明日のパンツと掴む腕 2


 ナポリタンとはケチャップで味をつけたスパゲティである。イタリアのナポリには無い。第二次大戦後、横浜のホテルから全国に広まったとされる日本由来の洋食だ。

 喫茶店のナポリタンには、あらかじめ茹でたスパゲティを作り置きしたものが用いられる。注文から提供するまでの時間を短くする工夫である。その際、麺同士がくっつくのを防ぐ目的でサラダ油で和えておくのが常だ。

 調理に際しては、始めに熱したフライパンにオリーブオイルとニンニクを入れて香りを立て具を炒める。

 『cafe COLie』のナポリタンではスライスしたタマネギ、ピーマン、ソーセージ、ベーコンが入る。いずれも薄っぺらだが火が通ると全て異なる歯ざわりと食感を生み出す。

 火を通した具を一旦フライパンから取り出し、油と焦げ目の残った同じ鍋にナポリタンに使うソースを流し込む。大部分はケチャップだが二割ほどトマトソースが混ざり、隠し味に適量のウスターソースが入っている。

 これをフライパンで焼く。これによってソースの水分を飛ばし、フライパンの表面に焦げ付いた旨味をソースに含ませる。

 ふつふつとソースが煮立った頃合いで作り置きのスパゲティを投入する。この麺は茹でた段階でアルデンテを通り越してクタクタに弾力を失っている。時間を置くうちに麺の水分は内側に吸い上げられ、麺自体はブヨブヨの食感だ。

 ケチャップソースをフライパンの脇に寄せ、空いたスペースに麺を入れる。すぐにソースとスパゲティを絡めはしない。スパゲティ表面のサラダ油が熱したフライパンの上で麺を焼き、水分を蒸発させていく。その時間を待つのだ。

 これによって表面は硬く、水分を含んだ内側はもちもちとした食感の麺が出来上がる。

 喫茶店のナポリタンは、この麺にケチャップソースがよく絡んで、これが実に「美味い」のである。


 ――頭の中に謎のモノローグが流れてきた。

 特撮名物『なんか美味しそうなゴハン』が目の前に差し出されて脳内の特撮ファンが大騒ぎしたせいだろう。

「いっただっきまーす」

 フォークに絡げたスパゲティをパクリ。

 もっちもっちした歯応えと甘いケチャップの味が口いっぱいに広がる。

 食べる手が止まらない。

「……んー、美味しい。生き返ったって感じがするわ」

「それですよ」

 味を整えようとタバスコに手を伸ばしたところに、雄一くんが声を掛けた。

「どうしてあなたが蘇ったんですか、キユコさん」

 雄一くんの疑問はもっともだろう。再生怪人なんて存在はそもそも予算のかさむキグルミを使い回すための制作側の都合であって、劇中人物の預かり知るところではないんだから。

 だからといって――そんなことわたしが知るか! ――と、ぶっちゃけたことが言えるはずもない。

「残念だけれど、その質問には答えられないわ」

「何故です」

「わたしを生き返らせたのはシカバネ博士であって、その理由を知っているのも彼しかいないからよ」

「そんな……」

『ここでその名が出るとはね』

「知っているのか、コニー」

 面識はないのか。あまり外に出ないんだな、シカバネ博士。

『コインの精製法を確立した科学者だ。諸悪の根源だよ』

「へー」

「なんでキユコさんが知らないんですか」

 何気ない雄一くんの一言に胸を突かれる。


 これはもう正直に白状する場面だな……。

「ごめんなさい。わたしには蘇る前の記憶が無いの」

 雄一くんは一瞬言葉を失い「え?」と呟いて、身体を硬直させた。

 テーブルの空気が凍りつき、しんと静まり返る。他のテーブルから漏れ聞こえる談笑がいやに空々しく響いてきた。

「わたしはあなたと、どんなふうに出会って、どんな言葉を交わして、どんな死闘を演じて、どうやって死んだのか、ちっともさっぱり覚えていないの」

 ナポリタンの絡んだフォークを置いてコーヒーを口に含む。

 ふくよかな香りの後からフルーツみたいに爽やかな苦味と酸味がやってくる。

「ねえ、教えてよ。どうしてわたしは死んだの?」

 雄一くんはうつむいて声を絞り出した。

「俺が、弱かったせいです……」

 そういうことを聞いてるんじゃないんだけどな。

「あの頃は怪人の正体が人間だなんて知らなかったんです」

「コニーの言いようだと、わたしの死に様を見てそれに気付いたってことかしら」

「はい……」

 わたしを殺したことを悔いたというより、我知らず殺人を犯していたことに罪悪感を抱えていたのか。

「今は違います! 怪人の力を封印する能力を身につけました」

「それは千葉も使えるの?」

『元々は彼が使っていたんだ。僕らの技はREXの模倣だよ』

「キユコさん、出来ればすぐにコインを手放してください。俺とコニーで封印します」

「それはお断りするわ」

 わたしの身の安全を確保するためにも、これは譲れない一線だ。

「何故です!?」

「ひとつはゼネラルみたいな傍若無人な怪人から自分の身を守るため」

 戦って勝てるとは思ってない。身をかわして逃げるための手段だ。

「もうひとつは、その封印を受けて無事でいられる確証が無いからよ」

「いえ、そんなことは――」

「四体よ」

 身を乗り出そうとする雄一くんを視線で制して言葉を遮る。

「蘇った怪人はわたしの知る限りで四体いたわ。わたしと、その他に三体。わたし以外の三体はREXに倒された。後には割れたコイン以外何ひとつ残らなかった」

『フムゥ、興味深いね』

「これがREXの封印技で再生怪人が倒された結果だとしたら、わたしも同じ末路をたどる――かもしれない」

 もっとも、と公正な情報を付け加える。

「わたし以外の再生怪人は人間の意識が取り戻せなかったみたい。わたしには正常に封印技が効くかもしれない。もちろん効かないかもしれない」

 青ざめた雄一くんの顔に向けて、挑発的な笑みを浮かべているのが自分でも分かる。

「ねえ、雄一くん。あなたにもう一度わたしを殺す覚悟はあるかしら」

「それは……」

「まあ『ある』って断言されても困るんだけどね」

 雄一くんの困り顔をおかずにナポリタンを平らげにかかる。

 物憂げなイケメンで飯がうまい。


「雄一くんはさ、いつごろ変身できるようになったの?」

「半年くらい前ですかね」

 外気温からして今は初夏か。なら『この世界』の放送開始は冬ごろ。

 おそらくは――、

「一月末あたりかな」

「よく分かりますね」

「まーねー」

 そのあたりに放送開始した作品が多いというだけの当てずっぽうだ。

 超人ライザーシリーズの劇中の時間はおおよそ放映期間と連動している。

 そしてほとんどのシリーズ作品は一年にわたって放送される。

 人気が出て二年くらい続いたり、大人の事情で半年で打ち切られたり、セルビデオや劇場公開作品でテレビ放送されてなかったり――まあ、ゆらぎはあるけど、だいたい通年で決着がつく。

 つまり、わたしは来年の二月まで生き延びれば、怪人の死の運命から逃れられることになる。はず。たぶん。きっと。


「そろそろシリーズも折り返しの頃合いか。なら今は25話前後ってとこ? 2クール目の終わりには3クール目に向けて大きめのイベントが入るはず……。ってことはもう少し手前かも……」

『なにをブツブツ言っているんだい?』

「え、ヤダッ、声に出てた?」

『あまり聞き取れなかったけれどね』

「雄一くんが変身して戦い始めてから、今日で何週間くらいかなって考えてたの」

『僕が雄一と共生した日を1週目として、今日は22週目だ』

 22話。予想より少し早い。

 再生怪人は使うアテの無いキグルミを再利用する都合上、物語の中盤以降に登場することが多い。

 50話弱ある物語で中盤に再生怪人が登場するということは、後半は物語の核心に迫って新しい怪人の出現が減り、宿敵との対決が続く構成になるはずだ。

「わたしが死んだのは4週目? それとも8週目?」

『8週目にあたる』

 ふーむ、ひとつのエピソードが前後編で二週にわたって展開する形式か。

『鹿取キユコ、君は何を知っている?』

「何も知らないから尋ねているの。記憶の無い人間が何を知っているっていうの?」

 コニーは表情を変えずにこちらを睨んでくる。


 疑惑の視線はとぼけてかわす。

「あ、そういえばさっき、タチアナさんはソウガの正体を知らないって言ってたけど、それってライザーとは接触があるってことだよね」

「ええ。運が悪いというか、間が悪いというか……ちょくちょく事件に巻き込まれるんですよね」

『確率の問題だ。雄一と活動範囲が重なっている分、タチアナは遭遇しやすい被害者になる機会が多いんだ』

「つまり発見できてない被害者が活動範囲の外側にまだまだいるってわけね」

『いた、ということもありうる』

 わたしの解釈をわざわざ過去形に訂正してくる。

 被害の深刻さを示したいか、あるいはハチドリ女わたしが過去にやらかした事件に釘を刺しているのか。

 雄一くんがわたしに萎縮してる分、コニーは警戒を強めているようだ。


 ナポリタンを平らげてコーヒーを飲み干す。

「ごちそうさま。話が聞けてよかったわ」

「そんなにいい話、しましたかね……」

「わたしには有益な情報だったのよ」

『何を企んでいるのか……』

「物騒な物言いね。わたしは二度も三度も死にたくないだけよ」

 なにひとつ偽らざる本心だ。二心なんて無い。

「あの!」

 わたしとコニーの間に絡まる無機質な視線を雄一くんが断ち切った。

 意を決したふうに彼は切り出す。

「キユコさん。このままここに残りませんか? 下宿には空きもありますし」

 突然の申し出に息が詰まる。

 言葉を探すわたしに先んじて、コニーが声を上げた。

『雄一! 何を言っているか分かっているのか! 手元に置けば、彼女を通じて敵方に情報が流れるかもしれないんだぞ』

「知られて困る情報なんて無いだろう。だいいち今困っているのは彼女のほうじゃないか」

 大した奴だよ、矢凪雄一。頭いい学校通って、強くて、優しくて――いつだって誰かを心配しているんだろう。

 ヒーローは言うことが違うなぁ。

 こうなると、こちらからの返事は決まっている。


「気持ちだけもらっておくわ」

「そんな! 頼ってください。記憶が無いんでしょう」

「助けてほしければそう言うわ。それに記憶は無くてもツテはあるの」

 買い物袋を引っ張り出して見せつける。

「当座のお金も、雨風しのげるところも借りられた。返すアテはこれから作るわ」

『商店街で会ったときに気付くべきだったね、雄一』

「本当にいいんですね」

「あなたと同じ道を行くわけにはいかないの」

 当初予定していた『ライザーの庇護下に入る』というルートへの入り口が目の前にちらついていた。

 が、主人公からそんなものを持ち掛けるなんて、十中八九、脚本家が書いたシナリオに決まっている。

 昔の人も言っていた。うまい話には裏がある。

 これに乗っかったら、わたしはなんかイイ感じの湿っぽいドラマの果てに涙を誘う死に様を描かれることになるんだ。

 そういう展開は何度も見てる! 特撮でな!


「抜き差しならないくらい困ったら、またここに寄らせてもらうわ」

「そうですか……」

「ありがとう、雄一くん」

 荷物を持って席を立つ。

 これでお別れだ。

 怪人がヒーローと一緒にいたっていいことはない。

 ごちそうさま、と告げて、わたしは『cafe COLie』を後にした。



 マスターのバーへ戻るにしても、所在を知られるわけにはいかない。

 バーとは別方向にしばらく歩いて、人通りの無い路地裏に入り込んでから変身する。

 万が一尾行されていても上空までは追ってこれまい。

 浄水場から連れ出されたときと同じように、商店街の裏手にある廃工場に降り立ってからマスターの店まで引き返そう。


 だが廃工場に着地して変身を解いたとき、すぐ背後に迫り来る獣の息遣いに、わたしはまだ気付いてはいなかった……。

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