第7話 壊れた時計と少年の微笑み
「今度は思い出せた?」
不意に声が後ろから聞こえた。私が振り返ると先程の少年が、そのまま、少し幼くなったように立っていた。
「あなたは、また小さくなったのね……。」
「あのまま、忘れてくれたら僕は消えていた。」
「ごめん。」
「いや、良いんだ。実を言うと消えても良かったんだ。」
「どうして?」
「偽りの永遠だから。」
「いつわりの永遠って?」
「本当でないと言う事だと思う。」
私たちは歩き出していた。
私は少し前を行く彼を斜めに見つめながら色褪せてひび割れて大きな穴のあるアスファルトを進んでいく。
隣をゆっくりと流れる土手の懐かしい緑の匂い。
田園の中には蓮華の花が埋め尽くすように咲き乱れ桃色の絨毯のように見える。私の田舎では肥料の為にこの綺麗な草花を咲かせるのだった。このアスファルトの道は北から南に流れていて果てしなく遠方まで続いて見えるのだった。
この辺りには建物も少ない。ビルに慣れた都会の風景は目を近眼にするが、この辺りだと遠くに高い山が見えるだけで私たちの眼を遠眼にしてしまう。
「いつわりと本物の違いって何?」
「たぶん、いつわりだと思っている僕の心が偽りなんだ。」
「でも永遠なのでしょう。」
「普通に考えてみたら、僕は長い時間を生きている事になりうるかもしれない。いろんな人と話をして、その考えを聞く事も、その思考、概念、それに哲学なども理解できる、でも……。」
少し歩く彼の横顔は酷く寂しい顔をした。
「でも……?」
「僕は最期まで覚えていられない。いろんな言語や知識は頭から離れないけれど、たぶん君の事は明日まで覚えていられない。もっとも時の概念は僕にとって曖昧で不確かなものだけれど。」
彼は懐中時計を懐から取り出して一瞥すると静かに仕舞った。
その刹那、彼の金の懐中時計の裏側を見ることが出来た。
けれど時計は壊れてしまっていた。
まるで彼の時が砕けて止まってしまっているように。
「………。」
私は彼の表情を見ると酷く悲しげで儚いものに見えた。
永遠を知る事は、ただ悲しい事かもしれない。
「だから、この瞬間を、感情を心の奥底に止めて置くんだ。例え明日忘れてしまう曖昧な儚い記憶であっても……。」
私たちは丘の上にある病院の前まで来ていた。
「じゃ、私は行ってくる。本当の気持ちを探しに。」
「ああ、僕も目的地に着いた。」
「わたしは覚えているから、絶対忘れないから。」
「ありがとう。僕も忘れないよ。」
彼は手を振って私を送り出したが、病院の入り口辺りで、呼び止められた。私は振り返ると少年が駆けて来た。
「ちょっと待って、これを持っていって。」
私は手の中に何かを握らされた。
「これは?」
「見ては駄目。病室に入ったら手の中のモノを開けて。」
「わかった。」
「さよならだ。」
「さよなら。」
「また逢えるその時まで。」
私は握られた掌を、そのままに病室へ駆けていった。
少年は見送り終わると体を入り口から逆さにして静かに戻っていった。病院の僅かな階段から降りると少年は白い光の世界の中に消えていく。
「たぶん、二度と逢う事はないだろう。でも君は答えは出ているんだよ。此処に来たという時点で……。」
それが最期の言葉だった。
少年は微笑んでいるように見えた。
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