第四十八話 白昼夢の稲荷神

 油断、それ以外の原因など見当たらない。

 俺は予知夢で事が起こる事を知っていた。

 犯人の顔だってしっかりと見ていて、誰なのかも確認していた。

 それなのに、肝心な犯行に及ぶ犯人から目を離した……。

『犯人の顔が割れているのだから大丈夫だろう』などという、何の根拠もない浅はかな考えで……携帯とかの連絡手段が使えないコノハちゃんに“奴が学校を出たら直接知らせる”という隙の大きい指示を出してしまった。

 仮に俺が奴らに嫌われていると言っても、俺には昼間に使った見つからない方法、幽体離脱ってアドバンテージがあったにも関わらず……だ。

 油断せず、一時たりとも目を離さない……たったそれだけの事を怠らなければこんな事にはなっていないと言うのに……。


「はあ、はあ、はあ…………くそおお! 一時間前の自分をぶん殴ってやりてえええ!!」


 俺たちは大通りを戻る方向、北区に向けて全力で走っていた。

 体力測定の1500メートル走ですらへばってしまう俺だが、この時ばかりは泣き言を言っている暇などなかった。

 息が上がり、心臓が悲鳴を上げ、何よりも足がどんどんと地面を蹴っているのか分からなくなるくらいに感触が無くなって行く……。

 しかし、それでも……喩え心臓が破裂しようと、血反吐を吐こうと、足を止めるという選択肢だけは選ぶワケには行かなかった。

 これは……俺がやらかした、俺のせいで招いた失態なのだから。


 同じように走る天音も必死な形相ではあるものの、俺よりは運動能力が高いからか俺よりは多少の余力が残っているだろが……それでも時間の問題である。

 どんな一流アスリートであっても、全力疾走で走り続けるなんて事は出来ないのだから。


「な、んで、こんな時に限って、タクシーの一台も通んないのよ!!」


 天音の文句に頷きそうになる。

 今だったら後の刑罰も辞さない覚悟でチャリパクだってしようモノなのに、こんなの時に限ってどこにも止まっていない!

 特徴のない一本道だけが、ただただ続いていた。

 しかし酸欠状態で目の前が朦朧とし始めて来た時、コノハちゃんが声を張り上げた。


『夢次さん! あれを見てくださいです!!』

「は、は、ひ……や、やばい!!」


 もう全力でどのくらい走ったのか分からないのだが、それでもここから400~500メートルは先の“反対側の歩道”に二つの人影が見えた。

 顔は見えない、何者かも分からない……しかし『何か口論をしている』ような事だけは分かった。


「あ、あれってまさか!?」


 天音も人影が見えたらしく、目を細めてよく見ようとしている。

 まだ間に合うのか!? そう思ったのもつかの間……口論していたかに見えた片方がその場から立ち去ろうとして、その背後からもう片方が何かをしようとしている!?

 その“何か”の内容を俺はしっかりと見ていたのだ。

 見ていたと言うのに……。


「やめろおおおおおおおお!!」

「カグちゃん逃げてええええええ!!」


 俺たちは揃って声を張り上げた。

 しかし……その叫び声は距離と言うどうしようもない現実の前に、空気中にかき消されて届く事も無く……。



 神楽百恵、天音の親友の体はアッサリと……向こうから走って来た大型トラックの前に、ガードレールを飛び越えて……宙を舞っていた。



「あ、あああああああああ!!」


 目の前が真っ白になる。

 そんな話をよく聞くけれど、本当にそうとしか表現できなかった。

 知っていたのに……。

 助けられたはずなのに……。

 俺は自分の迂闊さが招いた事態を呪った……絶望した。


『俺のせいで……俺が油断したばかりに、俺の、俺の……』





 しかしその時、俺は自分の感覚が妙な事に気が付いた……。

 運動不足なクセに数キロを走って酸欠状態、体力も気力も限界で最早考えすら全くまとまらず、ただ自分の不甲斐なさを嘆いていたはずなのに……。

 俺は何故か、冷静に別の事を考えていた。

 目の前が真っ白になっている……そう思っていたのだが、違う。

 周囲のすべてから色が無くなって、モノクロの世界になっている……。

 そして……すべての景色がスローモーションのようにゆっくりと見えていた。


 ……普通ならこんな事態、驚くはずなのに……俺はそんなスローに見えるモノクロな世界で冷静に『今の自分たちが出来る最大限』のみを考え、行動に移していた。

 まるで慌てる自分と、冷静な自分の意識が二つあるかのように……。


 俺は天音と真正面からまるでダンスでも踊るように、右手と左手を組んで事件現場に向けて突き出すと、その上にコノハちゃんを乗せた。


「な、なに!?」


 親友の危機に気を取られていた天音が俺の行動に驚くが、俺は構わず確信に満ちた声で言った。


「魔力を借りるぞ“アマネ”!! 飛べ、稲荷神!!」

「……え?」


 俺は返事も待たず、何の事かもわかっていない天音の背中を『夢の本』でポンと叩いた。

 その瞬間、俺たちの腕に乗っていた子狐に天音から膨大な“何か”が流れ込み……“ドン”という音と共に光の線となって高速で放たれた。


『おおおおおおお!? こ、これって!?』


 そして放たれた子狐は高速の光の中で、与えられた『通常の人間では考えられない膨大な魔力』を伴い、美しく神々しい成体の狐の姿へと変貌して行く……。

 そして…………。


キキキキキキイイイイイイイ!!


「え……あ?」

『ちーちゃああああああん!!』


 気が付いた運転手が慌てて急ブレーキをかけるが、投げ出された神楽さんが跳ねられるのは確実、最早回避は絶望的……誰もがそう思い、俺だってそう思っていたのに。

 衝突するような音は……終ぞ聞かれる事は無かった。


 変わりに聞こえてきたのは……何故か反対の歩道にペタンと座り込んで現状自分に何が起こったのか、何で車道に投げ出されたというのに助かったのか、全く理解出来ないでいる・……間の抜けた神楽さんの声だった。


「……え? あ、あれ? 一体私、何を??」

「か、カグちゃん!!」

「え? アマッち??」


 そして泣きそうな顔で神楽さんに抱き着く天音の姿と、彼女を優しく咥えて俺たちの前に下してあげた金色の狐の姿……。


「よ、かった…………間に合っ……」


 俺はそう思った瞬間、唐突に全ての身体機能がストップしたような感覚に襲われた。

 それからすぐに意識すら遠のいて行く……。

 碌に運動もしていないのに全力疾走した代償……か……。

 俺は最早何も考える事も出来ず、意識を手放した。


 いつの間にか現れた、『夢の本』の新たな項目を知る事も無く……。




夢操作、上級編


『白昼夢』 使用者の体力、精神力が極限状態の場合に限り、持ちうるすべての武器を自動的に選別し自動で最悪を避ける夢。緊急事態につき『深層』から記憶を引き出す事もある。

*本来の幻覚を指す白昼夢とは意味が異なる。



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