第百十四話 役に立たない先輩の助言
痛い、辛い、苦しい……何もかも忘れて座り込みたい……。
そんな願望が脳裏をよぎるが、同時に今立ち止まったらその瞬間自分は骨も残さず食い殺される……決して動きが早くないのに圧倒的な数で確実に迫りくるゾンビたちを前に本能的恐怖が勝り壁伝いに何とか歩を進める。
体の至る所を噛みちぎられて満身創痍、だと言うのに治療する暇も無く払いのけるだけで精一杯の状況。
ゾル・ビデムは最早呪術王などと名乗っていたプライドなど欠片も無く、ただただ必死に、血と汗と涙を流しながら迷宮の出口を目指していた。
「ひ……ひ……何故我がこんな目に……こんなひどい目に……我が一体何をしたと言うのだ……。そもそもアンデッドは死体を利用しただけ、アンデッドが誰を殺そうとそれは我の責任では無い…………我は……何も悪くないのに…………」
足を引きずり朦朧とする意識でゾルは一人呟くが、その内容はどこまでも無責任で自己本位、この状況に至った事の全てが自分のせいだとは欠片も思っていないものだった。
自分で配置したゾンビたちが向かって来る度に反射的に闇魔法を使おうとして発動しない事に絶望し、今まで完全に他人事であったはずのアンデッドに襲われる状況に恐怖し、捕食されかけ傷つく全身の激しい痛みに発狂しそうになる。
しかし進む先に地上の光が見え始めた事にゾルは歓喜した。
苦痛と絶望の末に迷宮から出る事が出来る、そんな希望の光が見えた気がしたのだから。
「もうすぐだ……もうすぐで地上に……外ならば、閉鎖空間に比べれば遥かにアンデッドからは逃げやすく……」
あと一歩、迷宮の出入り口の大広間にまで至ってしまえば外に出る事が出来る……はやる気持ちで日の光の元に出れる事を確信したゾルは…………大広間に隙間なく群れるゾンビ、スケルトン、亡霊などありとあらゆるアンデッドたちを前に言葉を失った。
「「「「「アアアアアアア……………」」」」」」
カタカタ……カタカタ……。
「「「「「オオ、オオオオ、オオ……………」」」」」
「は、はは、ウソであろう。ここまで来て……もう少しで外に出れる時にこのような……」
迷宮内部のアンデッドによる配備をしたのはゾル自身であったが、そんな本人が忘れていた事があった。
迷宮に侵入した者たちがアンデッドに追われて命からがら逃げだし、地上に至る安堵と喜びに包まれる瞬間、一瞬にして絶望に染まる瞬間が最も面白いとこんな配備にしたのは他ならない自分であった事に……。
今まさに制作者の意図を制作者本人が体験する羽目になっていた。
その瞬間にゾルの中にある全ての精神的よりどころが切れた。
力なく座り込み、股の間から失禁していると言うのに、自分でその事に全く気が付けない程、自暴自棄に陥ってしまった。
「ははは……終わりだ……我はもう終わりなのだ……はは……はははは…………」
「「「「「「アアアアア……オオオオオオオ!!」」」」」」
迷宮内部で唯一の生者の気配をアンデットたちが気が付かないワケは無く、大広間のアンデッドたちは一斉にゾルの元へと殺到し始めるが……最早逃亡する気力すら失ったゾルは他人事のようにただ黙ってその光景を見ていた。
しかし全てが終わったとゾルが思考を放棄しようとしたその時、信じられない事に人の声が聞えて来たのだった。
「ゾル様! こっちですゾル様!!」
「……うあ?」
ゾルは最初はその声を幻覚だと思った。
死を前に自分自身が作り出した都合の良い幻覚であると。
「ゾル様! お気を確かに、早くこちらへ!!」
しかしその声は明確に自分の事を呼び、更にその声が非常によく知っている人物の声だと理解すると、ゾルの朦朧としていた意識は一気に覚醒した。
九死に一生、地獄に仏と突然『見慣れない鉄の箱のような乗り物』と一緒に現れた自分の忠実な部下の登場に歓喜する。
「フィジー! おおフィジーではないか!! よくぞ来てくれた!!」
「こちらです、早くお乗りください……ここならば大丈夫です……」
助かる……死の恐怖から逃れる事が出来る……。
ゾルはその希望に満ちた言葉に促されるままに『見慣れない鉄の箱のような乗り物』へと何も考える事無く転がるように乗り込んだ。
そしてフシューという空気が抜けるような音と共に鉄の扉がゆっくりと閉まって行く……外のアンデッドたちが扉に阻まれて入ってこれない事、そして乗り込んだ“鉄の箱”がゆっくりと動き出したのを確認してゾルはようやく安堵の溜息を洩らした。
だからこそ……彼はこの時何も疑う事は無かった。
自分の部下である始祖吸血鬼が“助かる”とはただの一言も言っていなかった事を。
外のアンデッドたちが自分が乗り込んだ瞬間、役目を終えたかのように動きを止め倒れ伏したのを見る事もなく……そして自分の部下が倒れ伏していくゾンビたちとアイコンタクトをしているなど、思ってもいなかった。
…………アトハタノム。
…………オツカレサマ……アトハマカセロ……ユックリヤスメ……。
・
・
・
タタンタタン……タタンタタン…………。
独特な振動を立てて動き出した見慣れる“鉄の箱”それの正式名称が“電車”と呼ばれる違う世界の乗物である事を知らないゾルは、かなりのスピードで走るこの乗り物に驚いたが、今はそっちに気を取られている余裕は無かった。
迷宮から脱出して太陽の光を浴びて追われる、襲われる心配がなくなった瞬間により、今まで麻痺していた傷口の痛みが増してきたのだ。
そしてそれ以上に懸念する重大事もあった。
「い……痛い……おのれぇ……あの失敗作共め。主である我に牙を剥くとは……我がアンデッドに堕ちてしまっては一大事では無いか……お、おいフィジーよ。貴様聖水かポーションなど持ってはおらんか? 早いところ傷口を浄化せねばマズイのだ」
ピクリ……ゾルが思わず漏らした言葉に、それまで外を眺めていたフィジーは小さく反応した。
「……どういう事でしょう? 我々アンデッドにとって回復、浄化に関わるものは痛手となる禁忌……何故エルダーリッチである貴方がそのような物を求めるのです?」
激しい痛みで切羽詰まっていると言うのに手下が気の利かない質問をしてくる……そう捕らえたゾルは苛立ち紛れに真実を口にする。
それが……最低の失言であるとも分からずに……。
「術者までアンデッドになってしまえば思考が魔物寄りになってしまって定かでは無くなってしまうでは無いか! 最重要となるのは我が守られている事、我が至高の頭脳の安全を図る為には我が穢れるワケにはいかん……そんな事も分からんのか……」
「穢れる……貴方はそうお考えだったのですか……」
次の瞬間、窓の外を流れていた景色が一気に黒く染まる。
それはまるでトンネルにでも入ったかの様ではあるのだが、電灯も付いておらず車内も真っ暗になってしまう。
「な、なんだ……また暗く……」
「つまり……自分ではなりたくも無いアンデッド化を他人に押し付け道具とし、他者を傷つけ、殺し、奪い、安全圏から利益だけを搾取して一切の痛痒も呪いも受けず……数百年もの間、哀れなアンデッドたちを生みだし続けていたのか…………お前は……」
「……あ? 貴様誰に口を利いて……」
自分の操り人形である下僕が自分の事を無礼な呼び方をした……瞬間的に感じた苛立ちで反射的に怒鳴りつけようとしたゾルだったが、フィジーの姿を見て……息が止まった。
暗闇の中、本当ならほとんど見えないハズなのに、フィジーの姿はハッキリと見える。
ただ、その姿は見慣れたはずの美しい肢体の女性では無く、黒いドレスを着た幼女。
その幼女が暗闇の中であると言うのに、暗い圧倒的な漆黒の瘴気を放ってゆっくりとこっちを見るのがハッキリと見えてしまう。
「……あ」
さっきとは違う意味合いの“あ”がゾルの口から漏れた。
警戒すべきであったのに、命の危機が迫ったあの時……千載一遇の幸運が自分に舞い降りたのだと縋り、重要な事を見落としていた。
その事にようやく気が付いた“あ”だった。
そもそも理由は分からないが自分には今闇の魔力が失われている。
そして手下であったアンデッドたちは全て自分の敵として襲って来ていた……。
だとすれば……目の前の“アンデッドの最高傑作”である始祖吸血鬼が自分の味方であるかどうか……警戒するべきであったのだ。
そして……どちらなのかは今の発言でハッキリとした。
自分の意に沿わない事は絶対に言わないはずの忠実な下僕であるはずの始祖吸血鬼が“自分を貶す発言をした”というだけで……。
「……私は……私たちは幸せに暮らしていた。優しく賢い両親は貴族であっても民に慕われ……国からの覚えも良く、皆が平和に暮らしていたのだ…………八歳の……あの日までは…………」
安堵して助かったと“思い込んで”いた体が再び震えだす……冷や汗が流れ始める。
無表情の少女の瞳は洞穴の如くどす黒く、その眼窩からはおびただしい量の血の涙が流れ出し始め……激しい憎悪と怨念を只一人に向ける。
そしてゾルはようやく『不死病の森』で対峙した魔導士の言葉を思い出した。
『……果たして眷属になったのはどっちなのかな?』
笑い話のように言っていた言葉が事実となって自分の前に現れる……それはゾルにとっては一切笑えない状況だった。
「な……何を……」
「最も最低なのは…………お前の家がウチの隣だった事……。父は亡くなった人の鎮魂を司る一族と敬意を払っていたと言うのに…………死霊使いの一族もその役目に誇りを持っていたと言うのに…………近所にいた都合の良い実験体と目を付ける外道さえいなければ……お前さえ……おまえさえいなければああああああああ!!」
少女が叫んだと同時に車内の、いや周辺全ての闇が一気にゾルへと絡みついて行く。
今まで自分自身が使用していた全ての闇の力がそのまま帰って来たかのように、闇はアッサリとゾルの全身を包み込んで、瞬時に指一本動かせなくなる。
「う、うおわああああ!? な、何故だ!? 我は貴様を地上最強のアンデッド、始祖吸血鬼まで進化させてやったのだぞ!? それが何故我に牙を剥く!? 何故我を攻撃する!? 恩を仇で返すと言うのかあああ!?」
苦し紛れにゾルが口走った内容は意味不明……火に油どころでは無い、爆弾を投げ込み地雷を纏めて踏み抜くような内容だった。
それはこの期に及んでこの男が自分が悪いとは一切考えていない証明にしかならず…………そんな自己本位自業自得男の耳に無情なる車内放送が聞えた。
『え~~長らくお待たせいたしました。本日特別超鈍行列車“猿夢”にご乗車いただき……誠にありがとうございます』
「な、何? 何だこの声は……さるゆめ?」
唐突に流れ始めた声が何なのか理解できないゾルであったが、放送は何事も無く淡々と進められていく。
『当列車は本日設立されてから最も混み合っております。ご不便をおかけして申し訳ございませんが、我々はご乗車の皆様のご期待に沿うべく万全の態勢を整えてございます。どうぞお誘いあわせの上、存分にお楽しみ下さい……』
「おい!! 一体何なのだこの声は…………混み合っているとは一体!?」
意味は分からないのに碌でも無い事が起ころうとしている……それだけはゾルにも直感的に分かってしまう。
しかし……放送はゾルの言葉に返事することなく淡々と、無情に次の停車駅を伝える。
『次は~~~“八歳の思い出~八歳の思い出~” 始祖吸血鬼にされた少女の体験、存分にお楽しみ下さい……』
「……な、なんだそれは?」
内容が全く理解できないゾルだったが……激しい憎悪の表情のフィジーは怨敵をとらえたまま真っ赤な口を裂けんばかりに“ニヤア”と吊り上げた。
「お前が私にした全て…………お前に返してあげる…………そう……怨を返して上げないとねぇ……」
そう呟いた少女が手にしていたのはさび付いた、切れ味が悪そうなナイフ……。
より苦痛を与える目的にしか当てはまらない刃物、それを手に捕縛されて動けないゾルにゆっくりゆっくり近づいて行く……。
「ひ……ひ!? な、何をするつもりだ!? 止めろフィジー……今ならまだ許してやろうでは無いか……こんな悪ふざけは……」
動けないゾルはさっきのアンデッドたちとは種類の違う、明確に“ゾル・ビデム”という男のみに向けた殺意の籠った瞳に全身が震え……またもや失禁してしまう。
しかしそんな醜態でフィジーが手を止める事は無く……ゆっくりと、ゆっくりと、ゾルの腹部にナイフを近づけていく……。
「……始祖吸血鬼として再生能力の確認……だったか? 縛られ動けない私が何度も何度も“やめて”と泣き叫ぶ中、意識を保ったまま、全ての臓器を切り取られ……全身を切り刻まれ……虫たちに喰らわせて…………」
「ひ……ひ……やめ……やめ…………」
「丁寧に丁寧に…………私の、私たちの全て苦痛を、怨念を、憎悪を……返してあげますよ…………ゾル・ビデム……さ、ま!!」
「ウグア、アアアア、イギャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
ズグ、という鈍い音と共に発生した腹部に耐え難い燃えるような激痛…………暗い車内にゾルの絶望の叫び声がこだました。
・
・
・
タタンタタン……タタンタタン……
『次は~憤怒の英雄~憤怒の英雄~』
「…………は!?」
目を覚ましたゾルは走る電車の座席に座っていた。
咄嗟に全身をまさぐってみるが、どこも何とも無い……その事に強烈な違和感を覚え、冷や汗が止まらなくなり、全身がガタガタと震えて来る。
だが何か……何か強烈な恐怖と絶望を覚えるおぞまし出来事があったはずなのに、幾ら考えても思い出す事が出来ない……。
「夢……だったのか? しかし夢を見ていたにしては…………ん?」
額から流れ落ちる汗を拭い顔を上げたゾルは、自分の座る反対側の座席にドカリと座る初老の男性がいる事のに気が付いた。
その男はフルプレートを着込んでいるが顔だけは晒していて、頭に頂くのは黄金の王冠……それだけで目の前の男が何者なのかゾルには分かってしまう。
何しろ初対面では無いのだから……。
「き……貴殿は!?」
「ほほう……ワシの顔を覚えておるのか……。ワシの死後勝手に骸をアンデッドにする輩に覚えて貰っていても、嬉しくも無いがな」
スッと立ち上がったのはアスラル王国国王、アンデッドとしてスコルポノックを襲うように仕向けられた男は圧倒的な闘気と憤怒の感情を瞳に宿らせゾルを睨みつける。
何時もならば他人事、絶対に直接見る事は無かった迫力ある威圧感を“初めて”体験したゾルはそれだけで腰を抜かしてしまう。
その様が……より一層アスラル王の逆鱗を刺激していく。
「ワシが……ワシらが命がけで挑んだ最後の戦い、それを戦う覚悟も皆無な貴様のような下郎がケチを付けるとはのう……。あの方が救ってくれなんだら……ワシは守ったはずの国民を……最愛の息子をこの手にかけてしまうところであった」
「え、あ……? ま、待たれよアスラル王……何を言われておるのか我には分からぬぞ? 我はそのような事を貴殿にした覚えは……」
ズシャ…………
「…………ブギャ!?」
焦ったゾルは苦し紛れに言い逃れようとするが、次の瞬間ウソを並べ立てようとしたゾルの舌は……顎ごとアスラル王に振るわれた剣により斬り飛ばされた。
耐え難い激痛にゾルは車内を転げまわり、喋れなくなった口から叫び声に似た何かを発する。
「ブエ!? ……ブブ?? ?バブバ!?……!!」
「この期に及んで口八丁が通じるとでも思うてか下郎!! アスラル王が千刃……その身でしかと味わうがいい!!」
「ブギャ!? ブバアバアアア!?」
一刀ごとに聞こえる鈍い音、肉のつぶれる音、血の噴き出す音……その度に与え続けられる激痛に叫ぶ事が出来ない……。
そんな絶望しか無い状況にゾルは…………。
・
・
・
『次は~大森林の憎悪~大森林の憎悪~故郷を理不尽に奪われた獣人たちの怨念をお楽しみください……』
「……は!?」
ゾルは目を覚ました……自分の四肢がしっかりとある事に違和感を覚えながら。
・
・
・
『次は~我が子を殺された母親~~我が子を殺された母親~~。若年のアンデッドを作る為と我が子を奪われた母親の激しい憎悪をお楽しみください……』
「……は!?」
ゾルは目を覚ました……全身が切り刻まれていない事へ違和感を感じながら……。
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『次は~ゾンビ化の恐怖~ゾンビ化の恐怖~~。意識が徐々にアンデッドに変わっていく恐怖をお楽しみ下さい……』
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『次は~恋人を“殺させられた”女~恋人を“殺させられた”女~。愛する者をアンデッドにされ操られる事で恋人を殺してしまった女性の深い深い恨みをお楽しみください……』
『次は~~~~』
『つぎは~~~~』
『ツギハ~~~~』
・
・
・
タタンタタン……タタンタタン……
「う……うあ? こ、ここは……………ひい!?」
飛び起きたゾルは自分の体が無事である事に“何故か”違和感を感じたが、それ以上に圧倒的な恐怖と絶望を覚えていると言うのに、肝心の記憶が全く無い……。
何か分からないのに漠然とした恐怖にかられるゾルは、自分の目の前に何者かが座っていると言うだけで体をビクつかせた。
しかしゾルの本能的な予感に反して、目の前の黒っぽいゴブリンにも似た容姿の男はゆっくりとした口調で話しかけて来る。
「よう……もしかしてアンタ、俺とご同類かい?」
「……なに?」
それは何か全てを諦めたような表情の男だったが、何か確信を持ったのかゾルが返事した事で少しだけ嬉しそうな表情を浮かべる。
「はは……嬉しいねぇ……ここに囚われてから今まで、まともな会話ができるヤツに会えるとはなぁ……」
「だ、誰だ貴様……」
焦って尋ねるゾルに黒っぽい男は首を横に振る。
「名乗っても意味は無いな……多分また会う事があったとしても……どっちも覚えて無いだろうからな……アンタも何かやらかしてこの電車に乗せられた口だろう?」
「電車? この奇妙な乗物の事か?」
「ああそうだ。この電車はその中でも飛び切り恐ろしい“猿夢”って電車でな……本来なら3回この電車で殺された夢を見たら現実でも死に至るって物語なんだが……」
三度目で死……その内容にゾッとするゾルだったが、男の話はさらに続く……。
その程度、序の口だと言わんばかりに……。
「ただなぁ~俺も実際に経験して初めて知ったが、呪いの物語は本来話のみで恐怖を振りまく存在で、直接殺す事は無いんだよ」
「……どういう意味だ? 呪いそのものが呪い殺す事が無い……というのか?」
呪術王、曲がりなりにも長年その名を名乗っていたゾルは呪いの力の強さを目の当たりにして来た。
強力な呪いの物語が呪い殺す事をしないと言われてもピンと来ない。
しかしその明確な答えを男は教えてくれる。
「簡単な話さ……呪いの物語は本物の怨念、憎悪などの負の感情に対して誠実なのさ。貴方の恨みを代わりに晴らす……なんて無粋は一切せずに、あくまで本人に晴らさせるように手助けをするくらいか……」
「手助け……だと…………は!?」
ゾルは記憶が定かではなくなる前、この電車に乗り込む寸前までの記憶を思い出し……戦慄する。
思えば自分を追い込んだ存在は常にアンデッドに襲わせるように仕向けていた。
発見し、右足だけ奪われ、攻撃手段を奪われ、確実に自分を恨む存在に襲わせるように。
自分の置かれた状況を理解したくないゾルは眩暈に襲われるが、黒っぽい小男は更に余計な助言を付け加える。
「この猿夢……巧みに罪人が恐怖や痛みに慣れないように、狂わないように記憶も傷も残してくれね~んだよ。そのクセ絶望の記憶だけはしっかりと残っていて、毎回毎回、何をされるのか分からない恐怖と、何かされるって恐怖、相容れないはずの二つを同時に味合わせて来るのさ……。恨み募る被害者たちに直接思う存分楽しんで貰う為に……」
「ひ……被害者が直接……だと?」
その瞬間ゾルは脳裏に今まで自分がしてきた所業が駆け巡る。
自分が今まで手にかけて来た連中全ての怨念……そんなものをこれから受けねばならないと言われて平静でいられるワケも無く……ゾルは掴みかかるように小男に問いただす。
「き、聞いてよいか!? 貴殿はこの“さるゆめ”に囚われてから一体どのくらいの期間になるのだ!?」
「あ~~~? ここに来てからか? この列車の中は実際の時間とは全く違う流れだから当てにはならんが……少なくとも百年以上は経つかな…………。はは、本来は数か月も経ってないだろうが……」
「ひゃ……百年も責め苦を与えられて、それでもまだ解放されぬというのか?」
ショックを受けるゾルに小男は自嘲気味に笑った。
そして小男はゾルにとって最も絶望的な事を口にした。
それは何の気ない発言であるのに、ゾルにとっては最悪を暗示する情報。
「は……最早自分がこうなったのは自業自得だと思ている。なにせ俺はここに囚われる前には10人余りもの人間を呪いを利用して殺してしまった……。百年程度で許されようってのは甘いだろうよ……」
「……は? 10人……だと??」
悪人による悪事自慢……それだけを語るのならばゾルは目のまえで項垂れる男など問題ではないくらいの犠牲者を出している。
恨みなど、闇の魔力の糧にする為にむしろ積極的に買ってきたのだ。
百の、千の、万の、数えきれないほど多くの人々から。
……だと言うのに十人の犠牲者で百年でも許されない、それは自分に当てはめるとどういう事になるのか……自分の懲役が一体何千年、何億年かかるのか見当もつかない……。
「そんな……何かこの乗り物から脱出する術は……」
そう言って再び小男に目を向けたゾルだったが、すでにそこに人影は無い。
『ギャアアアアアアア!!』
しかしどこからともなくさっきの小男と酷似した声の叫び声が聞こえてきて……ゾルは青い顔をそのままに立ち上がり、どこかに出口は無いのか必死に探し始める。
頼りにしていた闇の魔力も何もない状況……しかしゾルは車内に“自分にとって特別な道具である”女性が乗っていた事に気が付き、安堵と喜びの声を上げる。
「お、おおお! お前はフィジーではないか!! 我を助けに来てくれたのか!!」
「………………お久ぶりですね。今回で56回目でしょうか?」
ニタリと嗤う始祖吸血鬼の言葉の意味をゾルが理解できるのは……それからしばらくしてからの事だった。
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