敢然と悪に立ち向かうのだった 1


 部屋を出ると明るい廊下が左右に伸びていた。クリーム色のビニールタイルに白い壁。どこかの病院か研究所みたいな清潔さを感じる。廊下の突き当りの曲がり角に観葉植物も飾られてる。

 さっきまで洞窟だったんだぞ。どういう構造してんだ、これ。

 特撮作品ではカットが変わると露骨に場所が変わってることがよくある。

 それがカメラのフレームを取り除いた現実に存在すると、こうも釈然としない気持ちになるものなのか。

 悪の組織の本拠地に消防法だの建築基準法だのを当てはめたくはないけれども……。誰がどうやって建てたのか謎すぎて内心で首をひねってしまう。

 廊下を少々進んだところでゼネラルカメレオンは足を止める。

 振り返った彼の視線がふとわたしの視線に重なった。

 ぎくりと焦る間もなく、ゼネラルが無遠慮に距離を詰めてくる。

「博士に聞かせるわけにもいきませんからね」

 どこ向いてんだか分からないカメレオンのゴーグル越しにわたしを見つめる。

「あなた、今でも『ハネ』は出せますか?」

 ハネ? ハチドリ怪人の羽根ということかな?

 疑問を口には出さず、手を自分の背中に回して肩甲骨のあたりを探ってみる。

 ゴツゴツとした石の感触があるだけで翼みたいなものは生えてはいない。

「ふむゥ。再生の影響ですか。命令しても使えない能力ならばお手上げですね。ハネはもういいです、元に戻って結構」

 背中をまさぐるのをやめると、ゼネラルは再びこの建物の外へ向けて歩き出した。

「ここから先はなるべく四人で固まって移動してくださいよ」

 囁くようにわたしたちに言い含めてゼネラルはこちらに向かって腕をひと振りする。

 温度を感じない風が全身を吹き抜けた気がした。

 そう思ったときには目の前に立つ再生怪人たちの存在が薄くなって空間に溶けるように消えていく。

 わたしもだ。黒い石の身体が透明になっていく。

 そうか。これがゼネラルカメレオンの能力。

 一定範囲のものを透明にしているのか。

 カメレオンみたいに保護色に擬態している感じじゃない。光を回析させてるのかも。光学迷彩ってやつだ。すごい! すごい……んだけど、これカメレオンじゃないよね?

「これができるからと再生怪人を引っ張っり出してきましたが、この格好では電車にもバスにも乗れませんね」

 ゼネラルは再生怪人たちを引率するためか、自分自身を透明化していない。

 確かにこの姿では公共交通機関は利用できないだろうなぁ。

 無賃乗車しようにも四人が固まってる時点で改札に引っ掛かって進めない。

 バスもタクシーもゼネラルが停めるんじゃ乗車拒否必至だ。

 怪人には交通インフラが足りない。圧倒的に足りない。

 普段なら現場に着いてから怪人態に変身するんだろうから問題にはならないんだろうけど、こと今回に限ってはどうしようもない。再生怪人がお荷物だ。

 選べる手段はただひとつ。

 徒歩だ。



 建物の裏口らしいところから外へ出る。まだ日が高い。

 背の高いビルの陰に入る薄暗い裏道を通り、人気のない廃工場の並びを過ぎ去って、わたしたちはようやく表通りに顔を出した。今は顔も身体も透明だけど。

 人通りが多い。繁華街なのかな。なんで裏手に廃工場があるんだ? どういう立地だよ。

 何気なく進み出たゼネラルカメレオンに通りすがりの青年が肩をぶつける。

 じろりと睨み返した青年のムッとした表情が瞬く間に青ざめて凍りついた。

「ば、化物ォォオオッ!」

 ふん、と鼻息をふかしてゼネラルが青年を払いのける。尻餅をついた彼は甲高い悲鳴を上げて逃げ出した。

 それを合図に通りのあちこちから悲鳴が沸き上がる。

 すげえ。本物の悲鳴だ。特撮で見たのと同じシチュエーションだ。

 ダメだって分かってる。分かってるんだけど、感動を禁じえない。

 フハハハ。泣け! 喚け! 逃げ惑えー!

 正常性バイアスってやつなんだろう。どうにも自分には当事者である自覚が薄い。

 わたしには街中で怪人とぶつかって悲鳴を上げられる自信は無い。多分、包丁を握りしめて街を徘徊するアブナい奴と出くわしても、ビビるだけで何もできないと思う。

 それに比べれば、ちゃんと怯えて逃げられる彼らは被害者のプロといっていい。

「騒々しいですね」

 鬱陶しげにうめいてゼネラルは片手を挙げる。

 その所作に釣られて、わたしの身体から何かが剥ぎ取られた感触がした。

 視界に突然黒い怪人が現れた。わたしの身体も目に見えるようになっていた。

 透明化が解除されたんだ。

「これから私はコレを水道水に混入しに行きます」

 ゼネラルはコーヒー豆でも入っていそうな渋色の麻袋を片手に取り上げてわたしたちに見せる。

「その間、あなたたちにはこれからやって来るライザーの相手をやっておいてもらいましょう」

 それってつまり……時間稼ぎの、捨て駒ってこと、だよね……。

 やべえ。シカバネ博士の言ったとおりになってるぞ。

 ゼネラルカメレオン。こいつ、ガチのマジでクズの幹部じゃねえか。

「とりあえず手始めに目の前の人間を皆殺しにでもしてください。そのうちにライザーもおっとり刀で駆けつけてくることでしょう」

 殺す? わたしが? 人を?

 ゼネラルの言葉を噛み砕くと、自然そういうことになる。

 いや、ちょっと待てよ。待てって。タンマタンマ。落ち着こう。

 出来るわけないでしょ。こう見えてわたし、トラックに轢かれそうな母子を突き飛ばして代わりに撥ねられた女だぞ。

 目が覚めて再生怪人になったからって、なんで人を殺さなきゃいけないんだよ。

 おいおい。おかしいって。

 すごい勢いで顔から血の気が引いていくのが分かる。幸い、変身してるおかげで顔色の変化なんてゼネラルには見えないだろう。

 ここで命令に従わなければ、わたしに意識があることがゼネラルにバレる。

 わたしが何もしなくても他の再生怪人たちが無辜の市民に襲いかかるだろう。

 本当に殺すしかないのか……。

 んぐううぅぅ……ンギギギギ……。

 ダメた。悶えたところでどうしようもない。他に手が無いのなら……。

 仕方がない……。腹をくくろう。

 死んでも恨むなよ。


「さあ、やりなさい!」

 ゼネラルが声を上げ、命令の合図に指を鳴らした。

 わたしは彼の言った命令に従って、拳を振り上げ、渾身の力を込めて目の前の人間を殴り抜いた。

「ぶぐッ!?」

 黒く硬い怪人の拳は狙い通りにゼネラルの顔面を捉え打ち据えた。

 衝撃で往来を二、三歩後ずさり、ゼネラルは目を白黒させている。素顔が見えないから多分だけど。

「な、何故……。いや、止まりなさい! さっきの命令は取り消します!」

 余裕の無い顔面をもう一発張り倒しておく。

「おごッ! 『止まれ』と言った命令を取り消したんじゃない! 『目の前の人間を殺せ』とは言ったが、私は殺さなくていいんですよッ!」

 この調子ならもう一発くらい殴れるかな。と、腕を振り上げたとき、ゼネラルが悲鳴に似た叫び声を上げた。

「全員止まりなさぁーいッ!」

 変なタイミングで声掛けやがって。振り上げた拳の降ろしどころも探せないまま、ピタリと身体を硬直させた。うん。他の再生怪人たちも固まっている。

「あの博士……よくもこんな不良品を掴ませてくれましたね……」

 怒気をにじませた恨み節を吐き捨て、腹立ちまぎれにわたしに平手を打ってきた。

 振りかぶった腕で咄嗟にガードが間に合った。軽いモーションのわりに重い平手だ。さすが幹部といったところか。

「チッ、防御反応というやつですか。まったく、女というものは私の邪魔ばかりする」

 つい反射的にまた殴りかかりそうになって心中で自制する。

 性別は関係ないだろうが。


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