第三十四話 喫茶店からの依頼

 それから天音は俺の服を一式借りて、更に帽子を被る事で『早朝から遊びに誘いに来た男友達』に扮する事で我が家から辛くも脱出する事に成功した。

 途中、またしても妹と遭遇する事になったけど「これからアイツと遊びに行くんだ~」と誤魔化す事は出来、冷や汗を拭った。


 さて……早朝からの危機を何とか脱出できた俺たちには朝から用事が出来ていた。

 それは無論、真犯人に怒鳴り込むという崇高な目的が……。

 目的地、喫茶『ソード・マウンテン』の前までたどり着くと標的であるスズ姉が店の前で何時ものように箒で掃除しつつ開店の準備をしていた。


「スズ姉…………」


 地の底から這いあがるような声で天音が睨みつける……だがスズ姉はワザとらしいほど爽やかな笑顔でキラキラした瞳で返してきた。


「あら~? おはようございます天地様、神崎様。朝もお早くからお二人でいらしていただけるなんて、仲がお宜しくて結構ですわ~。まだ開店前ですけど、おコーヒーでもどうでしょうか?」


 とってつけたような業務口調、いやエセお嬢様口調と言えば良いのか……いずれにしてもイラっとする。

 それは天音の方がよりそう感じたようで、スズ姉の胸倉に掴みかかった。


「呑気に茶~しばきに来たんじゃないのは分かるよな姉ちゃん……」

「やだ、およしになって……うちではそういったサービスはありませぬゆえ……」


 対して弱弱しくしなだれて見せるスズ姉……案外余裕があるね、二人とも。




 それから俺たちは開店前の店内へと通された。

 今日はおじさんたちは用事があるらしく、スズ姉一人で店番なのだそうで店内には誰もいなかった。

 しかしカウンターに座った瞬間にコーヒーが出てくる辺り、早朝から俺たちが来る事を最初から予想してたな……この人。

 天音は出されたコーヒーに一口だけ口を付けると、話を切り出した。


「スズ姉……何か私たちに言う事、あるよね?」


 どっかのアニメの指令のようなポーズで天音が真剣な口調で言うと、スズ姉も表情を引き締めた。


「そうね……話しておく必要があるわよね。何ゆえに私が夢魔の事を知っていたのか、ユメちゃんが持っている本が一体何なのか……」

「「そっちじゃなくて!!」」


 思わず二人して椅子からずり落ちそうになった。

 真剣な顔になったと思いきや、まだ揶揄う気満々らしいなこの人!!


「あれ? 話さなくても良いの? ワリと重要な事だと思うけど?」


 軽いノリでお盆片手にニヤニヤしている……こ、この人は……明らかに楽しんでやがる。

 気のせいか昨日よりも……なにやらタガが外れたような印象もあるけど……?


「そっちじゃなくて! ……そっちも大事だけどそれ以前に!! ほら!!」

「そ、そうだぞ! スズ姉のせいで今朝は大変なところだったんだぞ!!」


 俺たちは立ち上がって今朝起った騒動についてスズ姉に抗議する。

 だが一通り事の顛末を聞いたスズ姉は動揺もせずに、真っすぐ俺を見据えた。


「ふむ……天音ちゃんが憤るのは……まあ分かるが、ユメちゃ……いや夢次殿、貴殿に抗議されるのはいささか心外なのだがね……私は」

「な、なんでだ?」

「昨夜私がした行動に……君にとって不都合に当たる事が一つでもあったのかね? 仮に一つでもあったとするなら……私は全身全霊を持って謝罪させて頂くのだが……」 


 空想上の眼鏡をクイッと上げた……ように見えたスズ姉は堂々とそんな事を言う。

 自らに非が無い……だと!?

 俺が被った不都合と言えば当然!! 当然…………。


 慌てて俺に連絡をくれたお陰で天音を助けられた……。

 その後本人も駆け付けてくれて、危ないところを救ってくれた……。

 天音と一緒に寝落ちしたところをベッドに寝かせてくれた……。

 早朝から天音の艶めかしい半裸を見てしまった……。

 妹乱入のドタバタで、そんな天音を抱き枕にしてしまった……しかもスズ姉の悪戯のせいで素肌と素肌で……。

 俺の被った不都合は……当然!!


「……スズ姉」

「なんでしょう……お客様」


 俺は真面目な顔でスズ姉に被った不利益に対する要求を突きつける。


「この店で一番高い物は何かね? それを頂こうか……」

「まいどあり……」


 俺たちは無意識に友情のシェイクハンドをガッシリと交わしていた。

 無論、その後に顔を真っ赤にした天音に二人とも頭を叩かれたのは言うまでもない。




 それからしばらく続いた天音のお説教(俺含む)の時間を経て、ああいう事は二度としないという確約をしてようやく話は落ち着いた。

 スズ姉が「分かってるって、同じドッキリを仕掛けるほど素人じゃないさ」というめっちゃ不穏な事を言っていたのが気になるけど……。


 それから俺たちはようやく真面目な話、『夢の本』に関する話を始めた。

 まずスズ姉が夢魔についてとか、夢の本に関係しそうな事を知っていた件からだったけど……その理由に俺たちは同時に声を上げて驚いた。


「「前世の記憶!?」」

「そう……具体的には前世の夢を見たせいで、その記憶を“思い出した”ってやつだけど」

「それでこの『夢の本』について知っていたってのか?」

「具体的には昨日君たちが家に来た時、ナポリタンを奪い合ってた時に私はその本の術にかかった……んだと思う。あの後夕方に居眠りして、その時に前世の夢を見たから」


 そう言って俺の持って来た『夢の本』をスズ姉はトントンと指で叩いた。

 前世夢……確かに昨日スズ姉も交えてそんな話はしていたけど、まさかスズ姉がこの本と関わる前世であったとか……偶然なのかコレ?


「へえ~じゃあスズ姉は自分の前世を見たんだ……どんなだったの?」


 天音はさっきまでの怒り顔をすっかり治めて、興味津々と率直に聞き始める。

 まあ俺もその辺は大いに興味があるけど……当の本人は苦笑して見せる。


「あんまり詳しくは……覚えてないけどね。せいぜいその本に関わる人物と知り合いだったって程度かな?」

「ふ~ん、そうなんだ……」


 何気に濁した言い方に……あまり思い出したい前世じゃなかったのかな?

 という空気を感じたのか、天音はそれ以上の事は突っ込む事は聞かなかった。

 その辺の空気を察する辺り、さすがクラスでも人気者の天音である。


「じゃあさ……そもそもこの本ってどういう代物なんだ? 単純に明晰夢で遊ぶくらいだったら良かったんだけど、段々とこのまま持っていて良いのか不安になって来たんだけど」


 俺は昨日の夢を経て最近抱いていた不安を口にする。

 正直に言えばこの本には色々と助けられてはいる。

 それこそ天音に関してはこの本が無ければ今日ここで無事にコーヒーを飲んでいる日常すら無かっただろうから。

 しかし……昨日の悪夢の中で自分が『夢の本』から抜き出した巨大な剣、あの威力に俺は興奮するよりも恐怖していた。

 あの剣は斬るでも破壊するでもなく、狙った対象をただただ『消し去って』しまった。

 それも周囲に全く影響を与えずに、狙った者だけを限定して……。

 俺の本に対する不安に、今度こそ真面目な瞳になったスズ姉は口を開いた。


「君が『夢の本』と呼んでいるそれは、正式名称『夢想の剣(ナイトメア・ブック)』っていう、元々は力のある夢魔の王が所持していた夢を自在に操る事が出来る本。使用者の力量と思想によってさまざまな力を変化させて、剣にも盾にもなりうる魔性の代物よ」

「ま……魔性の代物……」

「元々所持していた夢魔の王はこの本を人の生命力を奪う目的でのみ使っていたみたいね……“私の死後に”前任者が手にするまでは」

「うわ……」


 そう言われると途端に目の前の本が忌まわしい悪い物に思えてしまって、思わず手を引いてしまう。

 しかしスズ姉はそんな俺の行動にククッと笑って見せた。


「前任者の手に渡るまでって言ったでしょ? 次にその本を所有した人物はその本を殺人はおろか悪事に利用した事なんて只の一度も無いからさ」


 前任者、その人物については夢の本で度々示されているけど……つまりその人物がスズ姉が言うところの『前世での知り合い』なのだろうか?

 そう思っているとスズ姉は仕込み用の包丁を手に取って見せてきた。


「ようはこの包丁と同じ事。使い方次第で最低の凶器になるし、良いように使えば美味しいご飯が出来上がる……それだけの事よ」

「それだけの……つまり前任者はこの本を良い事にだけ使っていたって事なのか?」


 俺がそう聞くとスズ姉は少し思案顔になって「ん~?」と上を見た。


「え? 違うの?」

「どうかな~? 私は又聞きではあるけど、アイツの行動を悪い事だとは思わなかったし、勿論後世の人間も善行として語ってたけど……本人は“どんな理由でも人の夢を葬っておいて善行って事は無いだろ”な~んて言ってたみたいなのよね」


 それは……確かに難しいかも……だ。

 何故か俺はその『前任者』の気持ちが分かる気がした。

 先日の新藤さんの件についても、昨晩の夢魔についても、俺自身は善行をしたつもりは無い。

 気に入らないから気に入るようにした……それだけの事だったから。

 好き勝手な事をしていて“良い事をした”“善行だ”と言われちゃうのはちょっと……な。

 善行でも偽善でも無い。

 しいて言えば独善でしかないんだから。

 しかし俺がそんな事を考えていると、スズ姉は苦笑して見せた。


「難しく考える事はないさ。君が思うように、気分が良いようにその本を利用すれば良いだけの事だろ? どう考えても君は他人が傷つくのを愉快に思う類の人間じゃないんだから」

「そうだよ。君がそんな人じゃないのは私たちが一番知ってるし……」


 そう太鼓判を押してくれるスズ姉に隣で大きく頷いてくれる天音……二人にそう信じてもらえるなら、少しはこの本を持つ事への恐怖が薄れるというものだ。


「そりゃ……まあ確かにな……」

「夢で遊んで、大事な人を助けて、たまに幼馴染にエッチな事をする……そのくらいの使用用途が君には丁度良いんじゃないのか?」

「そりゃ、たしか……」

「…………夢次君?」


 思わず流れで同意しかけてハッとなったが、時すでに遅し……今の発言に笑顔なのに目が全く笑っていない天音が詰め寄って来た。

 スズ姉!? ここで、こんな良い話風の場面でワナを仕掛けなくても良いだろうに!!


 数分後、そろそろ店が開店する時間には天音の説教で真っ白になった俺がカウンターに突っ伏していた……。

 そして何となく視界の隅に入ってくる『夢の本』……二人はああ言ってくれたものの、こんな代物を、果たして俺が持っていて良い物なのか……。

 そんな事を思っていると鼻歌を歌いながら仕込みをしていたスズ姉が一つの提案を持ち掛けて来た。


「そんなに不安なんだったら、その本の平和利用の一環として少し頼まれてくれるかい?」

「平和利用?」


 そんな事を言って手を拭きつつ、調理場の奥へ引っ込んだスズ姉は何やら古ぼけた一通の封筒を持って来た。


「こいつは?」

「……随分古い封筒だね。郵便番号が5桁だし」


 天音の指摘に俺も初めて気が付いたが……確かに郵便番号の欄が5桁しかない。


「こいつは大体30年前にこの店に置き去りにされた、差出人不明の手紙さ。うちがこの店を開く前のオーナーに託された代物なんだけど……君になら差出人が分かるんじゃないか? 過去を覗けるんだからさ……」


 過去を覗く……過去夢の事か。



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