第四話 動かないと始まらない現実

「……は!?」


 気が付くと俺は喫茶店のテーブル席に座っていた。

 目の前にはいつ来たのか分からないコーヒーが一つ、すっかり冷めてしまっている事で自分がしばらくの間眠っていた事に気が付いた。


「夢…………そうだよな……夢だろうな……」


 それは荒唐無稽なありがちな異世界転移。

 思春期男子なら一度は見たくなるような設定、展開のRPG風な冒険者の夢。

 剣があり、魔法があり、命の危険と隣り合わせの極限状態、そんな状態だからこそ疎遠になってしまった幼馴染と仲間として歩み寄れた……現実ではありえない夢想。

 気が付くと俺の手はしっかりと本の魔法陣に置かれたままだった。

 俺は今、確かに自分が望む『最良の夢』を見た。

 この本は本物かもしれない……瞬間俺はそう思ったが、同時にどうしようもない虚しさ、喪失感を感じずにはいられなかった。


 夢は所詮夢……現実ではない。

 現実で俺は相変わらず天音に避けられていて、話す切っ掛けなんてありはしない。


「切っ掛け……か」

「お? 丁度起きたみたいだな苦学生」


 俺が思わず呟いた時、スズ姉がコーヒーを持って現れた。冷めてしまったコーヒーを入れなおしてくれたみたいだ。

 追加料金を、と思ったのだがスズ姉は「い~よそのくらい」とサービスしてくれた。

 その時、不意にさっき見た夢での出来事が浮かぶ。


「なあスズ姉……もしかして、天音もここに来る?」

「…………ん~? どうした突然、何でそう思った?」


 俺の質問に少しだけ考える素振りを見せたスズ姉だったが、とぼけるように、しかし明確な答えを言わずに聞き返してくる。

 何でって……まさか今俺にとって実に都合の良い夢を見たから……とは言えない。

 しかし俺がどう答えていいか迷っていると、スズ姉が答えをくれた。


「…………来るよ。いつも“一人”でね」


 片目をつぶって溜息を吐く姿は……心底呆れているように見える。

 しかしいつもだったら何も感じず、ただただ自分が情けないと責められているように思っていたスズ姉の態度が、何かを語っているように思えた。

 そうなると……自分でもバカな考え方だとは思うけど、それでも夢を信じて……いや指針にして動くのもアリなんじゃないかと思えた。


「いつも一人……か」


 俺は決意を新たに立ち上がった。

 切っ掛けは一杯貰っている……なら行動するのは俺の役目だ。


「スズ姉……次は2人で来るよ」


 俺がそう言うとスズ姉は「お?」っと驚いた顔になったが、すぐに口角を上げてニヤリと笑った。


「そうかい。ならお前は2人で来ない限り、ここは出禁だからそのつもりでな」

「…………りょ~かい」


              *


「あ……」

「う……」


 早朝、色々気合を入れて家を飛び出した瞬間、そこには同じように家を出たばかりの天音が制服姿で立っていた。

 しかし表情はいつも通りの不機嫌に見える……やっぱり現実は夢とは違う。

 俺が何か言う前に天音は眉を顰めた顔のまま体ごと顔を背ける……まあそっちが学校の方向だから向くのは自然なんだけど、目が合っても何も反応してくれない何度も何年経験しても慣れる事のない塩対応に昨日スズ姉に啖呵を切った決意が揺らぎそうになる。

『何もしない方が良いのでは?』

 俺の心の弱気な部分が楽な答えを誘惑してくる。

 これ以上何かをしてより悪化するよりは……と。

 だけど、そうしていると不意に昨日見た夢を思い出してくる。

 それは夢だというのに妙なリアリティーがあった。それはストーリーだの風景だのという事ではなく、俺自身の心理としての事。

 夢の中で俺は常々『生死のかかったどうしようもない状況』を利用して天音と仲直りしていた事に後ろめたさを持っていた。

 魔物の跋扈する生きるか死ぬかの不運しかない状況で何を言っているのかと、自分でも思うけど、それでも天音との事だけを考えると『関係修復には実に都合が良い状況』にしか思えなったのだ。

 偶然を切っ掛けにしたくない……俺はそんな利己的な意地を発揮して、すでに背を向けて歩き始めた彼女にたった一言だけ声をかけた。


「お、おはよう……」

「…………」


 俺がそう言った瞬間、不意に彼女の歩みが止まった。

 たった一言、誰でも出来る当たり前の朝の挨拶……この一言を言うだけで俺は一体何年の月日をかけていたのか。

 突然疎遠になり拒絶されてから、これ以上嫌われて拒絶される事が怖くなり、何も出来なくなってしまったあの日から。

 この一言を切っ掛けに、もっと拒絶されるかもしれない……その恐怖はもちろんあるけど、俺から切っ掛けを作らない事は……我慢ならない。

 しかし歩みを止めた天音はこっちを向く事はなく、ただ立ち止まっている。顔も見えないから感情を読み取る事も出来ない。

 その姿に、徐々に恐怖心が大きくなっていく……やはり何もしない方が良かったのか?

 やっぱり、ダメなのか……そう思うと自然と俯いてしまう。


「………………おはよ」

「……え!?」


 その時、小さく、とても小さい囁きだったけど確かに俺は天音の声を聞いた。

 しかし驚いて顔を上げた時にはすでに天音は駆け出していた。

 まるで何かから慌てて逃げるかのように……。


「今……確かに返事を?」


 数年ぶりにたった一言だけ出来たコミュニケーション、それは俺に喜びよりも驚きを与えて、数分後に母親から「何してんの? 遅刻するわよ」と言われるまで呆然と突っ立ってしまっていた。

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