第七十七話 妹の恋愛事情、最後まで親父には内緒

 風呂上がりの牛乳……それを最初に言い出したのが誰なのかは知らないが、天才である事は間違いないと思う。

 温泉で火照った体に染みわたる冷えた牛乳……売店横に置かれたベンチに腰掛け一気飲みする俺はそんな心地よさにマッタリとしていた。

 何か思考がフワッとした感じと言うか、夢見心地と言うか……。

 そして何となく売店の客を眺めていると5~6歳くらいの浴衣を着た男の子と女の子が入ってきて、普段はあまり見ない温泉特有の土産物を見てははしゃいでいる。


「なにこれ、おもしろ~い!」

「これはぶきだ! おとうさんのゲームにあったもん!」


 肩たたき棒を手に得意げに説明する男の子に感心する女の子……微笑ましい光景だけど、アレは兄妹なのかな?

 しかし彼らから遅れて売店に入って来た大人は二家族、それぞれの女性に「売り物で遊んじゃダメ」と注意されているのを見てあの二人は仲良し家族の幼馴染だと確信した。


「幼馴染……か」


 キャッキャとはしゃぐ幼児たちの姿に、当然俺は自分と天音の事を重ねてみてしまう。

 小さな浴衣姿で土産物屋を走り回る二人の姿が幼い日の自分たちに投影されて……そしてそれが更に成長した今の姿に変化して行き……。


「あ~~~イカンイカン……」


 休みの間は少し落ち着こうと決心していたのに、考えた傍からこれではいけない。

 浴衣姿の天音……そんなもんを想像しただけで色々な思考がピンクに染まってブレそうになるのだから。

 ……別に自分のリビドーを否定するつもりはないのだが、とにかく今はちょっとその感情は置いといて冷静になりたいのだ。

 冷静に判断して自分たちの関係に決着をつける……そうしない事には先に進めない。

 そして決着さえ付けば幾らでもリビドーに従っても問題はないワケで………………と、俺は想像上でも天音の浴衣に手を伸ばす寸前に再び首を振って妄想を追い出した。


「だ~~~~も~~~~何なんだよ最近の俺は!! 隙さえあればそんな事ばっかり考えちまう……」

「あ、お兄ちゃんもう上がってたの? 早いね」


 そんな自分に軽く自己嫌悪していると湯上りの夢香が浴衣に下駄を引っかけた格好でカラコロと声を掛けて来た。

 そんな妹の浴衣姿は年相応に可愛らしくなっていて……妙な感心を覚えてしまう。


「へえ~夢香も一応成長してんだな~。それなりの格好をすればちゃんと色っぽくなるんだからよ~」

「それで一応褒めてるつもりなの? そんな恥ずかしげもなく淡々と言われても全く嬉しく思えないんだけど……審査員かっての」

「兄が妹をそんな目で見てたらそっちの方が問題だろうが。色っぽいって言ってんだから褒めてんだよ……素直に受け取っとけ」

「ハイハイありがとさん」


 そう言いつつ夢香は自然と俺の隣に腰を下ろす……アイス片手に。

 しかし本当に最近妹の態度が俺限定で変わったよな……仮に今の会話を親父がしてたら“キモ”とか言われていたと思うのだが。

 何というか距離感を分かった上で不快にならない程度の会話……要するに単なる兄妹としての普通の感じと言うか……。

 この感じであればもう少し突っ込んだ会話も可能ではないか? そう思った俺は試しに軽く聞いてみる事にする。

 最近まで俺や親父には絶対にしなかったはずの事を。


「そういや夢香、この前告白されたって聞いたけど……それって本当なのか?」

「え、誰から聞いたの? 家で誰かに言った事ないのに……」


 俺がそう聞くと夢香はギョッとした顔になってから、ジトっと睨みつけて来た。

 そんな疑わしい目付きで睨むんじゃない……別に兄貴にやましい事は無いぞ。


「友達に電話で相談するにしても、聞かれたくなかったらせめて居間じゃなく自分の部屋に行けよな……ちなみにその時母ちゃんも台所で聞いてたぞ」

「うそ!?」

「母ちゃん、めっちゃニヤニヤして聞いてたぞ……あの日の晩飯が赤飯だったの不自然に思わなかったか?」

「むう……」


 どうやら自分の迂闊さに気が付いたのか百面相を繰り返した後、ぶすっとした顔で落ち着いてしまった。

 ぶつけ所が無いって感じに……。


「一遍は付き合ったんだけど、一か月もしない内に別れちゃった……何となく」

「な、何となくって……」


 しかしだからと言って口を閉ざす事も無く会話を続ける夢香の態度はやはり前とは少し違っていた。

 サラッと付き合った後に別れたという重めの話を聞かされるのは衝撃だったけど……侮りがたし中学生!!


「付き合っても時間が合わないと一緒にいれないワケじゃん? むこうは部活もやってて付き合ったは良いけどすれ違いが多くて……みたいな」

「おおう……なんというアダルト発言……」


 よく芸能ゴシップで離婚原因にされる言葉“すれ違い”をまさか実の妹から聞く日が来るとは……。


「どっちも互いが必要とする時に一緒にいれるワケじゃないじゃん。誰かさんみたいに私は一途にゃなれんのよ、兄上……あた」


 はあ、と溜息を吐く妹の頭を俺は思わずはたいてしまった。


「どこぞの月9の女優気取りかって~の……そう言うのは酒が飲める年になってからにしろや中学生……」

「うい……その辺に関しては私も最近“誰かさん”を見て反省しとりますです兄上」


 そう言って敬礼する夢香からは若干のあざとさが垣間見える。

 というか夢香がさっきから言っている“誰かさん”とは一体誰の事なのだろうか?

 しかし俺がその事を言及するよりも先に夢香が唐突に質問をしてきた。


「でも私も最近男の子に“そう言う目”で見られる事が増えて来た気がするけど……男の人って女性を性的な目で見るかどうかに違いってあるもんなの?」


 あっけらかんと聞かれた内容に俺は思わずズッコケそうになった。

 何て事を唐突に聞くかねこの妹……。

 しかし性的に見るかどうかの違いね~……う~む、余り考えた事の無かった事だ。


「ど~かね? そんなの俺の私見でしか言えないけど……女性を性的に見る時に少なからずスケベ心が働くのは否定しねーよ? ただ“良い物見れた”とだけ思うのか、それ以上の感情を抱くのかは別な気がするな……何となく」

「えっと……それはエロ本やエロ動画見るのと、恋愛感情を持つのは別って事?」

「そう……なるのか? って知るかよ……あくまで俺ならそう思うってだけで……理性を働かせて見れるかそうじゃないか……男の基準何て精々そんなもんだと思うけど?」


 ……何で俺はこんな会話を妹としているのだろう。

 冷静に考えるとおかしい気もするけど妹は結構興味津々に話を聞いてくる。


「ねーねー、じゃああの人はどう思う? 今売店でかき氷買ったあの人」

「うん?」


 夢香が指さしたのは金髪の外人さん、浴衣に収まりきらないワガママボディが帯で縛られ強調されちゃってバカみたいな色っぽさを醸し出している。


「ほお……ありゃまた……凄い破壊力だな。あれは良い物だ」

「じゃああの人は?」


 俺の答えに何故か「うむ」と頷いた妹は今度は違う女性、黒髪の若奥様を指さした。

 濡れて乾いていない髪が色っぽくうなじがしっかり見えていて……あっちも絶妙な色っぽさを醸し出している。


「むむ……アレもまた良い。古き良き日本の底時からを見たような素晴らしい……何というか風情があるな」

「ほほう、なるほど……」


 何をもって夢香がそんな事を聞いているのかは分からないが、段々と俺も楽しくなってきて妙に解説っぽくふざけ始める。

 微妙に妹も“分かった上で”やっているようで、それからも数名の女性を指さして微下世話な会話を俺から引き出す……何だ、夢香もそれほど潔癖って年でもなかったんだなと……俺は妙な安心感を覚えていた。


「じゃあ最後に……あの人は?」

「……え?」


 多分……そんな妹の態度に俺は油断していたんだろう。

 自然に示された女性の後ろ姿……俺はその瞬間目が釘付けになってしまった。

 その女性はまだ乾ききっていない髪から風呂上りなのは予想できる。

 しかし見え隠れするうなじや浴衣で強調されたプロポーション、とりわけ脚線美については言う事なく完全に俺の好みと一致する。

 無論さっき見た外国人のような破壊力は無い……なのに、何だこの湧き上がってくるヤバイくらいの感覚は!?


「うわ……マジかお兄ちゃん……」

「…………は!?」


 俺は夢香の呆れたような言葉に我に返る……妹の目は何というか信じられない物を見るかのように半目になっていた。


「や、いや、違うぞ夢香!? 俺は別に今“そんな感じに”見てしまったというワケじゃ!?」


 俺は自分でも“何に対して”の言い訳なのか分からない事をしどろもどろに言おうとするが……夢香は溜息を吐きつつ引きつった笑みを浮かべていた。


「いやいい……変な言い訳はしなくても……ただちょっと自分の兄ながら、その一途さにちょっと引いただけだから……」

「……え? 何が??」

「まさか後ろ姿だけで本能的に、そして性的にも的確に反応出来るほどなんて思わなかったから……ある意味感心するよホント……」

「だから何を言って……」


 言葉に意味が分からない俺を無視して、夢香はそのまま立ち上がると……その後ろ姿の女性に唐突に声を掛けた……夢香が呆れていたその答えと同時に。


「奇遇ですね~お宅もこのホテルですか“天音さん”」


 …………ハイ?

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