第1話 売れない新聞記者と、四番目の子供エンディ


 売れない新聞記者は、その時プロロネシア王国の宮殿の前に佇んでいた。彼の出身地メリーゴーからは程遠い北西部にある国だった。言うまでもなくそれはクリナの王国だった。この時はまだ、彼女は白いドレスを着ていた。


 彼はスクープを求めていた。けれど残念なことに、彼には何の才能もなかった。だから新聞社は彼に最も過酷なスクープを持ってくるように要求した。いつしか戦争関係の記事が彼の専売特許になった、と彼自身思っていた。


 今回彼が掴んだのは、ここプロロネシア王国と、《世界の終わり》を告げる宗教団体【エスタリオン】との内乱だった。【エスタリオン】は家族ぐるみから出発した謎の組織だが、根も葉もないことを口走って王国を混乱に招くとかねてからの噂だった。レイモンドは、その噂を聞きつけここへやってきた。


 ヘーゼ歴464年のことである。


 悲劇の予兆はあった。けれど、やり直しがきかない時じゃない。



――



「レッド・レイモンドさんですよね? 少しお話があるのですが」


 過去の僕は、僕の声に気づくと驚いた様子で頭を掻いた。


「え、こ、こんな遠くの国にも、私のことを知っている方がいらっしゃるのですか。あ、あはは。驚いたなぁ。光栄です。で、お話ってなんですか?」


 自分で言うのもなんだが、マヌケ面だ。幸い、周囲に人はいない。裏路地にでもおびき寄せて、あっさり殺してしまおう。


「あなた、戦争や内乱関係のゴシップを記事にしているんですよね? そんなあなたに耳よりな情報があるんです、少し危険な場所になるのですが……」


「ゴシップ? 僕が書いているのはゴシップなんかじゃありません。真実です」


 彼は少しむっとしたようだった。いいや、お前が書いているのはゴシップなんだ。そうでなければならない。この悲劇が、真実であってはならない。


「まぁ、とにかく行きましょう。ここから列車で数時間行って、そこから数分歩いたところです」


 10年前、僕はここで謎の人物に殺されかけた。そう、その謎の人物というのが今の僕である。そして殺害は失敗に終わり、僕は彼女たちと出会うことになる――。その未来を拒否するためには、殺害の場所を選ばなければならない。ここでに出くわしさえしなければ、問題なく未来は変わるはずだ。過去の私は刺殺体として発見され、王国の内乱はただのゴシップに終わる。クリナは今後も姫としてこの国を治め、ウーシャの組織は解体され、《世界の終わり》も訪れない。


 すべては自分が引き起こしたことだったのだ。自分が消えれば、すべて解決する。


 僕はタイムマシンの中でウーシャが言っていたことを思い出していた。



――


「タイムパラドックス、って知ってるよね?」


「もちろん」


「時空への介入によって、世界が矛盾してしまうこと。それを回避するために、元いた世界では起きなかった辻褄合わせが起きるかもしれない。もしそうなったら――」


「僕が彼に出会うこと?」


「その可能性は充分にある」


「大丈夫さ。当時彼はほんの子供。場所を選びさえすれば、僕と遭遇するはずがない」


「でも気をつけて。この忠告を私に言ったのは――」


 他でもない、彼自身――。



――



「着きました」


 列車に乗っている間、彼はよくしゃべった。世界の戦争の悲惨さについて、戦争がいかに残酷で無意味かについて、本当の正義とは何かについて。けれど、今の私からすればそのすべての発言が陳腐に思えてくる。理想だけでは世界は変わらない。行動しない限りは。


「こ、ここにすごい情報が?」


「ええ。この奥に情報屋がいるんです。案内しますから、どうぞついてきてください」


「ワクワクしますねぇ、どんな情報なんだろ」


 この時点で、自分が体験した過去とは異なっている。確実に未来は変わった。大丈夫、うまくいく。


 薄暗い路地の真ん中で、僕は振り返った。


「ど、どうしたんです、突然」


「死ね!」


 僕は手に持っていた短刀を取り出し、振りかざした。視界は悪いが、狙いを外すことはない。自分の心臓の位置は、自分がよく分かっている。


 その瞬間、反対側から声がした。聞くはずのない、声が。


「おじさんたち、何をしているの!?」


 振り返り、背筋が凍った。


「エンディ・エスター……!」


「け、警察を呼ぶよ! 呼ぶからね!」


 未来は変わった、はずなのに――そのセリフは、私が10年前に聞いたものと同じだった。なぜなんだ、なぜここにも現れるんだ、エンディ……。


「ひ、ひいいっ!」


 過去の僕は、怯えるように逃げていった。あとには、呆然と立ち尽くす僕とエンディだけが残された。


 失敗した……ちくしょう!


「エンディ……」


 ゆらゆらと彼に近づく。父親に似た天然パーマの黒髪。自分の顔と同じぐらいの大きさの大きな眼鏡をかけた彼は怯えて、同じ言葉を繰り返す。


「ひ、人殺し、人殺し……」


「そのセリフは10年前に聞いた」


「ば、馬鹿言うな。僕はまだ5歳だぞ」


「その通りだ。だが10年前も、君は5歳だった」


「頭イかれてるよ、おじさん」


「場所が違ったはずだ。あの時は宮殿の前だったろ。なんでここなんだ。これがお前の言ってたなのか? お前はそうまでして、《世界の終わり》を迎えたいのか!」


 彼を殺すことを考えた。彼がいなければ、タイムマシンは完成しない。この時代の私が、ウーシャを連れて未来に行くこともない。けれど、そんなことできるはずがなかった。彼は私の最高の友人であり、ウーシャの、かけがえのない弟だからだ。


「すまない……君が悪いわけじゃない」


「《世界の終わり》……? おじさん、姉様たちのこと、知っているの?」


 まだ過去の私を殺すチャンスは残っている。この時代のウーシャを未来に連れて行く前に、なんとしても。


 エンディの腕時計から着信音が鳴る。彼がスイッチを押すと、ホログラムで通話相手が表示された。


「エンディ、どこをほっつき歩いている。礼拝堂に戻れ」


「ね、姉様……あ、あの、変な人が――」


 そうだ、おそらく10年前、私の殺害に失敗した私は、この女に連れて行かれてしまったのだ。捕まるわけにはいかない。


「くっ!」


 私はわき目もふらずに走り出した。先ほど逃げていった過去の私と同じように。しかし。


「変な人というのは、こいつか」


 目の前に、彼女が立ちふさがった。宗教団体といえど、国を相手に戦争を仕掛けられる一族――監視の目が遠いはずはない、というわけか。


「姉様!」


「貴様、我が弟に何かしたか?」


「彼とは友人なんです。彼は、僕を送り出してくれました。彼こそがキーパーソンと言っても過言ではない」


 女はふう、と短くため息をつき、そして言った。


「ご同行願おう。抵抗するなら――ここで消すまでだ」


 右手には大きな光線銃が握られている。飽きるほど見た代物だ。


「従いますとも。アヴェル・エスター」


 彼女は母親に似たのだろう。真ん中で分けた長い赤髪が揺れた。彼女こそ、エスター家の長女にして、宗教団体【エスタリオン】のリーダー、アヴェル・エスター。


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