第五十話 今を一番見せたくない者

 最近登校時間に家を出ると、何回かに一回の確率で天音が丁度家から出てきて『一緒に行こう』と誘ってくれる機会が増えていた。

 それは非常に良い事……疎遠期間中は夢見ていたと言っても過言ではない圧倒的な飛躍を遂げたと言っていいだろう。


 ただ……今日ばかりは少し違う。

 今日は天音に出くわさなくても良いかな~~~そんな思いで扉を開ける。

 そして、そんな時に限って、天音はしっかりと外で待っていた。

 タイミング良くとかじゃなく、完全に俺を待っていたのだ。

 物凄く……顔を紅潮させて……。


 その原因に思い当たり……俺は顔面を“青く”染めてしまう。


 昨晩の事、天音による衝撃的な『気合』により、あれ程落ち込んでいたはずの俺は現金なもので、この世で最も幸福なのでは無いのかと思うくらいに有頂天になっていたようで……昨晩はその事ばっかり考えていたのだ。

 そう、床に就いてからもずっと……その結果……。


 俺が家から出て来たのを確認した天音は顔を真っ赤に染め上げて……どう見ても怒っていた。

 この前『共有夢』で俺の部屋に乗り込んできた時と同じような顔で……。


「おはよう夢次君……少しお話があります……」

「は、はい!」


 あ、コレはヤバイヤツだ。

 静かなのに妙に迫力を孕んだ言葉に俺は思わず直立不動の態勢になってしまう。

 そんな俺に天音はツカツカと近寄ると……右の頬をおもむろに抓った。


「いてて…………あの……天音さん?」

「確かに昨日、私は……その……しちゃったワケだけど……」


 ギリギリギリ……そして段々と抓る指に力が加えられていく。

 ……イデ……イデデデデ!?


「だけど、私はあんなに長くねちっこい、えっちい感じになんてしてないもん! 何て夢見てくれるのかな君は!?」

「ぎいいてててててて!! すみません本当にすみません!! 当方といたしましても想定外の出来事でございまして……」


 俺は昨夜、何かの夢を見ようとか全く考えずに“余韻”に浸りながら眠りに付いたワケだが……それが原因なのか、昨夜の衝撃的な出来事の“更にその先”的な夢を見てしまったのだ。

 そしてこの反応は間違いなく『共有夢』として天音にも飛び火していたという事で……。

 早朝『夢の本』がいつも通り“天音の部屋”を向いていたのを見て冷や汗を掻いていたのだ。


「本当にスマン! しかしどうしても妄想は抑えられず、それであの本が勝手に機能してしまったみたいで……」

「だったらせめてそういう時は『共有夢』を何とかしなさいよもう!! 異世界編よりもっとリアルに近いディープなの見ちゃったから3時くらいに飛び起きて、それから全然眠れなかったんだからね!!」


 天音の“恥ずかし怒り”で俺の頬は早朝から腫れ上がってしまった。

 自業自得である事は自覚している……しかし……後悔は無い!!

 今確かに天音は見るなとは言わなかった……つまり『共有夢』にさえ気を付ければ、という言質が取れたという事で……。


「……何か、今都合の良い事考えてない? 君……」

「いえ! そんな事は無いであります!!」


 俺はジト目になる天音に思わず敬礼してしまった。

 最近、天音の鋭さに磨きがかかっている気がするのは、気のせいだろうか?



 そして俺たちにとってはいつも通りの学校生活を“いつも通り”に終えて……俺は今日はしっかりと学校の外で天音と待ち合わせをした。

 そして、今日一日、神楽さんと一緒に過ごしていた天音から報告を受ける。

 ……ヤツが本日、何喰わない顔で登校しているのは知っていた。

 その行動如何で今後どう動こうかと考えていたのだが……。

 報告する天音の表情は今朝とは全く違う怒り……憎悪からの憤怒をその美貌に張り付けている。


「今日一日、常に一緒だったけど接触は諸々含めて一切無かったわ……。そして終業と同時にあからさまにカグちゃんを避けて逃げ帰ったみたいね」

「……だな」


 怒りの報告を受ける俺も、全く同じ顔をしている自覚はあった。

『斎藤拓』、昨日振られて逆上して神楽さんを車道に突き出しトラックに追突させようとした『殺人未遂犯』だ。

 神楽さん自身は『ヤツとはもう二度と関わりたくないから』と無視を決め込むつもりらしい。

 そして腹が立つ事にヤツはその事を都合よく利用して何もしないつもりのようなのだ。

 本日一日様子を見て、神楽さんに対して何らかの謝罪の意を示していたのなら……と考えていたのだが、そんな兆候はまるで無かったのだ。

 むしろ、ヤツの態度は一変して“自分は最初から神楽に興味は無いし、好みでも無かった”という態度をとり始めたのだ。

 まるで自分は最初から神楽百恵に関わっておらず、何も悪い事はしていないと。

 昨日の出来事を『無かった事』として扱おうとしている。


 神楽さんにとっては自分に関わらないならそれで良いらしいけど……俺も天音も、それで済ませてやる気なんて……サラサラなかった。

 

「人を殺しかけたのに……罪悪感すら無い……か」


 俺は『夢の本』を今感じている感情を込めて開く。

 それだけで、本は強風に吹かれたかのように勢い良くパラパラとめくれて行き……とあるページでピタリと止まった。


明晰夢 上級応用 『深層感情の起床』


「じゃあせいぜい良い夢(あくむ)を見てくれ……」


 そして俺が手の平で『明晰夢』のページにある魔法陣を叩くと、魔法陣の中央にヤツの名前『斎藤拓』が浮かび上がった。


「ただし……死に逃げる事は許さない…………」


                *


『斎藤拓』は焦っていた。

 最初は仲間内で彼女がいないのは自分一人だけになった事だった。

 数人の仲間がその辺を揶揄するように、特に何股もかけている弓一などはバカにしていて……その事に腹を立てた斎藤はそれが嫌だから、という理由から最近弓一がちょくちょく声を掛けちょっかいを出していた神崎天音と一緒にる神楽百恵の事を『顔は好みだし都合が良さそうだから』と考えモーションを掛けていた。

 ……本人たちが聞けば間違いなく張り倒されるような、ある意味予想通りに自己本位が過ぎるガキの思想、しかしそんな行動は昨日何の成果もあげる事も無く“フラれる”という斎藤自身にとってあり得ない最悪の結果で終わったのだった。

 そして……その事実を受け入れる事が出来ず、自分勝手に憤った斎藤は、よく犯行を犯す人間が口をそろえて言う心境を味わっていた。


『カッとして、頭が真っ白になった……』


 気が付けば斎藤は神楽の背中を押していた。

 大型トラックが迫りくる車道目掛けて勢いよく……。

 やってしまった直後に斎藤は『しまった!!』と思ったが、時間が逆転する事などあり得ず彼女の体は大型トラックに跳ね飛ばされる……はずだった。

 そう思ったからこそ宙に飛んだ彼女の姿を青くなりながら見ていたのだが……次の瞬間に予想外な事が起こったのだ。

 どういう理屈なのか分からないが、彼女の体が投げ出されたトラックの前から当たる直前に吊り上げられたかのように“跳んで”反対側の歩道に着地したのだった。

 何が起こったのか理解が出来なかった。

 しかしこの時、斎藤拓という男が考えたのは一つの事だけだった。


『ヤバイ、逃げないと!!』


 反対側に何故か跳躍した神楽百恵。

 タイミングよく走って来て神楽と合流する友人たち。

 急ブレーキでタイヤ痕を残して止まったトラック……。

 この場に残っていたら絶対の当事者として面倒な事になる。

 この時の斎藤は本当にそんな事だけを考えていた。

 この事態を引き起こした張本人が、全くの他人事であるかのように……『助かったのなら大丈夫だろう』、そんな適当な事を考えて……。 

 

 そして翌日……何事も無かったように過ごす神楽の様子を陰から確認した斎藤は、もうすでに昨日の出来事を忘れる事にしていた。


『何も無かったなら、俺は何もしてないのと同じだ』


 殺人未遂を犯した意識などサラサラ無い、何の罪悪感も抱かずに。


『今後神楽に近寄らなければ良いか……元々タイプじゃねーし、大体アイツが素直に付き合ってれば俺もあんな事しなかったんだからな……』


 それどころか自分の罪を認めないだけでなく、まるで相手が悪いかのような自分勝手な解釈すらして……。

 そんな男は知る由も無かった。

 自分が『夢を葬る者』から最悪な断罪を既に下されていたという事実を……。




 その日の夜……いつもと同じようにスマフォをいじって夜更かししてから、斎藤はそのまま眠りに落ちた。

 しかしその瞬間、斎藤は妙な言葉を聞いた気がした。


『死に逃げる事は許されない……これ以上貴様の穢れた名をあの娘の人生に刻む事は絶対に……それは今以上の罪悪を重ねると知れ……』


 何故聞こえたのか、眠りに落ちる瞬間だったからなのか疑問を抱く事も出来ずに、意識は夢の世界へと離れて行く……。

 だが斎藤はその声に対して小バカにしたように鼻で笑った。


「死んで逃げる? 何で何もしてない俺がそんな事しなきゃならねーんだよ……」


                 ・

                 ・

                 ・


 斎藤は自分が今夢を見ているんだろうな……という事は分かった。

 それは自分が子供の姿になってテレビ画面に向かって盛り上がっているから……。

 確かにテレビに映っているのは昔自分が夢中で見ていた特撮ヒーロー物、正義の味方が悪者を倒していくという非常に分かりやすい勧善懲悪の物語。

 そんな物語に盛り上がっている子供の『自分』は大盛り上がりなのだが、その中で過去の自分を見ている斎藤は、幼い自分の姿に鼻で笑った。


『バカだよな~。こんな物語が作り物じゃなく本当にあるなんて、当時は本当に思ってたんだからな~』


 そんな勧善懲悪の物語で主人公が必殺技を繰り出して物語が終わった所で、後ろで見ていた『親』が笑いかけて来た。


「拓ちゃんは本当にそのヒーローが大好きよね~」

「うん! 僕将来は正義の味方になるんだ!!」


 斎藤は思わず『これが自分の昔の姿なんだ』と思って失笑してしまう。

 昔の自分の中にいるからか、その『自分』が本気でそう思っているという事が何故か分かってしまい……自分がこんな子供だった事が恥ずかしくなってくる。

 正義の味方、そんなもんこの世にいるはずもないのに……と。


 そうしていると突然場面が変わる……。

 それはとあるショッピングモールで開催されたヒーローショーで……母親にねだって連れてきてもらった『過去の自分』はテンション爆上げで……最後に行われた『ヒーローへの質問』に選ばれた瞬間、その気分は有頂天になっていた。


「僕は将来ヒーローになりたいです!!」


 恥も外聞もなく、本心から堂々と公衆の面前でそんな事を言う幼児の姿に斎藤は恥ずかしくなる……それは確かに自分の幼い日の姿なのだから余計に……。

 だが、その幼児が抱く本心に……何故か分からないけど斎藤の胸に言い様の無いジクジクした痛みが広がっていく……。


『? 何なんだ一体……』


 しかしヒーローは幼児の質問に対して真剣に答えてあげる。


「ヒーローになるのは難しいぞ。過酷で大変な仕事だ……君には悪に立ち向かう勇気があるかい?」

「あります! 僕はやれるもん!!」


 元気良く言う幼い日の自分の瞳は輝いていた。

 バカみたいに、本心から、自分が正義のヒーローになれると……正しい者になれると……。

 ズキリと……斎藤の胸に痛みが広がって行く……何も知らなかった幼い日の、恥ずかしい正義の味方になれると本気で信じていた頃に自分の姿に……。

 本当は分かっているはずの……思い出したくない何かを思い出しそうになって……。

 

「じゃあ君は虐められているお友達がいたら、どうするかな?」

「いじめっ子をやっつけて、助けてあげる!!」

ズキリ……

『ウソだ……実際にはハブられるとしか思わずに、面白がって一緒に虐めて登校拒否にまで追い込んだ……』


「電車でお年寄りや足の不自由な人がいたら、どうするかな?」

「椅子を譲ってあげる! どうぞって!!」

ズキリ……

『ウソだ……調子に乗って優先席にワザと座って……』


 ヒーローがしている質問は『特撮のヒーロー』という立場から道徳的な事を子供に教えている……ただ、それだけの事だ。

 しかし……その質問と、過去の自分の受け答えが……『今の自分』の臓腑の奥から何かを抉るような……例えようのない痛みをもたらしていく……。


「じゃあ……最後の質問だよ?」


 そう言うと……何故かヒーローは『過去の自分』に対して、自分の武器である光線銃を握らせた。

 それは特撮らしく無駄に派手な造りだけど、それでも重量はそれなりにあって……何故だか本当に使えるような気がしてくる。

 斎藤が何やら背筋に冷たい物を感じ始めた時……ヒーローは質問した。


「女性を自分勝手に道路に突き飛ばして殺そうとする男を……射殺する事が出来るかな?」

「…………え?」


 そう言った瞬間、斎藤は何故かヒーローと過去の自分の目の前にいた。

 今まで幼い頃の自分と一緒にいたはずなのに……。

 あまりに唐突な出来事に動転する斎藤だったが、更なる追い打ちが掛かった。

 あんなに明るく、ヒーローの質問に快活に答えていたはずの過去の自分が……ひどく冷たい目をして自分に銃口を向けていたのだから……。


「できます……殺ってやります……」


 その声色から、幼い自分が本気で自分の事を撃ち殺そうとしているのを感じて、斎藤は思わず声を上げた。


「ま、まて、止めろ!! 俺はお前の…………!?」


 しかし、斎藤はそれ以上声を出す事が出来なかった。

 幼い自分が、未来の自分に殺意に満ちた目で睨みつけて……泣いているのだから……。


「僕は……嫌だ。こんな……こんなカッコ悪いのが自分だなんて……。女の子を自分の想い通りにならないからって、殺そうとするヤツになるなんて……」

「お、お前……」

「それも自分が悪い事をしたのに認めない……怪人以下のヤツになるだなんて……僕は絶対に認めない…………」


 銃口を震わせて泣く過去の自分の言葉……それは誰に言われるよりも、容易に自らの心の奥底を貫いていた。

 何しろそれは昔は持っていた自分の心からの言葉……忘れていただけの、知識も乏しく幼かったガキの頃の自分でも持ち合わせていたはずの、当たり前の正義感……。

 斎藤は……撃たれたわけでもないのに、その場にうずくまってしまった。


『いつからだ? 自分はいつからこんなに情けない男に成り下がってしまったのだ!?』



「あ、あ、アアアアアアアアア!!」


 そう思った瞬間……斎藤は目を覚ました。

 心の奥底からの激痛に耐えかねて、悲鳴を上げベットから飛び上がって……。

 まだ時刻は夜明け前、薄暗い自分の部屋の中で斎藤は全身から噴き出す冷や汗と震えを抑える事が出来ず……頭を抱えてしまう。

 涙が……止まらなくなる……。

 子供が泣いていた……正義の味方になるって言っていた過去の自分が、未来の自分の姿に絶望して……。

 思い出してしまった当たり前の『正義感』が自分の行いを強烈に攻め立てて来る。

 自分は人殺しをしかけた極悪人……いや、悪事を自覚しない分それよりも遥かに劣る腐れ外道……より質が悪い。


「死にたい……こんな……こんな腐ったヤツ……死んだ方が……」


 絶望に対する死の欲求に、斎藤は思わずカッターナイフを手に取りそうになるが……その瞬間に、眠りに落ちる前に聞こえた声がフラッシュバックする。


『死に逃げる事は許されない……これ以上貴様の穢れた名をあの娘の人生に刻む事は絶対に……それは今以上の罪悪を重ねると知れ……』


 あの時には鼻で笑ったその言葉は……呪いの言葉であった事を斎藤はようやく理解した。

 ここで自分が死ぬ事で万が一にも被害者の神楽が責任を感じるような事があれば……それは確かに自分と言う必要の無い外道の名を彼女の人生に刻み付けるに等しい。

 それは自分が楽になるだけの……更なる犯罪行為に等しい……。


「う、うあ……うああああああああああ!!」


 罪悪感を自覚し生きる事が苦痛と化してから始まる苦行の人生……その事実に……斎藤拓という男は絶叫するしかなかった。



明晰夢 上級応用 『深層感情の起床』

 現在の自分に都合が悪いからと忘れていた深層にある感情を強制的に思い出させる夢。

 前任者が悪人から特に恐れられる一端となった夢の一つ。


                *


「自主退学? 斎藤が?」

「ええ……結局あれから一度も学校に来る事無くいなくなったそうよ」


 あれから一週間後、登校中に天音が事件について教えてくれた。

 結局あれから斎藤は自ら罪を自白して自主退学、その後日本でも屈指の矯正施設に自主的に転入を果たしたんだとか……。

 最終的には坊主になり、『直接の謝罪が礼儀とは重々承知だが、これ以上神楽さんの目を汚して不快にさせる方が申し訳ない』と馬鹿丁寧な謝罪の手紙が届けられたとか……。

 それから双方の家庭で慰謝料やら刑罰やら話し合いがなされたらしいけど、当の本人である神楽さんが『もういいよ、めんどくさい。私はケガもして無いんだから、今後関わらないでいてくれればそれで……』と言って、結局最低限度の医療費くらいで無かった事になったようだった。


「……なんかちょっと、お人よしが過ぎね~か? 神楽さん」

「ね…………私もそう思うけど……」


 なんと言うか……サバサバしていると言えばそうだけど、し過ぎているというか、なんというか……。


「いつかまた、別のトラブルに巻き込まれるんじゃないかと心配にもなるな……」


 俺が思った事をボソッと言うと、天音は歩きながら前方に発見した“二人”を見て笑う。


「ま、その辺は大丈夫でしょ? 神楽家には頼もしくありがた~い守護神様がついているんだから…………おはよ~カグちゃん!」

「お~オハヨ」


 そして天音が声を掛けた先に歩いていたのは件の神楽さん……と。


『おはようございますです夢次さん』

「よ、おはようさん」


 足下を歩いていた金色の子狐が、元気良く挨拶を返してくれた。

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