傷つくほど近づかないで


 7番アイアンだ。

 これまでバケツ何杯ものゴルフボールを打ち出してきた風格のあるゴルフクラブ。

 それがわたしの後頭部に振り下ろされた。

 凶器を握ったままで大家さんは、息も絶え絶えなわたしを見下ろしている。

「な、んで……」

「あなたが戻ってきたのが悪いんですよ」

 殴られたところが痛くて、まともに頭が働かない。

「夜逃げ同然に蒸発して、ちっとも帰ってこないから、お家賃だって入ってこないんです。傾いたアパートを支えるのに、勝手に出て行った人が残した物を利用して、何が悪いんです。わたし悪くありませんよね。何も悪くありませんよね」

 大家さんが持ち去ったから……それで部屋に物が無いのか……。

 それに多分、アパート経営には使われてないんだろうな。

「だからね、鹿取さん。もう一回、記憶を失くしてくださいね」

 スオォ……とゴルフクラブを振りかぶる音が聞こえる。

 ヤバい。記憶が飛ぶ前に脳挫傷で死ぬぞ。

「う、あ……」

 焦りに駆られるわたしの手から、こぼれ落ちた物が薄いカーペットの上を転がる。

「なんですかぁ、これ? 黒い、メダル?」

「コインだよ……」

 視線が逸れたな。その一瞬が欲しかった。

「こうやって、使うの」

 シカバネ博士の言いつけどおり、コインの収納場所をバラけさせておいてよかった。

 おかげで変身する時間を稼げた。

「え……? えぇ……?」

 戸惑いの声を漏らす大家さんの前で、わたしの身体はコインから展開した金属生命体に包まれて、黒い怪人態へと変貌していく。

 博士の説明どおりなら、わたしの頭の打撲はコインのもつ復元能力とやらで治っているはずだ。

 ――はずなのだけれど、痛みは消えてない。

 とはいえ、ズキズキと疼く痛みから、どんよりとわだかまる痛みに変わってる。

 装甲の中身が生身のままだから痛みまでは消せないってことなのか……?

 現状に疑問を差し挟むくらいには思考能力も回復したのは理解した。


「驚かなくていいよ、大家さん。ゴルフクラブでぶん殴られても平気なように服を着込んだだけなんだから」

「か、鹿取さん、なん、ですか……?」

 息を呑み込みながら途切れがちに話す大家さんを横目に、さっき床に転がしたコインを回収する。

「この街に住んでるなら知ってるでしょ。怪人騒ぎくらい」

「こ、来ないでッ!」

 ヒッ、と悲鳴を喉に詰めて、大家さんは握りしめたゴルフクラブで殴りかかる。

 振り下ろされるクラブヘッドを受け止めた腕から金属音が鳴った。

 うん。痛い。衝撃が骨に響いてくる。

「あ、ああ……効かない……」

 しっかり効いてる。

 けど弱みは見せられない。腕をさすりたい気持ちは我慢する。

 ゴルフクラブを奪い取ってベッドに放り投げ、大家さんを背後から腕の中に捕らえた。

「ねえ、大家さん。わたし言ったでしょう。わたしの知りたいことを教えてほしいって」

 このまま威圧して『鹿取キユコわたし』に関する情報を引き出してやる。

 ハードな交渉もウィットな駆け引きも必要ない。

 暴力は全てを解決する。

 わたし今すごく悪役やれてそう。


 だというのに、アパートの表からはワンワンと犬の鳴き声がする。

 クビシロがふつうの犬らしい鳴き声を上げるのを初めて聞いた。

 ウンチでも漏らしたんだろうか。片付けてやりたいが今は後回し。

 ゴツゴツした鉱物の手で大家さんの顎をさすり、耳元に囁く。

「この部屋から何を持ち出して処分したか、覚えてるかぎり教えてちょうだい」

「お、お願い……許してください……」

 大家さんが怯えて情報を引き出せない。

 どうやって会話のできる状態にしようか思案している間も、アパートの表ではひっきりなしに犬の鳴き声がする。

 こっちを黙らせるのが先かな、と思っていると、鳴き声はピタリと止み、代わりにアパートの階段を駆け上がる足音が響いてきた。

 犬のはずがない。住人が帰ってきたか。

 ドアを閉めきる暇はない。

 どうする……。

 迷っているうちに白い影が玄関先に滑り込んできた。


「ここかァ!」

 頭蓋骨みたいな仮面。白い装甲。赤いグローブ。

 見間違えるはずもない。こいつは――、

「超人ライザァー、REX! 参ッ上ッ!」

 REXライザー・千葉仁史。

「キャアアアアッ!!」

 大家さんが絹を裂くような悲鳴を上げる。

 まあ、怪人がもうひとり現れたように見えても仕方ないか。

「なんであんたがここにいる!?」

「それはこっちのセリフだ! なんでテメエがここにいるんだよッ!」

「見れば分かるでしょ!」

 ここが自宅だからと言いかけて、はたと気付く。

 今のは片腕に大家さんを捕らえた格好で言うセリフじゃない。

 いかがわしい行為の最中にしか見えない。

 誤解するなというほうが無理な話だ。

「見ての通り……い、犬の散歩よ!」

「見て分かるかよ!」

 仰るとおりで。

「表で吠えてたの、おまえの犬かよ」

「昨日拾ったの。見てくれはカワイイでしょ」

「ンなことより! そのお嬢さんを離せ!」

「離したらどうなるの?」

「テメエをぶっ飛ばすッ!」

「じゃあ離すわけないじゃん」

「ホントだぁ」

 大家さんがREXを見つめたまま固まっている。

 彼のずば抜けた知能におののいているんだろう。

「REXライザー、それ以上、近付かないで」

「人質を盾に要求か。目的は何だ!」

「いや、靴履いたまま部屋に上がられたくないの。汚すと敷金返ってこないんだから」

「ここおまえの部屋かよ!」

「そうよ。わたしがここにいるのは自然なことなの。あんたこそ、どうやってここを嗅ぎつけたの?」

「近くで変身する気配があったから確かめに来ただけだ」


 ああぁぁ……! ライザーにたまに搭載されてる便利な探知能力だ。

 サイボーグの高感度センサーや、超人の超知覚だったり、いろんなパターンがあった。

 これのおかげでライザーは敵を追跡できるし、不自然なくらい怪人と鉢合わせエンカウントする。


「今日は位置が近かったおかげでドンピシャだったぜ」

 REXの探知機能は若干甘めに設定されてるみたいだ。

「まあ知られたからには今日限りで引き払うしかないわね。構わないわよね、大家さん?」

「は、はいぃ……」

 わたしの腕の中から、か細い声が答えた。


「そんなわけで、あなたがこのまま回れ右して引き上げてくれたら、わたしは大家さんを解放して何事も無く立ち去れるの。分かった?」

「ああ。分かったぜ」

 仮面越しにREXがニヤリと得意気に笑った――ように見えた。

「ここにある物ァ、全部がテメエの物なんだよなぁ。じゃあ、それをひとつずつぶっ潰していけば、いつか人質を手放したくなるんじゃねーの?」

「ゲェーッ! 脅しなんてヒーローのやるマネか! バカッ! やめろ! 暴力では何も解決しない! 敷金だって返ってこない!」

「俺様には関係ねーなぁ」

「わ、分かった。こうしましょう」

 わたしは持参した手荷物から、スーパーの買い物袋を取り出してREXに放る。

「それにわたしの言う物を詰めなさい。それと人質を交換よ。いいでしょう」

 犬の散歩セットのつもりで入れてたんだけど、こんな使い道をするとは思ってもみなかった。

「ほーん。分かった。それでいい」

 千葉はその場で変身を解いて、律儀に靴を脱いで部屋へ上がり込む。

 その腰には、硬質な変身ベルトが仄かにきらめいて巻かれたままでいる。

 いつでも変身し直す準備はできてるってわけだ。

「そういや、聞いてなかったな」

「詰め込む物はこれから指定するから」

「そうじゃなくて、名前だよ。名前を聞いてなかったなって」

「クビシロよ。首の周りだけ毛が白いから」

「首の、毛……? おい! 犬の名前じゃねーよ! テメエの名前だ!」

「ああ……」

「次会うまでに探しとくって言ってたろうが。部屋に帰ってるなら、名乗れるだろうがよ」

 昨日の今日で、そんなことによく気を回せるもんだ。

「鹿取、キユコ。覚えなくていいよ」

「ぶちのめして終わりなら覚える必要もなかったんだがな」

 おっかないことを言う。

 相変わらず好戦的なキャラだ。


「それより早く袋詰めしなさい。この女がどうなってもいいの?」

「どうなるっていうんだ?」

「あんたが想像してる百倍エロい目に遭う」

「ぐっ……な、なんて卑劣な奴ッ! だが俺に出来ることといえば、精一杯こいつの要求を突っぱねることぐらいだ。チラッ……。ああッ! だがしかし、そのせいでお嬢さんがどんなひどい目に遭わされるか……。チラッ……。俺がッ! 俺様がッ! 毅然とした姿勢を見せてしまうばかりに……チラッ」

 千葉は懊悩しつつもチラチラとこちらの様子を横目にうかがう。

「サイテー」

「女の敵ですね」

 わたしと大家さんから寄せられる白い目に、千葉も悲鳴を上げる。

「裁判長! 今のは誘導尋問です!」

「異議を認めません。審理を続行します」

「テメエ、後で覚えてろよ……」

「ホラ、早くそこの衣装ケースの中身を袋に詰めてよ」

「分かった分かった」

 口をとがらせながら半透明の蓋を開けた千葉の目がカッと見開かれる。

「こ、これ……下着じゃねーかッ!」

 声を震わせ、白いブラを広げて見せてくる。

「女物の下着を恥ずかしがる……。あんた、実家は核家族で、両親は健在。女兄弟はおらず、子供の頃にお家のお手伝いはやってこなかったタイプ。そしておそらく童て――」

「やめろォー! 妙に具体的で的を射たプロファイリングすんな! どうせ俺ァ一人っ子だよ! 蝶よ花よと育てられたボンボンですよ! 悪かったな!」

 ぶつくさと声を荒げ、諦めたふうにビニール袋へ下着を放り込み始める。

 変身ベルトを巻いた青年が懸命に女性下着を袋詰めする絵面は、とてもじゃないがお茶の間には見せられない。

「大家さん、わたしの通帳と印鑑ってどこにあるか知ってる?」

「そのカーペットの隅をめくったところです」

「じゃあそれも詰めといてね」

 千葉に向けて言う。

 彼はすぐに言われた場所に隠されていた通帳と印鑑ケースを下着の中にうずめた。

「なんでその人がここンの通帳の場所知ってんだ?」

「そりゃあ……ツーカーの仲だったからでしょうよ」

「おまえがお嬢さんの家に上がり込んで強盗してるわけじゃねえんだな」

「ええ。それは保証してあげる」

 大家さんが店子の私物をパクったり、後頭部を殴ったりしたことは伏せておこう。

 妙な話だけど、大家さんに非があることが知れると、人質としての値打ちがガックリ落ちてしまう。

 大家さんを千葉に押し付けられるから、わたしはこの場を切り抜けられるんだ。


 千葉がビニール袋を掲げて見せる。

「おい、袋に入るだけ詰めたぞ」

「じゃあ袋の口を縛ってベッドの上に放って」

 下着でパンパンに膨らんだビニール袋がベッドの上に転がされた。

 同時に腕の中の大家さんを千葉に向けて突き飛ばした。

 あっ、と小さく悲鳴を上げる大家さんを顧みず、ベッドに跳び乗る。

「それじゃ、バイバイ」

 大家さんを受け止める千葉に別れを告げ、ベッド脇の窓を開けてアパートの外へと飛び出した。


「待ちやがれ!」

 脱いだ靴を引っ掴んで窓から出てきた千葉が空中でライザーへと変身し、怪人ハチドリ女を追跡する。


 その後ろ姿を、わたしはアパートの屋根に腰掛けて見送っていた。

「犬置いて帰るわけないじゃん」

 仮面の下で出るはずもない舌を出す。

 せっかくの住まいを失ったんだ。

 このくらいおちょくったってバチは当たるまい。


 ――この後めちゃくちゃ犬に吠えられた。

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