第四十四話 跳び箱と幽体離脱

 四時間目終了、先生が教室から出た瞬間を見計らって俺は速攻で教室から脱出した。

 背後から工藤によく似た声で「あ! 逃げやがった!!」と聞こえて来たけど気にしない……あのまま少しでも躊躇していたら昼休み一杯連中に尋問されるのは明らか……最終的に何を言わされてしまうのか分かったモノじゃない。

 というか、土日中に天音と起こった出来事に関して口外出来る事はいろんな意味で一つも無い。

 夢とか稲荷神の事は無論の事、部屋に天音が~とか抱き枕にして~とか……言えるワケが無いではないか!!

 アレらの事実はしばらく一人で思い出して楽しむ……イヤイヤ、それはまあ置いといて。


 女性陣の包囲網に関しては天音に任せるしか無いし……。

 男たちでも手を焼いているのに、女子の追及など俺のようなヘタレ男子にどうこう出来ようはずもない。

 それに……俺にはやるべき事があるし。


 昼休みの間、学校にいながら誰にも邪魔されずに眠っていられる場所を俺は朝からずっと考えていて、今はその場所に向かっているのだ。

 トイレの個室とかも考えなくもないけど、それだと緊急事態の人がいたら迷惑になってしまうだろうし……と色々考えた結果、俺はある場所を選んでいたのだ。

 それは体育倉庫の跳び箱の中!! 

 ……いささかテンプレな発想と思えなくも無いけど、実際学校の中で一番安全に隠れて寝ていられる場所となると、そこしか思いつかなかった。

 そしていざ体育倉庫に到着してみると、案の定人気は全くなく耳が痛くなる程の静寂に包まれていた。

 ただ、何故か授業中はずっと教室中を物珍しそうに走り回っていた子狐が俺の足元にちょこんと座っている。


「あ、あれ? なんでコノハちゃんがここに……天音は?」

『お姉ちゃんは「今はどうやっても抜け出せないから夢次を手伝ってあげて」と言っていたのです』

「そ、そうか……」


 元気よく答えてくれるコノハちゃんの言葉に、現在の天音の状況を察する事が出来た。

 ……向こうはどの程度の追及があるんだろうか……後で確認するのが怖い、というか恥ずかしいというか……どうしよう……なんか顔を合わせ辛いんだけど……。


『それで夢次さんはこんな場所に来て、何をなさるんです?』


 小首を傾げて聞いてくる子狐に、とにかく今後の問題は棚上げにしておく事にした。

 ……なんかもう、色々と手遅れって気もするけど。

 今はここに来た目的の方を優先しなくては。


「昨夜見た予知夢の手がかりはチャラ男連中の一人だけど、馬鹿正直に俺が聞いてもまともな会話にならないだろうし、今となっては天音だって無理だろう?」


 予知夢、その言葉でここに来た理由が自分に関係する事だと悟ったコノハちゃんは真剣な顔になる。

 元々連中と俺たちは折り合いが悪かったのに、お目当てだった天音は今別の何者かと絶賛噂話の渦中にあって、最高潮に不快な存在と化しているだろうから。

 なら……どうすれば良いのか。

 俺は『夢の本』を取り出して今現在出現しているページで最後に当たる場所を開く。


「夢操作中級、最後の項目……正直言うとちょっと印象がおっかないからスルーしていた夢なんだけど……さ」


『幽体離脱』

 眠っている間に霊体のみ抜け出し動く事の出来る夢。

 霊体は一般人には基本視認する事が出来ない。

 肉体を起こされると霊体も戻るが、目覚めず余り長時間抜けていると肉体の方が限界を迎えて死滅してしまう。

*前任者はその危険性を踏まえて制限時間を設けている。大幅に余裕を持って『30分』制限時間が過ぎると強制的に肉体に戻される。



 ……前任者と言うのが何者なのか分からないけど、何というか色々な意味で他人のような気がしない。

 スズ姉の前世の知り合いらしいけど、今の俺にとっては安全装置を付けて貰えているのはありがたい。

 俺はいそいそと跳び箱の中に身を顰めると、跳び箱の中からコノハちゃんに頼んだ。


「コノハちゃん、もし何かありそうだったら遠慮なく俺を起こしてくれ」

『分かりましたです! 任せて下さいです!!』


 小さいながらも頼もしい声を最後に俺は『幽体離脱』のページに手を置いて、静かに目を閉じた。

 ……さて、これから何が起こるのか。



 ……と一抹の不安を抱いていたのだが、俺はいつの間にか跳び箱の前に突っ立っていた。


『あ、あれ? 俺はたった今跳び箱の中で……』


 そう思って跳び箱の中を覗き込んだ俺は、中で『夢の本』を手に持ったまま眠っている“自分”の姿をハッキリと目撃して、理解した。

 つまり『幽体離脱』は、もう始まっているという事なのだ。


『しかし霊体って言っても、宙に浮いているワケじゃねーのな。今の俺普通に歩いているし……でも物は掴めないし、壁も抜けるんだけどな……』


 何となく幽霊の延長で考えていたからか、霊体になるとフワフワ浮くものだと思っていたんだが……。


『それは仕方が無いのです。完全な夢と違って霊体の方は現実の感覚に引っ張られるです』

『お?』


 俺の呟きにコノハちゃんはしっかりと“俺を”見据えて答えてくれた。

 つまり彼女には俺の事、つまり霊体がしっかり見えているってワケで……。


『もしかしなくても、コノハちゃんには見えるんだ』

『ハイです。でもこの学校で見えるのは私だけのはず、他の人には見えないのです!』

『それは好都合だけど……』


 考えてみればコノハちゃん自身が霊体よりで、俺たちが彼女を認識できているのは彼女が認識できるようにしていてくれているからだ。

 なにしろ子供でも稲荷神、霊体が見えたって不思議ではない。

 しかし、霊体は現実の感覚に引っ張られるって事は……。

 

『もしかして、霊体の操作も明晰夢と同じで“気の持ちよう”って事になるの?』


 俺が思い付きで言ってみると、コノハちゃんは小さく頷いた。


『間違っては無いのです。でも夢次さんは『霊体なら壁は抜けられる』と思いつつも『人は空を飛ばない』と思っているです。その感覚がある限りは霊体で空を飛ぶのは難しいのです』

『……ようするに霊体の場合だと、現実に“自分が空を飛べる”と思える痛い子じゃないと空は飛べないって事?』

『ザックリ言うと、そんな感じです』


 明晰夢で空を飛ぶのは簡単、何しろ『これは夢だ、現実じゃない』という精神的な免罪符があるからな。

 反対にこの『幽体離脱』はとことん自分の『現実感』に引っ張られるから、平たく言うと歩いて移動するしか無いって事らしい。


『本当に……変な所で楽をさせてくれない本だよな~』


 俺は愚痴りつつ、コノハちゃんの『行ってらっしゃいです~』の言葉と共に体育館倉庫を後にして、そのまま校舎裏を目指した。

 校舎裏に続く道は基本的に通行する生徒は少なく、連中がたまり場にしやすい場所でもある。

 ……普段のアイツらなら昼休みに天音たちに絡む目的で教室に居座っていたけど、今の状況で居座れる程面の皮は厚くないだろうからな。

 そう予想を立てて歩いていると、途中の渡り廊下で例のチャラ男、弓一と先日俺が未来夢を見せて犯罪を思いとどまらせた新藤さんを発見した。

 っていうか新藤さん、本当に印象が変わったな。

 黒髪ショートになった彼女に先日までの軽い雰囲気は欠片も見られず、清純派と言うよりはお堅い風紀委員的な印象まで感じる。

 しかし雰囲気は険悪……と言うかチャラ男側が一方的に暴言をまき散らしていた。


「お前、連絡寄越さねえし、面も見せないってのはどういう事だ!? それにそのだっせえ恰好、誰がそんな髪型や恰好して良いって言った!? アア!?」


 気に入らないからと女性に対して大声で威圧するチャラ男、そんなヤツを黙って見ていた彼女は……挑むようでも抵抗するようでもなく、ただ真っすぐに見据えて言う。


「…………何で許可が出来ると思ったの?」

「あ?」

「私が私の意志でやった事なのに、なんで貴方に許可を頂かなくてはならないワケ?」

「…………お、おま……」


 その口調は淡々としていて外野にとっては単なる正論、俺も思わずウンウンと頷いてしまう答えだ。

 しかしチャラ男にとっては事件だったようで、その答えを聞いた途端、顔を真っ赤にして声を一瞬失ってしまった。


「………………お前……捨てられたいのか?」


 そして絞り出したのは脅しの言葉……多分いつもだったらこの言葉をちらつかせるだけで全て思い通りになっていたのだろう。

 実際新藤さんもコイツの彼女って居場所を確保する事ばかりに執着していたから、色々視野を狭めていたワケだしな……。

 しかし、新藤さんにとってその言葉は最早繋ぎ止める鎖には成り得ない。

 彼女はヤツの言葉を鼻で笑った。


「捨てるって……今まで彼女扱いされた覚えも無いのにね……考えてみれば拾われた覚えすら無いわね」

「な、お前!?」

「捨てると言うのなら、どうぞ? こっちもアンタと関わる気は一切ないから……」


 そう新藤さんがキッパリと言い放ち踵を返した。

 その姿は堂々としていて、思わずおれは『かっけえ!』と称賛を送ってしまう。

 しかし言葉で優位に立つ事が出来ないと悟ったらしいヤツは目を血走らせて叫んだ。


「おいお前!! 舐めやがって、ぶっ殺されたいのか!!」


 さすがにこれはヤバイ! そう言えばコイツ、何股もしておいて自分から離れようとする女性には暴力すらやる最低男って話だった!!

 俺は慌てて本体に戻ってから助けに来ようと思った。

 本体に戻ってから駆け付けるには数分のタイムラグが出来てしまうから急がないと、と思ったのだ。

 …………が、その必要は無かった。


「あら…………殺してくれるの?」


 叫び声にゆっくりと振り返った新藤さんは、笑っていない瞳で嗤い……一言だけ言った。

 まるで地獄を見て来たかのように、覚悟無き威圧をあざ笑うかのように……。

 たった一言返事しただけで……激高していたはずの男は急速に顔を青ざめさせた。

 彼女を従わせていたはずの最後の手段でさえ、彼女には何の効果も無い……。

 その事実を前に、ヤツのチンケな自尊心は消え去ってしまった。


「…………な、何を」


 冷や汗を流して無意識に足を後退させる元彼氏の姿を見て、新藤さんは深い溜息を吐いていた。


「本当……何でコレが良かったのかしら? 数日前の自分が理解出来ないわ……」



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