明日のコインと掴む腕


「ただいま、マスター」

 裏口からバーに入ると、マスターは店の調理場で仕込みの最中だった。

「女の買い物は長いと思っていたが、想像以上だったな」

「食事もしてたからね」

「ほう、それで……その抱えてるモノは何だ?」

 ブロックアイスを削りながらマスターはわたしの胸元へ視線を送る。

 買い物袋を下げる腕の中に焦げ茶色の生き物が小さくなって丸まっていた。

「子犬だよ。見るのは初めて?」

「女の身支度にはそんなものまで必要なのか」

「買ったんじゃないよ。裏の廃工場で拾ったの」

 バーに戻る途中にわたしの後をトコトコついてきたんだ。

「首輪をしているように見えるが」

「見えるだけ。こいつ、首の周りだけ毛が白いんだ」

 マスターは不機嫌そうな半眼で子犬を見つめ、溜め息をひとつついた。

「飲食店なんだ。店には入れるなよ。飼うなら予防接種とノミ取りはしておけ。俺は世話なんざしないからな」

「分かったよ」

「上の部屋に畳んだダンボールがいくらかある。部屋を汚さないよう、うまく使え」

「はーい」

 マスターは近所の動物病院の場所を告げて追加の資金を握らせてくれる。


 動物病院に行ってペットショップで飼育用品を買い揃えて、またバーの裏手に帰ってくる。商店街が近いと便利がいい。

 雑居ビルの裏には上階へ続く非常階段があって、中二階にあたる踊り場にドアがついている。正面側に入っているテナントの階層と階層の間にある謎の空間に、物置にでも使う部屋が設えてある。

 これ違法建築じゃないよね。大丈夫?


 ドアを開けると中には六畳間程度の空間が広がっている。

 入り口から夕陽が射し込み、コンパクトな部屋にわたしの影を長く伸ばした。

 壁は打ちっぱなしコンクリートで、床にはフローリング風の木目を描いたビニール製のシートが敷いてある。結露したらびちょびちょになる感じの部屋だ。

 明かりを点け、動物病院に行く前に投げ込んだ荷物をまたぎ越して中に入る。

 天井が低くて床の近くに窓があるせいで圧迫感はあるけど、寝起きするだけなら十分な広さがある。

 ユニットバスだけれど、トイレ、シャワー、洗面台も揃っていた。置こうと思えば洗濯機も置けそう。

 部屋の隅にはダーツマシンが立ち尽くし、戸棚のガラス戸の奥にはゴツいカメラが置かれている。小さな冷蔵庫とワインセラーがささやかな駆動音を立てる。寝具はベッドマットレスが壁に立て掛けてあるだけ。仮眠を取るだけだからかな。

「マスターの趣味が見え隠れしてるな。秘密基地って感じだ」

 男の子はこういうの好きなんだろうな。いくつになっても。


 マスターの言ったとおり、戸棚とサイドチェストの間に畳まれたダンボールがギッチギチに詰まっている。

 引越会社の名前が入ったそれを組み立てて、底にペットショップで買った犬用のトイレシートを敷く。

「まったく、犬の飼い方なんて知らないよ……」

 洗面台からエサ皿に水を汲んで戻る。キャリーバッグの口を開けると、病院帰りの子犬がちょこちょこと出てきて水を舐め始めた。


「捨てて来いって、言うと思ってた」

 飲食店なんだ。マスターならそう言うはずなのに。

 子犬とはそれでサヨナラのつもりだった。

 そうだ。わたしはこいつを、捨てるつもりで拾ったんだ。

「おまえ、わたしと同じなんだぞ。分かってるのか」

 水をガブ飲みする犬の額をコショコショと掻いてからかう。

 なんとなく、かわいそうだから拾われて、身の回りの世話を焼かれている。


 わたしは捨て犬だ。捨て犬と同じなんだ。


 名前も身分も仕事も家族も住む家も無くて、持っているものといえば怪人になるコインだけ。

 マスターに助けてもらえなければ、わたしは怪人としてみじめに野垂れ死ぬだけだったかもしれない。

 悲観的にすぎるかな。


 今日、雄一くんと話して少し分かった。

 ライザーに保護を求めるルートは諦めたほうがいい。

 このルートは二種類に枝分かれしている。

 片方はヒロインルート。

 雄一くんにとって守るべきヒロインのポジションに収まるルートだ。

 もう片方は寝返りルート。

 怪人側を裏切ってヒーローの仲間になるという選択だ。


 ヒロインルートは危険度が高い。

 この作品世界の場合、現状では喫茶店のタチアナさんがヒロインにあたるんだろう。

 よく事件に巻き込まれ、危険と隣り合わせな薄幸の美女。オイシイ立ち位置だとは思う。

 だが超人ライザーシリーズにおいてヒロインはたいていロクな目に遭わない。

 事件に巻き込まれる被害者はまだいいほうで、ふつうに死ぬこともある。

 さらにいえば、物語開始以前から死んでいて、なにか不思議なパワーで現世に留まる仮初の生命を与えられて生きている場合もある。

 特殊な例のように思えるが、そういう設定のヒロインは一度ならずいたのである。

 最後には犠牲の上に成り立つ自分の生命を否定して消えてしまったりもする。

 ライザーのヒロインは死亡率が高いポジションでもあるのだ。


 もう片方の寝返りルートにいたっては致死率100%といっていい。

 ヒーローに寝返ると、紆余曲折あったりなかったりしながら最後には死ぬ。

 紆余曲折がないパターンは一話限りのゲスト寝返り怪人だ。

 しかも女性の怪人が寝返った場合は、物語において重要なアイテムと引き換えに死にがちなんだよ……。

 わたしの死を乗り越えてライザーがパワーアップする様子を想像すると、ちょっとは胸が熱くもなる。

 が、死にたくはない。


 怪人として産み落とされた以上、わたしは被害者でなく加害者の立場にいるんだ。

 ヒーローの側につこうとするのは因果応報を旨とするシナリオでは、虫がよすぎるんだろう。

 わたしは知らなくてはいけない。

 わたしの因果を。わたしの罪業を。

 かつて『ハチドリ女わたし』が何をしでかして死んだのか。

 雄一くんには(彼がしょんぼりするから)聞けなかったけれど、確かめる必要がある。

 再生怪人として蘇って生き残ったんだし、過去を知っている脚本家からすれば以前のプロットを再生産したくなるところだろう。

 ライザーに阻止された生前の作戦があったはずなんだ。その全容が掴めれば、制作側が敷いたレールから外れる目印にできる。

 目指すルートはヒロインなんかじゃない。

 作中終盤で――あれ? あいつどうなったっけ? ――って忘れられるポジション。

 そう、空気フェードアウトだ。


 新しい方針は決まった。やり方は何も分からないけれど。

 気持ちを切り替えて、犬のエサ皿に少量のドライフードをカラカラとあけてやる。子犬の胃袋の容積なんてこんなもんだろう。

 子犬はわたしの顔を一度覗き込む。

「あんたのだよ。わたしはもう食べたから」

 そう言うと、もっくもっくと食べ始めた。

 床の上にダンボールを敷いて横たわる。

 ポケットの中のコインを取り出して顔の前にかざした。

「こいつの設定もまだあやふやだっけ」

 自分で試すにはリスクが気になる。

 またシカバネ博士に接触できれば何か分かるかもだけど。

「マスターに聞くのもアリかな。幹部怪人だし何か知っててもおかしくないでしょ」

 思案していると、寝そべるわたしの腹の上に子犬が乗り上げて、前足でふにふに踏みつけてくる。

「エサの催促か? 後でまたあげるよ。今日はもう疲れてるんだよ」

 ポンポンと背中を叩いてやると、子犬はおとなしくなって、腹の上で丸くなった。

 こいつ、人間に馴れてるな。

 ここが劇中世界なら、この街に住んでる人たちは現実にいる俳優さんの外見を下地にしているはずだ。

 ならこの子犬も俳優犬なのかもしれないな。

 何かの役割を背負ってこの世界にいるんだ。

 役目が終わった死に損ないの再生怪人よりは上等だな。

「そこんところは似てないね」

 フスフスと子犬が鼻息を漏らして、わたしのほうが脱力してしまう。

「まったく……犬なんて拾うつもりじゃなかったのに……」

 腹の上の子犬が温かくてウトウトと眠気を誘われる。

 疲れた身体は変身したときより軽い。

 ふわふわと……浮かび上がってしまいそう……。



「おい、バーディー。起きてるか?」

 ぼんやりした頭に声が聞こえる。

「賄いの飯を持ってきたが……寝ていたか」

 マスターの声だ。

「まったく。のんきな顔で寝ていやがる」

 笑われてるのか。

 起きて何か言い返してやりたいのに眠くて億劫で身体が動かない。

「こんなデカい子供、拾うつもりなんてなかったのにな」

 いやいや、これでも中身は立派なアラサーなんですよ。

 税金だって納めてたし、保険にも入ってたし、選挙にだって欠かさず投票に行ってたよ。

 全部過去形だけど。

「風邪ひくなよ」

 パチリ、電灯のスイッチが切られて室内に暗黒が満ちた。

 初夏の湿っぽい空気が頬に冷たく触れている。

 今が22話なら、そろそろ梅雨明けの時季だなぁ……。

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