ただ、従う、本能
ちぎれた腕の端と、ちぎられた肩口から、大量の羽毛が噴き出した。
羽毛を撒き散らしながら、またも地面に落下する。
少し遅れてガランと乾いた音と共に黒い腕が落ちてきた。
本当にもがれたんだ。腕を。
肩を押さえて起き上がる。
マズい。マズいぞ。非常にマズい。
負傷して激しい苦痛に襲われているからじゃない。
逆だ。この怪我でちっとも痛みを感じないんだ。
アバドンに襲撃される恐怖と、自分が無自覚に変貌してゆく違和感がないまぜになって頭の中がグチャグチャになる。
それなのに怖気の震うような気配は無い。
筋肉が起こす生理的な反射運動は発生しないんだ。
わたしはもう本物の怪物になってしまったのか……。
いやいや、考えるな! 後ろ向きは厳禁!
今考えるのは生き残ること。それだけだ。
目下、ちぎれた腕の問題が新たに生じた。
このままの状態で変身を解いたらどうなるか……。
腕はもうくっつかないんじゃないか……?
それどころか肩口から大量に出血したら?
完全体への変身には制限時間がある。
いつ解けたっておかしくないんだ。
頭の中でカラフルなタイマーがピコピコ点滅してる。
こっちのヒーロー、ライザーと関係ないじゃん!
怪人の身体は平静を保っているのに、頭のほうは混乱している。
意識をアバドンへ向けて余計なことを思考から追い出す。
上方を見れば、アバドンの全身にはわたしの撒き散らかした羽毛があちこちに付着している。
「そうだった!」
浮遊能力を使い、床を叩いてフワリと浮き上がる。
同時に空中に漂う大量の羽毛目掛けて虚空を蹴り抜いた。
思ったとおりに炎が噴き上がり、導火線を辿るようにわたしが落っこちた軌跡を遡って火が昇っていく。
アバドンの目前でボッと大きく燃え上がり、彼の身体にも引火した。
――ギシャアアアア!
悲鳴だろうか。怒号だろうか。
どちらにせよ、あいつの声に耳を傾けている暇はない。
この火はただの時間稼ぎだ。
アバドンから目を離して、床に落ちたわたしの左腕に飛びつく。
硬い。石像の腕をぽっきり折り取ったみたいだ。
ヒヨコ色に毛羽立つ断面に、そのへんに舞い落ちた羽毛をかき集めて盛りつける。
奥歯を噛んで、顔をしかめ――、
折れた腕を肩口にぎゅっと押し付けた。
すぐにピクリと指が動いた。
見間違いじゃない。
ゆっくりと握っては開く。確かにわたしの思ったとおりに動かせる。
押さえた肩口から腕の接合部に指を伸ばしてみると、吹き出た羽毛の下にあったはずの継ぎ目が消えていた。
羽毛を撫でつけると外装の下にスーッと溶け込んで沁みていく。
肘を曲げ、腕を動かす。そっと押さえていた手をどけてみるが、再び腕のもげる気配は無い。
完全にくっついている。
予想通りだ。アバドンに付着した羽毛を見て思い出したことがあった。
シカバネ博士が言ってたことだ。怪人態を構成する金属生命体は性質の近いもの同士で融合しあうって。
だから思ったんだ。
わたしから剥がれた羽毛を接着剤に使えば、もがれた腕を直せるんじゃないかって。
ぶち折られた翼のほうも修復したいところだけれど、アバドンの動向が気になる。
身体に火が着いたまま空中でのたうち回り、今は地面に落下して消火のために地べたを転がり回っている。羽毛が半端に融合してるせいで火が消えないんだろう。
実に熱そうなリアクションをしてくれる。
意識は無くとも感情はまだ残ってるのかもしれないな。
そうだ。彼の自意識は封じられている。
アバドンが自分の意思でわたしを待ち構えて襲ってくるはずがない。
なら――あいつは誰に命令されてここにいるんだ?
可能性が最も高いのはシカバネ博士だけれど……あの人は、わたしとアバドンを接触させて反応を確認していた。経過を見るとも言っていた。
その舌の根も乾かないうちに、わたしを始末させようとするだろうか。
博士と一緒にいたマスターにも、博士に気付かれずに命令する隙は無かっただろう。
そもそも動機が無い。わたしの金遣いがちょっと荒いからって、世話を焼いた相手を昨日の今日で殺すほど短絡的な性格はしてない。
となると、他にアバドンに命令する機会があった人間は……。
顔に鋼鉄のブラジャーをつけた怪人の姿が脳裡に浮かんだ。
ゼネラルカメレオン。
あいつなら昨日、浄水場から引き上げるとき、アバドンに何かを吹き込むチャンスがあった。
自分の計画を水泡に帰したわたしを、自分の手を汚さず始末するためにアバドンを利用したと考えると動機もあるし辻褄も合う。
不可解なのは、今日バーで会ったときに、アバドンがわたしを襲ってこなかったこと。
あのときは敵意も害意も無かった。
勧められるままに物を食べて、寄ってくる子犬を撫でくりまわしていた。
あのときと今と、何が違う……。
シカバネ博士がいないから?
違うな。命令したのがゼネラルなら、博士の事情なんて斟酌するはずがない。
「まさか……」
これは賭けだ。
でも賭けなければ、アバドンに襲われ続けてジワジワとくびり殺されていくだけ。
まさかこんなときに、ハヤブサ師団長に変身したマスターが都合よく駆けつけてくれるとも思えない。
わたしが戦っても炎で怯ませるのが精一杯だというなら、他に打てる手は無い。
腹をくくれ。
なあに、失敗したって、もう一回余分に死ぬだけだ。
うぅ……笑えないな、これ……。
拳を握りしめ、意を決して叫んだ。
「アバドン!」
地面を転がっていたアバドンはわたしの声に反応して、腰を落とした低い姿勢で立ち上がる。
わたしは握った拳を開き、そこに視線を落とす。
柔らかい手の中に、黒いコインが三枚載っている。
そう。自分の変身を解いたのだ。
バーにやって来たとき、アバドンがわたしを襲わなかったのは、わたしがハチドリ女だとは知らなかったからだ。
変身を解いて素顔を晒せば、あるいは襲ってこなくなるかもしれない。
ただ、今攻撃を喰らえば致命傷になりうる。
肉体を復元するための再変身は、インターバルがあって使えないんだから。
「わたしだよ! バーで会ったでしょう!」
アバドンが低い姿勢からこちらに向けて跳躍した。
全身に燻ぶる煙が白い線を引いて、わたしの眼前に躍り出る。
目の前で変身を解いたといっても、その瞬間を明確に見せつけたわけじゃない。
ハチドリ女と生身のわたしを同一視できる知能が働いてるんだ。
襲撃をやめないことは想定の範囲内。
確かめたいことは確認できた。
「わたしを見なさい!」
アバドンは貫手を顔の横に構えてピタリと動きを止めた。
わたしの喉笛に狙いを定めた指先が暗がりの中で鈍く光る。
迷っているんだ。ゼネラルに押し付けられた『命令』と、今わたしの発した『命令』の板挟みになって、身動きが取れないでいる。
「あなたは聞きたくない命令を聞かなくていい」
フウフウ、と異形の口から荒い呼気が漏れる。
「それでも命令が必要なら、わたしが言ってあげる」
鋭い貫手を構える指先が、狙いを定めかねてふらふらと宙を泳ぐ。
「ゼネラルの命令なんて、忘れなさいッ!」
わたしの始末を命じられたアバドンが、どうして廃工場で待ち構えていたのか。
考えるポイントはそこだ。
おそらくアバドンにもREXライザーと同じように、怪人の変身を感知する感覚が備わっているんだ。それもREXより精度が高くて範囲の広いものが。
昨日、マスターに連れられて来たときも、雄一くんと会った後も、このあたりで変身を解いた。
変身を感知できるなら、変身の解除を感知できてもおかしくはない。
アバドンはハチドリ怪人の反応とこの場所とを関連付けて記憶して、なおかつ今日の変身を感知してすぐさまここにやって来た。
わたしがここへ戻って変身を解くと予想して。
誰かに教わったわけでもなく、ハチドリ怪人を始末するという命令に従って行動した結果だ。
アバドンには明確に知能がある。それもかなり高度な知能だ。
同時に、食事をしたり子犬を撫でるといった、趣味嗜好も存在する。
つまり知能があり、意思もあるが、意識が外に表出しない状態ってことになる。
アバドンは何でも言うことを聞くロボットじゃない。
ただし、物を見聞きする入力はできても、行動に移す出力には事前に命令されたかたちでのバイアスがかかっている。
行動が命令によって自分の意思とは違うかたちに歪められているんだ。
それでも、こちらからの働きかけが可能なら、それを利用しない手はない。
再生怪人にはランクの高い怪人からしか命令できなかったみたいだけど、アバドンは違う。
アバドンの意思に沿うかたちを取れば、わたしの言うことに従わせられるかもしれない。
例えば、ゼネラルへの対抗心を煽って逆襲させる、とか。
できれば、あの陰険が二度とアバドンに接触しなくなるように誘導したい。
「アバドン――グェ!?」
再び呼び掛けた途端、アバドンの硬い手がわたしの首を掴んだ。
窒息するほど強い力じゃないけど、身動きがとれない。
逆の手は相変わらずわたしの喉に尖った指先を向けたままだ。
「聞き、なさい……アバ、ドン……」
窒息しなくても空気が十分吸えないんじゃ上手く話せない。
ヒューヒューと喉を鳴らしながら、途切れ途切れに言葉を吐く。
「自由に、なるの……。取り戻し、なさい。自分、自身、を……」
――ウウ、ウウゥゥ……
息を荒げ、アバドンはうめき声をこぼす。
「反、逆……しなさい……あなたを、押さえつける、すべてに……」
首を絞める手からアバドンの動揺が伝わってくる。
元々人間の首をねじ切るくらい容易いはずだ。
殺すつもりならとっくにそうしている。
大丈夫。わたしの言葉は届いている。
突然、バキンと硬い物の割れる音がして、アバドンのギザギザした口が大きく開かれた。
彼の手がわたしの首を離れ、両腕がだらりと力無く垂れ下がる。
その拍子にわたしはストンとその場に尻餅をつく。
束の間、ぼんやりと虚空を見つめていたアバドンが、両手を固く握りしめた。
昆虫然とした顔がキッと真上を仰ぎ、そして、
「ウオオオオオオォォォッ!!」
咆哮を上げた。
今までのラジオのノイズみたいな乱れて濁った鳴き声とは違う。
人間の声だ。男の声だ。
「やめろ、アバドンッ!」
不意にアバドンの叫び声とは別の声が廃工場に飛び込んできた。
「その人から離れるんだ!」
聞き覚えのある声とセリフ。
昨日聞いたばかりで、聞き違えるはずもない。
超人ライザーソウガ――矢凪雄一くんの声だ。
なんで……なんで今なんだ……。
わたしがピンチのときに来てくれればいいのに。
もしくはアバドンとのやり取りが終わった後か。
ちょっと遅いし、ちょっと早い。
ヒーローのくせにご期待通りに現れない。
文句のひとつでも言ってやろうと、ソウガのほうへ振り向いた。
そこには、銀色のソウガ・アクセルフォームに抱えられた雄一くんの姿があった。
「キユコさん、一体なにがあったんです!?」
雄一くんが問うてくる。
ライザーにお姫様抱っこされた格好で。
「こっちのセリフだわッ!」
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