第九十七話 白銀の女神と金毛の獣神

 シャンガリア王国南部に広がる大森林、そこはかつては豊富な緑と様々な命がはぐくまれる美しい自然に溢れた場所だった。

 そして主にその森林を住処にしていたのが様々な種族の獣人たちで、シャンガリア王国はそんな獣人たちから森林の豊富な木材、獲物、特産品などあらゆる取引をしてしっかりとした共存関係を築いていたのだった。

 ……しかしそんな獣人たちに突如として不幸な事態が起こった。

 数十年前の事、どこからともなく森林内部にアンデットが現れだした事によって……。

 当初は死亡した肉体が負の感情と魔力の作用により時折発生する類のものだと思われていたのだが……そんな生易しい事態ではない事に獣人たちは次第に気が付き始めた。

 信じられない事に“大森林の内部で死亡した生物”は魔物も獣人も何もかもがアンデットと化してしまう事が分かったのだった。


 そんな事が偶発的に起こるワケは決してなく、何らかの悪意により大森林をアンデッドの巣窟にした何者かがいるであろう事は誰の目にも明らかであったのだが……その事態に気が付くまでに時間が掛かってしまい、結局獣人たちは住み慣れた大森林を捨てて逃げる事しか出来なかったのである。


 当時の若きシャンガリア先代国王はこの事態に獣人たちを避難民として受け入れ、更に大森林への立ち入りを一切禁じて隔離する事に決定したのだった。

 無論反対意見もあったのだが『屈強で縄張り意識が高い獣人たちが逃げるしか出来なかった事』、『下手に手を出して自国民を新たなアンデットにするワケには行かない』という正論に反対意見を述べていた連中は口を噤んだ。


 結果、その王の判断は限りなく“英断”であった。

 無論避難民たちの受け入れには相応の負担を王国は強いられる事にはなったものの、義理堅く仲間意識の高い獣人たちがその恩を忘れる事は無く……獣人たちはその卓越した身体能力を惜しみなく使って労働力、果ては兵力の増強へと繋がる結果になった。

 ……しかしその判断を良く思わない、獣人を『劣等な種族』と言って憚らない連中も当然存在していて……不幸な事にその連中に真っ先にそそのかされたのが次期国王のカルロスであったのだ。

 先代の崩御と共に王位を継いだカルロスが真っ先に始めたのが『獣人の国内からの追放』と『擁護する王侯貴族の排除』だった。

 苛烈を極める弾圧に獣人を始めとする穏健派の人族も国内を追われる事になり……必然的にアンデットの巣窟になってしまった南の大森林側には行けず……東のアスラル王国へと亡命するしか無かったのだった。



 そしてアスラル王国陥落から数年後……南の隣国ミューストス共和国の北部、丁度アンデットの巣窟と化してしまった大森林の南側に隣接する村“スコルポノック”にある英雄が降り立った事により、混乱に新たな変化がもたらされる事になった。



                 *



 カンカンカンカンカン…………。

 シャンガリア王国南部に位置する大森林、数年前からアンデットの巣窟と化してしまってからは『不死病の森』と恐れられる森の前に広がる草原に、絶え間なく鳴り響くスコルポノックからの警告の鐘……。

 大森林から必死の形相で抜け出した3人の冒険者たちは、鐘の音を耳に町が近い事を実感しつつも負傷と疲労の為に今にも止まりそうな足に焦燥感を禁じえなかった。


「はあ、はあ、はあ……く、くそお! あと少し、あと少しで町まで辿り着くのに!!」

「ここで死ぬワケには行かないのに……犠牲になったあの子たちの為にも、折角手に入れた情報なのに!!」

「お、お前ら! 絶対に足を止めるな、振り返るなあああ!!」


 冒険者は二人の兄妹の虎獣人と人間の男が一人、全員が屈強な体格をしていて一目で歴戦の勇士である事は分かるくらいのパーティーなのだが、森を向けて草原に出ても3人を追うモノたちを前に戦闘行為を選ぶつもりは欠片も無いようだった。


「「「「「「「アアアアアアア!!!」」」」」」

「「「「ガアアアアアアアア!!!!」」」」


 奇声を上げながら、人体の構造を完全に無視した走り方で彼らを追いかけて草原まで姿を現す群れ……それは全く種族の統一性などなくゴブリン、オーク、狼、イノシシ……そして獣人も人間もいるのだが、全てが動き彷徨う腐乱した死体……ゾンビであった。

 しかもその歩みはゾンビであっても決して遅くはなく、むしろ狼などの動物型は生き物である冒険者たちよりも遥かに速い。


「ガアアアアアアア!!」

「く、しつけええええ!!」


 追い付いて来た狼のゾンビを手にした剣で虎獣人の男が一刀両断にする。

 しかし無論元々死体であるゾンビがその程度で止まるはずもなく……両断したと思われた狼の首がそのまま男の足に噛みついて来た。


「グワ!? く、おのれえええええ!!」

「お、お兄ちゃん!!」

「ア、アニキ!!」

 

 足をやられて転倒してしまった兄に妹と弟分の悲痛な声が響く。

 だが兄は食いついていた狼の頭を蹴り飛ばすとその場に立ち上がって叫んだ。


「止まんじゃねえ! てめえらはこの情報を何が何でもあの方に持ち帰んなきゃならねえんだからよ!! あの情報を伝え大森林の道筋を作る……それは俺たちシャンガリアの獣人族の悲願なんだからな!!」


 立ち上がり剣を構える男の叫びに二人は瞬時に理解した。

 彼の足は今の負傷で最早まともには動かなくなった事、そして自分達を逃がすために時間を稼ごうと死を覚悟した事を……。


「何を言ってるのよお兄ちゃん!! 一緒に逃げるのよおおお!!」

「バカ野郎! 仕事を完遂するのがプロってもんだろうが!! ゲイル! 妹を連れていけ! パーティリーダーからの最後の命令だ!!」

「あ……兄貴…………」

「走れええええ! 後の事は頼むぞ!! シャンガリアの事も、妹の事もな!!」


 泣き叫ぶ妹虎獣人を前に躊躇していた男ゲイルだったが、パーティリーダーであり兄貴分であり……義兄になる予定だった男の覚悟を決めた言葉に歯を食いしばって妹虎獣人の手を強引に引っ張った。


「……行くぞ」

「いや! 待ってゲイル!! お兄ちゃんが! お兄ちゃんが!!」

「兄貴の気持ちを無駄にすんじゃねえ!! 俺達が生き延びなければ一体誰が情報を持って帰れるって言うんだ!!」


 男の言葉に反論しかけた妹だったが……男が食いしばった口からまるで涙の代わりのように血が滴っているのを見て……ぐっと口を噤んだ。

 彼も自分同様に助けに行きたい、納得などしていないのに無理やり自分を抑え込んで仕事を完遂しようとしているのを目の当たりにして……。


「う、ううううう……く!!」


 そして意を決して再び走り出す。

 任務の為に、生存の為に兄を見捨てなければいけないという残酷な運命を呪いながら。

 そんな妹の後ろ姿を見た兄は絶望的な状況だと言うのに安堵の表情を浮かべる。


「やれやれ……泣き虫なのは相変わらず困った妹だが……ゲイルのヤツ、言うようになったもんだ。あれなら認めてやっても大丈夫そうだな……」



 そしてそれから男の一人舞台が始まった。

 切っても切っても森から湧き出して来るアンデットを前に一歩も引かず、しかしそれでも死体ゆえに体力の限界の無いアンデットを前に次第に剣を持つ握力も無くなって行き…………何体目かの武器を持った、元は冒険者であっただろうアンデットの攻撃を受けて剣がへし折れた時、膝から崩れ落ちてしまった。

 もう……立ち上がる力すら残っていなかった。

 男が抵抗をしなくなるとアンデットたちはゆっくりと、ぞろぞろと男を囲み始める。


「あああ…………」

「うえあああああああ…………」


 それぞれが思い思いにどこを見ているかも分からないのに、その姿はまるで獲物を捕らえた事を喜んでいるかのようにも見える。


「チッ、せめて生き物の糧になるんなら獣人の最後として申し分なかったんだがな……」


 男は柄だけになった剣を放り捨てると座り込んで呟いた。


「……ま、妹の晴れ姿を見れなかったのは心残りだが……代わりに守ってくれる男は一緒に逃がせたし、上出来かな? 俺としては……」

「「「「「「アアアアアアア!!!」」」」」」


 男の呟きに聞こえてくるのは人ならざる自然の理に反した化け物の奇声のみ……。

 しかし男はそれでも静かに呟いた……。


「幸せにな…………」


 その言葉を最後に男は取り囲んだ統一性のない様々な種族のアンデッドどもに一斉に飛び掛かられて…………。





『稲荷神壱ノ儀、狐火の舞!!』





 死を覚悟した獣人の耳に突如聞こえた凛とした神々しい声……。

 その瞬間、あれ程自分たちを追い詰め取り囲んでいたアンデットの群れは全て白く輝く炎に包まれた。


「「「「「オ、オ、オ、オオオオオオオ!!?」」」」」


 そして感情など一切無いはずのアンデッドたちが、まるで喜びの声を上げるかのように白い炎の中に消えて行く。

 命を諦め覚悟を決めていた男は突然すぎる状況について行けず、呆気に取られてしまう。

 しかしアンデットたちが消滅した野原に降り立った金色の獣、そして獣を従える女性を目にした瞬間、ようやく事態を飲み込む事が出来た。


「お、おお……おおおおお!! あ、アンタは……貴女様は!!」

「妹と弟分の盾になって送り出す兄貴……その心意義は立派だし嫌いじゃないけどさ~」


 降り立った女性は見た目は十代後半。

“白銀の髪を棚引かせた白と赤の異国風の衣装”を身にまとった美しい姿。

 2~3メートルはある美しき金色の獣の頭を優雅に、優しく撫でるその姿は神々しくも勇ましく、冒険者たちにとっては女神であり英雄。

 そんな女性がいたずらっぽく、『ギャルっぽい』笑顔で虎獣人の男に語り掛けた。


「どうせならバージンロードもしっかり見届けてあげようよ。それとも妹を取られちゃうのを見るのはシャクだったりする?」

「あ、ああ姉御……カグラの姉御!!」


 感激と感謝、尊敬を込めた獣人の言葉に姉御……日本人神楽百恵は複雑な顔をしたまま守護神『コノハ』の顎の下をモフモフしながら呟いた。


「姉御は止めてって言ってんでしょうに……どう考えても年下よ? 私……」

『でもモモちゃんには似合ってると思うのです! カッコイイのです!!』

「止めてよ……もう」


 髪の色をコノハの神通力を借りて『白銀』にして『巫女服』に身を包んだ神楽百恵は盛大に溜息を吐いた。

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