だれかが君を愛してる 2


「アバドンという広大な無意識に投げ出された自意識は、かぎりなく薄く希釈された。それを回復するために、私は新しく<チップ>を作ったのだよ」

 シカバネ博士はカウンターの上に置いた白いチップを示す。

「チップの原料となる金属生命体――私がそれをどこから調達したと思うね?」

「試作品でなく現行品のチップは、アバドンから作り出していたというのか」

 マスターが唸るように答えた。

「魔人アバドンを構成する金属生命体をドライバーを使って少量ずつ摘出する。それがチップだ。未覚醒の人間がこれを使用するとき、アバドンとの繋がりは途絶する」

「つまり、チップを使った人間が怪人になろうが廃人になろうが、アバドンは元の人間の意識を取り戻していくのね」

 心中で舌打ちをした。

 チップをばら撒いて、見ず知らずの人間を破滅させていくシカバネ博士は完全に悪だ。

 自分の子供を救うためという理由で一度始めてしまった凶行だ。歯止めが利くはずもない。

 途中でやめてしまえば、ただ犠牲者だけがうずたかく積まれてしまうことになるんだから。

「ああ、そうか。それで雄一くんを」

「何を納得している?」

 わたしの気付きに首を傾げるマスターと対照的に、博士は深く頷いた。

「チップなんて、こんなちっぽけな金属生命体をチマチマばら撒いてたって効率が悪いんだよ。そんなときに雄一くんの大怪我は渡りに船だった」

 あ、と声を漏らし、マスターは息を呑んだ。

「博士。あんた、人間にアバドンを移植したのか!?」

「ああ。その通りだ。大量の金属生命体を他人に押しつけられる機会は、息子を助けるためには絶好の近道だったのだよ」

「でも、近道をしすぎた」

 雄一くんに移植された金属生命体は、ひとつの精神・意識を有していた。

 それが博士の息子のものか、その息子の意識を金属生命体が模倣したものかは分からないが、そのときコニーという意識体が誕生したのだということは想像に難くない。


「その結果、ライザーソウガが生まれ、魔人アバドンと強く引かれ合うようになっていった……。そうして今日、ふたりは晴れてひとつに結ばれた――ってところかしら?」

「再融合。君はそれを見たのか」

「ええ。ライザーから奪ったドライバーでコインを読み込んで、アバドンはライザーに変身したの」

 正確にはコニーが複製したドライバーだけれど。

「確かにライザーに変身したのだね?」

「黒いライザーソウガにね」

「ふむ。さっきも話したろう。ドライバーは変身するためのものではない、と」

「え? ……ああッ!」

 そうだ。ライザーの変身は博士の想定外の運用。それも外装としてまとうかたちでの利用だ。

 つまりあの黒いライザーソウガも、本来のソウガと同様に――、

「ふたりでひとりの超人ライザーなんだ」

「どういうことだ?」

「アバドンはまだ完全には融合を果たしてない! あれはアバドンがライザーの姿を着込んでるだけなの!」

「つまり、分離は可能――というわけか」

 頷いて、マスターの理解を肯定する。

「今のところはね。時間が経てばまた馴染んじゃうんだろうから」

「要はアバドンの変身を解けばいいのか」

「ううん。それだとライザーソウガみたいに金属生命体が体内に引っ込むだけになっちゃうかもしれないから」

 ドライバーのイジェクトボタンを押せば済む、なんて簡単な話じゃない。

「やっぱり分離の方法が必要なのよ。それが分かればアバドンを救えるのに……」

 グラスに注がれたジャスミン茶の水面を見つめてぼやく。

 そんなわたしに、博士は訝しげに尋ねた。


「何が目的だ? なぜ君が葉月を――私の息子を救おうとするのだね?」

 ――なんとなくかわいそうだから。

 それ以外に理由らしい理由は無い。

 とはいえそんな理由で悪の幹部怪人が納得するはずがない。

「そうねえ。じゃあ……うなぎか、回ってないお寿司がいいなあ」

 マスターは両目を覆って天井を仰いだ。呆れきった溜め息が口から漏れている。

 シカバネ博士は皺の刻まれた顔に苦笑を浮かべて、自分の荷物から小さなアタッシュケースを取り出した。

「これを使いなさい」

 ケースの蓋が開く。ウレタン敷きに載せられた、白い長方形の機器が姿を現した。

 両手に乗るくらい細長で、片端は半円形に丸みを帯びている。

「これは?」

「インパーフェクター。金属生命体との融合を阻害する装置だ」

「名前からして、口にはめて使う?」

「どこからそんな発想が出てくる?」

 昔の作品に似た名前の変身アイテムがあったんだよ……。

「ドライバーのスロットに挿し込んで読み込めばいい」

「へえ……って、わたしがやんの!?」

「他にやりたがっている者がいるのかね?」

「うぐっ……」

 よもや変身できない雄一くんに押しつけるわけにもいかない。

 わたしを目の敵にする千葉にだって無理だ。


 アバドンが変身したのは高速機動のアクセルフォーム。

 その動きをかいくぐって、ドライバーにインパーフェクターをねじ込む。

 ――出来るのか、わたしに……?

 昼間、左腕をもがれた感触が蘇る。翼もむしられた。

 それでもやるしかない。


 アタッシュケースのインパーフェクターを掴み出し、博士の前に掲げて見せる。

「譲ってほしいものがあるんだけど」

「持っていくがいい」

 アタッシュケースにしまい直して、席を立つ。

「やってやる。明日には決着つけてやるわ」

 吐いた唾を飲むつもりはないが、口に出した言葉は、ただの願望だった。


「待ちなさい」

 カウンターの奥へ回り込み、勝手口から店を出ようとするわたしを、シカバネ博士が呼び止めた。

「この商店街を抜けた先の線路沿いに、道路が走っているだろう」

「それが?」

「駅の先からしばらく歩くと、老舗のうなぎ屋がある。ひつまぶしが絶品だ。肝吸いも美味い」

「楽しみにしてるよ、獅子堂先生」

 軽口で応えるわたしに、博士はカウンターに額を擦り付けんばかりに深々と頭を下げた。

「葉月を、助けてやってほしい」

 それは父親の姿だった。

 厳格な大学教授でも、悪のマッドサイエンティストでもない。

 魔人アバドン――獅子堂葉月にとっての、ただひとりの父親がそこにいた。

「まかせてよ。わたしを誰だと思ってるの?」

「知るわけないだろう。記憶喪失のヤツの正体なんて」

 マスターから鋭いツッコミが入る。

「まあ、なんとかなるでしょ」

 頭をかいて店を出た。


  * * *


 ハチドリ女――鹿取キユコが消えた店内で、ワインに口をつけてシカバネ博士はつぶやく。

「うなぎだな」

「ひつまぶしか。俺も食べたくなってきた」

 香ばしいうなぎに思いをはせるマスターに向けて博士は首を振った。

「掴みどころのない娘だと言っている」

「フッ、まったくだ。だいたい、自分の記憶を探しに出ていったはずなのに、何をどうすればアバドンの世話を焼くハメになるのか」

 博士はグラスを捧げ持ってにやりと笑った。

「似ているじゃないか、君に」

「よしてくれ。昼間も言っただろ。俺のお節介はコインの副作用みたいなもんだ」

「いいや、君の性分だよ」

「俺はそれでいいが、あいつは何なんだ。自分が記憶を失っているくせに、どうして面倒事に首を突っ込む」

「忙しくしているほうが不安が紛れる、という面もあるのかもしれん」

 あるいは、と博士は言葉を継ぐ。

「記憶喪失という証言が嘘の可能性もある」

「利用価値があるからアバドンに接触している、と?」

「引き合わせたのは私だ。その可能性は低い。が、何か腹に一物抱えている感触はある」

「抱え続けていられるほど小器用にも見えんがな」

 皮肉めかせて言って、マスターは店の表に提げた札を『営業中』にひっくり返す。

「記憶喪失だろうとなかろうと、わざわざ危険に飛び込む性分は俺には理解できん」

「あまり言いたくないが、ふたつの仮説がある」

「何だ?」

英雄願望メサイアコンプレックスの気があるか」

「あるいは?」

「ただの馬鹿か」

 マスターはカウンターに戻って腕組みをすると、しばらく虚空を見つめて長い溜め息を吐いた。

「助けがいの無いヤツだ」

「救いようのないほうでなくてよかった」

 慰めの言葉を述べて、シカバネ博士はワインを飲み干した。


  * * *


 自室に戻ると、子犬クビシロがころころと唸り声を上げて出迎えた。

 相変わらず変な鳴き声だが、怒っているのは伝わってくる。

「エサでしょ。分かってるよ」

 エサ皿を差し出すと、クビシロは唸るのをやめたものの、恨めしそうな目でこちらを睨み上げてくる。

 もぐもぐとドッグフードをむさぼりながら、視線はチラチラとわたしを見ている。

 もしかして――、

「これが欲しいの?」

 ポケットから、クビシロが取り落とした黄土色のコインを取り出して見せてやる。

 子犬は咀嚼する動きを止めて、手の中のコインに視線を吸着させた。


「ダメだからね」

 一瞬。ほんの一瞬だけ、こいつを戦力にできないか考えそうになった。

 クビシロは怪人になれる。でも能力を制御できるとは限らない。

 そもそもわたしよりアバドンに懐いてた。

 寝返って厄介事が増えるなんてカンベンだ。

 それに――、

「あんたが話に絡んできて死んだりしたら、わたしの寝覚めが悪いの」

 脳内の特撮データを呼び起こすと、動物が絡んだ話はたいていの場合、ハートフルな結末を迎える。

 ほんわかした微笑ましいラストシーンが待っていることが多い。

 だが悪人に利用された動物が仕方なく殺処分されるケースも時折見受けられる。

 今のところ、ほんわかするラストに繋がるような、動物と人間の絆を見せつけるエピソードは描かれていない。

 この条件では殺処分ルートは十分ありえる。


「クビシロ。あんたわたしにもっと媚びていいんだぞ」

 語りかけても、当人はふてくされたふうにエサをむさぼり食ってるだけだった。

 見てるとムカムカしてくる。

 わたしは晩飯食いっぱぐれたのに。

 わたしの夕飯、キャベツさん次郎(駄菓子)だけなのに。

「ねえ、クビシロ。あんたはアバドンを助けたいの?」

 子犬は顔を上げて、黙ったまままあるい目でわたしを見返してくる。

「でもアバドンはあんたを待ってないんだよ。その伏線はたぶんわたしが壊しちゃったから」

 クビシロは、魔人アバドンと出会うはずだったんだ。

 ふたりで親交を深めて、孤独を慰め合って、かけがえのないパートナーになったりするはずだったんだ。

 わたしが気まぐれに拾ったせいで、そうはならなかった。

 クビシロのアバドンへの懐き方を見ると、そう感じずにはいられなかった。

「アバドンは……アバドンが待ってるのは、きっとシカバネ博士……お父さんなんだよね」

 ごろりと床に寝転がって、低い天井を見上げる。

 ライザーになったアバドンが大学の研究室に向かったのは、父親の獅子堂教授を探してたからなんだろう。

 自分の姿がすっかり変わって、助けてほしくて……でもアバドンの自意識は完全に復元されてないから、本能のレベルでしかすがりつける相手を探せなかったんだ。

 シカバネ博士から預かったアタッシュケースが目に留まる。

 わたしの唯一の切り札。

「アバドンはわたしが救う。それ以外はヒーローがなんとかしてくれる」

 じゃなきゃ、名前負けだぞ。超人ども。

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