百五話 迷子のお知らせです……フィジーちゃんがお待ちです
「ア、アアアアアアアア!?」
全身の至る場所から赤黒い煙を出してのたうち回る吸血鬼の女性に、俺は正直状況について行けず混乱していた。
ありのままで言えば何だか分からないうちに行動不能にされた挙句、現れた女吸血鬼にキレられて本気モードになったと思った矢先、俺の背後でのたうち回っているのだ。
それも折角変身したはずの本気モードもいつの間にか人間形態に戻っているし、それどころか所々ひび割れてボロボロ崩れ原型を留めていられなくなっている。
そんな女性が憎しみに満ちた目で睨みつけて来る。
「お、おのれぇ……弱者だと思い込んだのが愚かだったわ…………まさか『始祖』であるこの私をこうも簡単に……」
「いや……そう言われても何が何やら……」
「口惜しい……主の命を実行出来ず…………お役に立つ事が出来ずに敗するとは……申し訳ありません……偉大なる我が呪術王……」
「……………………」
そして任務を果たせずに忠誠を誓った主に対して懺悔の言葉を漏らす。
それは物語で志半ばで命を落とす武士や騎士などの最後にも似ていて、本来ならば胸に来るモノがあったんじゃないかと思う。
しかし彼女の言葉を聞いた俺が感じたのは、そんな忠誠心を見せる吸血鬼に対する同情でも畏敬の念でも無かった。
何故かは分からない……分からないのだが、そんな状況を目の当たりにしているのに感じているのは途方もない“苛立ち”。
俺自身何でそんな事を感じているのか信じられない。
目の前で敵とは言え志半ばで倒れようとしている、主に懺悔し嘆く悲壮感がありまくる状況だと言うのに……自分でも『俺ってそんなに薄情な人間だったんだろうか?』と思ってしまうくらいに……。
しかし、俺がそんな自分の感情に戸惑っていると『夢の本』が勝手にパラパラとめくれ初めて……あるページに至るとピタリと止まった。
今までも何度かあった事だけど、そこは今までは白紙だったページ……しかし確かに今は新たなページが生み出されていた。
夢操作 最終奥義編 ①『死期覚醒』
「何だコレ、新しい本の使い方? にしては語感が何となく物騒だし、夢を見せると言うには覚醒とか言ってるし…………ん?」
読み進めてみると夢の種類、というか技名? というか、いつもならそれに続いて説明と使い方の解説が続くはずなのに、今回はその文章が妙だった。
何というかまるで手紙のような文面なのだ……しかも喫茶店で偶然手に入れた古めかしい本なのに、何故か“俺を”名指しにして……。
『大恩ある夢次様、まずは謝罪させて下さい。本当に申し訳ありません。
もう二度とこちらの事情には巻き込まない約束でしたのに、このような事態に再び巻き込んでしまいました。
このページに至ったという事は、貴方が最も苦手とするアンデッドに遭遇してしまったからであると推察し、この文面を『夢の本』に記しておきました』
そのやけに丁寧で低姿勢な文面は向こうの礼儀正しさと申し訳なさがにじみ出ていて、どちらかと言えば好感が持てるものだが、要所要所理解できないところがあった。
まるで前にもこんな事があったと言うかのように、そして文章の主が俺と顔見知りのようである事も……。
だがその後の文章はもっと理解不能だった。
『つきましては今回に限り『死期覚醒』を使用する為に必要な処置を期間限定で行わせていただきます。一度ページを遡り『白昼夢』を開いて下さい……』
「必要な処置って一体なに…………何だコレ?」
俺は説明のままに『夢の本』の夢操作上級編『白昼夢』のページを開いてみる。
そこには以前使用した時と同じ説明文があったが、そこに追加と言うか付箋でも付けたように欄外に無理やり入れ込んだような不自然な項目が増えていた。
特別追加事項 *今回に限るので使用後に削除いたします。
夢操作 緊急編 『白昼夢葬』
使用時には下に添付した魔法陣をタップして下さい。
…………? 何なんだこの説明文は??
文章の意味、意図がサッパリ分からない……一体これを記した人は俺に何を言いたかったんだろうか?
俺は脳内にクエスチョンマークを浮かべつつ、本当に何の考えも無く増えた項目にある見た目はQRコードみたいにも思えるコイン大くらいの魔法陣に人差し指で触れて……。
全てを理解した…………。
説明も無い『死期覚醒』という夢操作の利用方法、この本に記されている人物の意図、記した人物が何者なのか、何ゆえに『アマネ』は俺をここに残したのか。
そして……何ゆえに俺は主に懺悔しつつ消滅しかけているアンデッドに対して、こうも苛立っているのか……。
俺は未だに“俺を”憎悪に染まった瞳で見つめ唸り続けるアンデッド、始祖吸血鬼フィジーに確認の為に一つの質問を投げかける。
「なあ、フィジーさん……とか言ったよなアンタ。聞きたいんだけど何でそんな状態になってまで主に忠誠を誓ってんの?」
「……何だと」
「アンデッドって存在になってまで、何ゆえに“主”なんかに忠誠を誓う必要があるのかと聞いてるんだけど?」
「アンデッドが……創造主の命に従うのは当然の事! 私を始祖として、吸血鬼として創造してくださった偉大なる呪術王の為に忠義を尽くすのは当然でしょうが!!」
俺が努めて冷淡な瞳で見下しつつ聞くと、フィジーは憎悪の瞳に更に殺意を乗せて怒鳴った。
アンデッド……死後に己が魂を色々な理由で体に封じられ本能のみで行動するか、あるいは高い魔力を持った者に操られ朽ちるまで使役されてしまう“死ねない死体”だ。
そう“死なない”ではなく“死ねない”死体なのだ。
だからこそ苛立つ……自分が一体どういう状態なのかも分からずに、真実を知る事も無く利用されているアンデッドを見ると……。
「じゃあもう一つだけ聞くが……君の年齢は?」
「…………は?」
俺の言葉に何の一貫性もないように聞こえたのだろうフィジーは意味不明とばかりに間の抜けた声を漏らす。
しかしこの質問にはアンデッドにとって最も重要な意味がある。
その存在自体を揺るがしてしまうくらいに、とても重要な意味が……。
「何を言っているのか分からないけど…………私は既に数百年の年月を呪術王様に仕えて来た……正確な年月など余り意味は……」
「ああいや、そう言う事を言ってんじゃ無いんだよ……俺が聞きたいのはアンデッドになってからじゃない、アンデッドになる前の年齢だよ」
俺がその質問をした瞬間に苦悶、憎悪とあらゆる表情を見せていたフィジーの表情がピシリと固まる。
「前……ですって?」
「そう前、アンデッドになる前……平たく言えば、君の亡くなった年齢は何歳だったかを聞いてるんだけど……」
「それが……何だと言うのよ!? 私が幾つで吸血鬼になったか何てどうでも……」
「分からないんだろ?」
「…………!? だから何よ……何が言いたいと言うのよ!?」
そして何かに怯えるように捲し立てる彼女の反応で俺は予想が正しかった事に、非常に残念ながら確証を持った。
アンデッドと言う存在は大なり小なり『生への執着心』で現世に残ってしまった悲しき存在。
死にたくない、愛する人に最後一目でも会いたい、故郷に帰りたい、何が何でも守りたいモノがある……そんな執念が本来成仏するはずの魂を肉体に封じ込めてしまい死ねない死体と化してしまったと言うのが大半なのだ。
例外なのが自らの意志で魔法や呪術でアンデッドと化して人ならざる存在になる連中…………“前の経験”を踏まえると目の前の始祖吸血鬼や
簡単な話、あるなら自らの意志で……無いのならば…………それは自らが望んだ姿では無いという事……。
俺は本来恨むべきはずの存在を恨む事が出来ずにいる哀れなアンデッドを前に……どうしようもない苛立ちのままに『夢の本』を開く。
そして溜息と共に目当ての『死期覚醒』のページを掌で軽く叩いてから、勢いよく『夢の本』をパーンと閉じた。
「…………え?」
その音と共に、俺の事を今まで憎しみで睨みつけていたフィジーの瞳が呆気に取られたように見開かれる。
今までの憎しみの瞳も、さっき俺の事を篭絡しようとしていた大人な誘惑の瞳も偽りであったとばかりに……とても幼い少女のような瞳で……。
「え? え? え?? ここ……どこ? おとうさんは? おかあさんは? おにいちゃんは? リンちゃんはどこ!?」
…………毎度毎度、この瞬間はきついんだよ。
アンデッドという悲しき存在に、肉体に魂を封じられ眠ったような意識で彷徨う彼らの目を覚まさせてしまう……この残酷な技は。
「……悪い夢は醒めたかいお嬢ちゃん…………お名前と幾つなのか教えて貰えるかな?」
「えっと……わたしはフィジー、八つ……ねえ知らないお兄ちゃん、おとうさんたちはどこか知らない!? お母さんたちは!?」
やがて不安げに大粒の涙を流しながら俺に訴えて来るフィジー……享年8歳。
アンデッドであった、魂を封じられていた間なんて望んでもいない者にとっては悪夢でしかない。
『死期覚醒』で悪夢から目覚めたフィジーという“少女”の記憶、想いが一気に戻って行き……そして彼女にとって今までは恩と思い込んでいた自らが始祖として生れた瞬間の真実が蘇ってしまう。
すなわち始祖に、アンデッドに自分がなった瞬間……自らが死亡した瞬間の記憶が……。
「そ……そうだ…………私は……私たちの一家はあのアイツのせいで……あの男の実験のせいでお父さんも、お母さんも、妹のリンちゃんも…………あ、ああああ、ああああああああああああああああああ!!」
真に憎むべき存在を思い出し、今までそんな存在に忠誠を誓っていた自分に心底絶望して血の涙を流し出すフィジーの哀れな姿に、俺からは溜息しか出ない。
「だから苦手なんだよ…………アンデッドは……」
アンデッドの自分がすでに死んでいる事を思い出させる。
『死期覚醒』を使う時はいつも……まるで死亡宣告をしているようでやりきれない気分になるのだ。
「許せない……許せない!! 父を、母を、妹を邪魔だからと殺害したヤツを!! 始祖の実験の為に私から全ての幸せを奪った外道を!! 私をも外道へと堕としたゾル・ビデム……あの男だけはああああああ!!
血の涙を流し絶叫するフィジー、彼女の慟哭と憎悪は分からなくはない……だが8歳の少女を吸血鬼の実験体にするようなゲスが使役したアンデッドの彼女に対して何の処置もしていないハズはないだろう。
主に逆らえない……それは自らアンデッドになったワケではない証であり、同時に彼女が今のままでは絶対に怨念を晴らせないという絶対の証明になってしまう。
『神水』を口にしていなかったとしても、彼女はアンデッドである限り件の呪術王とやらに何もできないのだ。
俺は憎悪の絶叫を上げ、最早俺なんか見ていない彼女に最後の仕上げをする事にする。
そっと『夢の本』を開いて、せめて彼女が今度こそ悪夢ではなく良い夢を見れるように『夢枕』のページを……。
「忘れちまえ……くだらない悪夢の事なんてよ……」
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