第十八話 閉ざされた未来の夢

 それはとある愚かでしかない者の歩んだどうしようもなく愚かな人生の物語。

 その『愚者』は高校2年の時、殺人を犯したのだ。

 当時の『愚者』はその犯した罪の大きさを理解せず、それどころか自分が犯した行動は正しい事だと信じてさえいたのだ。

 ……救いようもなく愚かであったから。


『愚者』の犠牲になったのは実際に殺そうとした本人ではなく、その幼馴染の男子だった。

 当時この事件は全国ニュースとなり、事件の悲惨さに加えて幼馴染を守り切った男子生徒はその尊い行為を称えて日本中から英雄視されるようになった。

 そして……彼が英雄視されればされる程、身勝手な犯行に及んだ犯人は非難、罵倒の対象になっていったのは言うまでもない。

『愚者』はこの時点になっても自分の罪業を理解せず煩わしいとさえ思っていた。

 そして自分が殺そうとしていた人物『神崎天音』が自分に対して言ったという言葉に込められた怨嗟と憎悪の感情も理解していなかった。


「死に逃げる事は、決して許さない」


 血を流さんばかりの顔で言ったというその言葉の意味を『愚者』はその後の人生を掛けて骨身から味わう事になるのだった。


 未成年だった事もあり『愚者』が少年院を出た時……『愚者』は全てを失っていた。


 いや正確には“失わせていた”のだ。


 今まで友人と思っていた人も、恋人と思っていた者も、まるで最初からそんな人物を知らないかのようにして存在を無かった事にした。

 そして犯した罪は『愚者』にとっては予想外に、世間的には当たり前の如く家族へも矛先が向けられた。

 殺人犯の家族、その事で父と兄は勤め先を解雇され、妹は学校だろうが郊外だろうが罵倒に晒され責められて家から出られなくなり学校を中退せざるを得なくなった。

 更に名前を変える為に両親は離婚、そして結婚間近だった兄も破談になってしまったのだ。

『愚者』の家族は円満で、両親は万年新婚と言われる程仲が良く、兄の婚約者も非常に良い人で、妹も凄く懐いていた人だったのに……。

 自分の愚かな行いが、その全てをバラバラに、台無しにしてしまった。

 そこに至って『愚者』はようやく自分の犯した罪の大きさ、重さを理解するに至ったのだった。

 それは余りに遅すぎる気付き……そして何よりも自分が奪ってしまった人の命が取返しの付かない物なのだと。

 自分の犯した罪は決して許されず、自分のせいで自分以外の人たちが不幸になって行くのを見続けなくてはいけないという地獄を生きていかなくてはいけないんだと……。


「死にたい…………」


 自分の罪の重さ、愚かさをようやく理解した『愚者』は後悔と自責の念に押しつぶされそうになりながら、毎日そんな事を呟き、あの言葉の意味を理解したのだった。


『死に逃げる事は許さない』


 それは最愛の人を奪われた女性からの最大の憎悪を込められた呪いの言葉だった。

 幾ら生きる事が地獄でも死ぬ事は絶対に許さない……。

 その言葉が見えない縛鎖となって『愚者』は自殺と言う選択肢を選ぶ事が出来なった。





 そして数年後の事。

『愚者』は海外の、渡航が禁止されている紛争地帯に入るようになった。

 無論それは善行を行うという名目ではなく、自分で死ぬ事が許されないのならそのような危険地帯であったら自分を死なせてくれるのではないか? という……命がけで善行を行っている人たちを冒涜するような、いかにも『愚者』の考えそうな愚かな考えに基づいてだ。


 しかし『愚者』はとある紛争地帯の貧しい村で運命の出会いを果たす事になる。

 それは人というワケではなく、何冊もの医学書だった。

 以前ここに駐留していた日本人が残して逝った物だと村人から説明されたのだが、その本が全部日本語で書かれていた事が『愚者』の今後の運命を決める事になった。


 何しろその村は貧困に喘ぎ、医学知識を持つ者は皆無の紛争地帯だ。

 医師免許のない只の日本人である『愚者』だとは言え、日本語が読めるという理由だけで医者の真似事を医学書を片手に行う羽目になったのだった。


 当然知識も技術もない素人にまともな医療を行えるはずもなく、『愚者』の治療は何度も失敗するが……紛争地帯で毎日怪我人が送られてくる状況に、『愚者』も実践で腕を上げて行く事になった。


 そして数年の年月、実践の中で知識と技術を磨く事になった『愚者』は次第に幾人かの命を救う事になり、いつしか貧しい村では感謝を込めて『東の聖人』と称え始めたのだ。

 しかし……『愚者』はそう呼ばれ始めると、忽然とその地から姿を消したのだ。

 そして、違う貧困にあえぐ村に出没しては医療行為の真似事をして幾らか人々を救った後に、感謝され始めると姿を消してしまう……そんな事を繰り返すようになった。

「やめてくれ! 自分は聖人などではない!!」

 感謝の言葉を口にした人々に向けて『愚者』は泣きそうな顔でいつもそんな事を言っていたという……。


 そして……『愚者』が殺人を犯した日から50年の歳月が流れた。

 もう相当な年嵩を重ね、皺が目立ち始めた『愚者』は未だに紛争地帯を渡り歩き、変わらずに医者の真似事をしていた。

 しかしその日訪れた村で治療中の事、銃を持った男たちが診療室へと雪崩れ込んできた。

 どうやらそれは民族間の諍いらしく、見せしめの意味も込めて子供たちを殺そうといていたらしいのだが……。

 その銃弾は一つも子供たちには当たらず、全て立ちふさがった『愚者』の体へと吸い込まれて行ったのだった。

 その後支援に駆け付けた味方によって敵は一掃されたのだが、子供たちを守った『愚者』自身はすでに虫の息であった。

 しかし、全身から火が出るような痛みを感じているはずなのに、それでも『愚者』は笑みを称えたまま静かに呟いていた。


「もう……逃げても……いいですか?」


 消え入りそうな声で、『愚者』は最後に誰かに許しを請う……。


              *


「……は!?」


『彼女』は目を覚ますと、思わず声を上げてしまった。

 そこは戦場でもなければ少年院でもない、勿論自宅でもありはしない……教室の机だった。

 今まで静かだった教室に突然聞こえた奇声にクラスメイト達の好奇の視線が刺さってくる。


「どうした~新藤、質問か~?」

「え!? あ……いえ……何も……」

「そうか~、じゃあ睡眠学習も程々にな~」


 壇上の教師の冗談にクラスメイト達がクスクス笑う中、『彼女』は全身から噴き出す冷や汗に身震いしていた。


『ゆ、夢? 今見ていた50年くらいの人生が居眠りしていた夢だったって言うの!?』


 自分が犯して自分だけでなくあらゆる人たちを不幸にし、後悔と懺悔、贖罪と死に場所を探して彷徨った50年の月日。

 それが全て夢だったという事が『彼女』には信じられなかった。


 しかし……そっと自分のカバンをのぞき込んでみると、先日購入した真新しい“未使用の”サバイバルナイフがチラリと見え、彼女はより一層血の気が引いた。


『!? 私……一体何をしようとしていたの!?』


 今朝までは燃え盛っていたはずの、嫉妬にかられた身勝手な熱は既に無い。

 それどころか『彼女』は自分がしでかそうとしていた罪の重さに身震いを禁じえなかった。

 何故そうすれば彼氏が、河具屋が喜んでくれると思っていたのか……『彼女』は自分の愚かさに戦慄する。

『彼女』にとって彼氏の存在は自分のすべてだった。

 彼が言う事はすべて正しく、望むように行動して気に入られて自分が彼女というポジションをキープする事が出来る事に終始していたのだ。

 だからこそ何股掛けようが、他の女に声を掛けようが『彼女』は彼が自分から離れるのを怖がって、自分の苛立ちを抑え込んでいた。


 ……だから、彼の思い通りにならない『神崎天音』を邪魔だと思った。

『俺に逆らってればどういう事になるのか、教えてやる必要があるかもな』と彼が言った時、それは自分に与えられた役目だと勝手に解釈したのだ。

 そうすれば……彼は褒めてくれる。

 私の事を唯一として認めてくれる……と。


『そんなワケ無いじゃない!!』


 しかし今見た50年の地獄の夢は『彼女』を完全に冷静にしていた。

 自分が何をしでかそうとしていたのか……そして何を失おうと、失わせようとしていたのか。

 ……あと、冷静になってみると多少顔が良いだけの傍若無人な男の、一体何が良かったのかすら分からなくなっていた。


『本当に愚か……よね。私はアレの為に何をしようとしていたのかしら……』


 彼女は隣のクラスで『天地夢次』と『神崎天音』が仲良く談笑をする、生きている姿を見て……心の底からホッとした。


『夢で……良かった…………明日あの娘に謝らなくちゃ……』


 そんな事を思った彼女は放課後、校内のゴミ捨て場に未使用のサバイバルナイフを捨てた。

 ついでに彼氏だった者のデータ関連の全ても……。

 この日、『彼女』は『愚者』になる道を捨て去ったのだった。


「…………医者って、今からでも目指せるのかな?」


              *


「ま、このくらいで大丈夫だろ……」


 俺はそう呟いて『夢の本』のとあるページを平手で叩いた。

 その瞬間、今まで魔法陣に書かれていた名前『新藤香織』の名前が消えて行った。


未来夢 

 対象に『あり得るかもしれない並列世界』を見せる夢。

 前任者は主に『後悔を先にさせる』目的で使用していた.


 天音を突き飛ばした張本人である『新藤香織』に今後の犯行をやめさせようとして、この『未来夢』を利用してみたのだが……これは中々にエグイ夢だった。

 俺を殺した事で起こったかもしれない50年の地獄の日々……。

 共有夢の応用で覗き見てみたのだが、確かにアレは“恋の盲目”なんぞ吹っ飛ばしてしまう強烈な目覚ましだった。


「そうなんだ……新藤さんが……」


 放課後、2階廊下からゴミ捨て場を眺める俺に天音は声を掛けてきた。

 自分に悪意を持っていたのが自分にちょっかいかけていた奴の彼女だという事に、随分と複雑そうな顔をしている。

 天音には『俺が見た天地夢次が死亡する予知夢』については教えていない。

 ……何となくだが教えたらダメな気がしたから。


「どうする? 実際に階段から押されたり明確に危害を加えられたんだ。法的に訴えるか? それともコレを使って更に追い込むか?」


 俺が冗談めかして『夢の本』をも見せるけど、天音は予想通りに首を横に振った。


「いいよそんなの……今私は五体満足なワケだしね」

「……そうか」

「それに……………ある意味切っ掛けをくれたのは彼女だったワケだから……」

「何が?」

「な~んでもない」

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