第百十二話 私の名前は……
『不死病の森』よりも北方に位置するシャンガリア王国……よりもサイルデリア大河を挟んで更に北の地、そこには数百年前に栄えた王国があった。
今ではその栄華は見る影も無く、アンデッドの暴走により僅か数日で滅んだ事実も、名前すら残っていない王国の残骸が遺跡として残されている。
そんな遺跡の地下は広大な
しかしその神殿が誰も信用しない一人の死霊使いによって造られた自らを守る為だけのフェイクである事に気が付ける者は誰もいなかった。
そんな誰もいないダンジョン最奥の神殿に安置された中央に鎮座する古びても立派な石像……ではなく、その像の周辺を守るように壁に掘られた彫刻……それも一番地味な見た目である男の物に亀裂が走った。
そして徐々に亀裂が大きくなり、表面の石が剥がれ落ちると同時に“中身の男”は忌々し気に声を漏らす。
「く……なんだったのだ、あの凄まじい闇の魔力は……」
その男、ゾル・ビデムは数百年の時を過ごしたとは思えない程若々しく、30~40代の見た目をしていた。
数百年前死霊使いの力で国を支配しようと目論んだ男だったが、自分が矢面に立つ事を嫌い、そして老化する事も拒否した結果石化した肉体から意識だけを飛ばす魔術を生みだしてから初の
「数百年、あらゆる絶望を糧に高めて来た我を遥かに凌駕する闇の魔力など……一体なんだったのか……」
位相のズレた場所なら絶対に自分は傷つくことなく探知される事も無い。
男は数百年間一度も何事も無かった方法に絶対的な自信を持っていた……なのにあの時はそんな理屈など頭から完全に抜け落ちていた。
位相のズレた
「闇で、呪いの力で上を行かれるなどプライドが許さんが…………』
ゾルは覚醒直前まで見ていた光景を思い出し……ブルリと体を震わせた。
「……ひとまずしばらくは身を隠す事じゃな。数十年間はエルダーリッチでの活動を控えるしかあるまい……」
エルダーリッチとしてゾルが数百年間かけて築き上げたモノは相当数に上る。
多くの人々に死と絶望を味わわせ、負の感情から発生する闇の魔力を自らのモノとし、更に亡くなった人々をアンデッドとして使役し更なる混沌を生み出してきたゾルにとってそれは苦渋の決断であった。
しかし生者である限り人間の寿命を考えれば自分にとってはそう長い期間では無かろうと自分が未来で再開する外道な行いに思いを馳せゾルはほくそ笑んだ。
「人の生など多くとも精々80年…………その間大人しく隠遁しておれば……ん?」
実に数百年ぶりに自分の目で見た神殿……そこの柱に奇妙な落書きがある事に気が付く。
“今、森を出た”
落書きはそれだけで明確な理由などは無い……ゾルは呆れを含んだ溜息をもらす。
「何だコレは……この迷宮を探索した冒険者の目印か? 全く意味が分からんが……」
男はそう呟きすぐに興味を失う。
もともと他人に対しては利用価値しか見ないゾルにとって自分に無関係である文字は興味を引くものでは無かったのだ。
しかし……ゾルが不意に視線を下に落とした時、その落書きが単なる目印や悪戯の類では無い事を理解せざるを得なくなった。
“今、シャンガリア王国を通った”
「何だ? こんな文字はさっきは無かったと思うが…………!?」
そしてそこから顔を上げた時……それが他の誰でも無い、自分に向けられているメッセージである事を理解した。
“私……今、サイルデリア大河にいる……”
その文章は確実に北上している……『不死病の森』からここに向かって……。
追われている……間違いなく自分が『不死病の森』で発生したナニかに追われている。
ゾルはその事実に背筋が凍り付くのを感じる。
「ば……バカな!? 我は本体も魂もあの場には残さず、無論魔力の形跡すら残しておらん! だと言うのに何ゆえに……」
冷や汗が止まらなくなる。
口の中がカラカラに乾いて行く。
手足の震えが止まらなくなる……。
自分が与えるだけのハズだった恐怖と絶望が急激にゾルの思考を蝕んで行く。
“私……今、遺跡の迷宮入り口に……いるの”
ゾルの焦りなどお構いなしに視線を向けた先に文字は現れる。
恐怖を煽るように、絶望を楽しむかのように……。
「な、なめるな……舐めるなよ!!
しかしゾルにも腐りきってはいても『呪術王』というプライドがあった。
迫りくる“ナニか”に対する恐怖の感情を噛み殺し、己の魔力を最大限に高めてダンジョン内部に設置した『対侵入者用アンデッド発生魔法陣』を起動する。
元々冒険者対策で設置していたのだが、今回に限ってはエルダーリッチとして長い年月で使役、捉えて隷属していたいた全てのアンデッドをダンジョン内部に解放して行く。
そしてダンジョン内部に過剰とも言えるアンデッドたちを配備したのを確認したゾルは少しだけ余裕を取り戻したように笑う。
「ふ、ふふ……い、いかに高い闇の魔力を有するものだろうとも……この数のアンデッドを無傷で通過する事は…………」
しかし男は、ゾル・ビデムという名の死霊使いは……右の手の平に違和感を感じた。
少しくすぐったいようなその感覚が気になり、自分の手の平を見て……ゾルはとうとう言葉を失ってしまった。
何故ならそこには落書きが記してあり……。
“私メリー……今”
『貴方の後にいるの………………』
「!? はわ!? は!? はああああ!? はひやああああああああ!!」
自分の黙読と重なる絶妙のタイミングで聞こえた楽し気で可愛らしい……にも拘らずどこまでも不気味な声に、静寂に包まれていたダンジョンにある男の形容しがたい悲鳴が響き渡った。
『み~つけた…………』
「う、ウワアアアアアア!? 闇の
本当に何の気配も無く突然現れた交じりっ気のない闇の存在。
自分が今まで使役していた負の感情を糧にした闇とは全く異質な、まるで闇そのモノが話したかのような全く理解の及ばない“ナニか”にゾルは半狂乱気味に振り向きざま攻撃魔法を放った。
しかし闇の剣はただ地面に突き立ったのみで、そこには誰もいないどころか気配すら跡形も無く消え去っていた。
まるで今まで何も無かったかのように……。
「は? ……え? あれ??」
慌てて周囲を見渡すものの、自分にたった今話しかけて来た何者かの痕跡は全く見つける事が出来ない。
だがゾルは安堵する事は出来なかった。
他者と接触せず、己は一切傷つくことなく過ごしてきた男にとって“発見された”というのは呪術王を名乗ってから初めての緊急事態。
男にとって自分の身に命の危険が及ぶという事はあり得ない、あってはいけない事なのだから……。
「……とにかくここにいてはマズい。解放したアンデッド共に守らせつつ迷宮は出た方が良さそうだの……」
使役した、自分が闇の魔力で生成したアンデッドは全て自分の道具であり味方……そう考えているゾルは一刻も早く自分を守る為に迷宮内部に配備したアンデッドたちと合流しようと考えていた。
……既に次の“ナニか”がこの世界に召喚されて、理不尽な
『ここだよ、ここ……第二都市伝説“地を這う最速”…………』
神殿から出て行く男の背後で交じりっ気のない闇がニタリと嗤った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます