熱く、なる、身体
再び住所不定の身に逆戻りしてしまった。
落胆と子犬を胸に抱えて、わたしを追って飛び出したREXライザーから身を隠すべく、生前の『
住宅地の屋根の上を跳びはね、一目散にマスターのバーへ取って返すところだ。
窮状を切り抜けた今、振り返ってみると、ずいぶんと綱渡りをしたように思う。
アパートの大家さんは、特撮に――というか、ドラマに登場しがちな、感情的に犯罪に走る一般人だった。
そのへんにいるエキストラとは違う。脚本に書かれた
それに加えて唐突に登場したREXライザー。
ライザーにとってあんなに都合のいい
おそらく、大家さんに殴られたわたしが怪人態に変身して逆襲したところに、REXが現れてわたしを始末する。――そういう筋書きだったんじゃないかな。
ふつうはそうなる。抵抗のしようがない。
確かあのとき、表で犬がワンワン吠えていて、それでREXライザーと会話のきっかけを作れたんだ。
「あっぶねェ……」
犬が吠えてなければ、ふつうに破滅のレールに乗っかっていた。
「クビシロ。おまえちょっとスゴイぞ。今度お高めなドッグフード買ってきてやるからな。期待してなよ。通帳も手に入れたことだし」
当の本人は、屋根の上を跳びはねるわたしの腕の中で小さくなってぷるぷると震えていた。
しかし……大家さんとREXライザーとの一件が誰かの書いた脚本だとしたら、ひどい問題が残る……。
REXライザー――千葉仁史が女性下着を袋詰めしているシーンが日曜の朝っぱらからお茶の間のテレビに放映されるのだ。
女性ファンから苦情が殺到したり、鹿取キユコ役の女優さんのブログやらSNSやらが炎上する未来が想像できる。
願わくば、編集の都合でカットされることを祈ろう……。
バーへ戻る道すがら、脚本のことについて思索を巡らせる。
もしもあのアパートでREXがわたしを始末していたら、わたしを殺害したことに負い目のある雄一くんは、REX――千葉のしたことを許すだろうか。
簡単に折り合いをつけられる性格だったら、再生怪人のわたしを相手に申し訳なさそうに縮こまったりなんてしないはずだ。
きっと、ふたりのライザーの間には軋轢が生じ、その亀裂を敵に付け入られる――って感じの展開になる……はずだったのに、わたしが台無しにしたんだ。
さて、あまり空中を跳びまわっていても注目を集めることになる。
バーの近所の廃工場のあたりで地上に降りた。
クビシロの足を地面につけてやり、わたしは再びリードを握る。
あとは歩いて帰るだけだ。そろそろ変身を解いてもいいだろう。
そう思ったときだった。
突然クビシロが走り出した。リードも手の中からするりと逃げていく。
ハッハッ、と息を弾ませて犬が駆けてゆく先には廃工場の広い間口が開いている。
「ちょっと、どこ行くの?」
クビシロが飛び込んだ廃工場は、すでに機械類が運び出された後でガランとしている。
風通しのいいそこに、コーヒー色の光沢が照り返した。
「魔人アバドン……なんで、ここに……?」
昆虫を人型にした黒い怪人が工場内に待ち構えていた。
クビシロはアバドンの足元に駆け寄っておすわりのポーズを取る。
ホント、アバドンには懐くんだよなぁ、こいつ。
……いや、これが本来の
たまたま昨日わたしが拾ってしまったけど、本当はクビシロはアバドンが拾うはずだったのかもしれない。
シカバネ博士がマスターのバーに寄った帰りに、アバドンが子犬と出会って、その触れ合いを通じて少しずつ人間らしい感情を取り戻していく――とか、そんなふうなエピソードが挿入される予定だったんじゃないの?
そろそろシリーズも折り返し地点だし、多分ここでアバドンがパワーアップしてライザーを苦しめるんだ。
それでライザーもさらなるパワーアップで対抗する! これだ!
いやいや、待てよ……ライザーソウガにはアクセルフォームっていうパワーアップ形態がすでにあるし、折り返し地点でさらにパワーアップというのはちょっとペースが早い。物語的にも、商品展開的にも。
じゃあここはREXのほうがパワーアップするのか?
2号ライザーのパワーアップは後回しにされがちだし、微妙にタイミングがズレてる感じもする。
でもREXは9話で登場して、今が22話……なくはない、か。
予測は難しい。けどライザーのパワーアップイベントの妄想は楽しいぞ。ウヘヘ。
「ねえアバドン。シカバネ博士はどうしたの? 一緒じゃないの?」
返事は期待せず、とりあえず尋ねてみる。
すると暗がりの中でアバドンの両目がギラリと光った。
アバドンのギザギザした口が開き、甲高い咆哮が響き渡る。
――ギシャアアアア!!
「なに?」
背中にすさまじい悪寒が走った。
知ってる。覚えてるぞ。この感覚。
同じだ。トラックに撥ねられたときと。
足元の子犬を置き去りにして、アバドンの黒い身体が高速で突進してくる。
ポトリと荷物を取り落とす。
恐怖に尻を蹴飛ばされ、反射的に上に跳んだ。
足の下で、矢のように通り過ぎるアバドンの影。
避けられたのは、跳び上がる前のしゃがみ込む動作を浮遊能力で省けたおかげか。
「あだッ!?」
鉄骨の梁に頭をぶつけ上昇が止まる。
その鉄骨にしがみついて見下ろせば、アバドンもこちらを見上げていた。
彼は小さく身を屈めると、一瞬で同じ高さまで跳び上がってきた。
「くっ……」
追われてる。目標は完全にわたしだ。
即座に梁を蹴って舐めるように天井の空間に飛び出した。
だがアバドンもまた、空中で背中の翅を展開し、こっちに飛び掛かってくる。
そうだ。こいつ、マスター――ハヤブサ師団長と一緒に空から浄水場に現れたっけ。
そりゃ飛べるわな。
速度や持続時間までは分からないけど、瞬発力はある。空気の壁を蹴りつけているみたい。
今、分析してる暇は無い。
梁に足を掛けて方向転換。鉄骨を壁にして距離を離す。
だが、アバドンは鉄骨の下をくぐり抜けてわたしへ肉薄する。
あのスイングする軌道。特撮名物のワイヤーアクションか。
――シャアアア!
感心する間もなく、アバドンがあの叫び声を上げ、わたしの脚を掴んだ。
血の気が引くより先に硬い拳が腹に見舞われる。息が詰まった。
投げ飛ばされ地上に叩きつけられる。浮遊能力のせいで全身がバウンドする。
能力を消して再び地面に落下したとき、ようやく身体が痛みを訴え始めた。
手遅れだけど屋根をぶち破って上に逃げるべきだったな。
ワイヤーアクションはワイヤーを掛ける滑車の位置より高くは上がれないんだから。
マスターの飛翔能力のイメージが頭に残っていて忘れかけてた。
ここは特撮の世界だ。目に見えないワイヤーがあったり、実体を持ったCGが溢れてるんだ。
クゥクゥ、と耳元で声がする。クビシロか。
最初にアバドンがいたあたりに落ちたのか。
「離れなさい。巻き込まれるわよ」
子犬を押しのけて立ち上がる。
見上げれば、アバドンはコウモリみたいに逆さまになって鉄骨に張り付いている。
飛び掛かる機会をうかがっているのか。
「やるしかないか」
変身前にはポケットだった場所から黒いコインを取り出し、首筋にあてがう。
二枚目のコイン。
それがわたしの内側へコトリと落ちた。
冷たい石の感触が頭のてっぺんから足の先までくまなく伝わり、瞬く間に肉体が変化する。
全身から痛みが消え、意識がハッキリと澄み渡っていく。
背中から左右に影が伸びた。見れば、肩甲骨のあたりから黒い翼が生えていた。
これが怪人ハチドリ女の完全体か。
「犬一匹くらい、守らせなさいよ」
背中の翼を一度羽ばたかせる。予想以上に思ったとおりに動かせる。
巻き起こった風に乗って、視界にヒヨコ色の羽毛がハラハラと舞った。
「!?」
手や足――身体のあちこちに同じものが張り付いている。
いや、身体の表面に吹き出てきては剥がれ落ちている。
怪人の肉体が削れていってるんだ。
「制限時間、か……」
舌打ちをするも、口の中が湿ってないせいで音が立たない。
いつ変身が解けるか分からないからには、早く始末をつけないと。
この場から離れるためにはアバドンを無力化させるしかない。
完全体の力、試させてもらう。
アバドンに襲われるより先に、こちらから同じ高さまで跳び上がる。
バリバリと耳障りな音を立ててアバドンの翅が再動し、彼の身体が梁を離れる。
廃工場の天井で向かい合う。
視線が重なったと感じた瞬間、アバドンが先に動いた。
黒光りする怪人態がまっすぐ突進してくる。
わたしは背中の翼をはためかせ、横に回り込む。
空中で動ける!
浮かび上がるだけだった今までとは違う。
アバドンのスピードも空中ならかわせる。
このまま翻弄して隙を見て逃げ出すくらいなら出来るかもしれない!
「うごッ!?」
希望が見えたかと思った瞬間、鉄骨の梁にまたぶつかる。
飛行可能になったのに、思ったより
曲がろうとすると軌道が外側に膨れる。
マスターがやった急降下をマネしようものなら確実に地面に激突するだろう。
練習すればいずれ慣れるとは思うけど、今すぐ使いこなせる能力じゃない。
空中でヨタヨタしているうちに、アバドンがわたしの死角に回り込んでくる。
翼の影から昆虫じみた顔が飛び出し、わたしの背中に取り付いた。
――ギシギシギシギシ……。
笑い声のような威嚇音のような不気味な声を耳元で上げ、アバドンはわたしの翼を掴んだ。
ミシッと嫌な音がして翼が中ほどから折り取られる。
空中で体勢を崩す。身体をひねって真後ろを振り向くと、アバドンの手にあるちぎり取った翼の断面からヒヨコ色の羽毛が噴き出していた。
「このォ!」
突き放すついでに力任せにアバドンを蹴りつける。
その足先、羽毛のついたところから真っ赤な炎が上がった。
「!?」
炎は空中に舞い散る羽毛に引火して連鎖的に爆発を生む。
熱風がわたしの身体を押し流し、アバドンから距離を離す。
そういえば昨日、『ハネは出せるか』って、ゼネラルカメレオンが聞いてきた。
これのことか。炎を操る固有能力。これは強い! カッコいい!
のちに『超人ライザーソウガひみつ大百科』が出版されたあかつきには、わたしの必殺技として記載しておいてほしい。
微かに勝機が覗いたかにみえた。
だが、まばゆい爆炎の中に黒点のごとき黒い影が滲んだ。
次の瞬間、空中にくゆる炎の壁を突き破ってアバドンが迫った。
黒い身体にチカチカと火の粉が散っている。
顔と顔をぶつけそうな距離まで近づかれたときには、わたしの左腕が掴まれていた。
「や、やめ――」
アバドンの両手と複腕に掴まれた腕が、あらぬ方向へねじ曲げられていく。
腕の芯からブチブチと、乾ききったカサブタを剥がすような感触がする。
「ああああああッ!!」
アバドンが握っている。
わたしの左腕を。
怪人の黒い腕を。
腕だけを。
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