だれかが君を愛してる 1



 おもむろに窓枠を乗り越えて、黒いライザーが獅子堂教授の研究室へ踏み込んだ。

 室内のなまぬるい空気に夕刻の涼風が吹き込んできて、蛍光灯に照らされる黒いヒーローの姿は、さながら幽鬼のように不気味だ。

 言葉を発さないところが余計に怖気をかきたてる。

 わたしは鋭く彼のほうを振り返った。

「雄一くん――」

 ――は、変身できないんだった。

「逃げなさい。今は関わるときじゃない」

「でも!」

「あれがあなたやわたしを追い掛けてここに来たと思ってるの?」

 雄一くんが目的なら、アバドンがコニーを取り込んだ後、工場から走り去るはずがない。

 走り去った後にコニーの意識を取り戻したのだとしたら、大学に現れるのは余計におかしい。

 そして、それはアバドンにも同様に言えることだ。

「今のあいつが何者かは分からないけど、あれにはあれの目的があるの」


 いつもの癖で反射的に構えたのだろう。雄一くんの手にはライザーソウガへ変身するドライバーが握られていた。

「どうしても事を構えるなら、わたしがやる」

「あッ!」

 彼の手の中からドライバーを奪い、自分のコインを取り出した。

 ドライバーの上部には平たく潰した工の字型の溝が口を開けている。前後に二枚、コインを挿入できる形だ。

 黒いコインを一枚、スリットに押し込んで、ドライバーをお腹に当てがう。

 そしてドライバー側面のレバーを叩いて叫んだ。


「変身!」


 わたしの声が研究室に響き渡る。

 雄一くんが息を呑み、黒いライザーが束の間身構えた。

 それだけだった。

 わたしは生身のままで、ドライバーは何の反応も返さない。

 誰とも目を合わせられず、視線が宙を泳ぐ。

 あたりに気まずい沈黙がわだかまった。


「い、今のうちに!」

 硬直した空気を破って、わたしは雄一くんの手を取って駆け出した。

 振り返らず、研究棟の入り口まで取って返す。

 外に出たときにはもう完全に日が落ちていた。


 外灯が白々と照らす丸い光の中で、ドライバーに目を眇める。

「これどうやってコインを取り出すの?」

「読み込みレバーの反対側に取り出しイジェクトボタンがついてますから」

「ああ、これか」

 自分のコインを回収し、ドライバーを返却した。

 なかなかしっかりした造りの変身ベルトだった。

 撮影に使われる小道具の変身ベルトは、実際のおもちゃを改造した品を利用しているという。ならソウガドライバーはクオリティの高いおもちゃに仕上がってることだろう。

 うちにもひとつ欲しい。


 欲望を心の小箱に収め、ちらと獅子堂教室のほうを振り返る。明かりが漏れているのは見えるが、黒いライザーがまだいるのかは分からない。

「雄一くん、今日のところは引き上げましょう。窓から上がり込んでくるような奴とまともな会話が出来るなんて期待しないで」

「でも、大学に残して放っておくわけには……」

「見たかぎりじゃ、人に被害は出ていないようだし、こっちから手を出さなきゃ向こうも何もしないんじゃない?」

 希望的観測ではあるけれど。

「それに――」

「今の俺に出来ることは何もない――そうですね。今日は帰ります」

 雄一くんは、わたしの言いたいことを汲み取って、駐輪場へと向かう。

 彼の言うとおり、コニーのいない雄一くんに出来ることはほとんどない。

 そして、しょせん再生怪人であるわたしにも、黒いライザーと渡り合うマネなんて出来やしないのだ。

 いや、出来ることがひとつあったか。

「雄一くん。行きとは別の道から帰りましょう」

 せめて戦闘やドラマが起こりそうなロケーションは避けておきたい。

 あんな見慣れた坂道は通らないにかぎる。


 バイクのタンデムシートにまたがり、駅に向かう幹線道路を行く。

 雄一くんの背中に頭を預けながら、わたしはひとつの危惧を抱いていた。

 ――あの失敗した変身未遂シーン、絶対に次回予告で使われるやつだ。

 今になって顔が熱くなってくる。

 いかにもわたしが変身して戦いそうな感じに編集した予告映像を放送して、いざ次の回が放送されたら『予告詐欺』とか『嘘予告』とか言われるんだ。

 そりゃそうだ。わたしが変身したとき用のスーツが急に用意されるなんてこと、あるはずがない。

 ぽっと出の再生怪人が珍しくしぶとく生き残ってるだけなんだから。何の脈絡も無くライザーに変身できるなんて、そんなウマい話があってたまるか。

「でも、そうか……」

「キユコさん、何か言いました?」

「う、ううん。なんにも」

 もし予告映像でわたしの変身失敗カットが使われるとするなら、その後のカットにライザーソウガの戦闘シーンが編集されてるはずだ。

 ということは、雄一くんの変身不能状態はそう長くは続かない。

 テレビで観ているだけなら陰鬱な展開が終わりそうだと喜べるところだ。

 ライザーの雌伏は終わりを告げる。

 ただわたしの目的はアバドンを助けることだ。

 ライザーの復活はアバドンを救うことの保障にはなってくれない。

 ライザーソウガは復活したけどアバドンは消滅しました、なんて結末はお呼びじゃない。

 この予想は雄一くんには伝えず、わたしの手の中で握り潰しておこう。


 『cafe COLie』の前で雄一くんと別れ、商店街からマスターのバーへと戻る。

 雑居ビルの前には『BAR ホルスの目』という店名と、エジプト風の目の意匠が描かれた電飾看板が出ている。

 マスターのお店、そんな名前だったのか。知らなかったな。

 半地下に構える店の入り口には『準備中』の札が掛かっている。

 妙だな。表の看板は光ってるのに。

 違和感を抱えてドアを開けると、閑散とした店内には、ふたりの人影しか見当たらなかった。

 カウンターに立つマスターと、その向かいに座るシカバネ博士だ。

「ただいま」

 マスターはわたしを認めると厳つい肩を脱力させて安堵したふうに息を吐いた。

「帰ったか」

「帰ったよ」

 今生の別れっぽく出ていったのを気にしてたのか。心配なんてしてない格好を装っているように見えた。

 シカバネ博士から一脚空けて隣のスツールに腰掛ける。

 すぐにカウンターの向こうから琥珀色の液体が波打つタンブラーが差し出される。

「ジンジャーエール」

「ジャスミン茶だ。色が薄いだろう」

 薄暗い店内だと分かりにくいんだよ。


「アバドンが姿を消した」

 冷えたお茶に口をつけたとき、シカバネ博士がおもむろに口を開いた。

 手元には泡の消えたビールのグラスが汗をかいてコースターを濡らしている。博士の代わりに冷や汗を流しているみたいだ。

「なんでも、ライザーになったそうだな」

「ええ、そうよ」

 頷きながら、預かっている写真立てを取り出す。

「門限になっても帰ってこない子供が心配になったの? ねえ、シカバネ博士」

 獅子堂教室の面々が写ったその写真を、彼とわたしとの間に滑らせた。

「それとも、こう呼ぶべきかしら……獅子堂教授」


 博士は一瞬、身体を固くした。

 しかしすぐに差し出した写真を手に取って、それに視線を落とす。

 写真の中央に写っている年配の男が、同じ顔をした男を見返していた。

 そうだ。獅子堂教授のデスクに残されていた写真に写っていたのは、誰あろうシカバネ博士その人だったのだ。

「あなたがライザーを生み出した。それも自分の教え子を改造して。そうでしょう?」

 写真を見つめるシカバネ博士の横顔がこくりと頷く。

「ああ。矢凪くんに金属生命体を移植し、ドライバーを与えたのは私だ」

「どうして彼を巻き込んだの! 彼はただの学生だったんでしょう! それも、あなたの研究室の!」

「彼が自分の教え子だったからこそだ」

 シカバネ博士は写真立てをバーカウンターの上に伏せて、わたしへ振り返った。

 眼帯で覆っていない剥き出しの片目には、どこか懐かしい景色を映しているふうに見えた。

「彼は死にかけていた。怪人に襲われて。見殺しにすれば何事もなかったろう。だが私は彼の命を繋ぎとめることを選んだのだよ」

 雄一くん自身が言っていたことと符合する。

 教え子をみすみす死なせたくはなかったわけか。


「それはどうだろうな」

 カウンターの向こうからマスターの声と腕が突き出された。

 彼はぬるくなった博士のビールグラスを引き下げて、代わりに温かい飲み物を差し出す。弱い冷房の効いた室内でグラスの中のルビー色の液体がふわふわと湯気を立てていた。

「グリューワインだ」

「ぬる燗のほうが好みなのだがな」

 口をとがらせ、温かいワインをすする博士に、マスターは疑問を投げる。

「教え子の命を救うだけなら金属生命体を移植した時点で目的は達成しているだろう。何故ドライバーを与え、ライザーを生み出した。あれは怪人の敵ではないのか」

「勘違いをしているようなので、ひとつ断わっておくがね」

 厚ぼったいグラスから顔を上げて博士は言った。

「ドライバーは人間を変身させるための道具ではない」

「ええぇぇーー!?」

 わたしの口から飛び出した驚嘆の声に、マスターも博士も肩を一瞬びくりと震わす。

「あれが変身ベルトじゃなかったら一体何だっていうの?」

 シカバネ博士は懐から白いコインを取り出す。

 人間を怪人にするアイテム<チップ>だ。

「ドライバーとは、コインのもつ情報の読み取りと書き込みを行う装置だよ」

「え、それって、まんま読み取り装置ドライバじゃん」

「だからそう言っているだろう」

「なんでそれで変身できちゃうわけ?」

「出力装置を応用して外部装着するかたちで金属生命体を身にまとっているのだろう。むろん私にそんな機能をつけた覚えは無いがね」


 そうか。コニーだ。雄一くんと共生していた金属生命体が、ドライバーを都合よく利用していたんだ。

 自分が直接怪人に変身すれば、雄一くんの体内を突き破ってしまう。雄一くんが死ねば、コニーは容れ物を失って物言わぬ石になるだけ。

 ライザーに変身するのも、自分の身体を実体化させるのも、たぶん怪人を封印するとかいうのだって、全部ドライバーの機能を応用してたんだ。

 どうりでわたしが変身できないわけだ。

 コニーの介在しないドライバーは、OSの入っていないパソコンみたいなものなんだ。

 最初から搭載されている正規の命令コマンド以外は受け付けない。

 コニーはきっと金属生命体の『ことば』を扱えるからドライバーを自在に操ったり、自分で複製できたりしたんだ。


「いや、でも待って。マスターの疑問は解けてない。どうして彼にドライバーを渡したの?」

「矢凪くんは肉体の欠損を金属生命体で補って生きている。ドライバーは本来、その制御装置だったのだよ。この<チップ>に命令を書き込んでドライバーから彼の体内にある種の信号を送っていた。金属生命体が他の有機生命体を模倣する習性があると言っただろう。あれを応用して、矢凪くんの肉体に擬態してふるまうようにな」

「――で、その<チップ>がたまたま変身するための<コイン>に変化して、偶然にも超人ライザーに変身できるようになっちゃって、都合よく怪人をバッタバッタと倒してくれちゃった、って言いたいわけ?」

「そのようだ。どんな偶然がはたらいたのかは知らんよ。私が関与したのは彼の肉体を再構築し、ドライバーを与えたところまでだ」

「ハッキリ言えばいいじゃない。怪人がライザーにやられるのは自分の不利益にはなってないんでしょう」

「何が言いたいのかね?」

「わたしにだって分かんないよ!」

「とりあえず怒鳴って場をもたせようとするのはよせ」

 マスターがわたしをたしなめ、ついでに駄菓子をくれる。キャベツさん次郎。好きなやつだ。

「分かんないけど。分かんないんだけどさ。なんか、分かりかけてるんだよ。繋がりそうなんだ」

 サクサクとソース味のスナック菓子を咀嚼し、ジャスミン茶で流し込む。

 考えろ。アバドンは博士の息子。雄一くんは教授の教え子。じゃあコニーは……?

 どこから来たんだ。あの皮肉屋でリアリストな性格は、一体どこから来た。何故、アバドンの中から現れた少年と似ていた。

「博士はどうして<チップ>をばら撒くの?」

「説明したはずだ。怪人を覚醒させれば金属生命体の長・提督が人間の感情を学習できる」

「それは提督の都合でしょう。博士はなんで<チップ>を作ったの?」

「元々は提督による怪人の覚醒を防ぐためだった。あれは成功率が低すぎる。私が適合できたのは偶然だったのだろう」

 博士は左目を覆う眼帯を外した。

 その下から現れたのは、左目を縫いとめるようにまぶたに刻まれた、コインの挿入口だった。

 自分の手でコインを押しつけて覚醒するならこんなところに穴が開くはずもない。

「提督手ずからの処置ではほとんどの人間は廃人になってしまう。その犠牲を減らすためのチップだった」

「だった?」

「私は自分のコインを解析し、ドライバーを開発し、とうとうチップの試作品を完成させた」

「待て。その試作品とやらを使ったのは誰だ? シカバネ博士はすでに覚醒していたはずだ」

 息を詰めて問うマスターに、博士は抑揚のない声で答えた。

「私の、息子だよ」

 カウンターに伏せられた写真の様子がわたしの脳裡をよぎる。

 あの所在なげにたたずむ少年が最初の被験者だったのか。

「結果は知ってのとおり、失敗だ。チップに使用した金属生命体の量が多すぎた。金属生命体に適合できても自意識が閉じ込められてしまった」

「それが魔人アバドンというわけか」

 マスターが得心いったとばかりに頷いた。

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