閑話 妹は心配性(夢香サイド)

 私には二人の兄がいる。

 長男は大学進学を機に上京、現在はキャンパスライフを満喫中でしっかりと彼女もいるらしいのでなんの心配も無いのだけど……問題は次男の方。

 天地夢次、高校2年……こっちの兄の何が問題なのかと言えば……良いヤツなのは間違いない。

 頼めば面倒な家事だってやってくれるし、私の無茶にもイヤイヤながら応じてくれる……人間的には非常に問題が無い青少年だと言える。

 では何が問題なのかと言えば……良いヤツではあってもイイ男では無いって事。

 良いヤツ=良い人=どうでも良い人とは良く言ったものである。

 そんな典型に見事にハマりそうな兄ではあるが、そんな男にも想い人はいる。

 本人はバレていないつもりなのか、それとも自覚がないだけなのかは知らないけど……間違いなく。

 家が隣である事もあって時々遭遇する事があるけど、その度に兄の視線の先には同じ女性が、神崎天音さんの姿があった。

 お母さんが言うには二人は昔はすごく仲の良い幼馴染だったって言うのだけれど、正直私は信じられない。

 美人でスタイルも良くて人当りも良くて……中学の私にすら学校で噂が流れてくる程“高嶺の花”なんて言葉が似あう天音さんと、うちの兄が……なんて。


 積極性も無くヘタレの兄はいつか誰かに出し抜かれるだろうと思っていたら……案の定、ある日天音さんが同じ学校の男と付き合い始めたという噂が中学でも流れて来た。


『言わんこっちゃない……』


 私は危惧していた事態に、せめて兄に発破をかけようと日曜日の朝、思い切ってその事を本人に問い詰めてみた。

 しかし兄は“抱き枕を抱えたまま”布団から出ようともしないで「確証の無い噂だろ?」などと日和った事を言いやがる……。

 何というヘタレ……じれったいにも程がある。


『あ~も~知らない! あんなヘタレ!!』


 私はもうこんなヘタレ野郎は知らん! と見切りをつける事にした。

 しかし、週明けに学校に行くと友達が嬉々として“天音さんの彼氏とのツーショットを手に入れた”と言われた時は……正直見たくなかった。

 その瞬間、兄の失恋が決定的なものになってしまうと思うと……。

 ヘタレではあっても良いヤツには違いない兄が傷つくのは……。

 しかし……私は兄をどうやって慰めようかとセリフまで考え始め、意を決して友達が見せて来たスマフォの画面を見て……息が止まった。


「…………は?」

「ね、すごいでしょコレ! あの神崎先輩がこんなにラブラブしてるなんてさ!!」

「ね~~このお相手は誰なんだろ?」


 友人たちはその写真に写る天音さんのお相手の事を、誰一人として知らなかった。

 ベンチに座る天音さんを背後から抱きしめている男の事を……。

 そして私は……その男の事を良く知っていた。

 この場にいる、ほかの誰よりも……。


「これ…………私のお兄ちゃんよ?」

「「「「「「「!?」」」」」」」


ザワ!!? 私が思わずポツリと漏らした言葉に、それまで盛り上がっていた友人たちが一瞬にして黙り、私に鋭い視線を向けて来た。


「「「「「「「KWSK!!!!!」」」」」」


 それから私は一日中、放課後になるまで質問攻めにあった。

 しかし聞かれたところで詳しい事なんて一つも知らない……しいて言えば私が知っているのは二人の関係性くらいなもの……。

 家がお隣で、幼馴染同士である……そのくらいだ。

 もっとも、友人たちはその情報だけで「凄い! ドラマみたい!!」と大はしゃぎだったけど……。

 おかしい……私が聞いた噂は天音さんの彼氏はもっとチャラついた男だと聞いていたのに……一体いつどこで兄がインターセプトしたのだろうか?


 分からない……ここは何としても今夜、事実確認をせねば……。

 そんな思いで家に帰った私だったのだが……居間を通りがかった所で、何やらニヤニヤしながらまだ完全に使いこなせていないスマフォの画面を見ているお母さんを見かけた。


「何してんの?」

「あ、お帰り夢香。ねえねえ、ちょっと面白い物を見せてあげようか?」

「なによ……面白い物って……ぶ!?」


 そしてお母さんが若干得意げに見せて来た写真に……思わず噴き出してしまった。

 それは……学校で友達に見せられた写真に似てはいるけど、全く違う場所で撮影された兄と天音さんのツーショットだった。

 このボックス席って……確か近所の『ソード・マウンテン』じゃ?


「お、お母さん……こ、これって……」

「さっきスーパーでさ~三上さん家の奥さんに会ったんだけどね? 昨日の朝に喫茶店に行った時に思わず撮っちゃったって……ウフフフ」


 それはボックスのテーブル席だと言うのに対面でなくワザワザ隣り合って座り、二人で寄り添って眠っている姿で……天音さんに限っては兄の肩に頭を乗せて……って!?


「昨日!? 今昨日って言った!?」

「そうよ~昨日の日曜日。ウフフ……奥手だと思ってたけど、あの子も中々やるじゃない」


 そんな……あり得ない。

 昨日の朝、という事は私が布団にくるまっている兄と話をした直後って事になる。

 私が天音さんについて話していた反応を考えれば辻褄が…………。

 いや、違う…………もしも、もしも……この写真が示すような関係に二人がなっているのだとすれば……昨日の兄の答えは日和っていたのではなく……。


 ゴクリ……私は息を飲んで気持ちを落ち着ける。


 そうだ……結論を急いではいけない……あのヘタレの兄が……そんな立ち回りが出来るとはとても思えない。

 私は自分の中に芽生えた仮説を一時的に封印し、今は一刻も早くやらなくてはいけない事を実行に移した。


「お母さん……その写真、私にもちょうだい。代わりに私も、面白いの見せてあげるから」


 お母さんは私が学校で入手した別の二人の写真に更に盛り上がりを見せた。

 その後大はしゃぎでお隣の家に突撃していったけど……私は見ない事にする。


 そして家の中には私しかいなくなった数十分後の事……私は重大なミッションを敢行していた。

 遠くから聞こえるお母さんとお隣の神崎のおばさんの会話は超盛り上がっていて、おそらく最低でも一時間は帰ってこない事は予測できる。

 ならば……チャンスはこの瞬間しかないのだ……。

 兄の部屋に侵入する、この千載一遇のチャンス…………失敗は許されない!

 私は何か、確証を得る為の証拠を持ち帰らないといけない……ターゲット(兄)が帰宅するより前に!!


 …………一度兄の秘蔵のエロ本を発見した時はその後制裁(大分甘目)が敢行され、以来私はこの部屋に無断で侵入する事は極力避けて来たのだが……。

 注意深く兄の部屋に侵入した私は、いつも通りそこそこ散らかっている部屋を見渡して……違和感を感じた。

 何だろうと思い、昨日のこの部屋のシーンを思い浮かべて…………。


「あ、そうだ…………布団が盛り上がってない」


 余っている布団で抱き枕にしている……そんな事を言ってくるまっていた布団は、今は何の変哲もないただの布団になっている。

 ……ベッドの下にでも入れたのかな? そう思って何となくそこをのぞき込んだ私は……予想外の代物を発見してしまい、息が止まった。


「え? え? ……何よコレ……」


 震える手でベッドの下から引っ張り出した布製の何か……。

 それがスカートという、女性の服装でしか当てはまらない代物である事を認識するのに、しばらく時間が掛かる……。

 兄に女装趣味がある……という憶測も出来なくないが、少なくとも私が知る限りの兄は普通に女性の綺麗な足が大好きな男だ。

 それに…………私はこのスカートに、見覚えがあった。

 あの人が普段着ていた記憶が……朧気ながらにあるのだ。

 認めて良いのか分からず……ただただ膨大な汗が流れ落ちて行く……。


「あ、あ、あ……天音さんの……スカート?」



 私は最早直接問いただすしか無いと決断した。

 私は今まで兄の事を信じていた。

 ヘタレでも何でも、良いヤツである事だけは胸を張って言えると……。

 しかし、しかしだ……女性の、しかもお隣の幼馴染のスカート何て物証が出てきてしまったからには……無条件で無罪と言い切る自信は無い。

 私は意を決して兄に問いただすべく、帰宅した事を確認すると彼の部屋の扉を勢いよく開け放った。


「お兄ちゃ~ん、ちょっと聞きたい事があるんだけど……それにご飯だって……」


 しかし夕飯を理由についでに話を聞こうと思っていたのだが……私は部屋の隅で座っている兄の姿に、一瞬にしてさっきまでの溢れる疑心暗鬼と好奇心の感情を引っ込めた。

 普段のほほんとしている事が多い兄なのに、理由は分からないけど消沈している事だけは見た瞬間に分かったから。

 

「……どうしたの? 電気も付けないで……具合でも悪いの?」

「……や、別に何でも…………それより何だ? 聞きたい事って……」


 それでも『何でもない』とばかりに言う……。

 兄は本当につらい事があった時にはこんな態度を取る…………自分のせいで気を遣わせないように、落ち込むのは一人の時だけにするという感じに……。


「ん~ん、今はいいや……。ってか本当に体調でも悪いの? あんまり顔色良くないけど……ご飯食べれる?」

「悪い……ちょっと今は何も食えそうにないな……。休んで体調が良くなったら降りるからさ……」

「了~解。お母さんに言っとくから、ちゃんと横になってなよ」


 こういう時には一人にしてやるべきである……それは我が家の暗黙のルールだ。

 私はそっとドアを閉めてリビングへと降りて行った。



 それからしばらくして……食えそうもないとはいえ、お粥くらいなら行けるか聞いてきてというお母さんの指令を敢行すべく、私は兄の部屋を再度訪れノックをしようとしたのだが…………私は中から聞こえて来た『女性の声』に驚き手を止めた。

 漏れ聞こえるその声は……間違いなく男女の会話で……。 

 私はある種の予感を感じて、そ~っと扉を音を立てないように薄~く開いていく。

 そしてそこにいたのは……予想はしていたけど信じられない人物……天音さんだった。


 天音さんが、玄関も通らずに兄の部屋にいる!?

 もしかして……屋根伝いに窓から入って来たの!?

 しかし私が考える暇もなく……とんでもない事態が目の前に展開して行く……。


「じゃあ……目を瞑って…………」

「お、おう……ドンと来い……」

『わ、わ!? わ~わ~わ~!!!』


 そう言ってからの二人が起こした行動は……友人だの、ただの幼馴染だのでは決してあり得ない事で……。

 私は目撃してしまった現実が夢じゃ無いのかと……ベタながら頬をつねってしまった。


『ウソでしょ!? まさか……まさか二人がそんな関係だったなんて……』


 私は目の前の光景にショックで震える……怒りで血液が沸騰する……自分が知らなかった事実に歯噛みする……。


『信じられない……お兄ちゃんが…………私のお兄ちゃんが……こんな男だっただなんて……』


 悔しくて涙が出そうになる。

 ヘタレでいつもでも何もしないとタカをくくっていた、あのお兄ちゃんが…………。






『まさか…………こんな『漢』だったなんて……!!』





 私は滾る血潮の命ずるままに……スマフォの録画ボタンをタップした。

 私は怒りに震える……兄を見くびっていた自分自身に!!

 美人の幼馴染と屋根伝いに逢引き…………近所の馴染みの喫茶店で早朝デート……幼馴染の特権を生かせないヘタレだと思い込んでいたのに……とんでもない誤算だった!!


『まさか……まさかこんな身近な所に、こんなベタなドラマや少女漫画みたいな事をしている猛者が存在していたとは……一生の不覚!!』


 私は自分が自然と笑っている事に気が付く。

 某高校バスケ部の情報では先を行かれた。

 喫茶店の情報でもご近所ネットワークに出し抜かれた。

 しかし……今この情報を握っているのは自分一人……みんなが興味のある人物の最先端の情報を自分だけが知り得たという快感にテンションが上がって行く!!


 それに、コレは情報の最先端を行けたというだけの事では無い。

 天音さんの彼氏発覚のニュースで一度は諦めかけた野望が、現実のものになる可能性が飛躍的に上昇したのだ。


『これは……天音さんを“お姉ちゃん”と呼べるチャンスじゃない!?』






 天地夢香……好奇心旺盛、思春期真っ盛りな……承認欲求の強い女子中学生であった。




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