だれかが君を見つめてる


 生まれて初めて――いや、生まれ変わって初めて、男の子とバイクの二人乗りタンデムをやる運びになった。

 借り物のヘルメットをかぶって、なんだかちょっと緊張する。

 タンデムシートにまたがり雄一くんの背中にもたれ、お腹に腕を回す。

「キユコさん、手はベルトを掴んでてください。腰が自由になったほうが安全に運転できるんで」

「あ、はい……」

 そうか。そういう作法があるのか。勉強になる……。

「膝で車体をしっかり挟んでくださいね」

 うん、と答えると、雄一くんはセンタースタンドを上げてバイクを発進させた。


 ツンとした駆動音を立ててバイクは山へ向かって進む。

 日暮れの迫る真っ赤な町並みを突っ切って、ゆるやかな坂道を登る。

 ゆったりとカーブする坂道だ。

 見覚えがある。むろん特撮で。

「あのさ、雄一くん」

「なんです?」

 後ろのわたしに聞こえるよう、彼は声を張って応える。

「この坂道通らないと大学には行けないの?」

「理工学部の研究棟はこっちが近いんです」

「野暮なこと聞くけど、今通り過ぎたカーブの坂で怪人に襲われたりしなかった……?」

「なんで知ってるんですか!?」

 あの坂は撮影所内にある有名なロケ地である。

 通称“大盛坂”という。

「いやまあ……地形がね、襲撃に向いてるんじゃないかなって、なんとなく思ったから」

 それだけそれだけ、とごまかしているうちにバイクは大学のキャンパスの外れに進入していった。


 自転車がまばらに置かれている寂れた駐輪場にバイクを停める。

 その、ほど近くに目的の建物はあった。

 白く清潔そうな外観が夕日に赤く染まり、灯り始めた外灯に照らされている。

 城楠大学の研究棟だ。

 真新しくはないが、離れたところに見える大学の校舎よりはずっと新しそう。

 おそらくあっちのほうが城楠大学の講堂なんだろう。

 わたしは雄一くんに続いて研究棟へと入っていった。


 ある部屋の前で彼の足が止まる。

「ここが俺の所属している獅子堂教授の研究室です」

 守衛室で借りた鍵を差し込み、ドアを開けて勝手知ったる室内に踏み入る。

 薄暗い部屋に明かりが灯る。開店休業中のゼミとは聞いたけど、ホコリっぽさはあまり感じない。

 壁際にずらりと並ぶ人体模型や精巧な義肢たちがすぐ目に入った。

 生化学と機械工学の橋渡し――雄一くんは獅子堂教室の研究をそう話していたっけ。

 機械と人体を齟齬なく繋ぎ合わせるための研究をしていたってことか。


 キョロキョロと辺りを見回すわたしをよそに、雄一くんは迷わず部屋の奥に進み、窓を背にして置かれた机の前で立ち止まった。

 彼を追いかけると、雄一くんは机の上の写真立てを手に取った。

「ここが獅子堂教授のデスクでした。これを見てください」

 そう言って、取り上げた写真立てに飾られた写真をわたしに差し向けた。

「!!」

 写っているのは研究室の集合写真だった。

 ゼミ生たちが河原でバーベキューを催していたようだ。

 バーベキューグリルが写真の脇に写り込み、中央には少し開放的な様子の大学生たちが寄り集まって、年配の男を囲んでいる。

 その男を雄一くんが指差す。

「その中央の人が獅子堂教授です。見てほしいのは――」

 雄一くんの指先が教授の隣にスライドする。

 そこには無愛想にむっつりとした表情で立ち尽くしている少年が写っていた。

 わたしにも見覚えがある。

「アバドンだ……」

 魔人アバドンの中から現れた少年と寸分違わぬ容姿をしていた。

「やっぱりキユコさんにも、そう見えますか」

「え? この子がアバドンなんじゃないの……?」

 どこか歯切れの悪い雄一くんの言い方に首を傾げる。

「この写真のこっちの眼鏡の人――」

 理系の研究室は眼鏡だらけで誰を指しているのか一瞬分からなかったが、すぐに雄一くんが指をさす。

 なで肩で細面の青年だ。ホワイトアスパラガスみたいに生っ白くてちょっと不健康そう。

「うちの研究室の須原准教授です」

「准教授? 若くない?」

「この写真は須原先生が修士課程だった頃のものだと思います」

「先生になる前ってこと? あ、いや、准教授だと間に助教が入るのか」

「なんにせよ、ずいぶん前に撮られた写真です」

 雄一くんは写真立てを裏返し、留め具を外して裏ぶたを開けた。

 写真の裏側が現れる。

 真っ白なそこに文字が書かれていた。

 獅子堂教授の筆跡だろう。ただ一文。

 ――葉月と――と。

「葉月……あの子の名前かな」

「教授の息子さんかもしれません。横の日付は七年前ですね」

「え!?」

「ええ。彼、高校生くらいに見えましたけど、七年も経てばもっと大人っぽくなっていてもおかしくはないのに」

 いや、わたしが驚いているのはそこじゃない。

 日付だ。そんなもの、わたしの目には映っていない。

 目を凝らせば、獅子堂教授の書きつけた一文の隣に、何かぐしゃぐしゃと糸くずみたいな黒い線の絡まりが見える。

 だがそれはどれだけ見つめても、ボールペン売り場の試し書きの跡ほどにも意味を見出せない。

 ともすれば写真の白い裏紙に溶けて消えていってしまう。


「明日、須原先生を伺ってみるつもりです。この少年について何か分かるかもしれない」

 雄一くんの言葉に意識を引き戻された。

「ねえ、雄一くん。あなた、アバドンの中身と、この写真の子を照らし合わせるために、わたしを連れてきたの?」

「俺の記憶だけじゃ確証が持てなかったので。ご迷惑でしたら謝ります」

「いいえ。それは理解できる。でも確かめられたなら、この写真はもう用済みよね」

「え?」

「少し借りたいの。わたしのほうでも調べてみたいことができたから」

「それは……はい、構いません。須原先生も同じ写真は持ってるでしょうし」

「大丈夫。ちゃんと返すつもりだから」

 そう言って、写真立ての裏ぶたを再び閉じた。

 そのとき、ふと視線を感じた。

 二の腕に鳥肌が立つ感覚がして、軽く顔を上げた。


 窓の外の薄暮に、真っ黒なライザーソウガが立って、こっちをじっと見つめていた。


「ヒッ――!?」

 瞬間、全身の毛穴がぱっくりと開いた。

「ヒァアアアアアアアッ!!」

 わたしの悲鳴を打ち消して、窓ガラスが叩き割られた。

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