第八十九話 本当の地獄の始まり
魔術師長ドワルゴン、彼は物心がついた時から全てを魔導に捧げて来た男だ。
……それだけの字面なら良いようにも聞こえるが、残念ながら“全てを捧げる”を言い換えると“あらゆるモノを犠牲にして来た”という事になる。
知識欲のため、探求心を満たすためであれば人体実験すら厭わず、魔術の為に生贄が必要だとなれば若い娘であろうと子供であろうと容赦なく犠牲にした。
更に魔術書に『肉親の血肉』が必要であるとあれば、善良で誰からも慕われていた両親、長年自分を可愛がってくれた兄ですら平気で手にかけ、自分に“愛情”を向ける唯一の女性であっても表情も変えずに犠牲にする……彼はそんな真正の外道なマッドサイエンティストであった。
そして……そんなドワルゴンの性質は自分に最悪な滅びが差し迫っているその時ですら変わる事が無かった。
自分では絶対に辿り着けない膨大な魔力を有する存在……その者の逆鱗に触れ、今まで知らなかった、感じる事のなかった圧倒的な魔力による激痛を与えられても……彼の中には歓喜しかなかった。
『もっと見たい、絶大な魔力の深淵を!! 国を焼き尽くす程の暴虐を!! 世界を蹂躙する破壊の炎を!!』
彼にとっては最早、目の前の女性が神であろうと魔王であろうとどうでも良かった。
自分に強大で未知なる魔導の世界を見せてくれる存在であれば、終わりのない苦しみを与えられようと本望でしかない。
しかし……彼が望むような結果がもたらされる事は無かった。
「あ~なるほど……5億年ボタンのパクリ……いやアレンジかな?」
「ナニ……ブベ!?」
心底嫌そうな顔になった『魔王』が隣の男に何やら囁いた後、男がどこからともなく本を取り出したと思うと、そのままドワルゴンは頭を叩かれた。
それだけで……彼の意識は突然フェードアウトして行く。
この時魔術師長ドワルゴンは、まだ気が付いていなかった。
自分では到底到達できない圧倒的な魔力を誇る『魔王』の隣にいた、取るに足らない『魔王の弱点』と錯覚した男が……一番容赦なく恐ろしい存在だったという事を……。
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「あ……む? ここは……」
ドワルゴンが気が付いたそこは……何も無い空間だった。
継ぎ目のない石造りの大広間……そう言うのが一番分かりやすいのだが、天井も壁も見えないだだっ広い空間に灯は一つも見えない。
本当に何もない空間が目の前に広がっていた。
「な、何なのだここは? 魔王はどこに行ったのだ? 溶解してしまった城は!? 燃え尽きぬ炎で焼かれる連中は!?」
気が付いてみるといつの間にか自分を焼き続けていた炎も消えている。
まるで最初から何も起こっていなかったかのように……。
「魔力結界の空間転移か何かか? 何か移送される魔力は感知しておらんかったが……」
ドワルゴンは魔導士らしく魔術に関連した推測を考えてみるものの、ここにいるのは自分一人だけであり、その真偽を答えてくれる者も考察してくれる者もいなかった。
そんな彼が辺りを見渡してみると……目の前に一つのボタンが置かれているのに気が付く。それはダンジョンなどで扉を開く際にワナとして押させる類のボタンにしか見えない赤いボタンで、ボタンの前には文字が彫られていた。
『元の世界に戻れるボタン。
ただし押した場合、全ての記憶は幼児並に戻る。
それでも良いなら押すが良い……』
その文面をドワルゴンは一笑に付した。
「何だこの稚拙な策略は? なるほど、ここは結界の一種か何か……このような空間に閉じ込めて精神的に屈した時にワシを隷属させ、ワシの頭脳を奪うつもりなのだな……バカめ、このワシを誰だと思っておるのか……」
魔法による精神支配、ドワルゴンは自分の魔導研究の一環としてその手の方法や対策についても覚えがあり、分かるからこそ自分が絶対に屈する事が無い自信があった。
魔導に全てを捧げた人生……その経験が『魔法の精神支配』から速攻で脱出できるという事を、この時はまだ欠片も疑っていなかった。
一日経過……
ドワルゴンは数年、いや数十年ぶりに小さな焦りを覚えていた。
性格に多大な問題があっても、彼は間違いなくシャンガリア王国で最高の魔導士で魔法の分野ではそれなりの自信を持っていた。
その自信の源である魔法が、一切発動しないのだ。
初級魔法が発動しないとかの問題じゃなく、魔力自体が集まってこない。
まるで最初からこの世にそんな物は存在しないとでも言われているかのように……。
「ば、バカな!? 喩え結界による精神世界だとしても魔力は精神エネルギーだから発動するはずなのに……なぜ!?」
魔法が使えなくなる理由は幾つか推測できる。それこそ魔法で魔法を封じられる方法や、人体の魔力が枯渇している場合なども挙げられる。
しかしドワルゴンは魔術師として優秀であったがゆえに……発動しようとした時に無理やり押さえつけられた感触も無ければ、枯渇による魔力切れ独特な疲労感も感じない事に速攻で気が付いてしまう。
そして気が付いてしまうがゆえに……恐ろしい結論が導き出された。
「まさか……ここは魔力結界の精神世界じゃない? ただ……魔力が無い世界なのか?」
一週間経過……
ドワルゴンは次第に恐怖を覚え始めていた。
恐怖を感じる……こんな事は実に何十年ぶりなのか分からないのだが、魔王の時とは違い全く歓喜など湧き起こらない。
何故なら一週間も経っているのに、空腹も喉の渇きも生理現象も、そして眠気すら感じないのだ。
研究の時間を取る為に、食事時間も睡眠も煩わしいとさえ思っていた彼なので、最初のうちは少し便利とさえ思っていたのに……ここには研究する為の設備も無ければ筆記用具一つ存在しない……そして何よりも魔法など一切使えないのだ。
ドワルゴンは退屈であった。
退屈であるのに、今自分が何も出来ない、そして“何もされない”という事に恐怖を覚えて来たのだ。
何とか頭の中で今までの自分の研究成果を合わせて考察を繰り返し、退屈を紛らわそうとし始めるドワルゴンであったが……実践の出来ない考察など、まさに机上の空論でしかなく……虚しさを覚えた時、視界に入ったのは……赤いボタンであった。
「ふ……ふん……元の世界に戻れると注釈があるなら、この空間も無制限ではないはず……このワシがそう簡単に屈すると思うなよ……」
1年後……
ドワルゴンはこの空間から脱出する為のあらゆる方法を考え、そして試してみた。
しかしどんなに考え試してみても魔法が使える事は無かったし、無駄と分かりつつも空間を四六時中走り続けてみても……何も変化は無かった。
“恐ろしい事”にどんなに全力疾走してみても、息は上がらないし疲労も感じない……食欲や睡眠欲と同じで全く『変化』が無いのだ。
その事への激しい虚無感に襲われ、彼は段々と自分の置かれている状況を受け入れざるを得なくなってきていた。
ここはただ変化の存在しない『退屈な場所』である事を……。
初めのうちは冷静になろうとしたが、次第に何故自分がこのような目に遭わなくてはいけないのかと怒り……ありとあらゆる罵詈雑言を垂れ流すが、その声は虚しく虚空に消えるのみ。
そして虚ろな目で足元を見ると……やはりそこには変わらずに赤いボタンが置かれていて……ドワルゴンは狂ったように笑う。
「グ、グハハハハ!! バカにしおってええええ!! 誰がこんな物押すモノかよ!! ワシの頭脳は魔導研究の最高傑作だぞ!! まさに世界の叡智でありワシだけの物!! 作り上げるのも消し去るのも許されるのはワシだけだああああ!!」
そしてドワルゴンは自害をしようとあらゆる手を尽くした。
舌をかみ切る、床に頭を強打する、首を絞めるなどなど思いつく限りの方法を……。
しかしどんな自傷行為をしようとも、彼は死ぬどころか傷一つ負うことなく……それどころか痛みの一つも感じる事は無かった。
相変わらず、何の変化もない退屈を味わっただけだったのだった。
「うぐ、うぐああああああああああ!!!?」
5年後……
変化のないこの空間では無限に退屈しかないと言うのに正気を失う事も出来ず、ただただ時間が流れて行くだけだった。
この頃になってくると……彼は最早何もしようとは思っていなかった。
魔法という自分の全てを捧げた研究対象について考えなかった事なんて今まで一度もなかったのに、実践できない事を考える事に意味は無いと考えなくなってきていたのだ。
そして魔法について考えなくなってきた代わりに、違う事を考え始めていた。
「なぜワシは……魔法に傾倒していたのだろうか?」
今まで魔導に捧げて来た人生で、そんな事を考えた事は一度も無かったのに……そんな事を考え始めていたのだ。
果てしなく退屈であったから……。
続けて来た理由なら分かる……面白くて仕方がなかったからだ。
知らなかった知識が得られる事が、使えなかった魔法が可能になる事が、楽しくて仕方がなかったから……そのためなら時間でも金でも、人の命ですら惜しくはなかった。
しかし……初めて魔導に出会った理由となると……思い出す事が出来ない。
まるで思い出してはいけない事かのように…………自他共に人格の壊れたマッドサイエンティストであると認める自分が、過去を振り返るのを拒否しようとしている事が驚きでもあった。
結局自分も長時間の孤独と退屈に耐える事の出来ない人間であった事を再確認して……。
10年後……
最早自由にできるのは自分の記憶の中だけと諦めたドワルゴンは、これまで自分の出会ってきた人間の顔を思い出していた。
自分の歩んだ人生を遡るように…………退屈であったから。
この何もない場所に来る前が一番最近の記憶だとするなら、浮かぶ顔のほとんどの他人は大体が怯え、怒り、悲しみに満ちた死に顔ばかり……ほとんど自分が実験の為に手を下した者たちなのだから当然だが……。
そこから更に過去へと遡ってみても、人数が減るだけで自分の見ていた顔は全て死に顔しか無かった。
自分が覚えている顔はすべて実験体として死んだ者たちばかり……その事実に10年前であれば笑う事が出来たはずなのに……たった10年孤独に過ごしただけで、何故か笑えなくなっていた。
「孤独には慣れていたはず……他人など実験体か、研究の邪魔をする愚者のどちらかしかいない……そのはずだったのに……」
段々と……ドワルゴンは退屈の日々の中、別の感情もある事に気付かされる。
誰かと話したい……と。
それが初めて感じる“寂しい”という気持ちなのだという事を……。
52年後……
自分の人生に関わった人間を思い出す……その作業は“自分の歩んだ人生と同じ時間”が掛かってしまった。
そしてドワルゴンは思い出した…………思い出してしまった。
魔導に初めて出会った切っ掛けを……。
幼少のあの日……彼は初めて魔法を使った…………。
道端で怪我をして虫の息であった浮浪児に…………回復魔法を……。
「!? う、嘘じゃろ!? ワシが初めて使った魔法が回復魔法!? そ、そんなはずは無い!! ワシは……」
否定しようにも、その記憶は自分の物……この空間に否定してくれる他人もいない。
まさしく知っているのは自分だけなのだ……。
自分は生まれながらのサイコパスでマッドサイエンティストである……そう自負していた事がその記憶を思い出してしまった事で崩れて行く。
最初の魔法……回復魔法は失敗した。
いや、と言うよりもその浮浪児は既に手遅れだったのだ。
しかし……幼少のドワルゴンはその事が許せなかった……認められなかった……。
だからこそ魔導の世界に傾倒した……。
魔術の深淵を覗こうとした……。
自分が苦しんでいる人を助けられるように……もう二度とあの悔しい想いをせずに済むように……。
「あ、あああ、アアアアアアア!? アガアアアアアアアアアア!!!」
そして遂にドワルゴンは完全に思い出してしまい……絶叫と共に頭を抱えた。
それは魔術と言う名の悪酒が覚めたかのように……“サイコ”や“マッド”といった後付けのものが取り払われてしまったかのように……。
彼はとうとう思い出してしまったのだ。
幼少期に捨て去ったはずの感情…………罪悪感を…………。
その瞬間、一気にのしかかって来たのは自分の犯した大罪の数々……。
実験と称して女性でも子供でも容赦なく手にかけ、探求の為なら両親や兄ですらも迷わず犠牲にし……あろう事かそんな最低なゲスでも愛してくれた女性すら……。
それに気が付いてしまった彼は頭を抱えて叫び、のたうち回る。
「何を!? ワシはこんなくだらない
ドワルゴンは自らの罪を自覚してしまった瞬間、これまでこの世で最も崇高であり自分だけの重要な物と思っていた『魔導の知識』が、この世で最も忌むべき早々に消し去るべきゴミくずにしか思えなくなってしまった。
こんな
「こ、これを押せば記憶が幼児並に戻ると言うなら!!」
52年の間、どんなに退屈に苦しんでいても押す事をためらっていた赤いボタン……それを彼は迷うことなく押した。
すべての記憶と引き換えに元の世界に戻る事で、この耐え難い罪悪感から逃れる事が出来る……そう思い込んで……。
*
「……52年か、意外と短かったわね」
「短いのか? 俺にはあり得ない長期間だと思うけど……」
「……は?」
ドワルゴンが目を覚ました場所、そこは灼熱の熱風が吹き荒れ、溶解された城の跡と火だるまになった部下たちが叫び声を上げてのたうち回る地獄絵図。
彼が何もない退屈な空間に強制的に送られる前の場所だった。
そこは確かに元の世界で52年の孤独の中、帰還する事を焦がれ続けていた場所。
しかしそんな場所に戻れたと言うのにドワルゴンの心中に喜びの感情は一切湧いてこなかった。
帰還の為の条件……それにまさかウソが一つあるとは思ってもみなかったから……。
「な、何故じゃ!? 何故ワシは覚えている!? 万を超える人々の犠牲に上に成り立つゴミくずのような魔導の知識を!?」
自覚してしまった罪悪感に押しつぶされそうになった彼は、その自責の念に堪えられず、逃れる為にボタンを押したのに。
あれほど固執していたはずの魔導の知識をかなぐり捨ててでも楽になろうとしたのに……彼の記憶は最初から何も変わらず帰還していたのだ。
ただし植え付けられた『罪悪感』も当然一緒に……。
「き、貴様なんじゃろ!? あの空間にワシを送ったのは! 何故ワシの知識が、記憶がそのまま残っておるのだ!? ワシは万を超える罪を犯しておる大罪人だぞ! そのような外道の記憶を何故消し去ってくれんのだ!? あのような魔術がつかえる貴様なら簡単な事であろう!?」
その事実に吐き気を催すほどの絶望を覚えたドワルゴンに、誰からも畏怖され恐れられたマッドサイエンティストとしての姿など何処にもなく、『魔王』の隣に立つ男に向かって泣き叫んだ。
しかしそんなドワルゴンに男は……夢次は冷めた目で言う。
「よく勘違いするヤツがいるけどな……本当の地獄ってのは“罪を自覚した瞬間”から始まるらしいぞ? 忘れて楽になるとか……許されるとか思ってんのか?」
「は……は?」
「お前が今まで犠牲にして来た人々への罪の意識……そいつを背負いながら生きるのは最高に地獄だろうな~。同情はしねーけど……」
その言葉にドワルゴンは全身が震えだす。
恐怖ではない、痛みでもない、どうする事も出来ない『後悔』に……。
そして彼は未だに部下たちが“焼かれ続けている”のに自分の体に恨みを糧に燃え続けるはずの炎が無い事に“焦り”始める。
「ワシが許されないと言うなら……何故ワシの体の炎が消えておるのだ!? ワシは部下たちよりも遥かに罪を犯しておる!! 憎しみを抱く者は大勢……」
しかしその言葉に天音は笑う……とても冷酷な笑顔で。
「あ~あの人たちなら天に召されたみたいね。貴方が自分の罪を自覚した時点で……来世では幸せになってほしいもんだわ……。生きている人たちの恨みも一緒に持って行ってくれたみたいだし、これから貴方に仇を討とうとかする人もいなくなるんじゃない? 良かったね~」
「な……なんだと……」
現世の恨みの念で燃え続ける炎が自分を焼く事が無くなった。
普通なら喜ばしい事に聞こえるのに、ドワルゴンにとってそれは更なる絶望でしか無かった。
「では……誰がこの罪人を、ワシの罪を裁いてくれると言うのだ!? この生きる価値もない罪人を憎悪と共に苦しめ殺し、断罪してくれると!?」
大罪を自覚してしまった彼にとってそれは更なる地獄の始まりに他ならない。
自分の罪を憎悪と共に裁いてくれる……罰して仇を討ち、少しでも罪悪感を軽くしてくれる者が……もう自分を罰してくれる事は無いのだから。
「ああ、それと成仏していった人たちから伝言があったよ」
「おおそうだ、言い忘れていた」
そして魔術師長ドワルゴンは自分の呼び出してしまった存在、手を出してはいけなかった恐ろしいモノが二つ……楽し気に言うのを聞いてしまった。
最悪の……断罪の言葉を……。
「「死に逃げる事は、絶対に許さない」」
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