第五話 予知夢という名の悪夢

「……え?」


 突然の事態に思わず漏れた声と共に、天音の体は宙に浮いていた。

 学校の階段、その踊り場から投げだされた彼女の体は一瞬止まったように思えたが、思えただけで重力に逆らえるワケもなく、そのまま階下へと叩きつけられてしまう。


「ガッ!?」


 強烈な衝撃で肺から強制的に吐き出された息、そしてそのまま勢いよく転がり落ちた彼女は壁に鈍い音を立てて激突する形でようやく止まった。

 だがそんな天音の体、特に頭からおびただし血液が血だまりとなって広がって行く。


「あ……ああ……」


 オレンジ色の光が照らす中、虚空を見つめる天音から苦し気な声が漏れるが……徐々に声と共に瞳からも生の光が失われて行って……。






「うわああああ!? 天音!!」


 俺は血の池に沈む天音の光景に思わず声を上げて飛び起きた。

 そこに広がっているのはいつもの見飽きた自分の部屋…………それが意味するのは。


「ゆ、夢? 夢……か……そうか……」


 呼吸が乱れていて全身にびっしょりと冷や汗をかいている。

 余りにショッキングな夢の内容、天音が重傷を負う……いやあの光景はおそらく……考えたくもない文字が頭に浮かんで、俺は頭を振ってその言葉を打ち消す。

 同時に、間違いなく悪夢の類だったのに心底思わずにはいられなかった。


「夢で良かった…………」



               *


 「ここ……だよな?」


 俺は学校に到着してから真っ先に夢の中で見た『天音が大ケガを負う現場』に」なっていた階段を探して、多分ここだろうなって場所を見つけた。

 いや、見つけたなんて大仰なものじゃないけど。

 なんせそこは俺たちのクラスに向かうには最も最短の階段、普通であれば登下校に確実に通る場所、正面階段なのだから。


「一階に降りる途中の踊り場……」


 そこは夢の中で天音が頭部から大量の血を流して倒れていた場所……。

 その光景を思い出して全身に寒気が襲い掛かってくる。


「!? バ、バカバカしい……幾ら不吉な夢を見たからって……所詮は夢、気にする事ねーよな~」


 俺は限りなく湧き上がってくる『嫌な予感』を無理やり振り払って教室へと足を進める。

 夢の中で天音が転落した階段の先へと……。


 そしていつものように始まる学校生活。

 教室で男どものみで固まる俺たちに対して、天音はいつも通りに友人たちの中心で笑顔を振りまいていた。

 周囲には男女問わず親し気な連中が自然と集まってきて、そんな光景を目にするとやっぱり昨日の朝俺に挨拶を返してくれた出来事は、あの都合の良い夢が見せてくれた夢の続きだったんじゃないかと思えたりもしてしまう……。

 そんな談笑している天音たちに一際馴れ馴れしい様子で近寄ってくる男たち。

 その中心の、いかにもチャラ付いたヤツこそが、最近天音と付き合いだしたという噂のある男なのだが……。


「なあ天音~放課後付きあえよ。一緒にどっか行こうぜ~」


 そんな馴れ馴れしいしゃべり方に俺は反射的にイラっとしてしまった。

 それはまるで『自分の都合に合わせて当然』とでも言いたげな、相手の都合なんて考えなくても良いような言い方で……。

 いや……もっと直情的に言えば……ヤツの彼氏面な話し方が気に入らなかった。


 でも、天音は笑顔を崩すことなくアッサリと返した。


「え~? や~よ。今日は女だけで太りに行く予定なんだから……ね?」

「そうそう、放課後のスウィーツ女子会」

「男子禁制なんだから」

「……チッ」


 天音を含めた仲良し3人組からやんわりとだけどキッパリとした断りの言葉に、チャラ男は一瞬にして不機嫌な顔になって教室から出て行った。

 ヤツの取り巻き連中、特に女子が天音の返事に少しホッとした顔をした気がしたのは気のせいじゃないだろうな。

  俺は正直アッサリと断られたヤツの姿に軽くガッツポーズをしてしまったワケだが……。



 その日俺は朝から放課後まで天音の動向をそれとなく見ては、教室と階段を無意味に往復する行為を繰り返していた。

 だだの夢なのは分かっているのに、それでも見た夢の生々しさがどうしても頭から離れなかったから……ハッキリ言えば安心材料が欲しかったのだ。

 結局今日の俺は一日中天音の見る事で学校生活を終えていた。


 何というか……やっぱり天音は可愛いよな……誰とでも仲良くなれるし、誰にでも優しいし……幼い日に一緒に遊んでいたあの日から変わった事が多いのに、その事は全く変わっていない神崎天音という女の子。


「なにやってんのかな~俺」


 既に放課後の教室には誰一人いないし、そもそも天音はすでに友人たちと『スウィーツ女子会』とやらに行った後で、もう学校にはいないのだ。

 夢で見たような事が起こる条件はすでに無いのに、それでも夕方になるまで帰らず残っていた自分に呆れてしまう。


「……バッカみてぇ…………帰るか……」


 俺は取り越し苦労を胸にそれでも何も無かった事を喜ぶ事にして、遠くから野球部かサッカー部か分からないけど聞こえてくる掛け声と一緒に夕日に染まる教室から階段へと向かう。

 2年生の俺たちの教室は2階……当然最短距離は正面の階段のみ、特に何か特別な事は起こるワケもなく俺は一回のエントランスホールまでたどり着いていた。


 夕日が差し込む構内はすべてがオレンジ色に染まり、いかにも幻想的な光景を醸し出していて……その時俺フッと思い出した事があった。


「……そういえばあの夢……天音が宙に浮かんで転落する周りの光景は夕方のようなオレンジ色じゃなかったか?」


 そうだ……あの夢で天音が転落したのは夕方だ……だとすると……。


「……え?」


 その声は俺の背後から、俺が下りて来たはずの“階段の上”から聞こえた。

 それは驚いたような、状況を理解できていないような、そんなある意味間抜けにも思える短い女性の声。

 しかしそんな女性の、天音の声に俺は瞬時に背筋が凍った。

 その声に振り返った俺が目にしたのは……何が起こっているのか全く理解できていない驚きに満ちた顔で態勢を崩して宙に投げ出された……『夢と同じように』階段から転落しかけている天音の姿。


「あぶねええええええ!!」


 反射的、そうとしか例えようのない俺の人生においてこれ程のスピードで何か行動できたことは一度もないと断言できる。

 それ程のスピードで俺は咄嗟に階段を駆け上がっていた。

 考えていたら間に合わない! 俺は投げ出された天音の下に自分を潜り込ませて、正面からガッチリと掴んだ。


「むぐ!?」

「え!? あきゃ!?」


 しかし咄嗟に捕まえたのは良いものの、しっかりとホールド出来たワケではなく俺は天音の腹に顔を押し付ける格好で、階段の中腹でエビ反り状態に陥っていた。

 ……いかん、決して天音が重いワケでは無いけど、転落の勢いを無理やりに抑えた事で下手をすると今度は俺ごと転落してしまいかねない。


「え? え? なになに!?」


 天音はまだ状況を理解できていないようだけど、今の俺に説明するだけの余裕は無い!

 ふおおおおお!! 耐えろ俺の腹筋、そしてふくらはぎいいいい!!

 今俺は絶対に、絶対に落としてはいけない壊れ物を支えているんだぞおおおおお!!


 しかし何とか態勢を戻そうと必死になる俺だったが、それに必死になるばかりに天音の腹に押し付けていた自分の顔が、支える時に覗いてしまった素肌に密着している事に気が付いていなかった。

 そんな状況で元々くすぐったがりである天音の腹に俺の息がかかってしまった事で事件が起きてしまった。


「あ、やん……」

「………………」


 気合と根性で何とか維持していた態勢だったが、天音の発したちょっとエロい吐息を聞いた瞬間、一気に力が抜けてしまった。


「あ、やべ……」


 一度でも気が抜けてしまうともう手遅れ。

 俺の全身は天音を抱えたまま重力に負けて後方へと引っ張られていく!


「「うわああああああ!?」」


 俺たちはそのまま二人そろって階段をころげ落ちてしまった。


 しかしそれでも夢とは違ってかなり勢いを殺すことは出来ていたようで、天音は転げ落ちる事もなく踊り場に軟着陸に成功した。

 …………俺を下敷きにする事で。


「ぐぐ・・・・む」

「いた……くないけど……え!?」


 どういう落ち方をしたのかは分からないけど、仰向けの自分の上にチョコンと乗った天音は呆気に取られた顔……。

 そして俺が自分の尻の下にいる事に気が付いて慌てて立ち上がろうとして……また尻もちを付いた。

 どうやらいきなりの事態に腰が抜けているようだな……無理もない。


「大丈夫?」

「え……えっと……夢次君?」


 どうやらこの時点でようやく俺がいた事を認識出来たらしく、天音は軽くパニックを起こしているようだった。

 俺は立ち上がってまだ座り込んでいる彼女に手を差し出そうと思ったが、その時一階の方から「アマッち~」という友人たちの声が聞こえて、この場は任せた方が良さそうだと思いなおす。


「ケガはない?」

「え……ええ、私はなんとも……」

「そうか……なら良い。気を付けて帰れよ」


 俺はそう言って天音の友人たちの声が聞こえた反対方向、つまり階段を上ってこの場を立ち去る事にした。

 帰り道とは逆方向だけど、何となくこの状況を彼女たちに説明するのは難しい気がする。

 天音は何か言いたげでもあったけど、何となく気まずかったと言うか何というか……。この場から去りたかったと言うのか……。


 天音を助けられたのは本当に良かった。

 それは諸手を上げて言える。

 けど、それは同時にあの夢は完全に『予知夢』だったという証明になってしまう。


「だとすると、あの本は本物って事になるのか?」


 夢を操る事が出来るって触れ込みの実に胡散臭い『夢の本』。

 正直なところ昨日見た夢がずっと気になっていたのはあの本が原因じゃないかと薄々は思っていたのだ……どこかで認めたく無かっただけで……。


「……帰ったらあの本をじっくり読み込んで見ないとな……にしても……」


 俺はオレンジ色に染まる廊下を一人歩きながら、さっき咄嗟に力いっぱい抱きしめてしまった、顔をうずめてしまった、乗っかられてしまった天音の感触の全てを思い出して幸せな気分になってしまっていた。


「いかん……今日は眠れないかも……」


夢の本『初級編』

予知夢

 自分、もしくは近しい人物に起こりうる未来の事象を夢で見る事。この本では主に迫りくる危機に関してのみ自動で発現し所有者に『悪夢』の形で知らせる事になる。

『良い未来』に関しては前所有者の意向により見せないよう能力を削除されている。

 前所有者曰く『先に知るのは無粋』だからなのだとか。


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