今アクセルを解き放て
その昔、ある特撮ドラマが産声を上げた。
人気に火が点き、シリーズは五作目を数え、打ち切られた。
だがその人気は熾き火のように残り、時を経ては復活と打ち切りを繰り返していくこととなる。
やがて、世紀末たる二〇〇〇年に復活・再スタートしたシリーズは『平成シリーズ』と呼ばれ、打ち切りの憂き目を切り抜け続け、今や、当たり前のように毎年毎年、新番組が製作され続けている。
その原点にして原典。人気をほしいままにした第一作。
タイトルは簡素に、ただ――『超人ライザー』――といった。
主人公の超人ライザーは、元々は世界征服を目論む悪の秘密結社が生み出した怪人だった。
組織を裏切り、人と怪物の狭間に立って孤独に戦うヒーロー。
それこそが超人ライザーという作品の根幹であった。
つまりまあ、何が言いたいのかっていうとさ……。
ヒーローも、一皮むけば怪人と同じってこと。
<チップ>によって怪人化する能力を得た雄一くんの手の平には、銀色のコインが光っていた。
直接、怪人に変身するものとばかり思っていたから、ちょっと拍子抜けした。
いやまあ、シナリオにない展開をわたしが勝手に作っちゃったわけだし、『矢凪雄一(怪人態)』のキグルミがすぐに用意できなかったのかもしれない。
番組制作上の都合なんてこっちが慮れるはずもないが。
「雄一くん、そこに三枚のコインがあるわね」
「いえ、あの……キユコさん……」
「その三枚のうち」
「二枚しかありません」
「え……?」
「二枚しかないんです。っていうか、これ……アクセルフォームに変身するコインですよね」
突き出される雄一くんの手にあるのは、フクロウの意匠が描かれた銀色の、二枚のコインだった。
これがアクセルフォームに変身するためのアイテムだとするなら、最後の一枚は……、
「あそこか」
黒いアクセルフォーム――アクセルアバドンに視線をやる。
今もREXライザーと一進一退の攻防を繰り広げている。
――やられた。
怪人の顔の下で眉間にしわを寄せる。
「雄一くん、その二枚のコインを
この状況でわざわざコイン一枚だけの不完全な変身をするメリットは無い。
二枚で変身すれば完全体になれる。変身時間に制限はあるけど、能力を最大限に引き出し、即死するリスクを引き下げることもできる。
そしてなにより――、
「あなたはその
アクセルフォームの力を封じ込めたコインを睨み、雄一くんは頷いた。
「分かりました」
雄一くんの左手にうっすらと筋が走っている。生命線の一部が濃くなったようにも見える。
そこに遠慮がちにコインをうずめていく。一枚。二枚。
間もなく彼の肉体が変貌を遂げた。
それは白い鎧武者のようだった。
丸い兜に風切羽を象った鍬形を掲げ、口元をクチバシに似た面頬が覆う。その隙間の暗がりから黄色の目が光を放っている。
流線形を基調とした甲冑からスラリと長い手足が伸びている。腰の後ろには引きずりそうな長い布が、スカートみたいに風をはらんで翻っていた。
初めて見たはずなのに、そんな気がしない。
特徴的な鋭い肩パーツ。胸当てに彫り込まれた×字型のライン。
わたしはこれを知っている。見たことがある。
このパーツ……過去作の『超人ライザー』シリーズに登場した幹部怪人だ!
下半身も過去作にいた鎧武者の敵怪人を流用している。ような気がする。
顔だけは
「
「リデ? なんです?」
「なんでもないの。気にしないで」
雄一くんは怪人化した自分よりわたしの放言に気を取られている。
「あなたは千葉といっしょにアバドンの動きを止めて」
「キユコさんはどうするんです?」
「わたしは躊躇わない」
「え?」
「融合しているふたりを分離させる」
「分かりました。お任せします」
深くは尋ねず、フクロウ怪人と化した雄一くんはわたしに背を向ける。
なんだこいつ、カッコいいなぁ。なんでこんなわたしを信用しちゃうんだ。
いや、余裕が無いのかもしれない。
心配なんだ。相棒――コニーのことが。
今、アクセルフォームのスピードに振り回されているアバドン――獅子堂葉月と、彼と融合しているコニーとを同一視しているんだ。
自分の身体をブチ壊しながら暴れている彼を一秒でも早く止めたくて仕方がないんだ。
「大丈夫。今のあなたはここにいる誰より速いよ」
チラリと黄色い目が肩越しにわたしを振り返る。
雄一くんは「はい」と応えて、怪人の脚を踏み出した。
瞬間、わたしの目の前で音が消えた。
雄一くんの変身したフクロウ怪人はまるで周囲の音を吸い取るかのように、一切の音を立てずに動作した。
アクセルフォームと同じく、目で捉えきれない超高速の領域で、そよ風の一筋すら起こさずに、スピードの中に溶けていった。
白銀の残光を目で追い、わたしは自分のコインを取り出した。二枚目の黒いコインを首筋のスリットに差し入れて、完全体へと変身。
黒い翼が背中から生えて、全身が鉱物へと変質する。
そうして変身前に内ポケットだった場所から、シカバネ博士から預かった秘密兵器を掴み出した。
白くて細長い板切れ。インパーフェクターだ。
掴んだ手の端から、ヒヨコ色の羽毛がチラチラと毛羽立ち始めている。
「急がないと……」
完全体の変身時間には制限がある。
翼をはばたかせ雄一くんの後を追う。
アクセルアバドンとREXライザーの戦場は、すでに河原を離れ、隣のキャンプ場へと移っていた。
無人のキャンプ場を覆う短く刈った芝生をえぐって、REXの生み出した白い板が墓標のごとく立ち並ぶ。
乱立するその隙間を高速で駆け回るアバドンの黒い影は、あまりの速さに分身しているようにさえ見えた。
雄一くん――フクロウ怪人が戦闘を続けるふたりに迫る。
REXがそれを視界に捉えた。
共に修羅場をくぐり抜けた仲だろう。言葉を交わさず、共闘するはずだ。
――という予想は、REXの繰り出した回し蹴りに打ち砕かれた。
「新手か!? 今立て込んでんだ! 後にしろ!」
駆けつけたところに飛んできたREXの赤いブーツをすんでのところでかわし、フクロウ怪人はたたらを踏む。
「千葉さん! 俺です俺! 矢凪です!」
「お、おまえ! なんで……いや、あのトリ女の差し金か! どんな鼻薬を嗅がされた! イイ匂いだったか?」
「何言ってんですか。こうでもしなきゃ俺が戦えないでしょう」
言いながら、フクロウ怪人はアクセルアバドンの動きに追い付いて組みつく。
「それに差し金ならキユコさんが持ってきますよ。アバドンを止めるの、手伝ってください」
火が点いたように暴れるアバドンに振り回され、フクロウ怪人が宙に放り出される。
すぐさま白い板が地面から突き出して、フクロウ怪人の身体を受け止めた。
さすがに
「ったく……止めるったって、スピード落とすのだって苦労してんのによォ」
ぼやきとは裏腹に、REXは地を這うような低い姿勢でスルスルとアバドンの懐にもぐり込む。
同時に、白い板を足場にして、フクロウ怪人は矢のようにアバドンへ飛びかかった。
スピードで頭を押さえ、タックルで動きを止める。見事な二段構えだ。
アバドンは両者が同時に目に入っていたのだろう。どちらに対応するか迷いが生じ、反応が鈍った。
すかさずふたりがかりで押さえ込む。
「キユコさん!」
フクロウ怪人がわたしを呼んだ。
黒い翼が空気を打ち、わたしは声に向かって飛んだ。
身体を捻って白い板をすり抜け、苦しそうに首を振るアバドンが目前に迫る。
腕を伸ばす。
手の中のインパーフェクターが、アクセルアバドンの腰にあるドライバーへと。
挿し込まれた。
「グアアアアアア!!」
届いた! と思った瞬間、アバドンの絶叫が轟いた。
アバドンの叫びを掻き消して、アクセルフォームの甲高いエンジン音が響き鳴る。
力のかぎり暴れ、アバドンはREXとフクロウ怪人を振りほどいた。
そして、届いたはずのわたしの手が、何故か遠ざかっていく。
そのはずだ。
インパーフェクターを掴んだ左手が、手首のところで千切られていた。
「うあああああ!! 二回目ェええええ!!」
自分でもおかしな悲鳴だと思う。
昨日も腕もがれたのに、なんで今日もバッツリ切られなきゃいけないんだ。
痛みは無いが、断面からは血飛沫のようにヒヨコ色の羽毛が噴き出している。
あとは読み込みレバーを下げるだけなのに。
皮肉なことに、千切れた左手はレバーに指を掛けたかたちでアバドンの腰にぶら下がっていた。
「チクショウ……やってくれるぜ……」
アバドンに吹き飛ばされたREXライザーはよろりと立ち上がると、その姿を青年・千葉仁史へと変えた。
「すまねえ、矢凪。あと、頼むわ……」
「千葉さん!!」
言い残し、千葉は再びくずおれて、大の字になって倒れた。
同時にREXが召喚していた白い板切れも霧消する。
わたしの腕が撒き散らした羽毛が舞い散る中に、黒いライザーソウガの姿が立ち尽くしてあった。
彫像のような静けさはない。
両腕をしなだれさせ、仮面越しに荒い呼吸を懸命になだめている。
その黒い総身がしっとりと濡れていた。顎から雫が伝う。
ぽとりと落ちたその一滴が芝生に赤黒い点を打った。血だ。
もう肉体が半壊しているんだ。
「おとう、さん……おとうさん……ころ、して……」
弱々しい語気で、濁った声音を発するのを、わたしは確かに聞いた。
「あんたの父親がそんなこと望むはずないでしょう!」
わたしはひとつの危惧を抱いている。
このシナリオの顛末について。
アバドンが融合したコニーはアクセルフォームの源であるフクロウのコインに宿っていた。
だけどこのフクロウ怪人の能力は雄一くんの資質だ。コニーのものではない。
言い換えれば、元来はアバドン――獅子堂葉月に由来するものではない、ということ。
アバドンは自分の半身を求めてコニーと再融合したが、コニー自体はすでに雄一くんの半身となっているんだ。
きっとふたりが元のひとりに戻ることはないんだと思う。
この融合状態を解除したとき、コニーは雄一くんのところへ戻るだろう。
けれど、獅子堂葉月は……?
自分の個性の半分を失って、もしもライザーにアバドンを封印されたら?
そもそもこの変身を解いたとき、生身の肉体は人間の生命機能を留めているのか?
――コニーが雄一くんの元に戻ってライザーソウガが復活。アバドンも封印したぞ。めでたしめでたし。でも少年の命は助けられなかった。悔しさを怒りに変えて、戦え! 超人ライザーソウガ!
そんな見え透いたビターエンドに轢き潰されてたまるか。
わたしが助けると決めたんだ。
「死ぬな! 絶対に死なせないからな!」
舞い散る羽毛の中で、フクロウ怪人が先に動いた。
わたしが言ったことを守って動きを止めるつもりだろうか。
だがそれに反応してアバドンも動く。
銀白と黒銀の影が幾重にも交錯した。
「雄一くん! 読み込みレバーを!」
「はい!」
わたしの要望に返答するものの、アバドンの動きを制限していたREXの能力が消失した今、動きを捉えきれないでいる。
この高速戦闘の最中でも、アバドンの腰のドライバーに、わたしの千切れた左手はへばりついたままだった。
「飛び散った羽が全部身体の一部なら、もしかして……」
切断された左手を遠隔操作できるんじゃないか。
そんな考えが脳裡をよぎる。
どの道、
未だに羽毛を吐き出す左腕を握って、ぐっと力を込めた。
「動け。動け。動け動け!」
レバーに引っ掛かってる指の一本でいい。
奥歯を噛んで目を凝らして、動き回るアバドンのドライバーを掴んでいる自分の手に集中する。
高速で動きまわるふたりが起こす風がヒヨコ色の羽毛を舞わせる。
その一枚一枚が自分の左腕から伸びた神経であるかのようにイメージする。
繋がれ繋がれと念じているうちに、指がぴくりと動いた。ような気がした。
「動け! 動け! 動けェ!!」
ぱちん、とレバーを弾く手応えが指先から伝わった。
錯覚か、と訝ったとき、頭の中に音声が響いた。
――Imperfection――
瞬間、電流が走ったようにアバドンの全身がびくりと跳ねた。衝撃でわたしの手も落ちる。
高速機動に急制動を掛けたせいで、すっ転んで芝生の上をごろごろと転がって止まった。
「コニー……?」
フクロウ怪人がスピードを緩め、相棒の名を呼びつつ、倒れたアクセルアバドンへと歩み寄る。
「雄一」
「コニー!」
自分の名前を呼び返すアバドンの傍らに嬉々としてひざまずく彼に、アバドンの口からさらに言葉が続いた。
「まだだ」
「え?」
雄一くんが疑問符を浮かべるより早く、アバドンの拳がうなりを上げた。
フクロウ怪人の胸当ての下、腹のど真ん中にアバドンの黒い拳が突き入れられた。
完全な不意打ちだ。回避も防御も間に合うはずがない。
なんで、こんな……いや――、
「イジェクトボタン! コインを吐き出させて!」
フクロウ怪人には、しかしわたしの声に反応する余裕は無かった。
芝生の上を二、三度弾みながら転がったその姿は、怪人ではなく青年・矢凪雄一へと戻っていた。
彼はぐったりと倒れたまま動かない。
「ウソでしょ……」
怪人の変身にはインターバルがある。フクロウ怪人はすぐには戦線復帰できない。
REXライザーを期待して振り返るも、千葉もまた芝生の上でノビている。
アバドンはふらふらと立ち上がると、覚束ない足取りでわたしのほうへと歩み始めた。
他力本願のツケだ。やばい。ここにきて、どうしようもなくなった。
「逃げろ。君が何をしたのかは知らないが、これはもう外部の刺激に反応する戦闘マシーンになってしまった。僕には制御できない。逃げるなら今しかない」
傷ついた喉からコニーの言葉が喋りかけてくる。
逃げる? ここまでやって? わたしが何のために、おっかないのも我慢してここまできたと思ってるんだ。
鉱物と化していても鼻の奥がツンと痛くなった気がする。
目頭が熱くなって、ムッと胸が悪くなる。気持ちがクサクサして、お腹がぐるぐるする。
「逃げるわけないでしょ。バッカじゃない」
怒りがポンプになって怪人の身体に熱い血をめぐらせているようだった。
足を踏みしめて、アクセルアバドンを睨みつける。
怪人の強化された動体視力が、その黒い全身の動きをつぶさに観察した。
弱りきった身体だが、手も足も、どれもが必殺の威力を秘めている。
ごくりと喉を鳴らす。
ゆらりとアバドンが片腕を振り上げた。
その腕に、桃色の布が巻きついているかに見えた。
「え?」
布はたわみを失くし、アバドンの腕を締め上げる。
「やれやれ。ライザー同士の内紛かと思って見物していましたが、彼女を害するとなると見過ごせませんねえ」
アバドンの背後の空間から突如、銀緑の怪人が現れた。
顔にブラジャーみたいな突起をつけた特徴的な出で立ち。
見間違えるはずもない。
「ゼネラルカメレオン!?」
「ごきげんよう、モドモアゼル」
慇懃な言葉遣いで挨拶をかまし、ゼネラルはくつくつと笑った。
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