私と妻で決めた、結婚生活のルール

横山記央(きおう)

第1話 私と妻で決めた、結婚生活のルール

 仕事から帰ると、食事をしながら今日あった出来事を話す。食べ終わったら、たまっている洗い物を片付ける。それが終わったら、翌朝炊く米をセットする。


 風呂を出たら、湯船を洗うのも私の役目だ。


 私が二十五、妻が二十三のときに結婚して以来、ずっと続けている。


 これは私と妻の間で、決めたルールだった。


 もし子供がいたら、もっと違ったルールになっていたかもしれないが、私と妻の間に子供はいなかった。


 結婚するなら、明るく楽しい家庭を築きたい。


 私も妻もそこは同じ考えだった。


 私の家も、妻のところも、両親の仲は良くなかった。父と母の間に会話はなく、沈黙を嫌って、テレビが一日中ついていた。


 だからこそ私も妻も、自分の両親たちのような結婚生活は送りたくない、と思っていた。


 しかし、今までそれぞれのリズムで生活し、違う環境で育ってきた二人だ。何もかも、かみ合う訳ではない。


 そこで、二人で話し合った結果できたのが『夫婦のルール』ノート。二人の間で守るべきルールを決め、ここに記すことにした。


 ・浮気をしない。


 ・結婚指輪は常にはめておく。


 ・隠し事をしない。


 など、いくつかのルールをノートに書き込んで、私と妻の結婚生活はスタートした。順調な滑り出しだったと思っている。


 だが、結婚は恋愛とは違う。結婚は生活そのものだ。


 楽しいことばかりではないし、相手の嫌な部分も目に入る。


 ちょっとしたことが気になったり、当たり前だと思ってしていたことに、びっくりされたりする。


 その結果『夫婦のルール』は随時追加されていった。


 例えば、靴下は裏返して脱がないとか、洋式トイレなので、小の方でも必ず座って用を足すといった具合だ。トイレ掃除は妻の担当だった。


 いつの間にか『夫婦のルール』は、百近くになっていた。


 その中で、必ず他の人に驚かれるものがある。


 それは『ケンカをする』だ。数えたら、二十四番目のルールだった。


 私の父の妹夫婦は、私の両親と違って、とても仲の良い夫婦だ。還暦を超えた今も、外出先で手を繋ぐし、互いを思い合っていることが見ていて分かる。その二人から教えてもらったのが『ケンカをする』だ。


 相手に自分のことを理解してもらいたいから、好きだから、納得いかないことがあれば、ケンカをしてでも徹底的に話し合い、中途半端で終わらせない。


 好きだからケンカをするのだと言っていた。


 この話しを妻にしたところ、さっそく取り入れようとルールに追加されたのだ。


 でもそのすぐ次に書かれている二十五番目のルールが『ケンカをしたら、寝る前に謝って、仲直りする』となっている辺りが、私と妻らしいなと思う。このルールがなかったら、もしかすると、ケンカ別れするはめになっていたかもしれない。


 一度書いたが削除されたルールもある。


 例えば『ハゲない』これは本人の努力ではなんともならないという理由で、削除された。似たような理由で『太らない』も削除されたが、代わりに『健康でいる』が追加された。

 

 私と妻は共働きだが、裕福とはいえなかった。工業高校を出た私は、小さな町工場でフライス盤や旋盤に向かう毎日だった。妻は普通科の高校を出てスーパーに就職した。二人とも特に資格は持っていなかった。


 それでも、築年数の多い借家で暮らして行くには十分だった。


 猫の額ほどだが庭があり、そこにプランターを置き、ネギやミニトマトを育てた。


 借家は四軒並んで建てられていた。その左端が、私たちの借家だった。借家の隣が大家さんの家で、大きな畑も持っていた。大家さんが育てた、取れたての野菜をもらうこともあった。


 料理はできるときにできる方がやる、というのも『夫婦のルール』の一つだ。


 私が料理をするようになったのは、中学のときだ。バレー部に入っていた。とにかく腹が減った。三食だけでは足りず、自分でホットケーキを焼いたり、目玉焼きを作ってご飯を食べたのが始まりだった。


 当時はもちろん、今でも、料理は女性がするという風潮がある。しかしあるとき、仕事として料理をしているのは男性の方が圧倒的に多いことに気がついた。料理は女性のものじゃないんだと。


 それからは、母から積極的に料理を習った。料理ができると、女性にモテるのではないかという下心も働いていた。


 結婚して十年が過ぎるまで、私たち夫婦は笑いの絶えない、自他共に認める仲の良い夫婦だった。


 あれから五年。私は四十になった。


 ルールに従い、私は食事をしながら今日の出来事を口にする。しかし、その言葉たちは誰にも届くことなく、虚空へと消えていく。


 人の声がしない沈黙を知ると、垂れ流すだけのテレビ番組でも、ないよりマシだと思うようになった。私の両親のように、会話のない夫婦を結びつけるには、テレビが必要だったのだと思う。


 しかし、妻との会話がなくても、テレビはつけない。見たい番組がなければ、テレビはつけないというルールがあるからだ。


 結婚してからずっと、十五年間住み続けた借家だが、夏前に出て行くことになると思う。


 二年前、少し離れた所に高速道路のインターができた。そこにつながる新しい道路が作られることになった。今住んでいる借家は、その予定されているルートによると、中央分離帯に位置している。大家さんは、畑をほとんど削られることになっていた。


 私はここを出たら、一人でアパートを借りて住むつもりだ。


 この借家には、十年分の楽しい記憶が染みついている。壁にも窓にも、天井や床を見ても、妻の笑顔が浮かんでくる。妻の話し声や笑い声が耳に蘇る。


 その後の五年間は、何も残していない。ただ時間が流れただけだ。


 この借家にいて、楽しかった頃を思い出す。


 その思い出ごと、ここがなくなる。


 今はそのどちらがつらいのか、自分でもよく分からなくなっている。


 妻は一年がんばった。


 卵巣癌だった。


 もともと卵巣の状態は良くなく、結婚前から、子供は望めないだろうと分かっていた。


 妻は、残る私のために、子供を産みたかったと言った。


 死ぬまで生きる。自殺しないし、あきらめない。


 これも『夫婦のルール』だ。


 だから、私は生きていく。妻と決めたルールを守る限り、私たちはいつまでも、夫婦のままだと信じているから。

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