閑話 約束しないで……また会おう(神楽千里サイド)
神楽千里、旧姓白鷺千里……彼女は最近娘の教育の事で悩んでいた。
最近娘の百恵と折り合いが悪く、そのせいでここのところ最低限度の会話以外話す事が出来ていない。
しかも全て自分発信の注意ばかりで、彼女は娘から『ウザイと思われているだろうな』と内心傷ついてもいた。
そんな……どこにでもいる反抗期の娘を持った母親、それが彼女だった。
そもそも折り合いが悪くなった原因は、最近の娘の格好について注意した事が発端。
勉強は本人の頑張りで常にトップクラスをキープ、信頼する友人たちに囲まれている娘を誇りに思っているくらいの千里さんだったが、娘の今後を考えると最近すこーし派手目なマセた格好をする事が心配なのだった。
自分が以前は地元では有名な名士だった白鷺家が凋落した後、様々な苦労をして俗にいう就職氷河期も経験した事から……自分と同じような苦労はさせたくないと思ってしまうと、どうしても口を出してしまうのだった。
「学生のうちは好きにしたい…………気持ちは分からなくないけど……」
あまり口うるさい事は言いたくないけど、自分以外にその事を指摘する人はいないだろうと思うと……言わざるを得ない。
そんな風に悩んでいると、自宅のドアが開いた音が聞こえて来た。
特別声が聞こえなくても千里さんには、それが娘の百恵が帰って来た事が分かった。
「……おかえり」
冷たくならないように、素っ気なくならないように……色々と考えて話しても、帰って来た娘は『どうせ今日も無視されるのだろうな……』とそんなネガティブな事を千里さんは考えていた。
しかし……そんなネガティブな予想は裏切られる。
「……ただいま」
「え!?」
返事が返って来た。
そんな当たり前な事なのに、冷戦状態になってからまともな会話も出来ていなかった千里さんは思わず娘の事を二度見してしまった。
「な、なによ、そんな驚いて……」
「え!? あ、ううん……なんでもない」
そして娘から返事が返ってきた事に驚いていた千里さんだったが、更に驚かされることになった。
「ねえママ……手紙、預かって来たんだけど」
「手紙? 誰から?」
千里さんは一瞬玄関先で郵便配達からでも受け取ったのか? と思ったのだが、娘が渡してきた封筒には差出人どころか宛先すら書いてはおらず、ただただ無地の茶封筒だ。
「これって私宛の手紙なの? 何も書いてないけど……」
受け取った封筒を確認しつつ聞くが、娘の百恵は首を傾げて確証がない様子で……。
「ん~? どうなんだろう……アマッち……私のダチの彼氏から渡されたんだけどさ、宛先はママで間違いないって言われて……」
「友達の彼氏? 年はどのくらいなの?」
「同級生……彼氏もタメだよ」
娘と同い年、つまり高校生。
自分が年齢的にもその世代と接点が娘以外に無い事を考えると、千里さんは何やら懐疑的な気分になった……何かの悪戯の類か? と。
しかし娘の説明を聞いて……思考が停止する。
「なんでも、その手紙は30年前に市内の『二ッ森』の麓にある喫茶店に預けられた物なんだってさ。当時は今と違う店だったみたいだけど……」
「…………え?」
二ッ森、それは千里さんにとってよく知っている場所だった。
自分が30年前に白鷺家の令嬢として暮らしていた……だからこそ、もう二度と訪れる事は無いだろうと思っていた場所。
結婚後に近隣まで来たけど、当時の事を考えるとあえて行こうとは思えなかった場所。
だが……その二ッ森の麓にある喫茶店……その言葉に、千里さんの記憶の扉が開く。
「二ッ森の……喫茶店?」
「今はソード・マウンテンって名前だけどさ、前オーナーから受け継いでいたんだって。着物姿の桜の髪飾りをした女の人が来たら渡してくれって……金髪でオカッパの、巫女衣装を着た女の子がって……」
「!?」
娘がもたらした差出人の情報には意図的な脚色が施されていたが、その宛先人と差出人両方の外見を聞いた途端、千里さんは慌てて封筒を開く。
『まさか……そんな……』
はやる気持ちを押さえ、自然と震える手で開いた手紙……目にした字は幼い子供が頑張って書いたような…………でも、間違いなく自分の記憶の底に眠っていた思い出の女の子からの手紙だった。
またいっしょにあそぼうね。
わたしはずっと、おやしろでまってる。
いつかいっしょに、おやまのしたのおちゃやさんにいこうね。
このは
「こ、これって…………まさか……コノちゃん?」
つたない文章で鮮明に思い出される幼い日の記憶。
箱入りでいつも敷地から出してもらえず、遊び相手がいない幼少の時代。
そんな時に唯一自分と遊んでくれた大切なお友達……。
『なんで……そんな大切な人の事を忘れていたのだろうか……』
千里さんは自分の薄情さと30年の年月、この手紙が自分に届かなかった事実に……力なく座り込んでしまった。
しかし実状を考えれば致し方ない事でもあった。
当時8歳程だった彼女は白鷺家の没落に伴って、当時あらゆる大人の事情に翻弄されて楽しかった思い出は苦難の記憶に塗りつぶされて行ったのだから。
特に元実家の場所は彼女にとって当時の苦労をどうしても思い出させる場所……あえて思い出そうともしなかったのは無理も無かったのだ。
「ちょ、ちょっとママ! どうしたの? 大丈夫!?」
母のそんな様子に百恵は慌てて駆け寄り支える。
百恵は力なく寄りかかる、普段は見る事の無かった母の弱弱しい姿に心配を募らせ更に慌ててしまう。
それから……ここ最近の冷戦状態は何だったのかと思うくらい、百恵は母を心配して「今日はもう休みなよ。後の事は私がやっとくから……」と率先して家事全般を肩代わりしてくれた。
千里さんは心配してくれる娘に申し訳ないと思いつつも……今日ばかりは娘に甘えておこうと思い……普段よりも随分早い時間から床に就いたのだった。
「30年か…………」
そして一人で目をつぶると、湧き上がってくるのは後悔の連続。
そんな長い年月、待っている人などいるワケがない。
思い出したくないから……そう考えて大切な事まで忘れていた……。
その思いを胸に……彼女の意識は薄れて行く……。
・
・
・
……それは幼い日、何度も何度も見たはずの風景。
何の根拠もないのに何時までも変わらないと思い込んでいた二ッ森の山から見える景色。
「ここは……もしかして……」
千里さんはそんな場所を歩いていた。
雑木林の中の一本道を、着物姿に桜の髪飾りをした……幼い日と同じ姿で。
何故自分が子供の姿なのか、その事に不思議と疑問を抱く事は無かった。
だが、一つの事実、可能性に気が付き彼女はおもむろに走り出した。
「もしかして……もしかしてあそこに行けば!」
それはいつも約束もしないでいつも待ち合わせた“約束の場所”。
いつもあの娘が待っていてくれた、赤い鳥居のある場所。
やがて見えて来る赤い鳥居、その下に…………その娘はいた。
あの時と同じように、金髪オカッパな……どこか浮世離れしたような巫女衣装の可愛らしい女の子が待っていてくれた。
「コノちゃん!!」
「ちーちゃん!!」
千里さん……ちーちゃんは全力で駆け出し、友達のコノハちゃんへと抱き着いた。
三十年ぶりの再会に、二人の少女はそのまましばらく泣きじゃくる。
会えなかった期間を埋め合わせるかのように……。
「ゴメンねコノちゃん! 突然いなくなって!! 今まで忘れてて本当にごめんなさい!!」
「いいのです……また会えたのですから……」
・
・
・
千里さんが不思議な……懐かしく温かい夢を見た翌週の日曜日。
彼女は娘と一緒に二ッ森の古びた神社へと足を運んでいた。
しばらくの冷戦状態で、母からは最近ケンのある言葉しか聞いていなかった百恵だったけど、母から初めての“お願い”に渋々同行したのだった。
千里さんはあれ程昔を思い出すと辛いと思って避けていた場所なのに……来てみるとそれ程わだかまりが無かった事に自分でも驚いていた。
「古くなったものね……やっぱり30年もなれば……」
しかしやはり時の流れは何にでも平等に訪れるもの。
自分の記憶よりも大分朽ちている神社の様子に千里さんは何とも言えない気分になった。
ただ……対照的に娘は妙にテンションを上げ始める。
「こ、ここって……もしかしてアマッちが天地とラブラブしてた現場じゃないか!?」
「え? モモちゃんの友達って、こんな所に来るの? 随分関心な若者ねぇ」
「や、別にお参りとかじゃないんだよね~だってホラ……」
「ん? あ、アララ……」
娘が見せて来たスマフォの画面に、確かにこの場所でくっついて座り、仲よく眠っている姿が写っていた。
「この二人って幼馴染なんだけど、最近まで結構疎遠状態だったんだよ~」
そう得意げに話す娘に千里さんも興味を示す。
「あら何それ面白そう! 色恋の話はママも大好物よ」
「へえ~……ちょっと意外……」
真面目一辺倒だと思い込んでいた母の言葉に百恵は驚く。
実の母だと言うのに、話さないと分からない事はまだまだあるのだと……当たり前の事なのに今更理解した気分になった。
「丁度麓に喫茶店があるのよね? そこでジックリとお話を聞きましょうか?」
「……情報料はパンケーキね」
そして仲良く親子そろってお参りを済ませ山を下りて行くのを……金色の子狐が鳥居の陰から何時までも見つめていた。
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