第八十三話 終結する女神のナイトコース

 それから俺たちはホテル内に常設されている貸し衣裳部屋へと案内された。

 部屋には衣装のほかにも色々な名称の良く分からない撮影機材もあるけど、多分結婚式とか色々なイベントの為の物なんだろうな。

 そして見慣れない機材を物珍しく眺める俺に稲荷野さんが一着のジャケットとズボンを持って現れた。

 促されるままに着替えてみると……なるほど、確かにカッチリとした正装ってワケじゃないけど、そこそこフォーマルであり大人びた雰囲気になった。


「いや、でもだからって俺がモデルをやるってのは現実感がないけどな~」

「いえいえ、さっきも申しましたがそんな事はございません。むしろこなれていない、背伸びした雰囲気が欲しいところなのです」


 この期に及んで尻込みする俺に稲荷野さんはニッコリと笑いお世辞を言ってくれる。

 まあ確かに鏡の前で確認した自分が“少しだけ背伸びしている”ように見えなくもない。

 ……と言うか事実その通りなんだけどな。


「コンセプトは“親に内緒で旅行に来た高校生カップル”ですからね。男性側は一生懸命エスコートしようとして、女子も頑張っておめかしする……そんな甘酸っぱい雰囲気が出せれば言う事無しですよ!」

「……そ、っすか」


 一人盛り上がる稲荷野さんに俺は居た堪れなくなる。

 最早彼女の中では完全に俺たちがカップル認定されていて、そうと決めつけているようなのだ。

 しかし……だからと言って否定しようとする自分もいないワケで……。

 そんな事を考えている内に、数十分前に天音がスタイリストに連れられて入ったメイク室の扉が開かれた。


「お待たせいたしました! いやいや、久しぶりに良い仕事が出来ましたよ。素材が良いとやりがいがありますね~」


 そう言って出て来たスタイリストの女性は“やり切った”とばかりの職人の顔を浮かべていた。

 そして彼女に促されて登場した天音は……。


「えっと…………夢次君……どうかな? コレ……」

「……………………………」


 俺は現れた天音の姿を一目見て…………持って行かれた。

 魂、心、あるいは理性なのかもしれないが、何とは特定が出来ないし、あるいは全てと言えるのかもしれない。

 ……自分でも意味が分からないが、いずれ“持って行かれた”俺は……天音の姿に視線が釘付けになってしまっていた。


 天音が着ていたのは黒のナイトドレス。

 そのドレスは天音のプロポーションを惜しげもなく際立たせ、ザックリと開かれた背中がセクシーで、胸元だけでなくヘソまで絶妙な加減でチラ見せるのが何ともエロティック。

 更に際どく入ったスリットが彼女の美脚をこれでもかと強調していて……。


 は!? や、ヤバイ!!


 俺は慌てて奥歯を噛み締めて飛びそうになった意識を押留まらせた。

 俺の体は実際には一歩も動いていない……天音も稲荷野さんも固まった俺に少し不思議そうな顔をしたくらいだ。

 しかし俺は全身の筋力を駆使して今……問答無用で飛び掛かりそうになる自分の足を抑え込んでいた。

 

 ウ、ウソだろ自分……いくら最近は天音に対してそんな事ばかり考えていたからと言って……いつも以上に大人びて、たまらん姿の天音が目の前にいるからと言って、性的衝動が肉体を凌駕する事があるなんて………………チラ。


「夢次君、どうかしたの? 押し黙っちゃって……」


 少し心配そうに聞いてくる天音は自然と上目遣いになり、編み込んだ黒髪と薄く施された化粧が映えて、大人びた美しさの中にいつもの可愛らしさが……。

 まさしく背伸びした少女が大人の女性に変わる瞬間のようで……実に……。


ガン!!


「ちょ!? 何してんの!? どうかしたの?」

「だ、大丈夫…………少しだけ理性を取り戻そうとしただけで……」


 俺がいきなり自分の額を拳で殴ったから、天音は驚いてしまった。

 や、やばい……マジで……ヤバイ!!

 何だよコレ、何なんだよコレ!? 酒に酔っているワケでもないのにさっきから!?

 しかし若干混乱する俺を他所にメイク室の方にいたらしいカメラマンが姿を現した。

 その人は小柄で帽子を被ったラフな格好の女性で……後から考えると相当に怪しいグラサンを掛けていた。

 その女性は二ッと笑うと俺たちに撮影の指示、というか流れを説明し始めた。


「ではお二人とも、私どもの撮影を承諾いただきありがとうございます。それではまずは指定した場所に移動していただきますね。ただ、特別ポーズなど要求はあまりしませんので自然体で楽しんで下さい」

「無論当ホテルの撮影にご協力いただくのですから、撮影時の飲食レジャーについては全て無料にさせていただきますので……」

「…………だってさ、どうせなら目一杯ホテルの贅沢を楽しんじゃおうよ夢次君」

「お……おう…………」


 俺はこの時ふわりと悪戯っぽく笑う天音の笑顔しか見えていなかった。

 もう少しでも冷静であれば……ホテルマンの稲荷野を名乗る女性と明らかに怪しげなカメラマンの女性、その間にいる天音の姿に“日常”を感じて違和感を持てたのに……。


 そして……この辺から俺の記憶はひどく曖昧なものになっている……。




20:00 ホテル内のバー 『カムイ・コタン』

 少し大人ぶってカクテルジュースを飲む天音がカワイイ。


21:00 展望台『星天の碧歴』

 イベントの打ち上げ花火を見つめる天音の横顔が美しい。


22:00 最上階の客室スウィートルーム 『月光花の間』

 広々とした部屋に驚く天音が、ベランダの夜景に喜ぶ天音が、大きいベッドに乗っかってはしゃく天音が………………。



「…………え!?」


 スススススウィートだと!? 俺はいつの間にそんな所に来ていたんだ!?

 唐突に我に返った俺は思わず周囲を見渡すが、高校生の身分では凄まじく豪華で場違いな部屋に自分がいる事しか認識出来ない。

 そんな中で稲荷野さんとカメラマンの女性は非常にニヤニヤとした、実にいい仕事をしたとばかりに写真をパソコンで確認している。


「いや~素晴らしいですねコレは。いつもと違う表情、姿の彼女に見とれてしまう少年の表情が何とも…………か……いや稲荷野さん、これなんか最高じゃないですか?」

「ま! いいですね~ニッコリと笑いかける彼女と目を合わせる事が出来ない感が……」


 ……? 俺はこの時点になってようやくこの二人から感じる“日常”の違和感を感じた。

 だが確信を持つ前に二人のホテル関係者は、機材の撤去をしながらとんでもない事を言い始めた。


「それではお二人とも、本日の撮影はコレで終了とさせていただきます。ご協力ありがとうございました。後日改めてお礼をさせていただきますが、今夜の最上階スウィートは宿泊客もいませんのでこのまま明日までご自由にしていただいて結構ですよ」

「………………はい?」


 俺はその瞬間何を言われたのか分からなかった。

 しかし今はベランダから夜景を楽しむ天音に聞こえないようにか、カメラマンは俺にコッソリと耳打ちしてくる。


「ちなみに両家ご両親は酔いつぶれて既にご就寝中……残念ですが本日お泊りのお部屋に今からお戻りになる事は出来ません…………この状況を逃すおつもりならマスターキーをご用意いたしますが……」


 そう言ったカメラマンはおもむろに帽子を脱いで見せて、ニヤリと笑うと機材を抱えて退室して行く……。

 非常に学校で見た事のあるオカッパな黒髪をさらけ出して。


「先ほど妹様からもご連絡をいただきましたが、伝言がございます……『キメろ!!』だそうです」


 静かに頭を下げた稲荷野さんだったが、上げた瞬間に“ぽん”と軽い音がすると……今まで金髪碧眼の異国風な顔立ちが、ユルフワ茶髪な黒目……頭部にチョコンと子狐が乗っているというコミカルでよく天音と一緒に見かける女子高生へと変わった。


「ブフォ!? まさか……まさか君ら……」


 悪戯っぽく“ベッ”と舌を出しつつ退室して行く彼女に……俺はようやく理解した。

 これは策略であった事に……。

 …………い、いつからだ? こんな大掛かりで金の掛かりそうなワナを……もしかして夢香もあの二人とグルだったとか!?


「ね~夢次君、どうかしたの? あれ? あの二人はどっか行ったの?」

「は!?」


 俺は現状を把握して脊髄反射的に天音の声にビクついてしまった。

 この状況はまさにエサに釣られて檻に入ってしまった熊……それも最早脱出する為の出口にはすでに鉄格子が下ろされてしまっている……。


「や、いや~今日の撮影は終了って今さっき部屋を出て行っちゃったんだよ。それで本日は客がいないからこの部屋を使っても良いって言っててなんだか確認したら俺たちの部屋は既にご就寝中で鍵が開かないらしくて、でもどうしても戻りたいならマスターキーがあるから心配しなくても良いとか何とか、だから今からフロントに電話してマスターキーのお願いを……」


 俺は捲し立てるように天音に説明をする。

 勢いで言わないとそんな事を言える自信は無かったから……。


「ふ~ん……今日はもう帰れないって事か……」


 しかし天音は電話しようとする俺の手をやんわりと止めて……とんでもない事を言った。


「じゃあ……折角だからお言葉に甘えようか……明日まで……」

「…………は……はひ?」

                

                 ・

                 ・

                 ・             



 そして23:00…………最早思考が追い付いて来ない俺だったが、一緒にベランダに出ていた天音が夜景を見つつ口を開いた。


「ねえ夢次君? さっきからず~っと私の事をまともに見てないよね……今もそっち見てるし…………やっぱりこんな大人なドレスはまだ私には似合わないかな~?」

「そ、そんな事は絶対にない!! そう言う事じゃ無くて……」


 少し残念そうに笑う彼女に俺は反射的にそう言って振り返り……今度こそまともに見てしまった。

 それは大自然と科学が融合した奇跡……星空をバックにスウィートルームの淡い光が天音を艶やかに浮かび上がらせていて…………俺は奥歯を噛み締めた。


「じゃあ……どういう事なの?」

「う……」


 その表情は特に厳しい物ではなくむしろ優し気でいて……寂しげにも見える。

 ウソや冗談で誤魔化させてくれないと言っているかのように…………。


「その……実は最近、自分自身でもヤバくて…………無意識に……本当に無意識なんだけど、天音に対してやたらと馴れ馴れしくする事が多くなっていたな~って思って……」

「…………ふえ?」

「ゴメン……先に謝っておくけど…………最近“あの夢”に近い事を衝動的にしようとしている自分がいて…………何とか抑え込もうと頑張っているんだけど、そのナイトドレスはその…………ヤバイ……」

「ほ……ほお~~~」

「あまりに似合い過ぎて……まともに見ただけで思わず飛び掛かりそうになって……その……」

「………………」



 言った……俺は言ってしまった。

 こんないい雰囲気の、最高級のスウィートで極上のおめかしをしている天音を前にして……あり得ないほどキモイ自分の現状と衝動を……。

 自分でもどうして欲しいのか、そしてどうしたいのかワケが分からない!

 もしかしたら俺は天音に対して『今の自分は危険だから距離を取れ』と警告しているのかも……。

 しかし混乱を起こす俺に対して天音はスッと近付いて……言った。

 上目使いで、それこそ俺の手の届く場所から……。



「…………ダメなんて言わないよ……私は」



 え……? その言葉は確かに天音の口から出た。

 俺は一瞬何を言われたのか分からずに声すら出す事が出来なかった……。

 俺自身の脳内で作り出した幻覚すら疑ったが、眼前の天音の顔が今の言葉が俺の幻聴では無い事を如実に証明している。


 数時間ぶりに直視できた彼女の顔は暗がりでも分かるほどに真っ赤だった。

 まるで『言っちゃった……どうしよう!?』とでも言わんばかりに目が泳いで混乱しているのがありありと分かる……まるで今の自分と同じような感情を露わにしていて……。


 天音は自分で言った言葉の意味も、この後で何が起こる可能性があるのかも分かった上で今の言葉を言ったと言うのなら…………。

 恥ずかしさで目を潤ませて、それでも言ってくれたと言うのなら……。


 その瞬間、俺の中で何かが吹っ切れてしまった。


 この休日中、俺は少し天音に対する性的な衝動を押さえつつ、純粋な気持ちの方を高めようとか考えていた。

 しかし……最早そんな事はどうでも良かった。

 性的衝動だろうが純愛であろうが…………天音を目の前の幼馴染を自分のモノにしたい! 最終的な結論はそんな自分勝手で利己的な事なんだから!!

 だったらもう考えるのは無意味だ!!

 

 この考えに至り数秒…………俺の腕の中に衝動的に抱き寄せてしまったナイトドレスの天音の姿があった。


「あ、天音…………」

「夢次…………君……」


 上気して瞳を潤ませる天音の瞳を俺はしっかりと見据えて…………覚悟を決める。

 結果がどうであっても今までの『幼馴染』には戻る事が出来なくなる言葉を口にする覚悟を…………。


「天音……いや……神崎天音さん…………」

「は……はい……」

「俺は…………ガキの頃から……それこそ隣の家にいた同い年の女の子を見た時から……貴女に特別な想いを抱いて……ました……」

「………………うん」


 見つめる天音の瞳は俺が言葉を続ける度にドンドンと揺れ始める。

 涙が溢れそうになっていて…………それが一体何の涙なのかは分からない。

 拒絶や恐怖からのモノかも……などと一瞬よぎりそうになるネガティブ思考を俺は強引に抑え込む……今この瞬間だけでいい……自惚れろ! 思いのたけをさらけ出せ自分!!







「俺はお前の事が………………」







 考えてみてもこの状況……俺は自惚れても良いと思う。

 家族、友人、ホテル設備、更には自分たちの心情的にも今夜の俺の告白は100パーセント成功していたんじゃないかと自惚れて良いとは思うのだ。


 しかし……だ。


「…………え? あれ??」


 俺の渾身の、今世紀最大の告白は…………空振りした。

 何故か突然に……俺の腕の中にいたはずの天音の姿が忽然と消えた事によって……。

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