熱く蘇れ


  * * *


 高速道路の降り口からほど近い山の裾野に自然公園がある。

 キャンプ場が併設されているが平日の朝に人の気配は無かった。

 山を下った川がその公園をかすめるように流れ、川幅を増して勢いを緩める。

 背の低い土手の上から、千葉仁史はごつごつした小石の転がる河原を見つめていた。

 正確にはその河原にたたずむ黒いライザーソウガ――アクセルアバドンを観察していた。

 千葉が木蔭から覗き見たその姿は、野ざらしの銅像のようで微動だにしない。

 立ったまま眠っているのか、それとも立ち尽くして動けずにいるのか。

「俺様ひとりで組み伏せられそうだが、矢凪がリス野郎をとっ捕まえたっつーなら待つのが得策か……」

 恐竜の意匠が刻印されたコインを手の上で確かめる。

 そんな彼の耳に、森閑とした公園の空気を震わせるエンジンの音が響いた。


 近づいてくる音へ向けた彼の目に異様が映った。

 見慣れたバイクを駆る矢凪雄一の姿と、タンデムシートにくくりつけられ巨岩のごとく丸まった怪人――そしてその怪人を空中から支える黒い影。


「なんであのトリ女までいるんだ……」

 千葉の目が厭気に眇められた。


  * * *


 公園の遊歩道にバイクを乗り上げ、雄一くんは目的地の河原へと直行した。

 大学の割れた窓ガラスといい、雄一くんは大事の前では小事に目をつぶりがちだな。

 爽やかな並木道を抜けると目の前が開けて小川のせせらぎにぶつかった。

 ブレーキが甲高い声で鳴き、唸っていたエンジンが黙り込んだとき、河原に直立する影がこちらを向いた。

 アクセルアバドンの黒い総身が川面の反射光の中にシルエットを切り出していた。


 バイクの脇に降り立ち、タンデムシートにくくりつけられたリス怪人を見る。

「雄一くん……」

 呼べば、彼は頷いて、怪人を縛り付けるザイルをほどいた。

 薄茶色の装甲をまとうリス怪人は力なく地面に膝をつく。

「コニー! 俺だ! 聞こえているか!」

 雄一くんが声を張ってアクセルアバドンへ呼びかける。

 けれど黒いライザーはぼんやりと河原を眺めるままだった。

 反応が無い。コニーの意識は表に出てこないのか。

「アバドン――いいえ、獅子堂……葉月、くん?」

 代わりにわたしが呼びかけてみる。


「し、しどう……教授……」


 うめくように声がした。

 だが声の主はアバドンではない。

 目の前でうずくまる、リス怪人が声を発したのだ。

「なんで……? こいつ、誰なの?」

 雄一くんに視線を向ける。

 彼も驚いた顔でこちらを見返していた。


 リス怪人は立ち上がり、ふらりふらりと覚束ない足取りでアクセルアバドンのほうへと歩み始めた。

「獅子堂教授……どこに、いるんです……。僕の、研究発表じゃあ……よさんが、つかない……」

 ぶつぶつと何事かをつぶやいている。

「スポんサーもはなれて……なんで、なんでなんだ……なんでボクのろんぶんじゃ……なんでぼくを認めない……なんで、なんで、なんでなんで――」

 妙に愛嬌のあるリスの顔がくっと前を向く。

「教授! あなたが! いないからァ!!」

 叫び声を上げ、リス怪人が駆けだした。

 土手を滑り降りたとき、横合いから大声が飛んできた。


「止めろトリ女! あいつ暴走してやがる!」

「千葉!」

 土手の上に姿を現した千葉の腰には変身ベルトが巻かれていた。

 彼の手にする白骨色のコインがバックルに呑まれ、またあの巨大な恐竜の足音が幻聴となって頭の中に響いてきた。

「変身ッ!」

 獣の吠え声が轟き、千葉が超人ライザーREXへと変貌していく。

 ライザーの力の存在感が本能的に怪人を引き付けるのか、アクセルアバドンが牙の突き刺さった両目をREXに向けた。

 リス怪人のほうは、千葉が言ったように暴走しているのか勢いを緩めず、アバドンへの突進をやめない。


 けど当初の作戦だとリス怪人の手裏剣をアクセルアバドンに打ち込む手筈だった。

 せっかくアバドンに向かって行ってるんだから、わざわざ止める必要なんてない。

 なんで千葉は止めろだなんて……。

 あいつの変身にアバドンは反応している。REXライザーが気を引いてる間はリス怪人を攻撃する隙が生まれるってこと、か。

 それじゃあ――、

「“止めろ”って、アバドンのほうか!」

 浮遊能力を使いながら土手の縁を蹴りつける。

 高く跳び上がった身体がみるみるスピードを増し、リス怪人を追い越していく。

 能力を解除し、アクセルアバドンの背後に降りる。


「葉月。獅子堂葉月」

 名を呼ぶと、ぼんやりとREXを見ていたアクセルアバドンがこちらへ振り返る。

 両目を貫く牙がわたしの目まで突き刺さんばかりに、まっすぐこちらへ尖端を向ける。

 直後、アバドンが口をきいた。

「ころ、して……」

「え?」

「ころして……おとう、さん……」

 少年の声がわたしに訴えてくる。

 その声が怪人の硬質な身体の内側で激しく脈打つ心臓を鷲掴みにした。

 冷たい手がわたしの心臓を掴んで熱い血を喉の奥に送り込んでくるように感じた。

 汗をかかない身体なのに、全身にびっしょりと冷や水を浴びせられたようだった。


「うおおおおおおーーッ!!」

 硬直したわたしを、おらび声が現実に引き戻した。

 アバドンの背後に迫るリス怪人の咆哮だ。

 わたしに向いていたアクセルアバドンの両目の牙がついと横を向く。

 瞬間、ヒヤリとした涼風が吹き抜けたかに思えた。

 一拍置いて、空気を引きちぎる破裂音が鳴った。

 気付いたときには、アクセルアバドンが黒い残像を引いて、迫り来るリス怪人を迎えうっていた。

 一瞬だ。一瞬で黒いライザーが突進してくるリス怪人の横腹に回し蹴りを浴びせていた。

 くるりと勢いを余らせて回転したアクセルアバドンが再びわたしに正対した。


 蹴り飛ばされたリス怪人のほうは河原を転がり、川べりに横たわって片手を水に投げ出して倒れた。

 その手はもう怪人の手ではなかった。

 腕も足も――全身が人間に戻っている。

 強い衝撃を受けて変身が解けたようだ。

 痩せた男の人が倒れこんで動かなくなっていた。


「須原先生!」

 雄一くんが叫ぶ。

 倒れたリス怪人の正体には、たしかに見覚えがあった。

 獅子堂教室に置かれていた写真立てに映っていた生白い細身の青年。

 雄一くんが訪ねるつもりでいた准教授だ。

 なんでそんな人が怪人になんて……。


 雄一くんは須原准教授の元へと駆け寄り、脈と呼吸を確認して胸をなでおろす。

 だが当初の既定路線シナリオは暗礁に乗り上げた。

 元々は渇望を刺激するリス怪人の手裏剣が作戦の要だったはずだ。

 再変身にはインターバルが必要で、すぐにリス怪人を再投入することは難しい。


 思えば、リス怪人の正体を事前に把握していれば他にやりようがあったんじゃないだろうか。

 雄一くんとは知己の間柄だし、リス怪人は『cafe COLie』でタチアナさんに人間態を晒している。

 正体を知る素地は準備されていたんだ。


「あぁー……わたしが写真持って帰ったからだ……」


 昨夜、獅子堂教室のバーベキューの写真をシカバネ博士に突きつけるために預かった。

 あれが無ければ、雄一くんがタチアナさんに写真を見せてリス怪人の正体に気付くくだりがあったはずなんだ……。


 完全にわたしがボタンを掛け違えさせている。

 期待してたわけじゃないけど、シナリオには乗っかれない。

 こうなったら秘密兵器のインパーフェクターをアクセルアバドンのドライバーにねじ込むしかない!


 そのアバドンは目の前でゆったりと立ち尽くしている。

 刺すような敵意は感じない。

 さっきのリス怪人への攻撃は自分の身を守るための反撃だったのか?

 シカバネ博士が言っていた『防御反応』ってやつなんだろうか?

 ゼネラルを言いくるめるためにフカシこいてたわけじゃなかったのか。

 それならインパーフェクターを挿し込むくらいは出来るかもしれない。

 ジャケットの内ポケットだったところに手を突っ込んで、固い棒状の感触を確かめる。

 それを掴み出そうとしたときだった。


「ぼさっとすンなッ!」

 千葉の声が耳元からがなられた。

 REXライザーが赤いグローブがわたしとアバドンの間を遮った。

 人を庇って立つ背中は実にヒーローっぽい。

 だけど今じゃねーんだよ!

 なんでライザーはわたしが意を決したときにタイミングを外してくれるんだ。


 ――Stegosaurus――

 前ぶれもなく頭の中に声が響いた。前にも聞いたことがある。

 突如、REXとアバドンの間に、サーフボード型の白い壁が幾枚もそそり立つ。

 地面から板切れを生やすREXの能力だ。

 本来は防御に使うものなんだろうけど、千葉は相手を拘束したりバイクのジャンプ台代りにしたりやりたい放題だった。


 REXは築いた壁の向こうのアバドンを睨んだままこちらへ声を掛ける。

「おまえ、なんでリス野郎を止めなかった」

「え? 元々あいつをアバドンにぶつける作戦だったんじゃないの?」

「じゃあなんで飛び出したんだよ!」

「アバドンのほうを止めろって意味かと思って」

「止められてねーじゃねえか!」

「止められるわけないじゃん」

 ぐむ、とREXが言葉を詰まらせた。

 そのときだった。

 怪人態になって強化された動体視力が、異変を捉える。

 眼前にそそり立つ白い板塀がくの字にたわんだ。

 次の瞬間、アクセルアバドンの黒い脚が白い壁を薙ぎ払った。

 取り払われた壁の向こうから、回し蹴りを放ったアバドンの姿が現れた。

「やっぱたねえか……」

 宙を舞う白い板切れを見向きもせず、REXはこちらへ振り返り、アバドンに背を向ける。

「おまえは逃げろ。いてもジャマだ」

 悪態をつきつつ、コインをベルトの横に開いたスリットに挿し込んだ。


 ――Quetzalcoatlus――


 あの音声が脳裡に響いて、REXが小さく背中を丸めた。

 その背中からコウモリのような翼がにょっきりと突き出した。

「えぇ!?」

 目を丸くしているうちに翼はみるみる巨大化していく。

 コウモリどころか人の背丈さえ越えて長大に広がっていく。

 翼竜だ。翼竜の翼だ。

 その両翼がREXの背中側へ、アバドンの両脇を挟むように伸びていく。

「うおりゃ!!」

 巨大化した翼がアバドンの腋の下へ差し込まれたとき、REXが気合いの声を上げ、頭を振り下ろした。

 翼がアバドンを持ち上げ、その黒い身体を宙に投げ上げる。

「ウソォ!?」

 逆バンジーみたいに打ち上げられたアバドンの肢体が力なく空中に舞う。

「今のうちだ! トリ女!」

 翼が砂になって消えていく。

 アバドンが宙に漂う間に、わたしは弾かれたように雄一くんの元へと走り出した。

 それはそれとして、あの翼、絶対あんな使い方するものじゃないよね……。

 たぶん滑空して空を飛ぶための能力だったんじゃないか?


「キユコさん」

 横たわる須原のそばに佇む雄一くんに駆け寄ると、彼は訝しげに顔をしかめる。

「おかしい。あのアクセルフォーム。速すぎます」

 振り返れば、着地したアバドンとREXが殴り合いを始めている。

 REXは白い板を生み出してアバドンの機動力を殺いではいるが、スピードに振り回されている。

「どういうこと? アクセルは速いもんじゃないの?」

「生身の人間にあの加速は自殺行為です。コニーが単独で変身していたのは俺がアクセルの加速に耐えられなかったための苦肉の策なんです」

 言われてみればそうだ。

 瞬間的に最高速度に到達する新幹線なんて乗ったら、発車数秒後には客車はゲロまみれになる。

 内臓は潰れるし、骨や筋肉にもダメージはくるだろう。

「じゃあなんでアバドンは平気なの?」

「平気ならいいんです。けど、あれが平気でもなんでもなかったら……?」

「壊しながら戦ってるっていうの? 自分の身体を」

「早く止めないと……ッ」

 焦燥に駆られる雄一くんの顔から視線を外し、自分の手を見下ろす。

 黒い怪人の手の平を。

 その手を握って、決心を固める。

「まだ手はある。アバドンの動きを止められれば」

「あ、ここへ来る前に拾ったリス怪人の手裏剣ですね。あれを刺せれば」

「雄一くん、手を出して」

 彼は言われたとおりに自分の手を差し出してくる。

 わたしはジャケットの内ポケットだった場所から“秘密兵器”を取り出し、雄一くんの手の中に押しつけた。

「え……?」

 呆けた声を漏らした雄一くんの手に押し当てたのは、シカバネ博士から預かぶんどった、白い硬質なコインだった。

 人を怪人へと変貌させる<チップ>だ。

 才能があれば怪人に、無ければ廃人になる、イチかバチかのコイントス。

「わたしはあなたに賭ける。才能が無いなんて言わせないからね」

「あ、ああ……」

 呻き声を上げる雄一くんが動きを止めた。

 肉体が造り替えられていく過程に身体と声が震えていた。

 間もなくその震えが治まる。


 昂揚感に胸が騒いだ。

 知らず、硬質な仮面の下で口の端が吊り上がる。

「ここから先はわたしのシナリオよ」

 雄一くんの手の中に銀色に光るコインが転がっていた。

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