現実なんてなくなってしまえ、だから私は扉を開ける

豊羽縁

最初の鍵――ここがどこだか、わからない

  私は山の間の小さな町で暮らしている。人口は4000人程度で、観光客が夏から秋に来るだけの小さな町だ。都市への移動手段は1日2往復の長距離バスだけ、物価は高い、町の人は都会から来た人を意味なく嫌う、お世辞にも良い町かと言われたら微妙だ。

 実家を出たかった。可能なら気軽に実家から私の元に行けないような、利便性が良くない場所へ。そんな条件を調べていたら、この町が出てきた。だか、この町の人は都市から来たと言うだけでど顔をしかめる。私とほぼ同時期に街から来た人間は皆すぐに出ていってしまった。私も正直、ここから出ていくか悩んでいる。もう逃げてしまいたい、そんな気持ちが心の大半を占めてしまっている。

 その暗い気持ちを少しでも軽くするために祖父の形見の小さな鍵の束を手に持つ。その鍵達は5本の鈍い金色の輝きを持つ、真鍮の鍵で小さい頃に祖父の家を探検したときに祖父から貰ったものだった。どこで見つけたかは覚えていないけど、私が見つけたその鍵達を祖父は笑顔で譲ってくれたのははっきりと覚えている。そのせいか親は苦手だったが祖父にはよく懐いていた。

 逃避のために山を越えて3時間かかる街に出かけ映画を見てファストフードを食べて、買い物をしてバスターミナルに向かう。もうバスは来ているようで客はゾロゾロと乗車しているようだ、急がなければ。乗車券を見せ車内に入ると、車内放送がいつものように流れていた。冬にしては珍しく山奥の町を目指すバスには結構な人が乗っていて、席は5割ほど埋まっていた。人が居なさそうな席を見つけられたことに安堵し、この2時間を眠りに当てることにした。

 バスはいつも通り定刻を少し遅れてに出発していく。ビル街を抜け、隣町のカントリーサインを越えるとそこはもう別世界だ。今日は風がやや強いが吹雪と言うわけではない。冬にしてはいい方だろう。


「痛っ!」


 2、30分ほどウトウトしていると、急に手に痛みが走る。痛みは少しずつ、強さを増していく。こんなことは久しぶりな気がする、恐らく4年前に大学からの帰りにバスに乗ろうとした時以来だ。


「うわぁぁ!雪崩だ!」


 突然、そんな声が聞こえた。おかしいここは雪は降るが積もらないそんな土地だ。家も雪国に比べれば断熱材も不十分で部屋は夜に暖房を切るとすぐに冷える。そんな所だ。なのに雪崩?疑問が固まる暇もなく、私は意識が薄くなっていく。その中でも私は大切にしていたペンダントの鍵を無くさないように掴む。ドォンと、雪がバスに突っ込んでくるような、そんな音がするとともに世界が白い光に包まれていく。ああ、おじいちゃんの家もう一回行きたかったなぁ――






「ハッ!!」


 目が覚めると同時に勢いよく起き上がる、ここで倒れていてはいけない。早く起き上がらないと死んでしまう。そう思い、何か使えるものはないかと辺りを見回す。私は目に入った光景が信じられず、口を開けて呟く。


「えっ……」


 そこは雪の上でなく、草原だった。目の前には青空が広がっていて、雲が風に乗って流れていく。時折、どこから鳥の囀りも聞こえてくる。澄んだ空気は人の存在を感じさせないほどに心地良い。なだらかな濃緑の草原は風によって揺らめき、まるで波のように見える。視界の端には白い肌を持つ木と針葉樹が立ち並ぶ森が見え、その先は白い帽子を被った山へと続いている。ここまで美しい世界は目にしたことがない、少なくとも今まで見たことのある光景でこれに勝るものはない。ああ、綺麗だ……。


「ピヨ、ピヨヨ」

「えっ」


 気がつくと肩に可愛らしい小鳥がちょこんと乗っている。まるで童話に出てくるような世にも珍しい青い小鳥だ。私の方を向いて鳴いているけど何かあるのだろうか?


「どうしたの、ピヨちゃん?」

「ピヨ?」

「あなたの名前、とりあえずだけど」


 小鳥に名前を付けて呼びかける。名前を付けるのはとても大切な行為だと思う。ただ鳥と呼ぶよりは愛着を持てる。自分で決めたという実感が持てる。


「ピヨピヨ!」


 名前を気に入ってくれたのか鳴いて反応するピヨちゃん。肩に乗ったまま、ちょこちょこと可愛らしく動き回る。そして私が首から下げていた鍵に気が付いたような素振りを見せると鍵の前をくちばしで指すような動きを見せる。


「これのこと?」

「ピヨっ!」

「これはね、大切なもの。ここじゃないとこでの一番大切な思い出」


 いくら綺麗な景色が広がっているといっても、人っ子一人見えない世界に私は不安を抱いていた。いくら一人でいたい気持ちがあっても何の準備もなく放り出されたら途方にくれるそんな気がする。その気持ちを少しでも紛らわすために私は青い小鳥に話しかけつつ4本の鍵をいじくる。


「あれ……」

「ピィヨっ?」


 私が鍵の束を見て首をかしげると青い小鳥も「何かあったの?」と聞くように相槌を打つ。この鍵の持ち手には確か小さく輝く石が1つ嵌っていたはずだ。赤い石、青い石、黄い石、緑の石、白い石がそれぞれの鍵に嵌っていた。でも今は真ん中の白い石の鍵が束から無くなっている。


「どうしたんだろう……、落としちゃったのかな」


 さっきバスが雪崩に飲み込まれた時に取れてしまったのだろうか。祖父に譲ってもらってからとても大切にしていたものだから悲しい。さっきまで晴れ渡っていた心に光を通さぬ雲が現れ、心の光を遮ろうとする。心なしか、周りの風景も暗くなっているような気がする。


「ピヨ、ピヨ!」

「えっ……」


 小鳥のしつこい程の鳴き声で心の世界から引き上げられる。顔を上げると目の前は嵐の直前のような光景へと変わっていた。そよ風は暴風に、真っすぐに立っていたモミの木は風で左右に揺れ、川は透き通った色を隠してしまっていた。静かに落ち着いていた風の音はピアノソナタからロックンロールに聞く曲を変えたような変化で音を激しく私に叩きつける。私はただ驚きで固まっていた。あんなに綺麗だった世界は嵐、いや世界の終わりみたいな光景になっている。まるで鍵の石が落ちて、沈んでいる私の気分のように……。


「私の気分?私の気持ち――」

「ピヨ?」


 小さな鳥はまるで分らないように首をかしげる。こんな中でも能天気に今まで困ったことなど無いと言うように。その仕草に私は呆れるような嬉しいような複雑な気持ちで毒気を抜かれた。


「ありがとう、ピヨ」


 少し暖かい気持ちで青い小鳥を撫でる。もしこの世界が私の気持ちと合わせて姿を変えるというなら、自分は心の森の深くにいる怪物をどうにかすることが必要なのだろう。心の中を変えていくのは簡単なことじゃないと思う。でも今みたいに目に見える風景にヒントがあるのなら。


「行こう、あの山のむこうへ」


 ここに見える風景が私への心の試練なら、 前に進むことで何かを得られるかもしれない。そう思ったから前に進む、綺麗で落ち着ける風景が続く場所に。


「ピヨッ!」


 この先には何があるんだろう。怖いけれど進んでみたい、この大地を。小鳥と、いやピヨと共に駆けていく、スニーカーを履いていて良かった。足は前へ前へとどん欲に進んでいく。青い翼を持つ小鳥は心地良いさえずりを響かせる。

 気が付くと私の周りを光が包んでいる。光は森の木々の色のような鮮やかな緑の色を持って輝いている。これは、もしかしたら――

 次の瞬間、私の前で緑色の石が嵌った鍵が浮かび上がり目の前に光の線で描かれた扉が現れる。そして瞬く間もなく、私は青い小鳥とともにその中に吸い込まれていった。

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