第三話 自分にとって都合の良い苦境

「……ちょっと……しっかりして…………夢次!!」

「う……うん……は!?」


 遠くから俺の事を呼ぶように聞こえた女性の声が、実は耳元で怒鳴っていた事に気が付くまで数秒かかった。

 俺はどうやら立ったまま眠らされていたようで、慌てて目をこする。


「悪い、眠らされてたのか俺は!?」

「数分間だけどね。おはよう寝坊助さん」


 俺の隣でそう言い放つ彼女は隙を見せないように“敵”に杖を構えたまま言う。

 敵、目の前にいるのはゴブリンの集団、新人の冒険者の洗礼とも言われている下級魔獣の一種で、大抵が集団で襲ってくるのだ。


「「「ギギギギ……」」」


 威嚇する5匹のゴブリンで、一匹だけ杖を構えた奴が見える。そいつはメイジゴブリン、下級の魔法を使えるタイプで俺に『睡眠

スリープ

』の魔法をかけた張本人なんだろう。


「クソ~油断したつもりはないのに」

「しっかりしてよ。前衛がいないと私は詠唱すら出来ないんだから!」


 そう言いつつ彼女は再び詠唱に入った。

 魔法の発動には呪文が必要で、詠唱の間はタイムラグがどうしても発生する。前衛が魔導士を守りつつ時間を稼ぎ、魔導士は強力な呪文で敵を一掃する。

 俺たちはここ数か月そうやって命を繋いで来たのだ。

 ゴブリンたちも集団でメイジゴブリンを守りつつ前衛が物理攻撃をする戦法を取っているけど、呪文はともかく武力としては練度が低く、力も弱い。


「うおらあああ!!」

「「「ギギギャ!?」」」


 俺は飛びかかって来たゴブリンを3匹、まとめて手にした大槌で吹っ飛ばすとこちらを狙っていたメイジと弓を構えたゴブリンに激突した。


「「ぎゃ!? ギャビ!!?」」


 偶然だったけどラッキー!


「アマネ、今だ!!」

「任せなさい! ファイアー!!」


 丁度詠唱が終わった天音は、都合よく5匹まとまった瞬間に現在使える唯一の呪文、下級火属性呪文を解き放った。

 その瞬間、爆発にも似た音と共に5匹の魔獣は奇声を上げて燃え上がる。


「「「「「ギャバガガガガ…………」」」」」



 数分後、俺たちは黒焦げになったゴブリンから討伐の証である角を回収していた。

 ちなみに死骸はキッチリと埋める。

 そうしないと他の魔獣を呼び寄せる原因になりかねないし、下手をするとアンデットになる可能性もあるからな。

 主に角の回収は天音、埋めるのは俺という分担作業に自然となっている。

 ……まあ埋めるのは力仕事だから。


「角の回収はこれでオッケーね。これで今日の夕飯代にはなるでしょ?」

「一匹につき10G……50Gの稼ぎか……」


 俺と天音は、ある日学校の帰りになんの説明もなくこの世界に召喚され、流されるように冒険者として過ごしていた。

 いわゆる『異世界転移』ってやつだ……は、は、は……。


「はあ…………」

「何よ……ため息なんかついて」

「ん? ああいや、こういう異世界転移ってのはお約束で神様からの特典とか、最初から便利なスキルを持ってるとかでイベントを楽々こなしてヒャッハ~ってのが定番なんじゃないのか~ってさ」

「ま~た言ってるの? 諦めが悪いわね~」

「だってせっかく魔物も魔法も存在する異世界だってのに、特典もなし、ヒントもなしで放りだされるなんて納得が行かないじゃないか!!」


 そう、俺たちは何かの使命を言い渡されたとか誰かの思惑とかそういった『初回特典』みたいなイベントもなく、ただただこの世界に送り込まれたのだ。

 最初は森の中、そこから二人で命からがら人里まで辿り着いて、元手もコネもなく出来る仕事として冒険者に“なるしかなかった”のだ。

 俺は意外にも『戦士』として、天音はこれまた意外にも『魔導士』としての才能はあったのだが、ハッキリ言ってさっきのゴブリンの集団を相手に出来るようになるまで数か月かかった。

 チートなんぞアリはしない……ただただ努力の結晶だった。

 しかしゴネル俺とは裏腹に天音は苦笑する。


「そう言わないの。生きていられるだけ私たちは幸運なんだからさ」


 そう言う彼女には一種の余裕さえ見られる。まったく……数か月前と比べて、変われば変わるもんだよな。

 数か月前、学校から俺と天音が丁度帰宅して家の前でバッタリと出くわした直後、突然足元から眩い光と共に現れた魔法陣によってこっちの世界に来た。

 その時、俺たちは完全に疎遠状態だったせいで最初の内は余り口を利かず、ハッキリ言えばぎくしゃくした気まずい関係だった。

 しかしここは魔物の蔓延る異世界である事が分かると、数年の確執や気まずさ何て言っている場合では無くなったのだ。

 真剣に、生きるために協力し合わなければどうしようもない状況。ある意味そのおかげで天音と『仲間』として話せるようになったのは僥倖ともいえるけど。


「俺はもう少し穏便な方向で仲直りしたかったけどな」

「何よ、人の顔を見つめてブツブツと」


 その表情は不満げではあるものの、日本で見ていた彼女の表情とは比べ物にならない程に幼い日に俺に向けてくれていた表情に近いもの。

 そう思うとやはりこれで良かったんじゃないかと思えなくもない。


「いや、変われば変わるもんだと思って。数か月前まで俺たちロクに口も利かなかったのに、今では一緒に魔物を狩って生計立ててるんだから」

「……生死のかかった状況で四の五の言ってられなかったってだけよ」


 そう言うと天音はフイっと、気まずそうに視線を逸らす。

 そんな彼女の仕草を見て、ふと今だったら聞き出せるんじゃないかという思いに至る。

 長い事俺の思いやみになっていた事を。


「そういえば……さ。なんで俺たちって日本にいた時、話さなくなっちゃったんだろう? 俺には覚えがなくて……」

「…………」


 なるべくさりげなくを装うつもりで聞いてみるが、実際には体が震えて変な汗が出てくるし、心臓はバクバク鳴っている。

 口に出してしまってから、もしかしたら異世界に来た事でせっかく臨時でも修復できた二人の関係性が失われてしまうかも……という事にも思い至り、膝まで震え始める。


「…………」


 無言でそっぽを向く天音に俺は『言わなければ良かったか!?』と数秒前の発言を後悔しそうになった。


「ゴ、ゴメン! 言いたくなければ良いんだ。というか、もしかして俺が何かやらかしたからそれが原因で!? だとしたら本当に申し訳ない!!」


 原因は俺にあるのに当事者はその事を忘れている……もしもそんな案件だったとするなら、今の質問は油に火を注ぐようなものだ。

 しかし勢いで土下座まで考えていた俺の耳に届いたのは、不満と否定の言葉。


「……なんで夢次が謝るのよ。先に距離を置いたのは私の方なのに」

「…………そうなの?」


 俺の言葉に天音は俯いたまま、小さく頷いた。


「……小学校の時に、友達と遊んでた時に貴方の話題があって……その、貴方の事をあだ名で答えたら……からかわれちゃって……」


 ポツポツと語ってくれたのは幼少期ならば誰でもありそうな話。

 男子よりも早熟である女子が恋愛ごとに興味津々になった頃、天音は都合が良い話題を提供してしまった。

 しかし、もう少し成長していれば軽くいなせば良い所なのにまだまだ幼かった天音は羞恥心のあまり『否定』『拒絶』の方向に動いてしまったとの事。

 友達の前で『幼馴染の男の子と仲良くなんかない!』という態度を取るようになってしまって……その辺りから俺と遊ばなくなっただけでなく、露骨に話さなくなってしまったんだとか。

 普通なら男側でよくありそうな話だけどな。

 当時俺もショックは受けつつも天音以外の男友達と遊ぶようになっていったので、うやむやにしてしまったのだが。

 しかし、俺はそんな真相を天音本人から聞いて、心底ホッとした。

『嫌われていたワケじゃなかった』その事実だけで、心の奥底にのしかかっていた重りが無くなっていくのを感じる。


「突然秘密基地に来なくなるし、口も利いてくれなくなるし、露骨に避けるし……本気で嫌われてるんだと思ってたぞ」

「それは……本当にゴメン。こっちから勝手に話さなくなって避けちゃったから、夢次にはいつも睨まれている気がして……その……怖くて……」

「……は?」


 俺の口から間抜けすぎる声が漏れる。俺が『顔を顰めて逸らしている』と思っていた彼女の仕草、それが『罪悪感に駆られて逸らしていた』っていうなら……俺たちは一体何年も無駄な溝を作っていたのだろうか?


「スズ姉にも何度も相談して…………色々と協力もしてもらったのに、うまく行かなくて」

「スズ姉に相談……」


 俺はその天音の話に腰が砕けそうになった。

 瞬間に思い出す……スズ姉の何ともいえない呆れた表情、そして常に言っていた『一緒に客として店に来い』って発言が事情を知っていての『さっさと二人で話して一緒に店に来い』の裏返しだとするなら……。


「は……ははは…………何て無駄な遠回りをしていたんだか……」

「何が?」


 不思議そうに首を傾げる天音に、俺は自分も散々スズ姉に相談していた事を教えてやると、彼女も深い溜息を吐いた。


「スズ姉……それなら教えてくれれば良かったのに……」

「無粋って思ったんじゃないか? そこに口を出すのは」


 そう考えてみれば、スズ姉はあらゆる助言をくれて、俺たち二人の橋渡しとして色々な切っ掛けを提供してくれていた。

 これはしっかり利用出来なかった俺たち……いや、俺が悪い。

 異世界で命の危機すら体感しないと女の子と話し始める事すら出来なった俺が根性なしだっただけの話なのだ。


「……待ってたって切っ掛けは無いよな」

「そうね……!?」


 俺の心情を呼んだように天音も頷いた瞬間、俺たちの背後から“人間ではない”類の殺気が膨れ上がった。


「「「「「ギャギャギャギャ!!」」」」」


 瞬間、背後の茂みから襲い掛かってくるゴブリンの群れ。

 俺はいつものように天音の呪文詠唱の時間を稼ぐ為に、手にした大槌を振りかぶった。


「頼りにしてるぜ相棒!!」

「ハイハイ、それはお互い様よ!!」

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