誰かが君を愛してる

明日のパンツと掴む腕 1


 商店街のほど近くに建つ雑居ビル。その半地下に入口を構える一軒のバーがあった。

 店内は黒を基調としたシックな内装で統一されている。

 バーカウンターの前でスツールに腰掛けるわたしの前に、マスターがグラスを差し出して琥珀色の液体を注いでくれる。

「マッカランの12年かな」

「ただのジンジャーエールだ。見て分かるだろうが」

 わたしの小ボケを見逃さないこの中年のマスターがハヤブサ師団長の正体だ。

 オールバックに髪を撫でつけ、ヒゲの剃り跡が青々としている、けっこうなダンディ。

 わたし(の実年齢)より少し年上に見える。四十手前ってとこか。

 ジンジャーエールのグラスを傾けるわたしへ、マスターが出し抜けに尋ねた。

「それよりも、おまえ、行くアテはあるのか」

「帰る家ってこと? うーん、あるかないかも分かんないかな」

 怪人にだって帰る家はあるだろう。だが一度死んでいる再生怪人はどうだろう……。

「シカバネ博士から聞いてるでしょ。ちょっと記憶が足りないんだよ」

「住所不定無職。その上、本名年齢不詳か」

「まあね」

 名前は……雄一くんが呼んでたな。『鹿取キユコ』って。

 それがわたしの名前なのか。『わたし』の名前ではないから、本名不詳は嘘じゃないけど。

「バーディー」

「え?」

「名前が無いと不便だろう。ひとまず暫定でバーディーと呼ぶ」

「なんでバーディー?」

 マスターは指先をクルクル回しながら自分の頭を指差す。

「記憶が無いだけで、パーよりマシだからな」

「ゴルフかよ」

「嫌いか」

「ゴルフは好きでも嫌いでもないよ。テレビ中継は嫌いだけど」

 あいつはニチアサの放送枠を平気な顔して潰すからな。

「店の上に居住スペースがある。俺は身仕度を整えるのにしか使っていない。行くところが見つかるまではおまえが使えばいい」

「あ、ありがとう」

「ひとまずはこれで身の回りのものを揃えてこい」

 マスターはグラスの下のコースターに札ビラを差し込む。

「大変恐縮なんですけど」

「なんだ」

「もう一声お願いします」

「着替えだけなら足りるだろう」

「女の子にはいろいろ必要なんですゥ」

「記憶が無いくせに神経の太い奴だ」

 マスターは渋面を浮かべて追加資金を出してくれる。

「必要経費だってば」

 ごちそうさま、とグラスを置いて席を立つ。

「マスター、ありがとう」

「せびっておいてよく言う」

「そうじゃなくて、浄水場で助けてくれたこと。お礼を言ってなかったから」

 本意ではなかったけれど。

 ハヤブサ師団長と魔人アバドンが来なければ、ゼネラルカメレオンはライザーソウガが倒していた。

 そうなれば今頃は怪人を廃業して物語からドロップアウト出来てただろう。

「あ、そういえば忘れてた。ゼネラルに捕まったときドサクサに紛れてくすねたんだ」

 渋色の麻袋をカウンターに突き出す。

「なんだこれは?」

「ゼネラルが浄水場に撒こうとしてたもの。多分、毒物じゃない?」

「そんなものを飲食店に持ち込むな!」

「ごめんごめん。奪い返されても厄介だし、ちょっと預かっといて」

 面倒な荷物はマスターに押し付けて、店を後にした。



 バーの表の路地を抜けると商店街のアーケードの中ほどに出た。

 居並ぶ店構えを眺めながら品定め。お買い物は楽しい。

 安いパジャマ。お値打ちのパンツ。お手頃のキャミソール。

 今着てるブラウスの替えと、コンビニに行く程度の私服。

 洗面用品と入浴用品も要るなぁ。化粧水は買う。保湿乳液は……諦めるか。

 欲しい物をあげつらうと、結局ほとんどを量販店でまとめ買いしてしまった。

 予算が心許ないので靴は買えなかった。今履いてるパンプスじゃ遠出はしんどいのに。


 両手に荷物をぶら下げてバーへ帰ろうとした頃合いだった。

「キユコさん?」

 唐突に聞き覚えのある声がした。

 視線を向ければ商店街を行き交う人の中でぽつんと立ち止まっている彼の姿があった。

「ゆ、雄一くん……」

 ゲェー! と叫びかけた声を反射的に喉の奥に飲み込んだ反動で、彼の名を呼んでいた。

 アカン。これはアカン。フツーに知らんぷりして無視すればよかった。

 雄一くんにはハチドリ女の中身は見せてなかったんだから。

 どうしよう。ライザー同伴でハヤブサ師団長――マスターのいるバーには戻れないぞ。

「あ、あの……人違いです……」

「明らかに返事したじゃないですか」

「そ、そーデスかネー? ア、アハ、ハハ……」

 ああああッ! 千葉のときと同じだよ! 墓穴掘ってばっかりだ!

「キユコさん、その買い物袋は?」

「ああ。着替えだよ。明日着るパンツとか。見たい?」

「い、いえ!」

 見せびらかすほどいいものでもないんだけど、雄一くんは照れた顔で首を振る。

「雄一くん、ゼネラルとアバドンはどうなったの?」

「逃げましたよ。俺たちも追いかけられませんでしたし」

「そう。じゃあわたしはこれで……」

 さりげなく踵を返してその場を立ち去ろうとしたとき、強い力でぐっと腕を掴まれた。

「待ってください! あなたに聞きたいことがあるんです!」

「それは今じゃなくちゃいけないの?」

「何か急ぎの用でもあるんですか?」

「それは……」

 何か取り繕おうと言い訳を探すが、マスターのことを話さずにここを切り抜ける理由が思いつかない。

 わたしが煩悶としかけたときだった。

 グルゥゥゥゥ……、と低い唸り声が響いてきた。

 REXライザーの必殺技を思い出すが、違う。

「こ、この音は!?」

『雄一、これは消化器官の鳴動だ』

「お腹の音? 誰の?」

 疑問符を浮かべる雄一くんの前で、わたしの頬は確実に紅潮していた。

 鏡を見なくたって分かる。顔が熱い。

「あの、キユコさん」

「ちゃうねん」

「なにも違いませんよ」

「わたし(生き返ってから)何も食べてなくて。商店街ってあちこちから美味しそうな匂いがするから……」

「よかったら、俺がごちそうしますよ」

「お、奢り! いいの!? ぜひ行きましょう! 雄一くん!」

「あ、はい。キユコさん」

 そういうことになった。



 商店街を出て住宅地に差し掛かるあたりで雄一くんは足を止める。

 目の前には庭付き一戸建てがあった。

 開放した門前にはイーゼルに立て掛けた看板が出ている。

 一番上に『cafe COLie』と書いてある。その下に簡単なメニュー表が続く。本日のオススメはミックスサンドイッチらしい。

「ここ、喫茶店?」

「はい。一階がお店で、二階に俺が下宿させてもらってるんです」

「へえ……」

 建物は白くさっぱりとした洋風の外観で、庭はこぢんまりとしているけど季節の花が咲いている。

 いい雰囲気のお店だ。


 ――だがしかし、気をつけなければいけない。


 喫茶店は、超人ライザーシリーズにおいて、何故かやたらと主人公の拠点にされる重要施設である。

 クセのある店主がいて、だいたいみんなコーヒーを飲んでいて、都合よく事件の情報が集まったりする。

 そうだ。この喫茶店はただの小洒落た自宅カフェではない。

 怪人の側からすれば、正義の巣窟!

 こちらの命を虎視眈々と狙っている怖ろしい連中がたむろする地獄の一丁目。

「フッ、フフフ……」

「どうしたんです、キユコさん?」

「いえ、少し身構えただけ。鬼が出るか蛇が出るか」

「食事が出るんですよ? 何しに来たんですか」

 雄一くんが訝しげにこちらをうかがう。

「さあ行きましょう。タダ飯を食べに」

「払いは俺なんですけどね」

 苦笑いを浮かべて雄一くんが先に店の戸をくぐった。


 店内はマスターのバーよりも少し広い。窓があるおかげで開放感もある。

 白い壁に木目調の床や家具が合わさり清潔感とあたたかみのある印象を受ける。

 昼下がりで、近所の主婦や老人のお客さんがちらほらと目につく。

 席に着くと店のカウンターからエプロンをつけた若い女性店員がやって来る。

 金髪に緑色の瞳。日に灼けて白い頬が赤くなっている。外国人かな?

「いらっしゃいませ。雄一くんのお客さん?」

「はじめまして」

 挨拶を返したはいいが、名乗ろうとした途端に言葉が喉につっかえる。借り物の名前を名乗っていいものか。

 代わりに雄一くんが取りなしてくれる。

「鹿取キユコさんです。こちらはお店のオーナーのタチアナさん」

「あらぁー……あらあらー……ンもう、雄一くんもスミに置けないわねェ」

 流暢な日本語だが、話してることは、どうにもオバサンくさい。

 見た目は二十代くらいに見えるんだけどな。

「下宿の管理もあなたが?」

「ううん。ウチは自主性に任せてるから。だいたいのことは雄一くんが片付けてくれるの」

「俺が入居する前は違ったじゃないですか」

 雄一くんって実は主夫っぽいキャラなのか。

「アハ、ハハ……そ、それで、ご注文は?」

「どうぞ、キユコさん」

 促されて壁に掛かったメニューボードを見る。

 ふつうに昔ながらの喫茶店って感じのお品書きだ。

 軽食といえばカレーライス、スパゲティ、サンドイッチ。

 飲み物といえば、コーヒー、紅茶、ミックスジュース。

 分かりやすい。いいぞ。実にいい。こういうのでいいんだよ、こういうので。

「ナポリタンとブレンドコーヒーを」

「じゃあ俺もコーヒーを」

「はーい。それじゃコニーちゃんは?」

 注文を聞くタチアナさんの言葉で、ハッと対面の席を振り向くと、雄一くんの隣にダッフルコートを羽織ったあの少年の姿があった。いつの間に現れたのか、雄一くんも驚いている。

『カフェ・オレを頼む』

「はーい、かしこまりー。ブレンドふたつと、カフェ・オレ。あとナポリタンですね。少々お待ちください。チョッパヤで作ってくるから」

 タチアナさんは特段気にしたふうもなく、キッチンへ引っ込んでいった。


「彼女は知ってるの? その……ライザーのこと」

「俺がソウガだとは知らないはずです」

 ふーむ。ならそこは伏せといてあげないとな。

「そっちのコニーって子は? 人間なの?」

「いえ、コニーは俺に寄生している金属生命体です」

『寄生じゃない。共生だ』

「金属……?」

 頭の中ではデロデロに融けた銀色の液体がニュルニュルっと人間の形に変化する様子が思い浮かぶ。デデンデンデデン、の2のやつみたいな。

「雄一くんはどうしてライザーになったの?」

「俺は一度怪人に襲われて瀕死の重傷を負いました。そのとき欠損した肉体をコニーが補うことで一命を取りとめて、そのおかげで変身する能力も得たんです」

「へえ。それじゃ、あなたが雄一くんの命の恩人なのね」

『雄一を助けたのは僕じゃない』

「俺にコニーを移植して変身ベルトドライバーを与えてくれたのは獅子堂教授です」

「しし……誰それ?」

「大学のゼミの教授です。城楠大学理工学部獅子堂教室」

 じょ、城楠大学! 特撮のみならず数々のドラマに登場する架空の有名大学だ。だいたい頭のいい学校として扱われる。

「そこでは生化学と機械工学の橋渡しをする研究を行っていました」

「過去形なのね」

「教授が行方不明になったので。だからゼミは開店休業状態です」

 フムン。話を聞くに、獅子堂教授という人は雄一くんをサイボーグみたいな肉体に改造したってことなんだろう。機械部品の代わりに意思をもつ金属生命体をねじ込んで。

 なかなかどうして超人ライザーシリーズ初期の改造人間主人公を踏襲した設定だ。

 そういえば再生怪人のメンツにいたクモ怪人やコウモリ怪人もシリーズ初期に登場したモチーフだ。

 この作品は初期シリーズのオマージュを利かせてるんだなぁ。


 ――待てよ。わたしは何か甚だしい勘違いをしているんじゃないか。

「あの、雄一くん。大事なことを聞いておきたいんだけど……」

「何ですか?」

「あなたが戦い始めたのと、千葉が戦い始めたの……どっちが先だった?」

「それが大事なことなんですか?」

「うん。わたしの精神的なスタンスに関わるの。大きく!」

『雄一だ』

 答えたのはコニーだった。

『千葉仁史は、雄一が君を殺害してふさぎ込んでいた時期に現れたんだ』

「そうか……やっぱり……うすうすはそうじゃないかなと思ってはいたんだよ……」

 なんだよ。ちくしょう。偉そうにしやがって。


 千葉あいつのほうが2号じゃねーかッ!


 スッキリした。これでいい。収まりがいい。

「ここが『ソウガの世界』か」

『何を言っているんだ、鹿取キユコ』

「気にしないで。少し気分が晴れただけ」

 自分の置かれた状況が変わりはしないけれど、この世界の主人公をハッキリさせることはこの先の展開を予想するためにも重要なことだ。

 まあ……リアルタイムで放送追っかけてても展開の予想なんてつかないんだけど。


「それで、身体のほうはもう全快したの?」

「いえ、まだ腰の神経が繋がってないみたいで、今日みたいにコニーが俺から離れて単独行動すると、俺のほうは動けなくなります」

『雄一、自分から弱点をバラすな』

「今は平気なの? コニーが身体から出てるけど」

「近くにいる分には平気です。俺の身体から全部抜け出してないからでしょうね」

 ふうん、と頷いているうちにキッチンから丸盆を抱えたタチアナさんが現れる。

「お待ちどおさま。ブレンドとブレンドとカフェ・オレ。それとナポリタン。お好みでタバスコと粉チーズもどうぞ」

 テーブルに注文の品物を並べてから、彼女はわたしと雄一くんを交互に見てニヤニヤした含み笑いを浮かべた。

「それじゃごゆっくりー」

「タチアナさん。俺とキユコさんはそういうんじゃ――」

 雄一くんの言葉は立ち去る彼女の後ろ髪を引っ張ることなく喫茶店の床に墜落する。

 クスクスとわたしの口から笑いが噴きこぼれた。

「おかしいね」

「キユコさん?」

「聞きたいことがあるって引っ張ってきたのは雄一くんのほうなのに、わたしばっかり質問してる」

 ナポリタンの湯気の向こうで雄一くんの顔が寂しげに引き締まった。

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