第二の鍵――私の思いと霧の森
ふと思い出す、私は昔から人と話すのは得意では無かった。声をかけることにすら、相手の反応を気にして何を言われるかに怯えていた。決して悪いことを言われる訳ではないと分かっていても恐れて話しかけることができず、ただ時間だけが過ぎてしまう。そんな風に1日が終わったことが何度あったのだろうか。そんな過去の後悔が浮遊感に包まれたこの空間で思い出される。私はこんなことを考えないようにいや考えなくなるために飛び込んだのだ、今は次の場所へ行くんだ。
「ピヨっ」
ピヨの鳴き声がする、気づくと足の下の方から引っ張られる感覚に陥る。気が付くと足は地面と接していた。地面の下にぎっしりと土が詰まっているそんな感触が足元からしてくる。体を包んでいた緑の光は薄くなり、目が開けるような明るさに戻っていく。ふと頬に僅かに雫を含んだ風を感じる、目を開くとそこには薄暗い光景が広がっていた。
鬱蒼とした印象を与える黒々としたモミの木やマツが目の届く限りの凹凸を覆い隠している。薄いレースのようでありながら幾重にも重なった霧は、下にある木々や上にある雲や空を踊りながらも見せつけない。
「ここが次の場所……」
青い小鳥は羽を一度上下に大きくばたつかせて、肯定した。進もうにも道になる場所はそう多くはない。見えている範囲では前に1つ、後ろに2つにある。どの道も別の方向に向いていて繋がっているようには見えない。
「どっちに進んだらいいんだろう」
前に行くべきか、後ろに行くべきか口に出して考える。前に行くのは簡単だ、このまま足を踏み出せばいいのだから。後ろへ行くの簡単じゃない、見えない方向に付R向かなきゃいけない、怖いものを見るかもしれない。だから前に行くしかない。前へ行こう。足を踏み入れる――
次の瞬間、森の木々は降りてくる霧の帳の動きに合わせて形を変えていき、気が付けば目の前に木々に囲まれた草原が現れる。霧は逃げるように姿を消し、テーブルが現れた。突然のことに驚いていると木々の中から動物たちが現れて、人のような姿へと変わっていく。まるで昔読んだ絵本のように。集まった動物たちは私とピヨの目の前でケーキやお肉、じゃがいも、スコーンなどを皿に乗せてテーブルの上に置いていく。
「ねぇ、あなたも一緒に楽しまない?」
「えっ!?」
夢中になって動物たちの準備を見ていると横にそっと、水色のエプロンドレスを纏った少女が立っていた。髪は金髪ではないけれど、まるでナンセンスな登場人物たちが繰り広げる物語の主人公のような格好に見える。突然声をかけられたことに驚いた私は警戒の眼差しで少女を見つめる。
「あら、そんなに身構えなくても大丈夫ですよ」
「そんな風に言われても…」
「取って喰う、なんてつもりはありません。貴女が何者なのかもどうしてここに入ってきたのかも知りませんがここに来る人に必要なことは知っています」
「……」
私は返事を返せずに沈黙する。正直に言えば怖い、でもそこまで悪いことをしてくるようにも見えない。だからこそどう返事を返していいかわからない。
「悩まなくて、良いんです。あなたはここに長くいることはないのでしょう?」
「えっ!?」
「その鍵束を持つ人々は長く留まったことがありません。渡るように次の世界に行くのです」
「この鍵のことを知っているんですかっ!」
この鍵のことを知っている、そのことに私は語尾を大きくして問いかける。私の元居た場所ではこの鍵のことはおじいちゃんも詳しく知らないと言っていた。もしかしたらこういうことが起こるのを知っていたから言わなかったのかもしれないけど。
「ええ、知っています。その鍵は渡りの鍵と言います」
「渡りの鍵?」
「ええ、その鍵はあなたが心に思い浮かべた所へ渡ることができる鍵です」
「異世界へも?」
「そうです。その名が示す通り他の大地へ、星へ、海の底へ、どんな所へだって持ち主が願ってさえいれば行くことができる」
やっと知ることができた。どうしてあの倉の中にあったのかはわからないけれど、この鍵の束がどういう役割を持っているのかを知ることができた。やっぱり、この鍵が私をここへ導いてくれたのだと実感する。私が進もうとしたのは間違いじゃなかったそのことがわかっただけでも十分だ。
「ありがとうございます。どうやってここにこれたのかを知ることができて、1つ悩みがなくなりました」
私は彼女に対して頭を下げてお礼を言う。お礼の一つでも言わなければ、足りないくらいに嬉しかった。
「いえ、私は知っていることを話したまでですから」
「ところであなたもお茶やケーキを食べてもいいのですよ」
「いや、でも…」
「遠慮、しなくていいのです。あなたの連れの小鳥さんは美味しく木の実を食べていますよ」
鍵の話が終わると彼女はお茶やケーキを勧めてきた、少し話したとは言えなかなかいただきますと言える気持ちにはならない。そうやって私が悶々と悩んでいる間に呑気なピヨは木の実をついばんでいたようだ。そんな姿を見ると悩んでいたこっちが馬鹿馬鹿しくなってくる。
「わかりました。お茶とケーキを頂いてもいいですか」
「本当ですかっ!今用意してきますね」
彼女はテーブルの方へと駆けていく。周りでガヤガヤと盛り上がっていた動物たちは彼女が来たことで一度静かになり、彼女の指示を受けて動き出す。リスと鳥たちが森の周りを飾り付け、フクロウは小屋の中からケーキを運んでくる。ウサギは新しいお茶が波々と入ったティーポットを抱えて歩いてくる。彼女は運んできたケーキを切り分け、虚空に腕を振ると皿が空に現れ、切り分けたケーキが綺麗に並べられる。ティーポットの周りにはソーサーとカップが空を舞い、浮き上がったポット自身が斜めに傾き、お茶を注ぐ。
「すごい、綺麗……」
私はあまりの出来事に言葉を失う。手品のようにどこからともなく現れたカップには空飛ぶポットがお茶を注ぎ、切られたケーキはこれまたどこからともなく現れた皿の上に乗るのだから。これはもはや魔法と言っていいかもしれない。この非現実の光景に私はある種の美しさを感じていた。まるで絵本が目の前で開かれているようなそんな印象だ。ここに来て、私はこの不思議な鍵束以外にも魔法やそれに近いものがあるのだと実感した。
「そう言ってもらえると私も嬉しいです。これを見てそう言ってくれる人はそう多いものではないですから」
「そうなんですか?こんなにも綺麗で幻想的なのに……」
「ここに来る人は何も望んで来た人だけじゃないのです。迷い込んだ人、死んだらここにいた人、他にもいろんな人がここに望まずに来ました」
「その人たちにとってはこの景色は……」
「ええ、怖くて恐ろしいものだったのでしょう」
確かに迷い込んで右も左も分からないのにこんなに不思議なことを見てしまったら、気が狂ってしまうかもしれない。私だって最初は怖かったのだから。美味しいロールケーキを口に運びながら、そんなことを思い浮かべる。このケーキとお茶を食べ終わったら、もう出発しようか。そういえば、一つ聞いていなかったことがあった、彼女と別れる前に聞いておこう。
「このケーキ、とっても美味しかったです。お茶もケーキと合わさるととても飲みやすい感じで好きです」
「ありがとう、旅人さん」
「それでもしよろしかったら、名前を教えていただけますか?」
「私の名前ですか?私の名前は――」
「――」
その名前は何故か、私とそっくりの名前をしていた。気づけば私は背を向けてそこから駆け出していた。
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