閑話 『電話』が偉大な発明である一例

 シャンガリア王国第二王子マルロスとアスラル王国王女アンジェリア、二人は国も種族も違うが歴とした婚約者同士だった。

 それは前シャンガリア国王が国益と、そしてどうしても蔓延る種族間の差別意識を変革させる橋渡しになればとアスラル王国へ持ち掛けた政略結婚で、当事者である二人もその事は良く分かっていた。

 しかしそれとは別に国同士、親同士で決められた婚約だと言うのに、二人は幼い頃に初めて顔を合わせて以来ずっと互いを想い合っていた。

 その事を幼い頃から王女アンジェリアに付いていた侍女ナナリーは良く知っていて、顔合わせのたびに仲よくする二人を微笑ましく見ていたのだ。

 彼女とて国の為とは言え人間に敬愛する主が嫁ぐ事を最初から納得していたワケでは無かったのだが、初顔合わせの日に主の可愛らしさに一目惚れしたマルロス王子が幼いなりに頑張って情熱的にアタックする姿に“人間にも私の王女の可愛らしさを理解できる者がいるのだ”と考えを改めて行ったのだ。


 だが彼女は数年後思い知る事になる。

 他種族間の差別意識の根深さとしつこさ、そして主の婚約者に抱いていた熱過ぎる、深すぎる愛情を……。


 婚約者マルロスの訃報……それを耳にしたアンジェリアの嘆き様は見ていられるものでは無かった。

 数日間部屋から出てくる事無く、ただただすすり泣く声だけが聞えてくる……誰もが哀れな王女を慰める事が出来ずにいた。

 しかしそんな王女の嘆きをお構いなしとばかりに、シャンガリア王国はアスラル王国へと奇襲をかけて来たのだ。

 前国王崩御以降シャンガリア国内では『亜人種など力で隷属させるべきだ』などと口にする好戦派と友好派で分かれていたのに、前王無き今、友好派の最重要人物が暗殺された事で否定派が政権の全てを手に入れたからこその暴挙……それは同時にシャンガリア王国が友好国としての立場を一方的に破棄し、亜人種たちの国家と完全に離別する事の意志の表れだった。


 完全に虚を突かれた形になったアスラル王国だったが、エルフたちの王は国民を守る為に決断を下した。

 まず自分が希望する近衛兵団を率いて殿を務め敵の侵攻を少しでも遅らせ、その間に国民を兄ブロッケンが南方の隣国『ミューストス』へ、妹アンジェリアが北方のドワーフたちの拠点『大洞穴』へと避難させると言うものだった。


 そしてその日からナナリーはずっと後悔する事になる。

 己の命を盾に国王から、実の親から国民を託された王女の目が既に生きていない事を気が付けなかったという事に。

 この時点で長年主として仕え、妹のように親しかった王女が死に場所を求めていた事を見抜けなかった事を……。


 王女アンジェリアは風と水魔法を得意とするエルフたちの中でも屈指の実力を持つ魔導師で、国民を守る為エルフの戦士たちと共に襲い来るシャンガリアの追っ手を次々と撃退して行った。

 ……しかしどんなに優れた魔導師であっても魔力というモノは無尽蔵ではない。


「いたぞエルフ共だ! それにアレは王女アンジェリアに間違いない!!」

「前王とマルロス王子を誑かした汚らわしい魔女め!! 大人しく裁きを受けよ!!」

「勝手な事を抜かすな! 蛮族共……ぐわ!?」

「隊長!! お、おのれええええ!!」


 物量の前に次第に疲弊していくのは否めず、エルフの戦士たちが徐々に数を減らしていく中アンジェリアの魔力も次第に尽きて行った。

 常に傍に付き従っていたナナリーは王女がこれ以上の戦闘行為は無理だと判断した。


「アンジェリア様、これ以上の戦闘は無理です! 貴女は避難する国民たちと共に行って下さい!! ここは我々に任せて……」

「……………………」


 アンジェリアを、王女を守る……それは侍女ナナリーだけでなくエルフの戦士たち全員の意志だった。

 自分たちの命を懸けても国民と王女が逃げ切る間の時間を稼ぐのだと……。

 しかしその矜持は果たされる事は無かった。

 他ならぬ王女の行動によって…………。


「大気よ荒れ狂う嵐となり、全てのモノを拒む領域を成さん……“ストーム・ウォール”」


 止める間もなく後退どころか前線に飛び出したアンジェリアが呪文を唱えた瞬間、彼女を中心にして巨大な竜巻が発生した。

 それはさながらシャンガリアの追っ手を拒む結界の如く立ち塞がる“嵐の壁”となり近寄るシャンガリアの兵はゴミのように上空へと飛ばされて行く。


「な、何だこの竜巻!? う、うわあああああああ!!」

「バカな!? まだこんな強力な魔法が使えるってのか!?」


 しかしシャンガリアの兵たちは単純に突如出現した巨大な魔法に驚き慄くのに対して、エルフたちの反応は違った。

「王女!? おやめください!!」

「幾ら貴女でも今は!!」


 その巨大な竜巻が一体どういう代物なのかを魔導に精通する彼らは熟知していたから。

 特に侍女ナナリーは“その意味”に驚き焦り、そして絶叫した。


「アンジェリア様!? 一体何をしているのですか!? 魔力の枯渇した今の貴女がそんな極大魔法を使えばどうなるか分かって……」


 分からないハズは無い、それは魔導師として強力な魔法が扱える者であれば常識。

 ただでさえ魔力を大量に消費する極大魔法を魔力切れの魔導師が発動するにはある代償が必要だった。

 案の定暴風の結界の中心でアンジェリアの顔色は目に見えて悪くなり、呼吸が荒くなって遂には吐血する。

 魔力の代償に生命力を消費したせいで……。

 しかし目に見えて疲弊していく王女が口から血を吐きながらも微笑みを浮かべている事に、ナナリーの背中に冷たいモノが走り抜けた。

 幼い日より傍に仕え、主として敬愛して時には妹のように親しくしてきた王女の表情が、瞳が既に生きていなかったのだ。


「ナナリー……貴女は残存する戦力を温存しつつ撤退して…………シャンガリアの兵士は私がここから一歩も先へ……行かせないから……」

「バカを言うんじゃない!! それは我らの仕事であって貴女の役目ではないぞ!! 早く術を解いてお前こそ下がるのだアンジー!!」

「ごめんナナリー……でも、もういいの。私の……私たちの希望ユメはもう壊れてしまった……あの人がいない世界で生きていけるほど……私は強くない……」

「止めろ!! やめて……アンジー!! あの方が、マルロス殿がそんな事を望むと思っているのですか!!」


 主が、妹分が愛しい婚約者を失ったあの日から死に場所を求めていた事に思い至ったナナリーが思わず二人だけの愛称を叫ぶが、アンジェリアは薄く笑うのみで更に暴風の結界を強く激しく猛らせ荒ぶらせて行く。


「本当にゴメンねお姉ちゃん。私は最期まで王女でいる事は出来なかったみたい……。せめて最後は愛する人を失い狂ったただの女として……」

「アンジー!? アンジーーーーー!!」


                ・

                ・

                ・


 泣き叫び慟哭するナナリーも本音では主の最期まで共にしたい想いだったが、一人でも戦力が惜しい今の状況ではそれも許されず、彼女は血が滴るほど拳を握りしめてその場を後にする事になった。


 それから数日後、ナナリーたち残存したエルフの戦士を含めた避難民たちは北方へと移動し、ようやくドワーフの勢力圏へと到着すると同時にナナリーは即踵を返して戦場へと舞い戻った。

 シャンガリアの兵と出くわす危険も高いはずだったが、何故か戻る道筋に“生きたシャンガリア兵”は一人もおらずアッサリとアンジェリアと別れた場所に到着したのだった。


「奴らがいない? 生存者は撤退した……というの?」


 焦燥感に駆られつつアンジェリアと別れた極大魔法の発生場所へと進むナナリーだったが、シャンガリア兵の遺体は全て原型を留めておらず、中心部に近寄るに釣れて細切れになっていた。

 侍女だが戦士でもあるナナリーはそんなモノには微塵も感情を動かさず、主の痕跡を必死に捜索する。

 生命力を魔力に変換する方法だって普通であれば肉体が限界を感じたらブラックアウトしてしまうもの……もしかすればこの戦場跡のどこかに主が、アンジェリアが生きて倒れているのではないだろうか?

 そんな淡い期待を込めて…………。


 しかし現実は残酷であった。


 ナナリーは自分の目の前にあるモノを信じたくなかった。

 だけど、それは彼女には見間違えようの無いモノだった。

 長年主として仕え、妹のように可愛がり、昨年は婚約者のマルロスから特注して貰ったのだと得意げになって履いて見せていた赤い靴。

 何年も何年も成長を見守り、共に歩んできた可愛い主の、可愛い妹の……赤い靴を履いた足だけが、そこに転がっているという事を


「ア、アア、アアアア、アアアアアアアアアアアアアアア!!」






              *






 ……それから約2年の月日が流れた。

 シャンガリア王国はアスラル王国陥落を大々的に喧伝しており、すでに隣国は我王国の属国であると主張していた。

 これは国王カルロスが自らの手腕と王国の軍事力を知らしめようと“現場も碌に知らずに”広めたものであったが、実際陥落したのはアスラル王国の中心部に当たるアスラル大樹城のみ。

 他の種族が生活する領域は未だに健在であり、主に土と共に生きるドワーフが拠点としている山岳地帯の巨大洞窟を集落にした『大洞穴』は現在においても戦渦に巻き込まれる事は無かった。


 物作りに精通し金属加工、特に鍛冶に関して卓越したドワーフたちの集落『大洞穴』は優れた武器、防具が手に入る場所として世界各国から腕に覚えのある傭兵や冒険者などの職業戦士が訪れる場所で、そんな血の気の多い連中が集まる場所なのだから定番と言える『飲み屋』や『娼館』などの施設も一通り揃っていて……そして当然の如く戦いたい者、腕自慢をしたい者、賭け事をしたい者、人の戦いを娯楽として見たい者なども多く、必然的に『大洞穴』の内部には巨大な闘技場も存在していた。

 ただ、やはり戦時下においては他国の者を不用意に入国させるワケにも行かず、闘技場は専ら戦士たちの訓練場として機能していた。


「はあ、はあ、はあ…………つ、次!!」


 そんな闘技場で大勢のエルフ、ドワーフ、オーガたちが倒れ伏す中で一人息切れしながらも立つ刃を潰した巨大な模擬戦用の戦斧を担ぐ女性のエルフ。

 元王女付き侍女ナナリーの姿がそこにあった。

 鬼気迫る彼女の様に歴戦のドワーフたちであっても顔を引きつらせていた。


「もう止めとけよナナリー……もう50戦連続だぞ? アンタの前に俺たちが潰れちまうだろうが……」

「…………体力とパワーでは貧弱なエルフに負けはしない……姑息な魔法や技術なんぞ力でねじ伏せるが……ドワーフの信条じゃないの?」


 息切れしつつも皮肉を言うエルフに普通であるならプライドを刺激され受けて立つであろうドワーフの戦士長も溜息を吐いてお手上げのポーズを取った。


「今やドワーフすらしのぐ体力とパワーを血反吐吐きながら2年で身に着けたアンタを前にそんな矜持持ち出せる程自惚れちゃいねぇよ……。一対一どころか多対一でも最早相手するのがやっとだ……」

「く……」


 それはドワーフからの惜しみない賛辞の言葉に他ならなかったのだが、ナナリーは納得いかないとばかりに戦斧を投げ捨て舌打ちをする。


「50戦……たったそれだけで息が上がるようでは…………」

「アンタの激情と執念は理解できるがな、戦争って異常な場において個人の力なんざたかが知れてるもんだ。一対百と百対一万では戦術も意味合いもまるで変っちまう……」

「分かっています…………そんな事は……」


 戦闘の傾向に違いがあり多少相容れない関係のエルフとドワーフだが、武人としての心意気は共通するものである。

 2年前のあの日、守るべき主を守れず生き延びてしまったと激しいシャンガリアへ対する、そして何よりも自分に対するナナリーの憎悪の念は凄まじいモノがあった。

『怨敵を抹殺出来る力を得る為に協力して欲しい』と、プライドの高い種族であるエルフが頭をたれ懇願する姿に義に厚いドワーフたちが共感しないワケも無く、彼らの協力の元たった2年の歳月でナナリーは巨大な戦斧を振り回す恐るべき戦士へと変貌を遂げていた。

 だがそれ程の強さを身に着けても彼女は納得できなかったのだ。

 喩え50を相手取る事が出来ても、2年前のあの日に何百何千の兵士の足止めをしたアンジェリアには遠く及ばないと……。


「言いたかないが……アンタの主、王女様は特別な魔導師だった。魔力って意味合いじゃ下回るアンタが同じような結果を出すには鋼の腕でも無ければ無理ってもんだ」

「鋼の腕……か……」

「生身の体での限界、それは極限にまで身体強化をしたアンタだって例外じゃねぇ。いくら物作りが得意な俺たちドワーフでも壊れない体は作り出せねぇからな」

「…………」


 肉体の限界、それを超えようとして生命の理を捻じ曲げ人外となり破滅していった者は過去幾らでもいた。

 神になろうと邪神を呼び出した者、不老不死を実現するためにアンデッドに成り果てた者、ドラゴンの如き強靭な肉体を得ようとドラゴンの地を求めた者……どれもこれも碌な最期を遂げた記録は無い。

 そんな事はナナリーも理解している。

 理解した上で……どうしても納得が出来なかったのだ。

 自分だけでは主を奪ったシャンガリアの連中に復讐を果たす事が出来ない事を……自らが戦場で奴らを血祭りに上げられる人数に制限があるという事を……。

“自らの手でシャンガリアの連中を地獄の底へと叩き落としてやりたい”それだけがあの日主を失った侍女ナナリーの熱望ゆめであった。


『その為であれば自分はどうなっても良い……それこそ先駆者たちの“碌な死に方が出来ない方法”に頼る事になろうと……』


 エルフだからこそ知っている禁忌の法すら利用しようか考えるほどにナナリーは復讐心に憑りつかれていたのだった。

 しかしドワーフの戦士長が溜息交じりにどう宥めようかと思考を巡らせ始めたその時、闘技場内に突如“場違い過ぎる声”が響き渡った。




「え? え!? ええええええ!!? も、も、もしかしてドワーフ!? それにオーガもいるし……うえ!? 何か逞しいお姉さんですけど、もしかして、もしかしてエエエエエルフですか!?」




「…………は?」

「なに?」


 あまりに唐突に闘技場に“現れた”気配にシリアスな空気だったナナリーと戦士長は間抜けな声を出してしまった。

 本来そんな不審者がいきなり現れれば警戒するのが普通だと言うのに、その者には殺気も無ければ戦力すら感じられない。

 見るからに華奢で大人し気に見える眼鏡を掛けた黒髪のオカッパ少女…………そんな存在を歴戦の戦士たちは小動物のようにしか見えなかったから……。

 だが当の少女は驚きの表情から徐々に歓喜の笑顔へと変化して行き……遂には諸手を上げて叫び始めた。


「きたああああああああああああ!! 異世界召喚よ異世界召喚!! 全アキバ系オタクの夢、異世界しょうかああああああん!! 我が世の春がきたああああああああ!!」


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