第八十話 逃げ道皆無の脱出ゲーム
よく映画やゲームである目を覚ますと見知らぬ場所に閉じ込められていて、何の脈略もなく起こる事件や妨害を解決、回避しながら脱出を目指す……そんなストーリーを俺は思い出していた。
しかしその手のストーリーであると、そんな状況から脱出を図ろうとすればあらゆる敵や妨害工作、果てはモンスターやらクリーチャーやらと死闘を繰り広げて辛くも脱出……というのが定番だが、今起こっているのはそれとは全く違う恐るべきトラップ。
“逃げられない”ようにするのではなく“逃げたくなくなる”という最強の罠。
俺はこの『カムイ温泉ホテル』という脱出不可能な檻の中に入ってしまった時点で、すでに敗北していたと言うのか!?
……簡潔に今の状況を説明しよう。
現在の時刻は23:00……深夜とまでは言わないけど結構遅い時間。
そしてここは今日宿泊に家族で訪れたホテルの最上階、学生の身分では来る事すら無いはずのいわゆるロイヤルスウィートルームの無駄に広いベランダ。
くつろげるようにロッキングチェアやら温泉らしく露天風呂まで完備されて、景観は最高で満天の星空と月明かりに輝く海まで見渡せる。
そんなロケーション最高、ロマンチックと軽々しくは言えない言葉がそのまま表現されてしまったような場所で…………俺の目の前に、いや“俺の腕の中に”いるのは上気した顔で瞳を潤ませた幼馴染の天音の姿……。
「あ、天音…………」
「夢次…………君……」
あまりの急展開、あんまりに露骨な展開にさすがの俺も何者かの陰謀を感じずにはいられない……誰だ一体……こんな状況に俺を追い込んだ主犯は!?
振り返ってみて思い出せるのは夕方の頃…………数日は心を落ち着かせようと決めていたのに“たまたま”同じホテルに宿泊していた天音と出くわしてしまった時である。
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親父と温泉で語らい、妹と他愛も無い話をする家族旅行……気分は日曜夕方の海鮮一家のアニメの如く穏やかであった俺の平穏は『神崎天音』という圧倒的な力の前にアッサリと吹き飛ばされてしまう。
しかも風呂上がりの浴衣とか……エロいしカワイイしエロいし、何よりもピッタリと体のラインを見せつけてくれる日本技術の素晴らしさ……去り際の後ろ姿、うなじとお尻と足のコントラストがあああああ!!
って……イカンイカン!! 俺は思わず伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。
俺は今までも現実で天音の色気に当てられた後、自分がどんな明晰夢を見て来たかを思い出して現状のヤバさを実感していた。
「……やべえ、このままでは俺はまた“夢の中で”やらかしちゃうパターンだ」
何度も何度も夢の中でオイタしてしまった事で“そういう時”の感覚は分かるようになってしまった。
このままではまた俺は夢の中で天音に対して訴訟モノの夢を見てしまうだろう……間違いなく浴衣でか、温泉に混浴~な展開で……って!?
「だあああ! 考えるな俺!! 何で天音をそんな目でしか見れないんだ!?」
恋愛感情に性欲は付き物である……どっかの誰かが言っていた気はするけど、今の自分の状態は色々とダメだろう!?
部屋に戻った俺は何とか気持ちを落ち着けようと部屋に備え付けである急須にお湯を注いでお茶を入れる。
一口熱いお茶を啜ると少しだけ、さっきの邪な情欲が抑えられたような気分になるから不思議だ。
窓から見えるのは夕暮れの山々と海……この温泉地は海が近いんだな~と今更ながら知る事になり……さっきまで熱暴走しかけていた頭に冷静さが戻ってくる。
と同時に、さっきまで気にして無かった事が気になり始めた。
「…………あれ? この客室って広さはこんなもんだったっけ?」
うちがチェックインした時にはだだっ広く感じていた和室が、今はそれほどでも無く感じるが…………そう考えてみて来た時は開いていた襖が今は締まっている事に気が付いた。
そうだ……最初は襖が開いていて、ちょっとした宴会場と思えるくらいのスペースがあったものな。
別に狭いって事も無いけど襖を閉めた事で広い部屋が二分されて妙な違和感を覚えてしまう。
「いつの間に閉めたんだろ? 夢香か、母ちゃんかな?」
現在部屋には俺一人、親父は長風呂の後でビールで一杯やっていたからまだ部屋に戻ってないし……俺はそんな事を考えながら何気なく、本当に何気なく襖を開いて…………言葉を失った。
そこに寝転んだ、この場にいるはずのない人物を目にして……。
「ん……お母さん? ね~さっきラウンジで夢次君に会ったんだけど、何か知らな……」
そしてその人物は襖の開く音に反応して起き上がり……目が合った。
「え……」
「ん…………」
それは畳の上で一人座布団を枕にだらしなく寛ぐ女性……浴衣で寝転ぶその肢体から色々と着衣の乱れで、胸元から足元から純白の聖域の片鱗が見え隠れしてしまって……。
そんなお宝にくぎ付けになってしまった俺の視線で“天音”の瞳が寝ぼけた胡乱なモノから覚醒した理性の光が戻って行き……。
「ひゃああああ! ゆゆゆ夢次君!? なななな何でこの部屋にいるのよ!?」
真っ赤になって抗議する天音は慌てて胸元と足元を隠そうと動いて……その表情と動きがより一層の色気を振りまきまくり…………俺は無意識に突撃しそうになった体を襖の淵を握りしめる事で何とか押しとどめる!
い、いけない俺のダークサイド……今はその時ではない!!
今こそ目覚めるんだ俺の内に秘めたるヘタレ精神!! いざとなったら何もできないヘタレ主人公の如く軟弱な魂よおおお!!
血液の逆流と共にマジでロケットダイブをしそうになるのを平静の仮面で何とか隠して、何事もないかのように振舞うのだ!!
「な、何でと言われても……ここってうちでチェックインした部屋だし……」
「何言ってんの? ここは菖蒲の間、君のうちの部屋じゃ……」
「え? いや、うちの部屋も菖蒲の間だけど……」
「…………え?」
ちょっと怒ったように抗議していた天音の顔が、一瞬にして呆気に取られた物へと変化する……それはそうだろう、俺だって同じ気分だ。
突然の事態に何が何だか分からなくなり、俺たちは数分の間見つめあってしまった。
それからいきなり部屋に突撃して来た夢香によって、今回の温泉旅行が天地家と神崎家のお隣同士の合同であった事が発覚した。
突撃してきた夢香に俺たちが目を丸くしていると、何やら小声で「ち……まだ早かったか……」とつぶやいたのが気になるところだが……。
「お父さんの割引券は2家族まで有効だったから、最初から神崎さん家とホテルで合流する予定で、どうせなら部屋も一緒に~って事になってたけど……聞いてなかった?」
「聞いてない……」
「私も……」
どうやら天音も俺と同じような状況のようで……それから戻って来た両家の両親に問いただしてみても「あれ~言ってなかったっけ~?」と白々しい反応を返してくれた。
ま、まさか家族ぐるみで?
「天音も知らなかったの?」
「う、うん……元々このホテルはカムちょんの家の系列でちょくちょく利用するから……いつもの旅行だ~くらいにしか思ってなかったんだけど……」
「そ、そうなのか……」
互いの情報を交換するだけで何やら両家の家族たちが好奇の視線を送ってくるのが非常に気になるんだが…………。
何というか、何を期待されてこんなワザとらしいくらいの隠蔽、鉢合わせの演出をしたがっているのか透けて見えると言うか……。
そんな居た堪れない空気の中、家のオカンがニコニコしながら時計を確認して手を一つ叩いた。
「さあさ……もうすぐ夕飯の時間だからラウンジに行きましょう! ここの夕飯はローストビーフ食べ放題らしいから楽しみなのよね~」
「あ、今の時期はそうなんですね。この前友達と来た時はカニの食べ放題でしたけど季節によって色々食べ放題やるんですよね~カキとかマグロとか……イチゴの時もありましたね~」
オカンの言葉に天音がそんな事を言った。
友達って……さっきの感じでは多分神楽さんと神威さんの『三女神』の連中だろうけど。
「へえ~良いわね~。そう言えば夢次君、昔からカキが好きだったよね? 今度は二人で来れば良いじゃない?」
「ブフ!?」
「ふえ!? お、お母さん!? 何言って!?」
と、笑いながらとんでもない事を付け足すおばさん《天音オカン》の発言に俺は思わずズッコケそうになってしまった。
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