息を含んだ声で囁いた。




「攫っても良かったのに…………」




 ……意識が、空気が、時間が凍り付く。

 今何やらワケの分からない……俺にとって都合の良すぎる幻聴が聞えたような気がした。

 いや……幻聴? 今聞えた天音の声は……いや、でも……。


「私は高校時代どころか未だにお付き合いした人はいないのに……勘違いで勝手に上京しちゃってさ……」

「は? ……え? 勘違い??」

「それが私を忘れる為~とか、諦める為~とかだったら真っ先に押しかけてやろうかとも思ったけどね……」


 何故かさっきよりも熱を帯びた天音の声……。

 それは幻聴では無い事は本当は分かっている……紛れも無く本物の天音の声。

 だがこれ以上は……いけない!

 今、俺はメチャクチャ都合のイイ事を考えている!!

 その都合のイイ考えの元、感情を爆発させようと着火体制に入った自分がいる!!!


「夢香ちゃんがノート《あんなの》を見せてきて……疎遠状態の幼馴染が私を攫って自分の物にしようとしている計画を立てていた事を知った時…………私がどれだけ嬉しかったと思う?」


 そんな……そんな都合のイイ事があるワケない!

 高校時代に噂になったヤツ何の関係も無かったとか……!?

 疎遠になっていたけど元々嫌われていなかったとか……!?

 それどころか両思いだったとか……!?

 あ、あんな犯罪計画を目撃したにも関わらず……攫われる事を心待ちにしていたとか…………そ、そんな事、そんなどこまでも俺に都合のイイ現実があるワケが……。

 いけない! だ、誰か止めてくれ!!

 俺たちは今半裸よりも更に無防備なバスタオルのみ…………精神の防御壁など最早紙屑同然!! 

 こんな何でも出来てしまう状況……少しでも切っ掛けが出来てしまえば……。


「ふふ……でもおかしいね。こんな私にとって都合が良い状況になっちゃうなんて」

「………………え?」

「雨が降って強制的に夢次君と二人きり…………こんなの……」

「…………」


 さっきから今の状況は俺に都合が良すぎると思っていた。

 なのに今……天音は何と言った?

 まるで……それは俺と同じ事を考えていたとでも言うかのようで…………。


             ・

             ・

             ・


 数分後……俺は…………彼女に断りも無く、自分勝手に、衝動的に…………彼女の唇に自分の唇を重ねていた。

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