鉄格子の外

万年筆子(Hitsuko Manen)

第1話 R葬儀場

 1-1

 閉鎖病棟でHが死んだ。R葬儀場の玄関から表通りに立ち、見上げれば充血した空と傾いた太陽は、大きな道を黄色く照らしていた。来世への境界線に続く、その真っ直ぐな道で私とMは棒のように立ち、二本の棒は細長い影を引き火葬場へと旅立つ霊柩車にそっと手を合わせた。弱い日差しに照りかえるアスファルト道路に立つその数少ない見送りに涙は少なかった。奇妙な安堵が漂い、冷めた目色で互いに周囲を見遣った人々。終始、葬儀場の内は陰鬱で重苦しく、哀悼、憐憫が渦巻きあたかも断崖にての葬送の儀に包まれていた。


 ふいに髑髏のようなものが宙に浮かんでいると、傍でしゃがむMが言った。髑髏の首元から糸のように黒い線が無数に延びて、それぞれが葬儀参列者の背中に張り付いていると私に訴えた。

「ねえ、見えないの?」

「いや、・・・僕は鈍いから。」

 私はシュールレアリズムの画家、サルバドール・ダリのミレーのオマージュを記憶から引き起こした。農夫が二人で祈りをささげている油絵で、夫婦の一方の顔が髑髏であった。心象として私は手段を択ばずMと一致しなければいけない。彼女を一人、孤独にする訳にはいけないのだから。

「あなた上にも。・・・ほらほらぁ。」

「ちょっと。・・払って。」

 Mは右手を盛んに振って払って、最後に私の頭の上に両手を覆いかぶせた。

「あなたのは性質が悪いから・・・やっぱり、無理ね。」

 彼女はそう言って、私の頭上から手を引っ込め灰色の地面に再び座り込んだ。葬儀に疲労したのか、そのままの姿勢で周囲の髑髏の群れを、やや生気のない眼で追いかけていた。時々彼女の眼球に映りこむ部分、虹彩の辺りがグルグルと回転式の円盤のように独特な影を映していた。


1-2


 葬儀場の装飾の花々が、燃えるように上へ上へと細長く烏賊の足のように伸び上がり、戸外の街路樹は、穏やかな気象と無関係に上下小刻みに揺さ振られていた。舗装道路も全ての樹木、草花、ビルの外壁も、いや、通り過ぎる自動車や人々の姿形さえ、あらゆるこの世の存在そのものが、徐々に色褪せて黄色系からモノトーン階調へと変わり始めた。そして、ほんの欠片のように微かに残るHからの弱弱しい光を感じた。


「きっと無念だぁ。・・・笑えるよ。ふふふふっ。無念だってさぁ。無念、無念と連呼して、やっぱ、あの世に旅立ったわけ。」

 Mが私を追い掛けるように訴えてきた。私は思いっ切り早口で答えた。

「・・悔いを残さない? ふつうに生きたい? 満足に生き抜くことが出来なかったこと?・・・だから、そういうことなんだ。・・・Hにとって、そう、そういうことなんだから。」

「そうそうそう? だったら、この髑髏というの、なんなのよ。・・・ねぇ、分かってるの。ねえ、分かったふりをしてるの?。」

「答えられない。・・・そうだろう。」

「怒って、怒って、ものすごく怒って、ほんとに憤懣に包まれているの。・・・憤懣が、ほんと、膨張しちゃうの。・・・ねえ、私を助けてよ。」

 Mは私の方を見ないで、宙を盛んに指しながら喋っていた。盛んに指先で造形を描いている。木炭を持ってキャンバスに描いているかのようだった。


 Mは両手を宙でもがくように動かしながら、何度も頭を傾げていた。コンテンポラリーダンスのような動きにみえる。彼女の足元に延びる影の動きがイソギンチャクの触手のように動いていた。

「・・・たぶん、僕の勝手な思い込みとだとすれば、Hの背負った運命はあまりにも過酷だった。・・・つまり遺伝という不幸と不適切な環境という悪意の事象に生涯、ずっと追い込まれつづけたんだ。・・・・・救いの手など・・人の援助? ああ、いかがわしい。」

私はそう吐き捨てた。

「ねえ、それ不条理ってことでしょ。」

Mはコンテンポラリーダンスをやめてこちらを向いた。

「・・・恨んだ。恨んだ。・・・恨んだよぉ。恨んだよぉ。・・・神様。仏様。運命様サマぁ・・・ちょっと不条理じゃございませんの。・・・・どなたが作為するのでしょうか。・・・どなたが・・どなたが・・」

 Mは呪文を唱えるような口調で、ぶつぶつ何やら言葉を反復し始めた。こういう時、Mは脳内で人格が乖離している現象だといい、自分に制御する力も責任もないという。一方の自我はまともに成長しているが、逆はまだら、不完全且つ不適切に成長しているとのことで、一種の発達におけるマダラ障害だと主張した。そして、普遍的に狂気の老成した女と若年の受難女との二つの脳が時間差でもって同時に存在すると訴えていた。


「どなたが・・どなたが・・どなたが・・」

Mは何度も反復した。両手で耳を押さえながらしゃがみ込んで繰り返す。Mが拘りに固執するのは、初めての出会いのときから継続している。その固執者の範疇からなかなか解放されない。且つ、私は何役立つこともなく、いつも傍観者のようにいる。成す術なく保護する度量なく、ただ情けない男なのだ。でも、喋ってみた。


「すべての出来事は、運命や神の啓示というよりは、ただの偶然の連続じゃないかな。・・・・例えば、定められた運命なんて、人として認められないから、運命は神とかいうものの指示なんかじゃなく、単なる遺伝的なもの、暗号の化け物のDNAとか、それを自然がコントロールするシステムだって。」


幾度もMは指先で髑髏の形をたどっていた。

「これ、どなた?・・・これ、どなた?・・・これ、どなた?」

Mは人差し指をクルクル回しながら、私の鼻に向かって突き出してきた。


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