第百四十二話 呼吸を止めた一分間
『ステゴロ』の右手の鉄球が砕けた瞬間、ナナリーは正直ホッとしていた。
観客たちからは防戦一方の『ステゴロ』が『敗者の亡霊』に一方的に攻められているように見えていたが、誰あろう攻め手であるナナリーはそんな事欠片も考えていなかった。
『足を止めたら終わる……』
客人であり異世界人である『小夢魔』の助言は簡単なもの、同郷と言われたから何かしら特別な事でもあるかと思いきや『出し惜しみ厳禁』の一言のみ。
“戦闘にも戦術にも明るくない自分が下手な口は出せないから”と日ごろから言っている眼鏡の少女は奇抜なアイディア以外に余計な事は言わないのだが……。
しかし与えられた助言は実に的を射ていた。
“主武器の戦斧で戦う”のはナナリーにとっては様子見の一つ、対戦者とのバトルを瞬時に終わらせない為の足枷であったが……
最初から本来の戦い方“戦斧を利用した格闘術”を使っても瞬時に対応して、スピードで劣る機体なのにこちらの攻撃に合わせて来る“先読み”の的確さ……今まで一度も喰らった事の無い装甲を掠る度にナナリーは『ステゴロ』の操縦士たちの実力に、負けるかもしれない状況にほくそ笑んでしまう。
一つも似ていない『ステゴロ』の二人がまだまだ幼かった頃、自分に悪戯をする為に挑んできた時を思い出されて……。
そして自身の最大必殺技『無限戦斧』をくり出しても倒し切る事の出来ない『ステゴロ』、しかもあの猛攻に晒されながらも合わせて弾かれる。
本番では一度きり、訓練でも一番実力のある仲間に対戦して貰ってもせいぜい5投で皆対応できずに倒れ伏したと言うのに……10投、20投、30投…………動作で劣ると言うのに先読みの速さと確かさで何とか高速連投を捌かれる。
ナナリーは次第に焦り始めていた。
巨大戦斧を弾かれる方向を予想し追い付いて絶え間なく投げ続ける……言葉にすれば簡単だが、その内容は“息を止めての全力投擲の全力疾走の繰り返し”……機体のお陰で常人では発揮できないパワーとスピードを実現できていても『ソロパイロット』は操作性を無視する為に肉体への負担を強いる。
そんな機体で全力の連投、疾走を繰り返すのは幾ら地獄の鍛錬を繰り返して来たナナリーとて限界がある。
視界が紅く染まり出す、心臓が破裂するような拍動を繰り返す、過剰な運動の繰り返しに腕が動く事を拒否し始める、踏み込む事を足が強烈に嫌がる……。
タダでさえ高速回転する戦斧をキャッチし投擲するのはパワーと精密さが必要なのに、あと何回この動きが出来るかという事さえ怪しくなって行く。
しかしナナリーは自覚していた。
『一度でも息を吐いたら動けなくなる!』
そして意識を手放しそうになる寸前、ようやく『ステゴロ』の先読みと機体性能の遅さがコンマ数秒のズレが生じたのだった。
鉄球が砕けた瞬間、ナナリーは投擲の勢いそのままに空中でキャッチした戦斧をそのまま『ステゴロ』へと振り下ろした。
『ラストォオオオオオオ!!』
普段寡黙な彼女もこの時ばかりは叫び声を上げていた。
一回戦のビームライフルをかわした事を考えれば『ステゴロ』の操縦士に『操縦士死亡扱いリタイヤ』は期待できない。
そう考えていたナナリーは魔力操作の要である後部座席を切り離した。
『よし!!』
タンデム式にとっては致命的になる魔力供給の断絶、ナナリーもこの時ばかりは自分の勝利を確信し“あの日以来”無かった喜びを感じた。
復讐一辺倒で自分と同等、もしくはそれ以上の相手と対戦した事の無かった彼女にとってそれは初めて“バトリング”で勝利を得たという実感だった。
しかし……そんなナナリーの耳に予想外の言葉が聞えていた。
「うわあああああ!? とべえええええええ!!」
「むわあああ!? つめてええええええ!!」
切り離し直前に聞こえたその言葉はどちらも敗北を悟った者が発するものでは無かった。
勢いそのままに着地したナナリーは、着地の瞬間にようやく呼吸を許された体が酸素を貪るように激しい呼吸を始めた。
『ガハ! ハアハアハアハアハアハア……ウグ!?』
予想通りに急激に動けなくなるナナリー。
しかし彼女は消失しそうになる意識を気合で保ち、戦斧を杖代わりに倒れ込みそうになる体を無理やり起こす。
なぜなら全く終わった気がしない……そしてナナリーのその予想は現実として目の前で起こる事になる。
満身創痍、もう動く事は無いと思った『ステゴロ』から覚悟を決めたような、それにしては楽しそうにも聞こえる男の声が聞えたその時から……。
「さあ、無茶するぞ!!」
*
俺は咄嗟に切り離された後部座席から飛び降りたアマネの手を掴んで、強引に自分の座席の前に押し込んだ。
いわゆる膝の上にアマネを乗せた、日常なら素晴らしい感触と抱きしめたい衝動に抗えず全力で堪能するシュチュエーションであるが……状況的に楽しんでいるヒマは無い!
それほどまでに『敗者の亡霊』ナナリーは速く、そして強い。
「まさか“向こうに”後部座席を切り離されるとは思わなかったぜ……」
「後部座席は魔力供給担当が乗る、ようは燃料タンクだからね。普通ならセオリーな狙い目だったんじゃないの?」
「まあ……そうか、普通なら……な」
正直主武器の一つ『左手の鉄球』を“こっちで捨てる前に”砕かれた事だって予想外だったからな。
しゃべりつつアマネは操縦席の前面、機体の全てを司る『魔導機関』へと両手を当てて目を瞑り……そして自身の膨大な魔力を無理やり繋げていく。
『魔導機関』は要するにエンジンでありパソコンのような物、普段は後部座席から一定の決まった量の魔力を消費する事で駆動を可能にしているシステムなのだが……唐突にバカみたいな魔力が流れ込んで瞬時にオーバーブースト状態へ突入。
魔導機関全体から煙が立ち上り始めた。
「魔導機関オーバーブローまで約一分……行けるよ勇者様!」
「……この高校生の貧弱な体じゃ溜め込んだ魔力を使っても一分も持つ気はしねーけど……『夢想の
俺は『夢の本』の正式名称を唱えつつ、今現在残っている全ての『寝溜め』した魔力を身体強化に転化して、操縦席に後付けされた赤いボタンに拳を叩きつけた。
「さあ、無茶するぞ! 『ステゴロ』最終形態、全装甲、全操縦系統フルパージ!!」
ボボン……
その瞬間『敗者の亡霊』にはぎ取られずに残っていた装甲だけでは無く、『ステゴロ』の動作に必要な最低限の駆動系を残して全ての加重する部品が吹っ飛んだ。
『な、なな、なんだなんだ!? 突如『ステゴロ』の全装甲だけではない、移動に重要なタイヤなどの足回りも、唯一の武器である右手の鉄球すらも吹っ飛んだぞ!?』
アナウンスの言葉に観客たちもざわつき始める。
だが的確な状況説明を続けていたアナウンスも、今回ばかりは少し見逃しがある。
それは……。
「ぐううううう!!」
ズシッと急激に掛かる普通では考えられない異常な重圧が俺の全身にのしかかった。
吹っ飛んだのは足回りだけじゃない、操縦席の床下部分もなのだ。
魔導機関に魔力を直結、融合魔法併用で俺とアマネは魔力を共有する……その結果俺は『ステゴロ』を自分の手足の如く動かす事が出来るようになったのだが……その為に犠牲になるのはパイロットに掛かる機体からの負担……。
通常の操縦系統もパージしてしまった今『ステゴロ』を動かすにはソロ機体と同じ方法しか取れないとはいえ……。
「お、重てええええええええ…………」
必要最低限以外パージしたとはいえ『タンデム式』は『ソロ式』に比べても大きく、遥かに重い。
無理やり『ソロ式』にチューニングした『ステゴロ』の重圧は魔力で身体強化しても、基本が貧弱な高校生の肉体には耐え難いものがあった。
なんで女神アイシアは水人形の憑依体に痛覚もなく傷も負わないというのに、こういう感覚だけは残しているのか……ちょっとだけ文句も言いたくなる。
……が、目の前で戦斧を支えに根性だけで立ち続ける黒い機体『敗者の亡霊』の姿を見た瞬間に、そんな気分を吹っ飛んでしまう。
空気を読んだ……って事なんだろうな。
この状況で、俺が平然とした顔で『ステゴロ』を操縦していても戦いは盛り上がらないし、状況を理解したナナリー氏が鋼鉄の向こう側だと言うのに分かるほどに好感を露にするはずはないだろうし……何よりも、俺たちが面白くない!!
「ぐおおおおおお! さあ、最後の勝負だぜ『敗者の亡霊』……いやアスラル王国第一王女アンジェリアが一の忠臣、侍女長ナナリィィィィ!!」
『ハ……ハ……ハ…………望む……ところです!!』
青筋立てて汗ダラダラの状態で叫んだ俺の声に反応したナナリーの声は息切れと疲労感はあるものの、死の気配は感じられない。
あるのはただ勝利をもぎ取ろうとする戦士としての覚悟のみ。
ドン……と踏み込む瞬間はほぼ同時であった。
向かい来る『敗者の亡霊』の手に巨大戦斧は無い……最早それすら重荷にしかならないのだろう。
しかし疲弊しているクセにスピード自体は全く変わらず、繰り出されるパンチだって衰えは見えない。
そんな『敗者の亡霊』の攻撃を、今大会で初めて俺は“自分と同じ感覚”で『ステゴロ』を操り迎え撃つ。
バガアアアン……
そして次の瞬間には鉄球をもパージした『ステゴロ』の右腕と、『敗者の亡霊』の左肩が同時に吹っ飛んだ。
『お、おお……うおおおおおお!! コレは! コイツは前代未聞!! 今大会、いやバトリングが始まって以来、一度として破壊された事が無かった『敗者の亡霊』の黒い機体が初めて破壊されたああああああ!!』
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
「いけえええええええええええ! ステゴロ!! 絶対王者陥落だあああ!!」
「まだまだだあああ!! チャンピョンはテメエだナナリーーーー!!」
盛り上がる会場の声援が聞えているのか分からないが、ここに至っても動きが衰える兆しも感じられない。
「んなろう! 気合と根性って最近のメイドさんには必須スキルなのかよ!!」
『意外とそれが一番の必須スキルなのですよ、お客様!!』
「そりゃ大変……ですな!!」
初めての破損にも構わず再び突っ込んでくる『敗者の亡霊』に敬意を表しつつ、俺はパージして足元に転がっていたタイヤを蹴り飛ばした。
「30、29、28……」
『ム!?』
ボコン……
『ステゴロ』の限界時間をカウントするアマネの声をBGMに蹴りだされたタイヤは結構な速度で迫る『敗者の亡霊』へと向かい、アッサリと弾かれた。
が……次に俺が取った行動に、ナナリーは思わず呟いた。
『まさか……“そう”きますか!?』
タイヤを蹴り飛ばして来た場所には既にいない、弾き飛ばしたタイヤを予測して宙でタイヤを迎え撃とうとしている『ステゴロ』の姿を目にして。
「ああ……お返した!!」
ボッ!!
『く……まだ!!』
さっき自分がやっていた攻撃方法をそのまま返されたナナリーだったが、しかしそれでもさっきよりも強烈な勢いで飛んで来たタイヤを辛うじて再度弾き返す事は出来た。
が……ここでナナリーは致命的なミスを犯す。
自分の真似をされた事で次の行動も“弾いたタイヤをまた打ち返してくのでは?”という先入観が頭を過ってしまったのだろう。
それは過剰な疲労感、酸欠状態が引き起こしたコンマ数秒にも満たない隙……ほんの一瞬だけ弾いたタイヤの方に意識を向けてしまったナナリーだったが……“俺たちには”その一瞬で十分。
次の瞬間に『ステゴロ』は『敗者の亡霊』の懐深くまで、潜り込んでいた。
『しま……!?』
「5……4……3……2……」
そして『ステゴロ』の稼働限界間近……俺は黒い機体のボディに残された左の腕、拳の部分をトンと当てて、機体に残されたすべての魔力を一気に爆発させる。
「1……」
「全部もってけ侍女長殿! サ〇ンイン〇クト・モドキ!!」
ボ、ドガアアアアアアアアアアアアアア!!
『グハアアアアアア!?』
残存魔力の全てを左腕に集中させた結果、既に満身創痍であった『ステゴロ』の腕は大爆発を引き起こした。
そして……初めてのクリーンヒットを喰らった『敗者の亡霊』は勢いよくコロシアム内を吹っ飛び壁に激突……轟音と土煙を上げる。
「ゼロ…………魔導回路、完全に焼き切れたわ」
そしてアマネのカウントの終了と共にステゴロの魔導回路、エンジンから歪な音がしたかと思うと絶え間なく黒い煙が立ち上り……それ以降何の反応も見せなくなった。
完全に機能停止……無茶に付き合わせた『ステゴロ』は仕事を全うして全ての機能を停止した。
「お疲れさん……いい仕事してくれたぜ」
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