第七十六話 父と息子の裸の語らい

 予想外のスズ姉との遭遇はあったけど、それから我が家の車は順調に目的地に到着、やってきました温泉地!!

 隣県にある結構有名どころの温泉郷なんだけど、積極的に行こうと思わない限り絶対に来なかっただろうな~と何となく思う。

 ちょっとお出かけには遠く、旅行と言うには近すぎる中途半端な距離が原因なのだが。

 車から降りるとまず真っ先に視界に飛び込んでくるのは立ち並ぶ旅館やホテル、その麓で各々の店先で湯気を立てて温泉まんじゅうを売っている土産物屋。

 そんな温泉街を浴衣姿のゆる~い感じで闊歩する老若男女……う~む、まさにザ・温泉街って感じだな。

 特に俺は店先に吊るされた名所の名前Tシャツと用途不明な般若の面を飾っている店に妙なノスタルジーを感じてしまう。


「土産物屋に必ずあんなお面が売ってるけど……毎回思うけど誰が買うんだろ?」

「さあ? モノ好きがお風呂の後でお酒が入って気が大きくなれば買うんじゃないの?」


 妹の冷めた意見に、俺は不意に喫茶店のマスターを思い出してしまった。

 あのスズ姉の親父さんなら素面でも買って、後で奥さんと娘に怒られるんだろうな……。

 値段は……げ、3千円……う、う~む……冗談で買うには少々お高い……。


「お父さん、それで私たちが泊まるホテルってどこなの? 私早いとこ温泉入りた~い」

「そうね……ずっと車に乗ってて疲れちゃったものね……」


 俺が値段にビビって般若の面をそっと戻していると、うちの女性陣は早くも温泉をご所望のようで親父を急かしていた。


「温泉街からもう少し奥に入った辺りのホテルだな……ここ、ここだここ……」


 そして先頭を歩かされる親父が足を止めたのは……この温泉街のホテルの中でも特に大きく立派な外観の……正面玄関は高級旅館と言われても信じそうな見事な日本庭園に囲まれたやたらと立派なホテル。


「「「いらっしゃいませ~」」」


 そして出迎えてくれる統率された笑顔の仲居さんたち…………俺たち3人は思わず荷物を取り落としてしまった。


「よ、よお親父……大丈夫なのか? 俺、ここまで立派なホテルは想像してなかったんだけど……」

「そ、そうよアナタ、本当に大丈夫なの? あの割引券このホテルで間違いないの!?」


 さすがに母ちゃんも立派過ぎるホテルの外観に、庶民丸出しで口をパクパクさせている。

 しかし親父は得意げに胸を張って見せる。


「余計な心配はするなよ。あの割引券は間違いなくこのホテルの物だし……今の時期って若干シーズンを外しているからか料金設定もいつもより安めなんだ。実際には通常の料金から7割引きくらいになるんじゃないかな?」

「な、七割……それはまた……」

「ほえ~~~親父たまに凄いよな……」

「お父さん凄い……」


 うちの親父、家の中でヒエラルキーが最近下降気味なのが息子としても心配だったけど、こういう時に妙な実力と言うかコネや人徳を発揮するから侮れないんだよな~。

 珍しい女性陣のお褒めの言葉に親父殿は大変ご満悦のようである。

 そうこうしていると従業員の人たち……この場合はボーイさんと言うのか? が「お荷物お運びいたします」とにこやかに俺たちの荷物を台車へと乗せてくれる。


「ようこそカムイ温泉ホテルへ……本日はどうぞごゆっくりお過ごしくださいませ……」

「おお荷物も運んでくれるとは贅沢な。さすが高級ホテル!」

「……最近じゃビジネスホテルでもやってくれるとこはやってくれるサービスだとおもうけど…………」

「よ~し早く部屋に行ってから温泉に行こう! ほらお兄ちゃん早く早く!」


 ……ん? 今の会話で何か引っかかる物があったような……?

 しかし何が引っかかったのか思案する暇もなく俺は夢香に引っ張られ連行されて行く。

 何だ? コイツってそんなに温泉好きだったっけ?

 妹の意外な一面を見た感じで俺は客室へと向かったのであった。


 通された和室は予想以上に豪華な部屋で……4人で泊まるのには十分すぎるほどに広い、まるで二家族くらいなら平気で布団が敷けるんじゃないかと思う程の畳部屋だった。

 荷物を置いた俺たちは早速とばかりに浴衣に着替えて温泉へと向かう事にした。

 このホテルは男湯と女湯が時間ごとに入れ替わるシステムで、この時間は男湯は岩風呂、女湯がヒノキ風呂に分かれていて、当然だが俺は親父と共に岩風呂に。





「「うえええ……い……」」


 しっかり掛け湯をした後で露天の岩風呂に浸かる俺と親父の口から実オッサン臭い唸り声が漏れていた。

 特に長時間の運転をしていた親父の唸り声には貫禄のある重低音がある……気がする。

 こうして親父と一緒に湯に浸かるのも何年振りの事だろうな。


「うえ~い……染みるなぁ~」

「お前もその感じが分かる年になって来たか~。オッサンまでもうすぐだぞ~」

「嬉しそうに脅すな……」


 ニヤ付きながらそんな事を言う親父だったが、唐突に遠くを見つめて妙な事を口走り始める。


「しかしなんつーか……最近の温泉は風情が無くなってきてイカンな~」

「あ? 何だよいきなり……この露天風呂は十分良いロケーションだと思うけど?」


 岩風呂の露天風呂から見える景色は遠く山に沈んでいく太陽が見え、東から暗くなりかけた空には星まで見えて景観は素晴らしく、情緒に満ち溢れていると言うのに……。

 しかし親父は俺の見解に首を振って見せる。


「ん~にゃ、そういう事じゃねーのよ。最近はこうして男湯と女湯で場所が分けられて階すら別になっているのが珍しくないが……俺の若い時には垣根だけで分けられていてな、向こうに女湯があるってだけで妄想が膨らみ、そりゃ~風情があったもんよ」


 力説する親父に思わず全身の力が抜けそうになる。

 しかしそんな俺とは裏腹に端で聞いていた白髪のジジイや強面のオッサンらが腕組みをしながら“うんうん”と同調している。


「あの一枚向こうにある桃源郷を一目でも……そう思った男たちはあの垣根を如何に超えるかに情熱を注ぎ、そして夢破れて行った事か……」

「わかるなぁ~俺は垣根の隙間を探してのぼせたもんだ……」

「わしゃ登って叩き落とされたのう~懐かしい……」


 裸の付き合いで他人同士が仲良くなるってのはよく聞くけど……これはちょっと違わないか?


「親父……夢香が聞いたらしばらく口聞いてくれなくなるぞ……」

「分~かってるって。その辺のさじ加減が分かる年にお前もなったからこそ、こんな下ネタも振れるんだろうが……」


 俺は呆れたように忠告してやるが、親父はカッカッカと笑い飛ばし俺の背中をバシバシと叩いて来た。

 んにゃろう……まあ確かに俺だって既に高校生、一々親父が嫌われるだろう事を漏らさないくらいの分別、区別? は身に着けている。

 こんなくだらない事でまたもや家庭内のヒエラルキーを貶めてやる必要は……。


「でもアレか……夢次は天音ちゃん一筋だもんな~。他の女の裸何て興味ね~か」


 バシャン!!

 しかし親父の確信的な一言に、俺は思わずお湯の中に頭を突っ込んでしまった……。

 い、いきなり何を言いやがる……。


「しかし我が息子ながら高め狙いだな~。確かに最近の天音ちゃんは色っぽくなってスッカリ良い女になっちゃったもんな~。お前がホレるのも無理はない」

「………………」


 いやもうぶっちゃけ、俺が天音をどう思っているかとか……分かる人にはもうバレているであろう気はしていた。

 それこそ俺自身は幼少期からずっと抱き続けていた想いなのだから……両親も察しが付いていて当然なのかもしれない。

 しかし……やはり直接指摘されるとクルものがある……。


「で、これは俺の勘なんだがな……夢次、お前近日中に何かしらの行動を起こそうとしていたんじゃないか? な~んか決意を固めようとしている気配っつーかな……」

「親父…………」

「当たりか? な~んか俺も若い時にそんな面してた時期があったからな……根拠は何もないけどよ」


 この言葉には本当にビックリした……本当に親父はタマに凄いから侮れないんだよな。

 俺はお湯の中でブクブクとさせ親父を見上げると、笑っているけど何というかさっきよりも柔らかい表情で俺を見ていた。


「……まあ、さすがだ、とは言っておく。正直連休中にジックリと覚悟を決めて、来週にって思ってはいたから……親父に温泉誘ってもらったのは良い機会ではあったよ、サンキューな……」

「そ、そうなのか? それは……何よりで……」

「万が一……結果が伴わなかったら……一杯奢ってくれよ、未成年でも一杯くらいはいいだろ?」

「お、おお……その時はやけ酒を教えてやろう、未成年」

「はは、頼むよ……」


 俺はそれだけを言い残して湯舟から一気に上がる……全身が熱いのは温泉だけのせいでは無いだろう……さり気ない親父の優しさが見えた気がして、何か勇気をもらったような……そんな影響もあったと思う。


                 ・

                 ・

                 ・


「あ~~~アイツはそういうつもりだったんだ……何かスマン夢次、父さん嫁と娘にゃ逆らえんのよ……」


 先に上がる息子の背中を見ながら天地家の親父はバツが悪い思いで頬を掻いていた。

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