閑話 魔女の逆鱗(天音サイド)

 ラッシュの波に流される……話には聞いた事があるけど、まさか本当に自分が流されるハメになるとは思わなかった。

 大群のマネキンの行進に、思わず前に見た事のある怖かったSF映画を思い出して鳥肌を立てている間に、気が付けば私は強制的に階段を上らされて駅のホームとは全く関係ない場所に連れていかれてしまっていた。

 ようやくマネキンの波から脱出できたと思った時には……すでにそばに夢次君の姿はどこにもなかった。


「夢次君!?」


 彼がいない!? その事が強烈な不安になって襲い掛かってくる。

 そして、気が付くとあれ程大量に、気味悪く行進していたマネキンのラッシュの音が突然止まった……。

 慌てて周囲を見渡すと最早マネキンは周囲に一体も無く、ただ無人の静寂が辺りを包み込んでいた。

 

「い、一体何が……」


 しかし無人と思っていた廊下の先に一瞬だけチラリと、見慣れた人影が見えてホッとする。

 それは間違いなく今一番探していた人の背中、夢次君の後ろ姿だ。

 でも……彼は私に気が付いていないのか、廊下の先へと曲がろうとしている。


「あ……待って夢次君!!」




 私は彼の後ろ姿を見失わないように駆け出して、たった今彼が曲がって行った突き当りを曲がり……………………気が付いた時……私は教室に座っていた。


「…………え?」

「どうしたアマっち、ボーっとしてさ……」

「気分でも悪いんでしょうか?」


 それはいつも通りの見慣れた風景。

 学校で気心知れた友人たち、カグちゃんカムちゃんと無駄話をしている今まで何度も過ごしてきた学校の日常風景。

 だけど……それはあくまでも2週間前の話のはずだった。

 チラリと視線を投げると、そこには仲の良い男友達と談笑している夢次君の姿……一瞬だけ視線が合うけどフイっと逸らされてしまった。


「あ……」


 その仕草に胸が締め付けられる、背筋がざわつく…………。

 黒板の日付を確認すると、板書された日にちは今日を示している……つまりこれは2週間前の夢って事では無いらしい。


「よう天音、な~に見てんだよ。あんなパッとしない野郎が昔馴染みとか、お前も迷惑だよなあ? 俺が近寄らないようにしめてやろうか?」


 そして……実に不愉快な事を得意げに言い放つ不快な男が私のそばにいる……。

 私にとって大事な人がそばにいないのに、どうでも良いのが私の大事な場所に居座ろうとしている……凄く……物凄く不愉快な情景……それはつまり……。


「彼が『夢の本』を手にしていなかったら……?」


 おそらくそういう夢なのだろう。

 確かに彼が2週間前に『夢の本』を手に入れ、偶然にも私を巻き込んでくれた事で幼児期からの想い病みであった事を解消する事が出来た。

 しかし、もしも夢次君が『夢の本』を手にしなかったら?


『お分かりいただけましたでしょうか……その通りです。これは彼が『夢の本』を手に入れず、貴女と接点を持たなかった未来の情景でございます』


 不意に、どこからか『ヤツ』の声が聞こえて来た。

 スピーカーから聞こえてくるようにくぐもった音声で、駅員のような業務口調なのは変わらず……不快な結論を……。


「それは…………」


 場面が変わる……それは以前から心配してくれていたカグちゃんとカムちゃんからの情報……人伝に夢次君が、私があの男と付き合っているって噂を信じてしまっているって聞かされる。


 場面が変わる……それはスズ姉の喫茶店。

 何とか仲直りしたくて……彼ともう一度仲の良かった幼馴染に戻りたくて何度も相談していたのに……ある日突然告げられる。


「最近さ……アイツに相談されたんだ。違うクラスの娘に告白されたとかなんとか……」


 場面が変わる……それはある日の放課後……相変わらず付きまとい、勝手な噂を流して彼氏面をしてくる男をあしらっていると……目にしてしまった光景。

 夢次君が知らない女生徒と一緒に楽しそうに帰っている姿……。


 場面が変わる…………その度に、私は心を抉られるような想いにさせられる。


『そうです……貴女がいなければ、きっと彼は余計な苦悩もせずに穏やかな毎日を送っていた事でしょう。貴女はそんな彼の未来を邪魔しているのです……』

「………………」

 

 そうだ……彼は優しい人……自分のような勝手な女何かがいなければ……『夢の本』何て偶然が無ければ……私と関わりの無い幸せな青春を送っていたかもしれない。

 私が……私なんかがいなければ…………。


 場面が変わる…………そこにいたのは一人の男の子。

 あの日、私が勝手に遊ばなくなった日の……夢次君の姿……。

 私が失いたくない、もう手放したくないと思って必死に手を伸ばすと…………彼はそんな私に冷たい目で言い放った。


「今更来られても迷惑なんだけど?」


 そう言い放った彼のそばには既に別の娘の姿が…………。

 そうだ……今更私が彼のそばにいて良いワケが無い………………。

 夢次君がそう言うのなら……私は……私なんかはいない方が……。














「そんなワケ…………無いじゃない…………」











 その瞬間、私の心の中で何かがキレた。

 コイツは何の為にこんな物を見せた?

“ユメジ”の存在を知って、その上で私に絶望を与えるには打って付けだと判断したからだろうか?

 彼が私の傍からいなくなる可能性を示す事で、私が彼にとって悪い存在、障害であると……幼少期の苦い思い出も含めて唆せば、勝手に絶望して三度目の悪夢を勝手に見てくれると……そう思ったのだろうか?

 つまり、コイツは……奪おうとしたのだ……。


 私から……私の男(ユメジ)を…………。


 その瞬間にブワリと溢れだず、業火の如き、溶岩の如き、恒星の如き滾り立ち上る怒りと『魔力』。

 それだけで……私の目の前に流れていた不愉快な情景のすべてが獄炎に包まれて消滅して行く…………それは稚拙な落書きを火にくべるように。


『…………は?』

「…………甘く、見られたものね。幼い時だろうと何だろうと……ユメジがそんな事を口にするような小さい男なワケがないでしょ……はあああああ!!」

『な、なんだこの炎は!? グギャアアアアアア!?』


 私が軽く魔力を操作しただけで、対象にどこからとなくヤツ『夢魔』の間抜けな声が聞こえてくる。

 そして、それだけで私に憑りついていた『夢魔』が今現在どこにいて、そしてここが一体どこなのかも理解出来る。

 記憶の封が解けたのだ。だからこそ『魔術的な専門能力』について全て理解できるし行使出来るのだ。

 向こうの世界では『忘れずの大魔導士』とまで謡われた私には……。


『な、何なんだ一体貴様らは!? ただの人間の筈なのに、何で我に攻撃できる!? 何故痛みを与える事が出来る!?』

 

 攻撃されたのは初めての経験なのだろうか? 狼狽えた情けない声が聞こえてくる。


「たかが人間の思念に憑りついて、三重の呪いで魂を疲弊させねば生命力を奪う事も出来ない矮小な夢魔如き……魔力操作を行えば炙りだす事など害虫駆除よりも容易い」

『な、なんだそれは……何なんだそれは!?』


 やっぱり初めての経験らしい。

 こっちの世界では魔力の概念が太古に失われて久しい。

 だから向こうの世界に比べてこう言った精神体の類が存在を中々認知されず、ほぼ一方的に無傷で悪事を働けてしまうのだ。

 退治される心配が低いから。


「ま……それでもさっきまでの私だったら、取り殺されていたかもしれないけどね」


 私が手をかざすと今まで学校の風景だった物が全て炎に包まれて、溶け消えて行く。

 当然だ……何しろここは『私の夢の中』、私の意のままに操作出来るに決まっている。

 そして……私が夢の主導権を取り返しただけで、夢の外側から私たちを監視しあざ笑っていた黒く矮小な『害虫』の姿が露になる。

 それは黒い影の塊……細身の男に見えなくもない……そんな存在だった。

“それ”は私と目が合っただけで、激しく動揺していた。


『ヒイ!? 何故だ、何故こんな事が!?』

「……単純な作戦ミスでしょうね。他の悪夢だったら分からなかったのに、アンタは私にとってワザワザ『記憶の封』を開く手法を取ったんだから……」


 それは私にとっての最大の逆鱗だった。

 自ら封じていた『向こうの記憶』を開放してしまう程の……。


「私から……ユメジを奪おうとする者は……何者であろうと許さない…………」


 全てはそれだけだ。

 たったそれだけの理由で……私は大魔導士に……魔女になる、いえ……戻る。

 そして両手に魔力を集中させ、自分の記憶の中でも最大最強の威力を誇る攻撃魔法を練り上げて行く。

 それが……自らにとって致命的になるであろう事を察した夢魔が絶叫にも似た声を上げた。


『あ、あの男は貴様にとって最大の後悔と罪悪感だったはずだ! 疎遠解消してたかだか二週間足らずで何ゆえにそこまで信じられる!? 自らの悪夢が作り出した幻想すら消し去る程確信に満ちて!!』


 それは夢魔にとっては疑問に思っても仕方が無いかもしれない。

 人の心理の裏を付いて悪事を働いて来た夢魔にとって、負の感情は武器だった。

 少しの疑いでもあれば、私はこの悪夢を破れなかっただろう。


 でも……コイツは勘違いをしている。

 信頼は、時間をかけて構築して行くものなのだから……。


「5年と二週間よ。それだけの間、私は彼と一緒にいたんだから……」

『は? 5年??』

「彼の事、私以上に理解している女はこの世に存在しないのよ!! なめんなあああああ!!」


 感情の発露、絶叫と共に私は魔力を開放した。


「カラミティ・アマネ・エクスキューション!!」

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