閑話 衣食足りず、礼節を……
「な、何なのだこの状況は……」
「し、城が!? シャンガリア城が無くなって!?」
国王カルロスが急報を受けて愛人宅より側近たちと城に戻った時、目にしたのは文字通りの地獄絵図だった。
王としての自分が住まうに相応しい、王国の繁栄を象徴する栄華の証と信じて疑わなかった豪華絢爛な城……それがあった場所は今や赤黒い灼熱の溶岩しかなく、その周辺ではのたうち回りながら全身を炎に包まれた連中が阿鼻叫喚している。
しかもその炎は燃え尽きる事無くその者たちを焼き続け、苦しみの叫びと共に贖罪の言葉を口にしている……。
「アアァアァア!! すまなかったアアアアア!! ブアライアアアアアン」
それはさながら地獄に堕とされた罪人が許しを請う姿にしか見えず、無神論者であるカルロスにも言い知れぬ恐怖が全身を包み込む。
ましてや謝罪の言葉を口にする男にカルロスも覚えがあったから尚更……。
「お、おい! アレは先日侯爵家の当主に任命した…………う!?」
その瞬間カルロスは確かに見た…………男を包む炎が3人の人型になったのを。
そして、その目が一瞬確かにカルロスの事を睨みつけたのを……。
カルロスは知っていた……知っていた上で王として無かった事にした。
目の前の男が自分を支持するという対価を示した事で第一継承者であった兄一家を惨殺した事を。
しかも妻と娘を人質に自害を要求して置いて、既に人質は先に殺害しているという卑劣極まりない行いを知った上で……。
明らかに自分にも怨嗟の感情を向ける3つの炎に、この場が灼熱であるにも関わらず冷や汗が流れ落ちる。
そんな異様な光景が広がる中、ただ一人呆然と座り込む人物が自分にとって最大の理解者であり右腕でもある魔術師長ドワルゴンである事に気が付くと、カルロスは少しだけ安堵の表情を見せ近寄る。
本当にどうしようもない事だが部下を、民を、国を道具としか見ていない国王と、人を実験体としか思っていなかったドワルゴンは不思議なくらい馬が合ってしまい……国王の後ろ盾のせいでドワルゴンの非人道実験は加速していたのだった。
「な、何なのだあの炎は!? ドワルゴン、まさか何やら力のある何者かを呼び出したのか!?」
しかし声を上げて詰め寄るが、ドワルゴンは虚空を見つめたままカルロスの方を見ようともせずに呟いた。
「神罰です……我らの罪深き行いに神罰が下ったのです……」
その顔はどこか遠くを見ているような、救いを求めているようなもので、神すら恐れず利用しようとするカルロスの良く知った魔導士長の顔では無かった。
人を人とも思わず自らをも実験体と考えるマッドサイエンティスト……そんな男の豹変ぶりが何よりもカルロスに底知れぬ恐怖を与える。
「一体……何が起こっていると言うのだ?」
一夜にして己の日常が激烈に変わってしまった事にカルロスはそう呟くしかなかった。
……そんな混乱の中であらゆる事が見逃されていた。
溶解した溶岩に埋もれてしまった魔法陣の心配はされていたが、大事の陰に隠れて地下牢から何者かが逃亡した事など城の誰もが考える余裕もなく……むしろ碌な調べも無く死亡扱いになったのだ。
*
混乱に乗じて逃げ出した男……その者は約『半年前』にこの世界に召喚された異世界の人間で、召喚当初は“初めての召喚者”として国を挙げて勇者として過剰なまでの歓迎を受けたのだった。
男は召喚される前、非常に不愉快な出来事が起こっていて相当機嫌が悪かったのだが、異世界召喚からの勇者扱いにスッカリ気を良くして国の接待を享受していた。
「そうだったんだ、俺がいるべきなのはこっちの世界だったんだ! 俺がボッチになるあっちの世界がむしろ悪夢だったって事だよなあ!!」
・
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しかし王国の用意する金や女、更に名声に溺れていられたのも3日間の事だった。
滞在中に召喚者の実力を魔法にてスキャンし終えた王国側は、武力や魔力、知識に至るまで利用価値無しと判断した途端、男を地下牢に叩き込んだのだった。
「おおい待てよ!! 俺は勇者なんだろ!? 何なんだよこの扱いはよおお!?」
「うるせ~な~。剣も魔法も使えない雑魚に用はねーんだよ!! 何が勇者様だ、クソッタレめ!!」
男は格子を掴んで外に向かって叫ぶけど、その声は地下牢内に虚しく響くだけ。
即戦力の欲しい王国は将来性は最初から見ておらず、現在の能力が使えるかどうかしか考えていなかったのだから、戦力にならない現代日本人の扱いはこうなるのが必然。
……この日から男にとって本当に悪夢が始まったのだった。
地下牢内部は当然ながら石畳、寝床すら硬く冷たい石で出来ていて蓋もしていないトイレは悪臭を常に放っている。
そして頑丈な鉄格子には鍵穴は無く、魔力によって開閉される所謂魔道具の類で、脱出を考える事もほぼ不可能な状態。
食事は硬い黒パンにしょっぱいだけのスープが一皿、それすら出ない日もあるくらい。
無論最初のうちは味のしない石ころのようなパンのマズさに悪態をついていたのに、数日で文句を言う気力も無くなり、一週間もたたずに男は元の生活がいかに恵まれていたのかを心底思い知っていた。
自分の想い通りにならない……日本ではただそれだけの事で苛立っていた事がどうでも良くなってくる。
3食しっかり食えて学校に行ける……そんな贅沢をしていて、その上更で何を不満に思う事があったのか……と。
そう言えば気に入らないと言って彼女が作って来た弁当を投げ捨てた事もあった……。
インスタ映えを狙って大量に店で『うける~』とか言って食い物を残した事も……。
面倒臭い、そんな理由で母が作ってくれた夕食を拒否した事さえ……。
満足に食えない自由の無い生活……そこに至って思うのは過去粗末にしたあらゆるモノの記憶ばかりで……今となってはその時食い物を粗末にした自分をぶん殴りたい気分であった。
「腹……減った……なぁ…………」
全ての気力を失い壁に寄りかかりながら漏れた言葉……男はそれに特別返事を期待していたワケでは無かった。
現に見張りの兵士など男が収容されてから一度も話どころか返事すらしない状態であったのだし。
しかし数週間たったある日、その声に答える小さな声が隣の牢獄から聞こえて来た。
「……ねえ、お隣の人……良かったら私の分いる?」
「…………え?」
それは隣の牢獄で姿も見えない声だけの存在、男は最初のうちは何を言われたのか分からなかった……と言うか信じられなかった。
この劣悪な環境下で自らの食糧をくれるとか……自分と同じ牢獄に入っているようなのに、そんな事をする意味があるのだろうか、と。
しかしそんな疑いも空腹には勝てず、男は隣の牢屋に話しかけた。
「く、くれんのか!? ほ、本当に!?」
最早恥も外聞もプライドすら空腹に負けた男が声を掛けると、隣を覗き込んで唯一見えた小さな手が硬い黒パンを渡してきた。
「うん……実は私の種族は余り食糧を必要としないの。普段は大地や森から生命を得て、それを魔力にするから人間とは違って少しの食糧と水で済むから……」
「ほ……本当に良いのか貰っても!? 返せってたって返さねーぞ!?」
「どうぞ~、人間には必要な物なんでしょ?」
声色は幼く、それこそ年下の少女を彷彿させるが、男は礼も言わずに硬いパンにかぶり付いていた。
その味は初めて牢獄で初めて食べた時と何ら変わってはいないはずなのに、この世で最も美味いと思ってしまう男であった。
それから男は隣の牢獄の少女(?)と話すようになった。
内容は互いの身の上話を中心にした他愛の無いものであったけど、暇と空腹を紛らわすには都合が良かった。
男が自分が異世界から召喚されたと言うと少女(?)は大層驚いた様子だったけど、男はむしろ少女の身の上話の方が驚いた。
彼女は隣国との戦争で捕虜として捕らえられたのだとか……。
戦争自体に馴染みが薄い日本人として少女の話は実感が湧かず、更に彼女の身分を聞いて男は『嘘くさい』という感想を持ってしまった。
「王族だあ? お前が敗れた隣国の??」
「そうよ~折角お父様が命がけで逃がしてくれたのに……捕まっちゃったの」
「そんな重要人物、こんな地下牢に入れとくもんか? さすがに盛りすぎじゃね?」
「どうかな~~この国は上から下まで腐りきってるみたいだからね~。捕虜の扱いとか常識すら分かってないんじゃないの?」
「そりゃそうだ……勝手に召喚された俺もこんなだしな……」
「あはは、お兄さんが勇者ってのも無理ありすぎでしょ~」
そんな風に軽い口調で少女が話すのも手伝って、男はその話自体は真面目には受け取っていなかったが、時折食糧を分けてくれるお隣さんの話に付き合うくらいは……そんな風に考えていた。
しかし同時に……こんな風に他人と普通に話をするのが何時ぶりなのか……そんな事も思ってしまう。
友人でも彼女でも誰に対してでも……見栄を張って見下して虚勢を張る、そんな事しか言わなくなったのは一体何時からなのか……。
・
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そして、その時は突然訪れたのだった。
「あっつ!? な、何だ一体!?」
いつものように石壁に背中を預けていた男だったが、突然何の前触れもなく地下全体の温度が急激に上昇し、石壁も熱したフライパンの如く熱くなって飛び起きる羽目になった。
「ギ!? ギャアアアアア!!」
「な、ひい!?」
しかしその程度は序の口とばかりに格子向こうで見張りをしていた兵士が、突然全身から炎を上げて苦悶の叫び声を上げ始めたのだった。
「な、何が起こって……アチ! アツツツ!?」
そして目の前の得体のしれない光景に男が慄いていると、突如として自分の右手が炎を上げて始めている事に気が付いた。
反射的に男は慌ててそこかしこに右手を払い、叩きつけて炎を消そうとするものの、引火した火は一向に消える様子もなく右手を燃やし続ける。
しかし奇妙な事に炎はそれ以上は燃え広がることなく、それでいて燃え尽きる事もなく……焼かれ続ける苦痛を与え続けて燃え続けている。
訳の分からない炎、終わりのない苦痛に男は声を上げた。
「く、くそおおお!! な、何なんだこの炎は!? 全然消えねーし!!」
「大丈夫ですか!? まさかお兄さんにもこの炎が?」
隣から聞こえたその声は自分とは違って余裕が感じられる。
そう思った男は脂汗を掻きながら声を張り上げる。
「お、おい! ひょっとしてお前には火が付いてないのか!?」
「え!? は、はい、この炎は人を選別しているようです。しかも相当な魔力によって……ある種の指向性を持たされた魔力攻撃の類ですよ」
「ま、魔力攻撃だとお!?」
「おそらくですが……この炎は憎悪に反応してます。恨んでいる者が多ければ多いほど、焼かれる炎は増していくのでしょう。先ほどから燃えているあの方の炎からは復讐の情念が痛いほど伝わってきますから」
「ふ……くしゅうの情念…………ひ!?」
そう言われて燃え続ける右手を男が見つめてみると……一瞬陽炎のようにチラリと映ったのは覚えのある“女性の顔”のように見えて……男は息が止まる。
だが男がその女性の顔が誰だったのか思い出すよりも先に、突如魔法式の鍵で生身で開場する事は絶対に不可能と思われていた鉄格子が“ビキリ”と音を立てると……そのまま砕け散ってしまった。
「な……魔道具の牢屋が……何だ一体!?」
「キャパオーバーですよ。あまりの魔力の奔流に魔道具の核が耐え切れずに自壊してしまったんですよ」
お隣さんは冷静に分析してくれているが、男にもこの状況はチャンスである事は理解できていた。
何しろ行動を封じていた牢屋が壊れ、見張りの兵士も未だに火だるま……自分の手が未だに燃えているというハンデはあるものの、こんな世界の違う自分たちの常識が通用しない世界においてこれ程の状況が巡って来るとは到底思えなかった。
『今しか無い!!』男は瞬間的に脱走の覚悟を決めていた。
「お、おい隣の! 千載一遇のチャンスってヤツだ!! 早く逃げようぜ!!」
顔も知らないけど半年の間同じ時間を共有してきた存在……当然同調して来ると男は思っていたのだが…………しかし返って来た言葉は予想外なモノだった。
「いや……確かにチャンスだけど……私はお兄さんとは行けないな……」
「……は?」
男はその言葉の意味が分からなかった。
この半年、くだらない話から身の上話から色々として来たけど自暴自棄な言葉は聞いた事は無かったのに……このチャンスに何故逃げないと言うのか?
男はワケが分からず砕け散った牢屋から飛び出して、隣の牢屋の前に立ち……半年の間声だけのやり取りをしていたお隣さんを始めて目にして……絶句した。
そして同時に理解する……何故一緒に行けないと少女が口にしたのかを……。
その者は声が示していた通りの13~4歳の少女だった。
彼女が語っていた自然の魔力がここでは乏しいせいか、体は全体的にやせ細っていたものの、顔立ちは整っていて今は褪せてしまっているけど髪は金色。
そして特徴的な長い耳は『エルフ』と呼ばれる種族である事は、日本人の男にも理解できていた。
しかし……。
「逃げるならさっさと行った方が良いよ……。私はこの通り……動く事が出来ないから」
その少女のエルフには……足が無かった。
それも何者かに切断されてのものである事は、ド素人の日本人である男にだって一目で理解できてしまう。
戦争による捕虜が逃げないようする為の処置……男はその残酷すぎる現実を前に、目を見開き歯を食いしばっていた。
下の下を見せつけられる……。
自分よりも更なるゲスな行いを見せられる……。
自分の日常では絶対にありえなかった光景に、男は初めて心の底から這いあがるような気分の悪さを感じていた。
「さあ……すぐにでもここを出ないと機会を失うかも。私のような足でまといは放って行かないと逃げられなくなるよお兄さん!」
そして男にとっては運命を悟ったかのように“自分の行動”を決めてかかる目の前のエルフの少女も……気分が悪かった。
以前の自分なら……素通りしたはずなのに。
本人の言葉の通りに、自分だけが助かるように……相手の希望する通りに放って行っていただろうに……。
「もしもお願いできるなら……私の事をお兄様に伝えて…………」
「……うるせえ」
「……え?」
そして色々な感情の葛藤を繰り返した結果、男の口から絞り出された言葉は……明確な拒絶であった。
そんな男の言葉に少女が驚いていると、男はエルフ少女の体を断りもなしに抱き上げて……そのまま熱せられて融解し始めている石の階段を駆け上がり始めた。
自分自身の体力だって心もとないのに……それでも絶対に連れて行くという固い決意で。
「ちょ! ちょっと何してんの!? 私なんか抱えていたら……」
「やかましい! お前は俺の正妻か何かのつもりか!! 女が俺に指図してんじゃねえ!!」
少女の抗議に聞きようによっては女性を下に見ているかのような言葉で返す男だったが、その言葉は“以前とは”全く違った意味合いを持っているなど……当の本人すらも気が付いていなかった。
そして……その時には既に右手の炎など、跡形も無く消えている事にすら…………。
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