第七十三話 夢次の弁論『ただの幼馴染とは一体何だ!?』

 普通、それは俺にとってひどく身近で当たり前の日常としてあったものだったと思うのだが、最近は以前までの普通がどういう物だった分からなくなって来ている。

 それは『夢の本』という非現実的なアイテムがもたらしている事も多いのだけれど、それ以上に天音の存在が原因なのは分かっている。

 疎遠だったはずの幼馴染と最近は一緒にいる事が多くなった普通じゃない日常……無論それが嫌だと思う事は皆無であり、最近ではそっちが俺の普通になりつつあるんじゃないかと思うと、何とも言えない優越感と言うか幸福感というか……そんなものをヒシヒシと感じてしまったりするのだ。


 何故そんな事を考えてしまったかと言うと……兄貴が上京して4人で卓を囲むことが当たり前になった夕食時に、親父が言い出したある予定が発端だった。


「温泉旅行?」

「おお父さんな、この前組合の飲み会で割引券貰ってな。今度の連休までだったら家族で宿泊して半額になるんだよ」

「へ~そりゃラッキーだな」


 戦利品のように割引券を高々と掲げて親父は自慢げに語っている……だが何となくだけど俺に向かって話しているのに注目しているのが俺じゃない事、そして今軽く言っている体なのに“物凄く緊張感を持って話している”事も感じ取れてしまう。


「温泉ホテルだけど、しっかり温泉街もあってな~雰囲気も良いしパンフを見るとレジャー設備も結構充実してるんだよ……若者も結構楽しめると思うぞ? もし連休中に何も用事が無ければ……」


 広げて見せたパンフレットには温泉街の概要が乗っていて……気にしているのは俺の隣で黙々と夕食を取り続ける妹の方だろう事は分かる。

 いっそ涙ぐましいな……。

 娘を家族旅行と称して温泉旅行に誘う……家族としては当然の行動だとは思うけど、最近お年頃の妹は家族、特に親父と距離を取りたがる傾向があったからな~。

 直接的に『行こう』と言って“うざい”とか“キモイ”とか思われたくない親父が俺をダシに、ワンクッション置こうとしている気持ちが見え隠れしていて……物悲しい。


 そう思うと何というか……別に予定があるワケじゃ無いし、たまには普通に家族旅行もアリなんじゃないか? と思わなくもなかったり……。


「俺は別に予定無いから良いけど?」

「私も……丁度週末は暇だったし……」


 おろ? 俺の言葉に追従するかのように妹の夢香がそう言ったので、少しだけ驚いた。

 予定があれば仕方が無いけど、無くても『行かない』と言いそうな気がしていたから少し親父に助け船を出す事も考えていたのに……。

 まあそう言う場合は俺だけではなく母ちゃんにも説得に加わってもらう必要があるけど。


「珍しいな夢香。お前温泉とか好きな方だったっけ?」

「ちょっとね……最近肌荒れが気になって……」


 そう言いつつ目元を指でなぞる妹……俺はそんな仕草に中学生とは言え、我が妹もしっかり女性しているんだな~としみじみ感じる。


「夜更かしでもしてんのか? ダメだぞ~若いからって油断してたら……」

「うっさいな~一体誰のせいだと…………いや、何でもない……」

「あん?」


 何か妙な事を言いそうになった妹だが、誤魔化すように茶碗をかっ込み始める。

 あからさまに“これ以上何も聞くな”という雰囲気を漂わせて……。


「それじゃあ今週の土曜日、朝から車で出るからな……準備しとけよ?」

「あいよ……」

「……分かった」


 夢香の態度が若干気になったが、俺は久々に迎える事になりそうな“天音と一緒ではない休日”というものに思いを馳せて…………どうしても物足りなさを感じていた。

 もうすでに天音のいない日常は“普通”ではない……そんな認識なのだろうか……。


                  ・

                  ・

                  ・


「行った?」

「……部屋に入ったわね。もう大丈夫よ」


 夕食を終えた夢次が二階の自室に戻ったのを確認した瞬間、居間に残っていた3人の口から一気に安堵の溜息が漏れた。


「やれやれ、連休中に何か予定を入れてたらどうしようかとも思ったけど……これで計画の第一段階はクリアね」


 そう言う夢香の言葉は最初から温泉旅行の事を知っていて、自分が行く事が規定事項だった事を裏付けるモノだった。

 夢次は勘違いしていた……父が自分では無く妹の方を気にしていたのは事実だが、別に誘っても良いかどうかとかの葛藤でなかったのだ。

 娘の要望通りに事を運べるかどうか……それに尽きるのだった。


「もう少しお父さんが割引券の事を早く言ってくれれば、こんな急に計画する事も無かったのに……」

「本当よアナタ……先月から持ってたのに期限ギリギリまで教えないんだもの……」


 妻と娘に責められて委縮してしまう親父さん……さっきまでは自慢げに割引券を掲げていたのにシュンとしてしまう。

 しかし今回に限っては彼にも彼なりの言い分があった。


「す、すまん……だが家族割でも温泉ホテルとなるとな……色々考えると言い出し辛くて……その……」

「う…………」


 その色々な葛藤を与えていたのが誰であるのか……さすがに夢香も何となくは察していて……最近の自分の言動が父を軽く追い詰めていた事に心が罪悪感でチクチクと痛む。


「で、でもお兄ちゃんを自然と誘ったのはさすがね! どうやったのかは分かんないけど、お兄ちゃんも最初から参加する気になってたし!!」

「いや、多分アイツは同情して……」

「ほらほら、コップ出してお父さん」

「お、おお! すまんな……おっとと……」


 そう言って夢香は罪悪感を少しでも軽くしようと父のコップにビールをお酌してあげ、父側も久しぶりに自分を称えてくれる娘にここ最近の劣等感が吹っ飛ぶくらいの嬉しさを噛み締めていた。 

 何だかんだで娘に甘くちょろい親父ではあった。


「しかしこっちは良いとしても向こうさんは大丈夫なのか? 『2家族まで割引可』とは言え急な計画だろうし……」

「大丈夫よ、むしろ奥さんもノリノリだったしね~」

「ふふふ、これで外堀も内堀も無くなったも同然ね……」


 うふふふと悪い笑顔を浮かべる妻と娘の姿に、親父は一人部屋に戻った息子にこれから起こる出来事を思い、溜息を吐いた。


                *


「ふう……温泉ね」


 急に決まった週末の家族旅行、少しの間天音と距離を置く事に一抹の物足りなさを感じないではなかったが……今の俺にはむしろ都合が良かったのかもしれない。

 俺はそう考えて、俗に言うハーレム系の漫画数作品を手に取って流し読みを始める。

 提供者は無論悪友どもなのだが、連中は俺がこれらの漫画を貸してくれと言った時に『珍しい』と口を揃えて言っていた。

 と言うのも……連中は俺が好まない展開がそれらの作品には含まれている事を知っているからだ。

 俺にとって最も忌むべき展開である『幼馴染ヒロイン敗北』と言うヤツを……。


 では何でそんな嫌いな物語展開を流し読みしているのか言うとだ……ここ最近の自分が物凄くヤバイと思ったからに他ならない。

 こういう話の展開だと決まり文句のように主人公は『ただの幼馴染』という言葉を使うのだが……俺は少しでもその理解不能な精神構造を取り入れる事が出来ないかと……。


 何がヤバイのか……事の起こりが『夢の本』から始まった明晰夢を含むあらゆる夢を天音と一緒に体験した事なのは間違いないのだが……。

 問題なのは最近、夢と現実が曖昧になってきている事なのだ。

 それは別に一般常識を無くして犯罪に走ったり、人が死んでも生き返ると思ったり、空を飛べると錯覚して飛び降りたりするような事ではない。

 問題なのは俺の天音に対する距離感なのだ。

 …………全世界的にキモイと思われる事を承知であえて言おう。

 俺は……天地夢次と言う男は、幼馴染である『神崎天音』の事を昔から異性として、女性として性的な目で…………見なかった事は一度も無い!!


 さあ罵るがよい! 数多の道徳に生きる全ての者たちよ!!


 強い意志を称えた優し気な瞳も、流れる髪と輝く美貌も、健康的に成長して行く目を引き付けてやまないプロポーションも、そして流れる曲線が悩ましくも美しい脚線美……全てが俺の認識を『最高の女性』としてしか認識を許してくれないのだ!!

 疎遠期間では遠目から眺めるのみだったのに、最近は近くにいる事が多くなって……ハッキリ言ってたまらんものがある。

 そして……夢ではなく現実で、その……してしまった2回の感触は、夢見心地ではあるのにハッキリとした現実の記憶として残っていて……こうして一人になった瞬間に脳内リフレインが始まりもだえ苦しむ事態に陥る。

 どうだ! キモイであろう!!


 更にマズイ事に、つい最近良く分からないままに解決した『夢幻界牢』の一件以来……自分の天音に対する無意識に際どい行動が“何故か”増えているのだ。

 それが用事のある時に肩を叩く、くらいのものだったら大した事は無いのだが……最近気が付くと手を握っていたり、肩を抱いていたりと……どう考えても幼馴染だと言っても逸脱している行動を無意識にしている自分がいるのだ。

 

 自分がそんな事をしていてハッとする事もしばしば……優しい天音はそんな俺のセクハラ紛いな行為を笑って許してくれるのだが、俺は自分がまるで『夢の中で夫婦だった時』みたいな気分でそんな事をしている……それが理解できない。

 そして……天音の優しさに付け込んでそれ以上逸脱しそうになっている自分にも恐怖を覚える。


『今なら後ろから抱きしめても大丈夫』

『足に触れても怒った顔をするだけで許してくれる』

『周りに人がいないからキス出来るタイミング』


「ぬうわああああああ!?」


 まるで散々嫌ったチャラ男の言動の如き、自然と湧き上がる自分勝手な解釈に頭を抱えたくなる。

 せっかく……せっかく今は疎遠だった幼馴染と仲良くなれて、良い関係系が築けていると言うのに……あまりに自分本位なリビドーに従った無意識な行動で全てを台無しにしてしまうようで……俺は更に嫌いな展開の漫画を流し読む。


「クソ……可愛い美人な幼馴染がそばにいるのに“女として見てない”とか……どんな精神構造なら可能だって言うんだ!?」

「な~にさっきから漫画片手に唸ってんの?」

「うわおいあ!!」


 唐突に背後から掛けられた声に、俺は奇怪極まる声を上げてしまった。

 最近では最早お馴染みとなっているから今更その声が誰って事はないけれど、まさに今考えていた本人の声が突然掛けられた事に心臓が飛び出る思いだ。


「い、一応ここは俺の部屋ですぜ? そんな気が付かないように窓開けて突然声かけられれば誰だって…………」


 俺はそう言いつつ窓から侵入したであろう侵入者に苦言を呈そうと振り返り……言葉を失ってしまった。


「だ~って窓に鍵は掛かってないし、コレはお笑い芸人で言うところのフリだって思うじゃない?」


 そんな事を宣い小首を傾げる天音……確かにそれは否めない。

 最近は天音が来る事を期待して、在宅中はワザと鍵を開けているくらいだからな。

 しかし今問題なのはそこではない……問題なのは天音の格好の方だった。

 薄いタンクトップに短パン、そして濡れた髪をまとめる頭に巻いたタオル……どう考えてもお風呂上りの上気した体のアチコチが見え隠れするスタイル……。

 俺は湧き上がる『血の暴走』に耐えかねて慌てて顔ごと視線を外した。

 な、ななな……なんという“美味しそうな格好”を……いやいや、いかんいかん!!


「どうしたの、そんな慌てて……あ~さてはエッチな本を読んでたでしょ~」

「ちがうわい!!」


 むしろそういう事を考えないように読んでいたと言うのに……その努力を一瞬で無にしてくれる幼馴染である。

 そんな天音は俺の葛藤も知らずに窓枠に腰掛けた。

 最近はそこか、もしくはベッドに座るのが天音の俺の部屋での定位置になりつつある。


「今週末なんだけどさ、何かうち泊りがけの旅行に行く事になってね? 数日は残念だけど夢次君と夢見れないみたいなのよね~」

「うん? 奇遇だな……うちも週末出掛ける予定なんだよ」


 聞くと神崎家は結構な頻度で休みの日には家族で出かける事があるらしい。

 大抵は親友の三女神(神楽、神威)と一緒か家族でお出かけが休日の定番コースなんだとか……休日に一人じゃない辺りが何とも天音らしいと言うか……。


「あ、夢次君もなんだ。だから今日の明晰夢はリクエストしちゃおうかと思ってね、これを持って来たんだ~」

「リクエスト? そんなのいつもしてる気がするけど……」


 俺がそう言うと天音は持って来たゲームソフトを箱ごと俺に投げ渡してきた。

 それはとある有名ボードゲーム、電車で全国を回り金と資産を増やして相手にひたすら損害を与える……悪くするとケンカの原因にもなる有名なヤツ。


「夢次君の明晰夢って『夢の本』と一緒にゲームでも物語でも『本体』が無いと見れないって言ってたでしょ? それは持ってないって言ってたから」

「あ~確かに言ってたっけ……」


 昔話のキャラを元に全国を回るタイプのゲーム……確かにこれを明晰夢で見るとどうなるのか……ちょっと気になるな。


「じゃ、私はもう寝るからね、勝負よ勝負! 舐めプと接待はいらないからそのつもりでね!!」


 そう一方的に良い笑顔で言い残し、天音は自分の部屋へと戻って行った。

 メチャメチャ色々といい匂いを残して……。


 ……ここ最近の自分の不安定さに言い訳をさせていただけるなら、問題は天音側にもあると思ったりするのだ。

 俺も無意識のスキンシップとはいえ、明確な拒否があったなら恐怖がブレーキになったはずなのだ。

 にもかかわらず、チャラ男連中など気を許さないヤツは影にすら入れない天音なのに、俺の接触は親友たち並みに許してくれている。

 最近では今のように、以前にも増して無防備で無邪気な感じで接してくれて……それはとても光栄な事なのに、俺は無意識下でその事に付け込んで調子に乗ってしまうのであろうか……。


 実はその葛藤を解決する為の手段は……ヘタレの俺でもさすがに思いついていた。

 夢と現実の違いを是正する為の、今更ながら俺がするべきである事を……。

 それは結果的に、今の良い関係が全て消え去る可能性もあるのだが……現実で『恋人』というワケでも無い天音にこれ以上不埒を惰性で働くのは……どうしても……な。


「週末に少し距離を取れるのは良いかもな…………温泉で穏やかに心の整理と覚悟を決めて……そして来週には……」


                 ・

                 ・

                 ・


 ……ここ最近、無意識に夢次がスキンシップを図ろうとする時、いつも『左手の薬指』に指輪が現れていた事を知る人物は、本人を含めて誰もいなかった。



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