僕の正体を突き止めろ 3


「どれ……」

 カウンターの向こうからマスターの手が伸びてカードを取り上げる。

「あー、これは隣の駅だな。だがこのカードのドラッグストアならここから歩いて行ける距離だ。電車を使うより徒歩のほうが近い」

 マスターが道順を説明する。裏手の廃工場を通り抜けて、小学校の前を横切って、外国人墓地の横を過ぎ、だだっ広い廃墟を横手に、潰れた教会の前の道をまっすぐ――。

 うん……目印が特徴的すぎるんだよなぁ……。

「これなら犬の散歩のついでに行けそうかな」

「犬? この店では犬を飼っているのかね?」

「こいつが昨日拾ってきたんだ。俺は知らん」

「まだ子犬だよ。見たい?」

 聞くだけ聞いてわたしのコインをポケットにしまう。博士の言いつけどおり場所は分けて。ついでに『鹿取キユコ』の財布と手帳も引っ掴む。

 よっ、とスツールから飛び降りて、裏口に続く調理場のほうへ回り込む。


 そこで足が止まる。

「そういえば博士にもうひとつ聞きたいことがあったんだ」

 カウンターの向こうのシカバネ博士を振り返る。

「なにかね?」

「ソウガのドライバーを作った獅子堂教授って知ってる?」

 ピクリと片眉を上げて、シカバネ博士の片目が見開かれた。

「ああ。知っているとも。愚かな男だ」

 博士の口から深く沈んだ声がこぼれ出る。怒りや後悔がにじむ薄暗い声だ。

「え、なに? やっぱり学会を追放されたの?」

「されとらんわ!」

「頭の固い学会の連中に復讐してやるー! とか、クックックッ科学の発展に犠牲はつきものだよ、とか言うのが科学者ってもんじゃない」

「この世にあまねく真面目な研究者に謝りなさい」

「ごめんなさい」

 獅子堂教授の名前を挙げた途端、シカバネ博士の雰囲気が変わったので、たまらず茶化してしまった。

 ふたりには何か因縁があるんだろうか。

「獅子堂教授はまだ生きてるんだよね」

「ああ。死んだも同然ではあるが。それがどうかしたかね?」

「生きてるならライザーソウガが関わってくるかと思ってね。どうせわたしには関係ないけど」

 興味はあるけど、ズケズケと深入りできる雰囲気でもない。

 今度、雄一くんに会ったときにでも詳しく聞こう。

「それじゃあ、犬の散歩に行ってくるよ」

 博士の機嫌がこれ以上悪くなる前に退散しよう。

 明るいうちに『鹿取キユコわたし』の自宅を見ておきたい。


  * * *


 裏口から出て行ったキユコを見送って、シカバネ博士は微かに自嘲する。

「自分で再生させておいてなんだが、妙な娘だ」

「あれで本当に記憶が無いのか?」

「記憶にも分類がある。一般教養はあっても、身辺のことは覚えていない、という状況もありうるよ」

「そうだな。そもそも記憶を失う以前のあいつを知らんからな」

 それより、とマスターは眉をひそめる。

「感情の強化については説明しなかったな。あれはコインのデメリットではないのか?」

「正常な脳機能の一種だよ。『水路づけ』と同じだ。コインと共感する感情が肥大化するのではない。状況に応じて引き出されやすくなるというだけだ」

「それが厄介なんだ」

「何か問題が起こったのかね?」

 ふぅー、とマスターは溜め息をつく。

「うっかり、あの娘を拾ってしまった」

「そうだったな。ハヤブサのコインに対応する感情は……」

 博士は言いかけた言葉を、スタウトをあおって飲み干した。


  * * *


 支度を済ませ、上の部屋からリードをつけた犬を連れ出すと、店の裏口から魔人アバドンが現れるのが見えた。

 不思議に思って降りていくと、後からシカバネ博士も顔を出す。

「これから帰るところだったの?」

「そもそも君に荷物を届けるために来たのだからな」

「一杯引っ掛けて気分よくなったから帰るんだと思った」

「否定はせんよ」

 してよ!

「それが拾ったという犬かね」

 そう言って博士が視線を落とすと、唐突にアバドンが膝をついて犬に顔を近づけた。

「た、食べないよね……」

 まさか、と博士は否定するが、半信半疑といった声音だ。

 子犬はスンスンとアバドンの顔面を嗅ぐと、ギザギザした口の周りを舐め始めた。

「おわっ! ダメダメ! おまえチョリソーの匂いに釣られたんでしょ!」

 リードを引っ張ろうとしたとき、アバドンが犬の身体を掴んで引き離した。

 大丈夫だろうな。握り潰しやしないだろうな。

 ヒヤヒヤしていると、アバドンの黒光りする硬質な手が犬の頭を撫で回した。

 見ているだけで不安に駆られる。トマトみたいに潰されたらどうしよう。

 わたしの心配をよそに犬のほうは、ニュゥゥゥ……と妙に気の抜けた声で唸る。

 気持ちがいいんだろうか。

「名前はつけたのかね?」

「そうねー……クビシロ、かな。首の周りだけ毛が白いから」

 特徴らしい特徴はそれくらいだもん。

 首輪も買ってつけたけど、結局白い色を選んでしまったし。

「ヒネリがないな」

 裏口から顔を出したマスターが開口一番ケチをつけた。

「バーディーの飼い犬ならボギーがよかった?」

「よせよ。俺はイーグルじゃない。ハヤブサファルコンだ」

 わたしをあしらい、マスターはシカバネ博士へ向き直る。

「あんたにこれを預けておこうと思ってな」

 そう言って差し出したのは見覚えのある渋色の麻袋。

「なんだね、これは」

「ゼネラルが水道に混入するつもりだったものだよ。わたしがくすねてきた」

 マスターの代わりにわたしが答えた。

「得体が知れないんでな。うちに置いとくわけにもいかん」

 受け取って、シカバネ博士が無造作に袋の口を開ける。

 中には黄色い針状の結晶が詰まっていた。なんだろう。枯れ葉の葉脈のようにも見える。

「分かった。持ち帰って調べてみよう」

 博士は袋を受け取って背広のポケットにねじ込んだ。

「それでは、おいとましよう。アバドン、帰るぞ」

 博士の呼び掛けに、アバドンは犬を撫でる手を離して立ち上がる。

 名残惜しそうに鳴き声を漏らす子犬を残してふたりはバーの裏手から立ち去っていった。


「ほら、クビシロ。わたしたちも行こう」

 リードを引いて呼び掛けるが、何か不思議なものでも見るかのように子犬はわたしを振り返るばかりで、じっとしている。

「ぼんやりしてるなぁ。今決めたけど、一応あんたの名前だよ、クビシロ」

 ルルォゥ、と博士とアバドンが消えた道の先を向いてせつなげに鳴く。

「ずいぶんアバドンに懐くんだね」

 わたし、犬飼うのに向いてないのかな……。

 リードを引っ張ってやると、不承不承か、クビシロはわたしについて歩き出した。

 やっとこ自分探しに出発だ。



 マスターから聞いた道順に従って自宅らしき住所を目指す。

 道程は順調――というわけでもなく、小学校の前で下校中の子供に囲まれてしまう。

 犬連れの弊害だ。クビシロが取り囲まれていいように撫で回されている。

 しかも犬は構われて満足そうだ。

 ついでのつもりで小学生に道を尋ねたところ、近くにあった案内板を指差された。

 デカデカと貼り出された町内の地図には、防災上重要な避難場所なんかと一緒に、目指していたドラッグストアが記されている。

 この周辺にカードに書かれた住所と同じ番地を探しておおよその当たりをつけた。

「わたし地図読むの得意じゃないんだけどな……」

 地図をぐるぐる回す流派の人間だ。回転させられない案内板には頼れない。

 現在地がここで、住所の番地がそこだから――、

「この道をあっちに行けばいいのか?」

 心細さはあったが、好き勝手な方向に行こうとするクビシロを抑えつけるおかげで、根拠の無い自信を持って見知らぬ街角を進んだ。


 やがて住宅地の入り組んだ交差点に紛れ込んで当然のように途方に暮れる。

「どこだ、ここ……」

 こころなしか犬も呆れた顔でこちらを見上げているような気がする。

 そんなときだった。

「鹿取、さん……?」

 唐突に『ハチドリ女わたし』の名前が呼ばれた。

 視線を向ければ、エプロンを着けた若い女がいる。薄幸そうな白い肌に黒いひっつめ髪の楚々とした娘さんだ。

 胸の前で揃えた手の中に竹箒を握ったその姿は――、

「管理人さん……?」

「大家です」

 大家さんでした。

 彼女の背後を見れば単身者向けのアパートがそそり立っている。

 今どきオートロックもついてなさそうな古くさ――もとい、趣きのある建物だ。

 わたしの実家の近所にあったオンボロの文化住宅を思い出して懐かしい気持ちになる。

 アパートを見上げるわたしに声が掛かる。

「鹿取さん、あなた今までどうしていたんですか」

「どうしてって……」

 四ヶ月くらい行方不明だった奴がフラッと現れたら、そりゃあまあ聞かなきゃならんでしょうよ。

「大きな事故に遭いまして、しばらく入院していたんですよ」

「まあ。身体はもうよろしいんですか?」

「ええ。そっちはまあ大丈夫なんですけど、こっちのほうに問題がありまして」

 自分の頭をツンツンと指し示す。

「記憶がごっそり飛んでまして。最近になって事故現場の遺留品が返却されて、自分の住んでいた場所が分かったんで見に来た次第で……」

「それは、なんというか……お気の毒でしたね」

「事故はもういいんです。それより、わたしが住んでた部屋って、こちらで合ってます?」

「ええ。今もそのままにしてありますよ。二階のあのお部屋です。あ、こういうのって横から余計なこと言わないほうがいいのかしら……?」

「ああ、いえ、知りたいことを教えてもらえれば助かります」

 おっとりした印象の大家さんだなぁ。

「わたしの部屋、見せてもらっても構いませんか?」

「はい。今カギをお持ちしますね」


 クビシロのリードを門柱にくくりつけて、大家さんから渡された合鍵でドアを開ける。

 主のいない春を過ごした部屋からホコリっぽい空気が溢れてくる。建物が古いせいか少しカビ臭い気もする。

 室内は手狭な畳敷きの六畳間で、窓際にパイプベッドが置いてある。

 寝て起きるだけの部屋って感じだ。

「帰ってきた、って感慨はちっとも無いや」

 当然だ。他人の部屋なんだから。

 本当のわたしの部屋はどうなってるんだろうか。たしか頑張って作った常備菜のキンピラがいいかげん傷みそうだったんだよね。あれを食べ切っちゃうつもりだったんだけどなぁ。

 靴を脱いで上がり込む。床に積もったホコリに足跡がつくんじゃないかと思ったけれど、意外とキレイだ。

 一人暮らし向けの小さな冷蔵庫を開ける。

「空っぽ、か」

 惨憺たる有り様を想定していたので拍子抜けだ。

 畳に敷いたペラいカーペット。小さなちゃぶ台。衣装入れは半透明の収納ボックス。

 洒落っ気の無い安上がりな部屋だな。わたしの部屋なんて変身ベルトが暖簾みたいに吊るしてあるのに。


 ――帰りてえなぁ……。


 むらっと湧き上がる里心を胸の奥にしまって、部屋を探索していると、玄関から大家さんの声がした。

「鹿取さん、何か思い出せました?」

「いやあ、まだなんとも……」

「お部屋のほうは、どうぞ気にせず調べていってくださいね」

「ありがとうございます」

 玄関に背を向けて再び衣装入れをあさってみる。替えの下着も確保しておきたいし。

 しかし物の少ない部屋だなぁ。

「わたし、ここに住んでたんですよね?」

「ええ。何かおかしなことでもありましたか?」

「んー、女の一人暮らしにしては、化粧品が見当たらないなって思って……」

「お化粧ポーチに入れてらしたのでは?」

「それにしては化粧水とか乳液とか、かさばる物も置いてないし」

 部屋もキレイで冷蔵庫も空っぽだったし、誰かが片付けたのかな?

「もしかして大家さんが――アグッ!?」

 背後で鈍い風切り音がして、瞬間わたしの後頭部に激しい衝撃が走った。

「うっ……ぐぅ……」

 衣装入れの中身に顔を突っ込んでうめく。

 頭がズキズキと痛い。

 しかめた顔を肩越しに振り返ると、そこには薄笑いを浮かべる大家さんが立っていた。

 手に、銀色のゴルフクラブを持って。

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