第三十九話 忘れられた約束

 その姿は過去夢で見た子狐そのものでありフワフワのモコモコ、チラチラと覗き見る仕草が何とも愛くるしさを醸し出している。


「わあ狐ちゃん!!」

「!?」


 しかしその姿にテンションの上がった天音の声に子狐はビクリと体を震わせて、襖の向こうに隠れてしまった。


「ああ……」

「コラ、脅かすんじゃない。いくらフワフワモコモコだからって……」


 残念そうにする天音を俺はたしなめる。

 そう言えば幼い時から天音はこの手の小動物に目が無いのだが、初対面だと驚かれて逃げられる事が多かったな……。

 未だにその辺は変わらないらしい。

 そんなやり取りにサカキさんは溜息を吐いた。


「これコノハ、この方々は何も危害を加えようというのではないのだ。お前も稲荷神の末裔ならば相応しい振舞を見せぬか……」

「……………………はい、お母様」


 母親に静かに諭されて、少しの間様子を見ていると……今度は襖の向こうから子狐ではなく10歳くらいの見た目の幼女が、さっきの子狐と同じようにコソ~っと顔を出した。

 それはオカッパの巫女服を着た可愛らしい少女だけれど、サカキさんと同じように金髪の狐耳であって、小さめな尻尾がちょこんと生えていた。


「キャアアアアア!! かわいいいいい!!」

「!!?」


 そんな愛くるしい姿を目にして天音の理性が崩壊……さっきよりも更に大きい声に少女は驚いて再度向こうに引っ込んでしまった。

 

「あ……」

「あ、じゃない! いくら可愛いからって、少し落ち着きなさい!!」


 俺はちょっとやらかし気味の幼馴染にチョップをかます……そう言えば天音は可愛い物が基本的にストライクだったっけ?

 興奮した彼女を鎮める為に、また数分の無駄な時間を要する事になった。


「……申し訳ありません。余りの愛くるしさに我を忘れてしまって」


 落ち着きを取り戻した天音がペコペコと頭を下げていると、襖の向こうからようやく少女、コノハちゃんが姿を現してくれた。

 ……まだちょっと警戒しているようでお母さん(サカキさん)の背後に隠れているけど。


「神とて娘を褒め称えられて悪い気はせぬが……娘は中々に人見知りでな、手加減してくれると助かるな」


 苦笑するサカキさんの陰からこっちをチラチラみるコノハちゃん。

 神様でも普通の母娘っぽくて微笑ましいけど、俺はそんなのぞき込むコノハちゃんを見据えて懐から一通の手紙を取り出した。


「俺たちは30年前に近所の喫茶店に届けられたこの手紙の事で調査してたんだ。その過程でここに辿り着いたんだけど……」

「!? その手紙!!」


 俺が取り出した封筒を見てコノハちゃんは目を見開いた。


「やっぱり、この手紙を30年前にあの喫茶店に届けた送り主は君なんだね?」

「…………」


 コノハちゃんはしばらく俯いていたが、小さく頷いた。

 

「はい……私が昔、あの喫茶店に託したお手紙です……」



 それからコノハちゃんはポツポツと語り始めた。

 30年前にこの山にいた、彼女にとって唯一の友達の話を。

 当時白鷺家がこの山を所有している時代には、この山に純和風のお屋敷があったらしく、そのお屋敷には一人の少女が住んでいた。


 少女は箱入りを絵に描いたように大事にされていたようで、お屋敷のある山から出る事は余り無く、他者とほとんど接する事のない生活では当然友達が出来る事も無かった。


 そんな時、少女は実家が所有する御社で出会う事になった。

 人見知りな稲荷神の子供に……。


 丁度『人化』の修行をしていた時に見つかってしまったコノハちゃんは、そのまま少女と友達になり……いつも一緒に遊ぶようになったという。

 あまり山から下りる事を許されない少女と一緒に遊んでいたコノハちゃんは、いつも山の上から見える景色を眺めていて、少女とある約束をしていたそうだ。


『いつか一緒にここから見えるあの喫茶店に行ってみようね』と……。


 だけど30年前のある日、突然少女はこの山から姿を消した。

 少女の家族だけではなく、大きく立派だったお屋敷もあっという間に無くなってしまって……。

 そこまで聞いて、サカキさんは納得顔で唸った。


「なるほど……30年前、白鷺家の連中が夜逃げしてからコノハが随分塞ぎ込んでいる時期があったのは……そういう事だったのか」

「夜逃げ……か」


 なるほど……それなら確かに唐突にいなくもなるだろうな。

 まず間違いなく白鷺家の少女にとっても突然の出来事だっただろうからな……。


「じゃあもしかして、コノハちゃんはその娘と連絡を取りたくてあの手紙を喫茶店に託したって事なの?」


 天音の率直な質問にコノハちゃんはビクつきながらも頷く。


「は、はい……もしかしたらあの喫茶店でなら、お手紙が届くかも……と。でもその手紙が今ここにあるのだから……届かなかったのですね……」


 言いながら段々と沈んでいくコノハちゃん……30年前の手紙が不発だったって聞かされれば、無理もないかもしれない。

 しかしだ……。


「さすがにこの手紙では届くのは無理があると思うけど? だって届ける相手の名前は入ってないし送り主も分からない……何よりもこの特徴は……」

「? 何かおかしいでしょうか。あの娘の姿をそのまま伝えたつもりですけど……」


 不思議そうに質問してくる彼女は本当におかしい所が分からない、といった様子だ。

 そうしていると親御さんが横から封筒と一緒になっているメモ紙をのぞき込んで眉を顰めた。


「どれどれ…………ああ、確かにこれでは……な」

「お母様?」


 不思議そうに言う娘にサカキさんは諭すように話し始める。


「コノハよ、少し質問するがこの者たちが身に着けている服装は分かるか?」

「? 洋装です。私たちにはあまり馴染みがありませんが……」


 コノハちゃんは自分が来ている巫女服を示しながら言う。

 確かにこの二人にとっては洋装は馴染みがないだろうな……万年同じ服だろうし。


「では和装という物が、この国ではすでに普段着とする者が少数である事は知っておるのか?」

「…………え?」


 コノハちゃんは何を言われているのか分からないようで、表情がそのまま固まった。

 あ~これは……当時山に住んでいた白鷺家とやらが、当時和装を常にしていたから元々山を拠点にしている彼女にとっては和装=普段着みたいな認識があったのだろう。

 件の少女が山を出てから和服を着ていないとは思っていなかったようだな。


 そして真っ先に浮かびそうな実名は、当時彼女たちは互いを『コノちゃん』『ちーちゃん』と呼び合っていて正式な名前を知らなかったんだとか……。

 せめて『白鷺』の名前くらい入っていれば違ったものを…………なんというか、この娘も負けずに箱入りのようで。

 俺が何を言いたいのか察したようで、サカキさんは顔をしかめて見せた。


「そんな目で見る出ない……私等のように土地に祀られた神は特定の場所からあまり遠くへは動けん。それこそこの山に社を構える私らはせいぜい眼下に見える場所が精いっぱいなのだよ……」


 土地を守ってもらう為に祀られた結果……そう言われると情報の偏りを指摘するのも気が引けて来る。

 詰まる所人間の都合のせいなんだからな。

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