第十七話 本当に女子的には夢なのか疑問を呈する眠り方

 それから午後の授業を俺は表面上何事もなく過ごした。

 そう、表面上……。

 実際には午後からの授業は無いようどころか本日何の教科の、どの教師が来たのかすら全く覚えていない。

 理由は……今もって俺の右腕に残る重量の余韻…………天音を昼休み中腕枕していた事に対する自分なりの解釈が出来ていなかった事が原因だった。


 ……そりゃ、俺たちは疎遠の期間があったとは言え幼馴染。

 普通の男女よりは近しい関係であるし、一端仲が修復できれば昔のように仲良くなれる自信が無かったとは言わない……が……。

 それでもいきなり腕枕をしているとか…………そんなにアイツって無防備だったっけ!?

 そうだとするとむしろ『無防備系の女の子』という感じで色々心配になってしまうのだが。

 いや……しかし誰にでも無防備かって言うと、友人関係でも選別している辺り完全な無防備って事も無いし……。

 天音の友人関係を考えてみても、あの密着する位置を許されるのは神楽さんと神威さんの二人くらいなもの……。

 つまり俺はその二人並みに信頼をされて……?

 いや、それもおかしいだろ!? 俺は先日まで調子に乗って夢の中とは言え天音にイロイロな事をしてしまった、ある意味一番の危険人物のはずだ!!

 じゃ……じゃあ何で!? 腕枕も含めて俺の妄想なんじゃないのか?

 ああ……でもまだ右腕から余韻と残り香が…………。


「何をさっきから難しい顔をしてるのよ?」

「う、うえ!? あ、あれ? 授業は??」

「もうとっくに……って言うか終わってから一時間は経ってるわよ?」

「うそ……」


 ウソでは無い。

 天音に言われて時計に目をやるとすでに午後の3時を回って4時に差し掛かろうとしている時間。

 どうやら俺が色々ウダウダ悶々と考えているうちに大分時間が経っていたようだ。


「ほら、そろそろ校舎の人も少なくなってきたし、次の現場検証に行きましょう」


 天音にそこまで言われて、俺はようやく放課後にやる予定だった事に思い至る。

 昼に失敗した中庭とか別の現場である鉢植えの落ちてきた校舎裏は、放課後部活で体育館やグランドを使えなかった連中の筋トレ場になるので、さすがにそこで寝るのは無理がある。

 自然と放課後に目指す場所は一つになるのだが、その現場は過去夢を見るにあたって、昼の中庭よりも遥かに難しい立地条件なので放課後になるまで待つしかなかったワケだが……。


「さ~ってと……じゃあここでどうやって過去夢を見れば良いのか……」

「どうやっても不自然になるよね」


 第三の現場、正面階段に辿り着いた俺たちはそんな事で頭を捻る。

 当たり前の事だけど階段という物は寝る為に作られた物じゃない。どうやっても『寝る』って行為を行うには非常に向かない場所だ。


「天音が階段から押された瞬間を見る事が出来れば良いんだが……う~ん」


 コレが屋上に続く踊り場とかなら何とかなるけど、あいにく現場は2階の正面階段、踊り場を見渡せる位置に不自然ではなく寝るにはどうしたら良いのか……。


「段に横になる?」

「やめてくれ……学校の怪談になっちまう」


 あっけらかんと言う天音に俺は思わず突っ込む。

 都市伝説として行きと帰りで段差が違うとかのヤツならまだしも、下手に誰かに見つかったら階段下でスカートを覗き見る勇者としての十字架を負ってしまう事になるのは御免だ。 


「階段自体に腰を下ろして眠るのが一番無難かな?」


 俺が実際に腰を下ろして考える人のポーズで言うが、天音は「う~ん」と首を捻った。


「でも夢次君、私が階段から転落した時の時間って、正確に覚えてる?」

「うん? いや……正確な時間となると……多分だが4時から5時の間くらいか?」


 あの日の俺の認識は『校内に夕日が差し込む時間帯』としか思っていなかったから……。


「うん、私もそのくらいかな~って思うけどさ……こんなところで一時間も座って寝てられるかな? さすがにそんなに階段で寝てたら誰か見たら心配されない?」

「う……」


 それは確かに言える。

 コレが人通りの少ない階段ならまだしも放課後とはいえ正面階段、人通りの多い通路なのは間違いないのだから……生徒だけじゃなく教師にでも見つかったら声を掛けられるだろう。


「う~む……変なところに気を使わないといけないアイテムだなコイツは……」


 俺は手にした『夢の本』を見て思わず愚痴る。

 この本が無ければそもそもこんな警戒をする事も無かっただろうけど、無かったら天音の身に何が起こるか分からなかったかもしれないのだから……文句を言っていいのか微妙な気分だ。


「そうだ、だったら立ったまま寝れば良いのよ!」

「立ったままだと?」


 良い事を思いついたとばかりに天音が声を上げる……が、俺はそのアイディアを良いとはとても思えなかった。

 立ったままなど座っているよりも不自然極まりないじゃないか……。

 しかし乗り気じゃない俺に反して天音は得意げに言い放った。


「こんな場所で不自然を隠してもダメよ。逆に不自然極まりないけど邪魔され難い方法で寝れば良いって事ね!」

「…………へ?」




「うん、そんな感じで壁に手を付いて……」

「えっと……天音さん? マジでですか?」

「ん? ダメかな?」


 あっけらかんと、何の気負いもなくそういう彼女に俺の方が動揺してしまう。

 立ったまま寝ても不自然にならないように、むしろ不自然さを強調する事で覆い隠す……その発想は良いとして……だ。


 だからって今時壁ドン(コレ)は無いだろ!?

 確かに寝ている事に注目されないし、尚且つ声を掛けづらい状況だけど!?


 心の中で突っ込みつつ、乗せられるがままに天音に壁ドンの態勢になっている時点で反論が白々し自覚はあるけど……。

 まさか俺の人生で女性に対して壁ドン(コレ)をする機会が訪れるなんて夢にも思っていなかったから……実際にやってみると物凄くハードルが高い行為だってのは分かる。

 壁に手を付く状態……当たり前だけど天音の顔が正面の至近距離にあって、更に吐息がナチュラルに感じられる。

 その気にさえなれば……見ているだけで魅了されそうな唇を奪えてしまいそうな至近距離に俺の自我は崩壊寸前で……。


「こ、このまま眠りに付くのは難しいかも…………」


 俺は正面から見ると顔が熱くなっておかしな気分になるから、何とか視線を逸らしてそう声を絞り出した。

 この態勢ではいくら『夢の本』とはいえ眠りに付けるような気がしないからな。

 少し思案するそぶりを見せると、とんでもない代案を用意してきた。


「ん~? いいアイディアだと思うんだけどな~~~。じゃあハリウッド映画のお家芸、逃走中の男女が追っ手をかわすために抱き合って……」

「いやあ、さすがは天音! 壁ドン中の男女であれば誰もが気を利かせて避けて通ってくれるから問題ないな!!」


 俺は最初のアイディアを採用する事にした。

 っていうか今この状況でそういう事を言わないでくれるかな!?

 マジで抱きしめたりキスしちゃったり、やろうと思えば出来そうな……という煩悩を必死で抑えてる今現在で! 猛烈に意識しちゃうでしょうが!!

 しかし俺が複雑な表情をしていると、天音はいたずらっぽくペロリと舌を出した。


「えへ」


 まさかこやつ……確信犯なのか?


              *


 『寝れるもんだな~……』


 場所はさっきと変わらないけど、周囲のすべてがセピア色の回想シーン風になっている事で現状が『過去夢』であり、ようするに寝る事が出来たって事なんだが……。

 さすがにあの態勢

カベドン

で寝れてしまった事が、何となく納得が行かないというか何というか……多分左手を挟んだ『夢の本』の効能何だろうけど……。

 さて……取り合えず気を取り直して、現在見ている時間は何時なんだろう?

 見まわしてみても時計らしき物が今回の場所にはなく、正確な時間は確認できない。

 窓から指す西日で夕方である事だけは見当が付くんだけど。

 ……この過去夢って奴は使いどころが難しいよな。今現在があの日の事件のあった同じ時間なのか、ただでさえ曖昧なのに現場に時計が無いと時間すら分からないんだから。


 ……とそんな事を考えていると、放課後あらかた生徒がいなくなった時間なのに数名の男女が会話している声が廊下から聞こえてくる。

 うち一人の声には聞き覚えがあった。


「あ~ムカツク……折角俺が誘ってやったのに断るか普通!?」


 不機嫌さを隠そうともせず周囲に不満を垂らし続ける男は、チャラ男こと河具屋弓一だった。

 しばらくすると3対3の同じ系統なチャラい格好の男女が揃って階段に差し掛かり、その姿を現した。


「クソ、俺が付き合ってやるってのに……」

「あん? そういや落とせたのか?」


 お仲間の言葉にチャラ男は露骨に眉を顰めて舌打ちをする。


「もう隣のクラスでも噂してるくらいだから、もう付き合ってるって事でいいだろ?」


 それが当然だろ? とでも言いたげなその顔に俺はイラっとし、同時にコイツが誰に対しての何を言っているのか予測が付いた。

 この日のコイツは確かに天音を放課後誘って断られていた。

 どうやらその事についての不満って事なんだろうが……しかしコイツの思考基準が俺には理解不能だ。

 俺が言ってやってるから、周りもすでに噂してるから付き合って当然とは……なかなか愉快な精神構造をしているらしい。

 なにせ本人の了承も無しにそう考えれるのだからな。

 更には傍らに明らかに付き合っている風の女子を侍らせている上で、次の女と付き合うだのなんだの言っているのだから……ハッキリ言って意味不明だ。


「ま~いいじゃん、あんな女なんて……今日は私がいるし」


 そんな男の何が良いのかは俺にはさっぱり分からないけど、それでも彼女が機嫌を取ろうと腕を絡めてくる。

 だがヤツは不機嫌全開で腕を振り払った。


「あ!? お前何言ってんの? 今日俺はアイツと過ごすって決めてたんだからアイツがいねーと意味なんて無いんだよ。お前なに本カノ気取って調子こいてんだ!?」

「…………そんな、つもりは」

「「うわ…………」」


 何という自己中で思い上がりも甚だしいセリフ……あまりに腐った根性にコイツは死んだ方が良いんじゃないかって殺意が湧いてくるな。

 ショックを受けてうつむく彼女(?)を他所に、さすがに今の発言には男友達連中すら若干引いているし。


「っち! あの女……そろそろ俺に逆らってればどういう事になるのか、教えてやる必要があるかもな」


 苛立たしい態度を崩さずに男どもはそのまま階段を下りて校舎から出て行った。

 今の発言……どう考えても天音に対する悪意だよな。

 って事はやっぱり当初の予想通り予知夢で天音を殺害していたのはあの男なんだろうか?

 あんな自己中全開の勘違い男、今後も天音にちょっかいを掛けて振られた挙句、ナイフを持ち出して付き合いを強要して……なんて展開は十分にあり得るだろう。


 それからしばらくは誰も階段を通らなかった。

 夕方の下校時間を過ぎた校舎なんてこんなものだろうけど……。

 しかし時間を持て余していた俺の目の前、階段を突如慌てた様子の女子生徒が駆け上がって行った。


「絶対に机に入ってると思うけど……」


 天音だ!!

 慌てた様子で夕方の教室に走っている理由は教室に忘れたスマフォを取りに来たからだ。

 だとするとこの後…………数分で天音はホッとした様子でこっちに戻って来た。

 友人たちが待っている校門まで戻ろうと階段を降りようとして……。


 俺は目撃した。


 階段を踏み外して宙に浮かぶ天音。

 慌てて階段下に駆け付けようと全力疾走する自分の姿。

 そして……階段上からすれ違いざまに、しかし明確な意思を持って天音の背中を押した人物を…………。


「…………え?」


 俺は思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。 

 その人物は…………。


              *


「…………君たち、そろそろ下校した方が良いんじゃないかい?」


 多分今回は一時間近くは眠っていたと思うけど、俺は聞こえてきた穏やかそうな男性の声で目を覚ました。

 目を開けると夕方は過ぎて若干暗くなりかけている。

 階段下から心配そうに古典の名倉先生が俺たちを見上げていた。


「あ、名倉先生……」

「というか天地君? 君は女子に対して何をしているのかな?」


 それは普段温厚な名倉先生の言葉とは思えない程厳しさを孕んだ言葉。

 それで今現在の自分が結構ヤバイ態勢でいる事に気が付いた。

 いわゆる壁ドンは一時からイケメン男子にされたい代名詞みたいに言われているけど、それ以外の、というか女子に気が無いのにこんな事をすれば単なる恫喝にしかならない。


「あ、いや……コレは……」 

「天地君……女性に対して威圧的な行動は感心しないのだけど……」


 しかし俺が何か言い訳をしようと振り返ると、天音が名倉先生に話し始めた。


「先生……ごめんなさい、ちょっと夢次君とふざけてただけなんですよ。ちょっとドラマみたいにやってくれない? って……」

「え? そうなの?」


 てっきり“やられている側”と思っていた天音からのフォローに名倉先生はキョトンとしてこっちを見てきたから、俺が頷いて見せると途端に安心したいつもの温厚な表情に戻った。


「そうか~~君たちはそういう仲だったのか~。いや~これは逆に邪魔して悪かったかな?」

「いや、そんな事……下校時間とっくに過ぎてるのは確かですし……」


 ちょっとバツが悪そうにテレ笑う名倉先生だが、むしろこっちが申し訳なくなってくる。

 彼としては生徒間のトラブルの万が一を考えて仲裁に入ったのだからな……。


「そういえば君たちは昔馴染みの関係だったか? いいね~青春だ」

「ハハ……そんな感じです」

「ちょっと……おふざけが過ぎました……」


 外野からそんな事を言われると途端に恥ずかしさが増して来るな。

 やはり日常風景で壁ドンは違和感しか生まないんじゃないのか?


「時に男には強引さも必要だって言うけどね、だからってそれだけの男にもなってほしくは無いからね~先生としては……」 

「それはごもっともですね」


 そんな感じで強引さだけ強調したようなみっともない男を、過去夢でさっき見たばかりだからその言葉の重要性は良く分かる。

 あんな男にはなりたくない。

「なんて偉そうな事言ってるけど、逆に僕は強引さに欠けて押しに弱い方だから……」

「「それは分かります」」


 名倉先生の独白に俺たちは思わずハモってしまった。

 強引に流されたからって……校内の中庭はマズイっすよ先生方……。

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